小さな村の素敵なホテル [ドイツ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
ドイツの田舎の風景を紹介したシンボルタワーのマイバウムのある村に泊まりました。泊まったホテルを紹介いたします。このホテルに泊まりました。ホテルの目の前には大きな木があるので全景は見えませんが雰囲気はわかってもらえると思います。
こちらがホテルの入口です。小さな入口がなんとなくワクワクさせてくれます。
このホテルの名前はHotel zur Postです。
この写真の右端のドアが、上の写真で紹介したホテルの入口です。その通路には沢山の写真が飾ってありました。おそらく皆さん有名な方々だと思います。ちょっとした名ホテルのようでした。その名ホテルを紹介いたします
先ずはホテルの外観から紹介いたします。ホテルの全景は撮れないので分割した紹介いたします。こちらがホテルを正面から見て右側です。
こちらが正面から見て左側です。
渡された鍵の部屋番号は426でした。ヨーロッパでは日本の2階を1階と表現します。したがってルーム番号が100番台は日本で言う2階で200番台は3階、300番台は4階です。したがって400番台は日本で言う5階でヨーロッパで言うと4階と想像できました。
さっそく、エレーベーターのところに行きました。階段の右側にあるエレベーターに乗りました。ところがボタンは3までしかありませんでした。最上階の4階に行きましたが、上に登る階段はありませんでした。受付カウンターに戻って、場所を聞くと建物の外に出て別棟であることを教えてくれました。
左側の建物がその別棟でした。頭の4が別棟の番号で5もありました。この建物での部屋番号が26なので3階の部屋でした。このホテルには別棟がいくつもありました。かなり沢山の人が泊まれるホテルでした。ホームページを見ると104室あると書かれていました。
その別棟の3階からの景色です。例の教会とシンボルタワーが目の前に見えました。
こちらも部屋からの景色です。緑の中に民家がありました。
もう一つ部屋からの景色を紹介いたします。どちらの方向も緑があふれていました。
シンボルタワーの少し左手前にホテルがあります。クリックして出てきた拡大写真では確認できると思います。
ホテルの1階には雰囲気のあるレストランがありました。
そのレストランの中です。
ネットからホテルの動画を拝借いたしました。プレーボタンをクリックすると雰囲気が判ると思います。
ダウンロードは🎥こちら
nyankomeさんの御質問にお応えして建物の壁の絵を掲載させていただきます。建物の左端にあった馬車の絵です。
こちらは入口の上にあった絵です。こちらにも馬が使われていました。
緑のマークがホテルのあったローアドルフ (Rohrdorf) です。マークはホテルの場所につけています。青のマークはGarmisch-Partenkirchenという小さな町です。
道路を挟んで右側の建物も同じホテルで、私はそちらに泊まりました。5つの建物でホテルが構成されていました。ホテルのレストランはマークのある建物にあるので朝食と夕食はそちらでいただきました。小さな村ですが沢山の人が泊まっていました。
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小さな村の風景 [ドイツ]
ミュンヘンからウィーンの高速道路の車窓から見える記事で小さな村々を紹介いたしましたが、そんな小さな村に泊まる機会がありました。ウィーンからミュンヘンへ鉄道で帰ってからタクシーでこの村まで来てみました。ミュンヘンから90kmでオーストリアの国境まで60kmくらいの場所です。高いところに上がって、村の写真を撮りました。この記事の写真のほとんどはクリックすると2倍に拡大するように設定しているので是非とも何気ない小さな村の雰囲気を感じて見てください。
この教会は上の写真でもわかると思います。この村で一番高い建物のようです。場所はミュンヘン(ドイツ)とザルツブルグ(オーストリア)のちょうど中間にあるローアドルフ(Rohrdorf)という村です。
道路から住宅を撮りました。この道はすでに家の敷地です。広い敷地がうらやましいです。
遠くから見ると大きさはわかりませんでしたが、村の通りには大きな家が並んでいました。大家族か、複数の家族が住んでいるところもあるようでした。
離れた場所にある家も大きかったです。大きな車庫もありました。
どの家にも薪が蓄えられていました。木が豊富な証拠です。沢山の木を使い続けても自然とバランスしてきたのでしょうね。
昔、馬たちの水飲み場だったのかもしれません。遠い昔から水が湧き続けていたのではないでしょうか。
教会が見えるメイン通りです。ホテルやレストランと思われる建物がありました。
