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カザフスタンの水たばこ [アスタナ]



生まれて初めて水タバコを吸いました。これが水タバコです。私は煙草は吸いません。一生の間に学生時代に2分の1本吸って以来、煙草を吸ったことがありませんでした。理由は初めて吸った時に、煙たくでノドが痛くなったからです。
以前に料理を紹介したカザフスタンのレストランで、火のついた炭を持ち歩いしてる従業員の人がいるので、「この炭はなんですか」と聞くと水タバコ用の炭との答えでした。前々から水タバコに興味があったので頼んでみたわけです。

この時に頼んだのは一番人気のあるアップルとハープが混ざったものでした。吸ってみましたが煙たくなくて煙草とは別物でアップルとハーブの香りを楽しむ感じでした。
煙草を吸わない女性でも、全く問題なく楽しむことが出来ました。タバコを楽しむのではなく、初めての体験を楽しんだわけです。是非とも体験してみてください。


セッテングするまでを紹介いたします。追加で頼むと先ずはタバコの葉(干したアップとハーブ)と炭を入れる部分を逆に吹かして清掃します。


タバコの葉に相当する干したアップとハーブ(ミント)を入れます。


その上に炭を入れます。


炭と干したアップとミントをいるる部分の写真です。


さらに拡大してみました。


結構、楽しめました。
楽しい雰囲気の大きな写真を掲載したいところですが顔がわからない右の小さい写真で勘弁してください。楽しい雰囲気がわかってもらえるでしょうか。調べてみると、水タバコはペルシアで発明されイスラム圏で大成した喫煙具の一種と言われています。香り(フレーバー)付けがされたタバコの葉に炭を載せて熱し、出た煙をガラス瓶の中の水を通し吸うというものだそうです。
大きさは小さい物で高さ30cmからあり、一般的な物は60–80cmほど、大きい物では1mを超すものも多いと書かれていました。今回のものは1m級に近かったです。フレーバーには果物からスパイス、花、コーヒー、ガムなど多くの種類があるそうで、今回はアップルとミントでした。私が初めて水タバコを見たのはエジプトでした。インドや中近東でも人気があるそうです。


首都アスタナでも屈指の中央アジア料理のレストランでした。


レストランの場所を紹介します。紫色マーク( )が今回のレストランです。
 店名 Алаша Alasha
 住所 Республика Казахстан г.Алматы ул. М.Оспанова, 20
    Republic of Kazakhstan Almaty Ospanov st., 20
 電話 0727-254-0700
 HP http://www.alasha.kz/ru/contacts


すでに紹介したカザフスタン料理を再度掲載いたします。

やっぱり最初はビールですね。右が無濾過のビールです。左は濾過されたクリヤーなビールですが、女性だと不思議なことにストローが入れられてきました。


この日は肉料理が中心になることから、先ずは野菜を頼みました。ハーブ類も入った野菜の盛り合わせです。


このパンも特徴のある有名なものだそうです。


さっそく肉のオードブルが出されてきました。どれもビールに合うおいしい一品ばかりでした。


こちらのお店の名物に「うどん」があるということなので頼んでみました。スープは日本のうどんとは違うものでしたが、正式名はわかりませんが確かに日本人がウドンと呼ぶにふさわしい料理でした。


中に入っている麺はこれでした。讃岐うどんのような強いコシはありませんが、確かに麺の味はうどんでした。


これがメインデッシュのリブロースと串焼きの肉です。


特徴的な焼き飯もありました。各自のお皿に民族衣装着た人が取り分けてくれました。


肉も焼き飯もおいしかったです。


やはり肉の国です。しっかりと焼くのがカザフスタン流ですが牛肉の高級な部位は柔らかくておいしかったです。


この肉料理もおいしかったです。結局はウォッカを2本あけてしまいました。もちろんウォッカは一本9200円位のベルーガです。


こちらのお店ではステージがあって中央アジア風の踊りを楽しみながら食事をいたしました。


レストランの場所を紹介しておきます。ナイフとフォークのマークのところです。

より大きな地図で レストランの位置 を表示

兵庫陶芸美術館 立杭焼の里 [兵庫県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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すでに紹介した焼き物の里である兵庫県篠山市今田町の立杭地区と川を挟んだ山の裾野に陶芸美術館があります。室町時代から大正時代に兵庫県内で作られた焼き物の美術館で正式名は兵庫陶芸美術館です。本記事ではその兵庫陶芸美術館を紹介いたします。JR相野駅を9時35分発(始発)に乗ったバスはこの兵庫陶芸美術館行きで、ここに着きました。
兵庫陶芸美術館が建てられた立杭の焼き物は平安時代からの歴史があり、丹波立杭焼、あるいは丹波焼、あるいは立杭焼ともいわれて、瀬戸、常滑、信楽、備前、越前と共に六古窯の一つに数えられています。山のふもとの斜面に建つ白い建物が兵庫陶芸美術館です。

こちらはすでに紹介した記事「丹波立杭焼の里」の中で掲載した兵庫陶芸美術館の写真です。川の名前は四斗谷川(しとだにがわ)で、陶芸の里らしく壺が飾られた橋の名前は「ほとけ橋」です。
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登り坂の入口に作られた兵庫陶芸美術館の看板です。
英語の名称はThe Museum of Ceramie Art, Hyogoです。


