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巨大なカザフスタン国旗 [カザフスタン]

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カザフスタンのアクトベという町を早朝に散歩してモスクと教会を訪れました。もう一つ気になっていたところに行ってみました。それがこの写真の場所です。高いポールに大きな旗が風でたなびいていました。上の写真は是非ともクリックしてみてください。高さが実感してもらえるかもしれません。
ネットで調べたけれども、これは出てこなかったので正確な高さはわかりませんが、60m~70mではないかと思えました。もしかしたら、もう少し高いかもしれません。このポールの高さをご存知の方が、おられたら教えてください。

旗も遠くなので小さく見えましたが、かなりの大きさです。
この旗がカザフスタンの国旗です。おそらく15mを越える長さの旗だと思いますが強い風のおかげで、たなびいていました。


この旗は大きな公園の真中辺りに立てられており、周りには池などもありました。


カザフスタンの1人当たりGDPは11,415ドル、失業率は1999年に13.47%あったものが下がり続けて2013年には5.3%になり、独立直後の経済状況に比べ、クリックすると拡大著しい飛躍を遂げています。この経済成長は、鉱物資源の輸出によるものであり、天然資源依存型であるといえます。採掘量が世界第10位以内に達する地下資源が9つも存在します。輸出品目も地下資源とその加工品が7割を占めています。豊富な地下資源も、何もしなければ宝の持ち腐れですが、経済発展を成し遂げた初代からの現大統領(ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領)は、絶大な人気で2011年4月3日の大統領選挙では95.5%の得票率で再選(5選)されています。大統領の写真はWikimediaから拝借いたしました。参考に日本の失業率もプロットいたしました。


ポールの根元の部分です。根元にはいろんな飾り付けや文字が書かれていました。この裏側には大統領と思われる写真も取り付けられていました。ポールは亜鉛メッキのようでした。


下から見上げるように撮った写真です。迫力がありました。

公園の入口の門からの写真です。入口から一直線に花壇が続いていました。この写真はGoogle地図のカメラマークの場所から撮りました。Google地図で確認したところ公園の入口にある門から旗までの距離は470mです。
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緑色のマークのところに巨大なカザフスタンの国旗が立っていました。紹介したモスク(青マーク)や教会(赤マーク)から近いところにありました。
ネットで調べるとカザフスタンはカザフ人が63.1%、ロシア人が23.7%、ウズベク人が2.9%、ウクライナ人が2.1%、ウイグル人が1.4%、タタール人が1.3%、ヴォルガ・ドイツ人が1.1%、その他4.5%となっています。アジア系が60~70%というイメージは当たっていました。


カザフスタン共和国の国旗(1992年6月4日~現在)
カザフスタンの国旗は1991年のソ連解体後、カザフスタン共和国として独立(1991年12月16日)した際に制定(1992年6月4日)されました。 ソ連時代に使われていた赤い色はなくなりました。
青地は空、中央の黄は33本の光を擁する太陽と翼を広げて飛ぶワシ(ステップ・イーグル)をイメージし、左端の文様は民族の伝統的なアラベスク文様で、この青地は、この地域のテュルク系諸民族を示し、その諸民族の間では青地は宗教上特別な意味である神の存在を象徴するが、現在ではカザフスタンの広い空と自由を象徴しています。中央の鷲は、当時も青地に鷲の旗のもとで、この地方を支配したチンギス・ハーンの帝国を示し、カザフスタンの人々の誇りを表したそうです。
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独立する前のカザフ・ソビエト社会主義共和国時代の旗を古い順に紹介します。このころは赤が主体でした。真中は第二次世界大戦のころの旗になります。一番最近のものにはブルーの色が入りました。文字もなくなりました。下の国旗はクリックすると拡大します。
  1937年~1940年    1940年~1953年    1953年~1991年
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首都のアスタナにも、町の中に大きな国旗が建てられていたので紹介します。アクトベの国旗よりも少し小さいようですが、それでもかなりの大きさでした。