村のマークのようです。これは公共の建物のように感じられました。教会と道路を挟んだところにありました。地図にはGemeinde Rohrdorfと書かれていました。住所はSt.-Jakobus-Platz 2 Rohrdorf, Deutschlandです。
泊まったホテルのあたりから教会とは反対側を撮りました。この日は小雨模様のため写真撮影としてはベストではないけれども村の雰囲気に圧倒されました。
少し離れと村を撮ると沢山の花に囲まれたところにあることがわかりました。
緑のマークが、今回紹介の小さな村、ローアドルフ (Rohrdorf) です。緑マークは泊まったホテルの位置につけています。青のマークは昆野誠吾さんからコメントで紹介いただいたガルミッシュパルテンキルヒェン(Garmisch-Partenkirchen)です。
ミュンヘンからウィーンへの高速道路の風景 [オーストリア]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
ドイツのミュンヘンから高速道路を車で走ってオーストリアのウィーンへ入りました。ミュンヘンから東に450kmの距離で約4時間のドライブでしたが、素晴らしい景色が続くので車からの景色を順番に紹介いたします。ミュンヘンの町を出て30分程度、走ると緑豊な景色に変わってきます。この後の写真は家が写ったものが多いと思いますが家がある方が珍しいのです。つまり、このような景色が続くわけです。
牧草地帯でところどころに趣のある家が点在しています。
この地図の赤い線が今回走った高速道路です。クリックすると拡大するので地名が読みやすいと思います。ウィーンがミュンヘンの真東にあることも判ってもらえたと思います。
この時期は沢山の花が咲いていました。大きな村の近くも通ります。
牧場の家は大きいです。
この車でミュンヘンからウィーンまで走りました。
このあたりでミュンヘンから40分くらいの距離です。
教会も沢山ありました。この形のオーストリアでは沢山見かけました。クリックして拡大した美しい教会を是非とも見てください。
牛のいる景色も絵になります。小さな村には教会が建っています。この近隣を舞台にミュージカル映画サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)が作られ1965年に公開されました。サウンド・オブ・ミュージックは1938年のナチス党政権下のドイツによるオーストリア合邦(アンシュルス)及び第二次世界大戦の前夜から始まる物語です。
主人公のマリアは修道女見習で、おてんばで、いつもまわりの修道女にたしなめられていました。
ある日、院長に、オーストリア・ハンガリー帝国海軍の退役軍人であるトラップ大佐の7人の子供たちの家庭教師をするように勧められ、大佐宅へ向かう《I Have Confidence in Me「自信を持って」》ところからはじまります。
標高は500m程度でゆっくりと登り下りが続きます。
牧草地帯ですが、少しづつ山の景色が増えてきます。徐々に映画サウンド・オブ・ミュージックの世界に入ってきました。
独特の家々が建っていました。
丘の斜面にに家が建っていました。
木材がたくさん置かれています。
同じような風景が続きます。このあたりがザルツブルク(Salzburg)です。残念ながらザルツブルクの近くでは高速道路の両脇に防音壁が建てられているために写真を撮ることができませんでした。ザルツブルクの都市名の語源はザルツは「塩」、ブルクは「砦」の意だそうです。15キロほど南のバート・デュルンベルクで産出される岩塩をハライン (Hallein) 市において製塩し、大司教から特権を与えられたラウフェン(Laufen)の船乗りたちがハラインからザルツァッハ川(Salzach)を通じてヨーロッパ各地に送っていたそうです。塩の積載量に応じた通行税をこの地の大司教が財源にしていた。このためデュルンベルクの塩が地名の語源と誤解されています。しかしドイツ語のザルツブルクの名が史料に初めて登場するのは755年頃成立した『聖ボニファティウス伝』においてである。当時のサルツブルクの司教はバイエルン公よりライヒェンハル(現ドイツ領)の塩泉および塩釜の利益の一部を与えられ、それを布教の財源としていたそうです。よって地名の直接の由来となったのはライヒェンハルの塩であると考えられていまする。
大きな高い山が現れてきました。オーストリア領に入りました。このあたりからウィーンまだ300kmあります。ザルツブルクからウィーンまでの間も、人の住んでいるところでは防音壁が立ち並んでいたために写真はあまり撮れませんでした。
オーストリアの田舎の風景です。
高い山が、次から次へと現れました。
前方にもきれいな景色が現れてきました。
ウィーンに近づくと起伏がが少なくなってきます。
なだらかな丘が続きました。
城のような建物も時々見受けられました。