看板を過ぎで坂を登っていくと陶芸美術館が見えてきます。


エレベーターで上がった後、この渡廊下で美術館に向かいます。


ガラス張りの渡廊下からは立杭の集落が見えました。私が乗ってきたバスも右端に少し写っています。


正面が美術館の入口です。ここには9時50分に着きました。Openの10時まで周りを散策させてもらいました。小さな陶器のランタンが沢山並べられていました。日が暮れるときれいな景色が見れるのだと思います。
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美術館の入口から上の写真を撮った場所の方向の写真です。沢山の石が景色を作っていました。
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石だと思ったのは陶器でした。
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割れ目を作っていないと陶器とはわからない色合いと地肌でした。これらは杉浦康益さんの一つの作品で作品名は「丹波逍遥・語り合う沈黙2005」です。
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クリックすると拡大こちらが入館券です。この時の観覧料は本来は600円でしたがJAFの会員カードを持っていたことから団体と同じ500円になりました。
名前 兵庫陶芸美術館
    The Museum of Ceramie Art, Hyogo
住所 兵庫県篠山市今田町上立杭4
電話 079-597-3961
営業 11月~3月 10:00~18:00
    4月~10月 10:00~19:00
    特別イベント 10:00~21:00
休館 月曜日 12月31日~1月1日
料金 展覧会ごとに異なるそうです。
    ネットで割引券入手可
HP  http://www.mcart.jp/ 
開館 2005年10月1日
所蔵 1700点
     この時に展示されていたのは152点でした。
構成 展示室5室(1階:2室、2階に2室、地下:1室)
展示 丹波焼(丹波) 出石焼(豊岡) 八鹿焼(養父) 三田焼(三田) 王地山焼(篠山)
    東山焼(姫路) 珉平焼(淡路) 赤穂焼(赤穂) 明石焼(明石) 舞子焼(神戸)
    明浦山焼(明石) 鷺脚焼(姫路) 盈進舎(出石) 永世舎(姫路) 淡陶舎など
  

美術館では新収蔵品展「美の再発見 兵庫のやきもの」が行われていました。会期は2013年12月7日~2014年2月16日でした。
美術館内は写真撮影禁止なので、展示室の雰囲気を感じてもらうためにネットから下記の写真を転用させていただきました。展示は部屋ごとに4章に分かれて132点が展示されていました。
 2F 第1章 丹波                   1 ~ 42 室町前期~江戸後期
 2F 第2章 出石と八鹿              43 ~ 65 江戸~明治~大正
 B1 第3章 三田・王地山そして東山・赤穂  66 ~ 94 江戸~明治~大正
 1F 第4章 明石・珉平そして清風与平     95 ~132 江戸~明治~大正



これらの写真はパンフレットとHPから転用させていただいた陶器7点です。
 左側の写真が室町時代後期の丹波焼の壺です。
 右側の写真が江戸時代後期の三田焼の青磁牡丹文角皿です。


 左側の写真が明治時代の出石焼の白磁梅樹文龍耳花瓶です。
 中央の写真が江戸時代後期の王地山焼の赤絵金彩唐人物図花瓶です。
 右がの写真が江戸時代後期の東山焼の染付騎馬人物鹿図耳付花瓶です。


 左側の写真が江戸時代後期の明石焼の色絵亀甲文手桶形水指です。
 右側の写真が明治~大正時代の淡陶社の色絵花鳥図鉢です。


同じ館内の1F(一階)で、田島悦子展も行なわれていました。ガラスと黄色の陶器を組み合わせた作品でした。14点が展示されていました。こちらは2013年9月21日~2014年2月19日までの開催でした。併設して江戸時代前期の丹波焼の壺も6点展示されていました。作品は「灰釉山椒壺」が3点、「灰釉六角朝倉山椒壺」が1点、「灰釉六角面取山椒壺」が2点でした。


陶芸美術館に隣接して「立杭陶の郷」があり、こちらには沢山の観光バスが停まっていました。この中には立杭の窯元が54軒集まった窯元横丁があり、じっくりと見て作品を買うことが出来ます。ただし私は知らなかったのでこちらには来ませんでした。
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こちらがホームページから転用させていただいた窯元横丁の写真です。
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今回は知らないでいかなかったのですが、紹介する値打ちがありそうなのでホームページから転用させてもらった窯元横丁の地図を掲載します。この地図からも雰囲気が判ってもらえると思います。私が今回買った吟兵ヱ窯や以前に壺を買った丹京窯もあります。前記事で紹介した窯元は、すべてそろっています。
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赤色マークが陶芸美術館で、黄色のマークが窯元横丁などがある「立杭陶の郷」です。左側の緑色マーク(窯元案内板)や空色マーク(登り窯)がある集落が、沢山の窯元がある立杭地区です。窯元を訪ね歩くのも懐かしくて楽しかったです。

より大きな地図で 立杭集落 を表示
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宝塚まんじゅう [土産]



伊丹空港のお土産シリーズです。今回は私の育った町の一つである宝塚のお土産です。伊丹空港で「宝塚まんじゅう」と言う宝塚名物が売られていました。

柔らかな草もちが12個入っていました。これで680円とは、お得です。


さっそく食べてみましたが、美味しかったので紹介いたします。創業は1934年(昭和9年)だそうです。80年になる老舗の焼餅でした。宝塚に16歳から28歳まで住んでおり、今でも実家がありますが、こちらのお店は知りませんでした。昔から自然の材料だけで作られて最近注目されるようになったのかもしれません。


ほんとうに柔らかな焼餅で手でちぎると平たくなってしまうので写真のために包丁で切りました。皮は新粉と上用粉と餅粉とよもぎの絶妙な配合で搗き上げられていました。お餅の中のこしあんも、やわらかく煮き上げられてた自慢のこしあんだそうです。もちろん添加物・保存料は使われていませんでした。
空港で売っているものは美味しいものが多いのに驚きます。


実家が宝塚なので、帰省した時に買いに行きました。こちらがお店の写真です。
  店名 元祖やきもち 河本本舗
  住所 兵庫県宝塚市栄町2-1-1 ソリオ宝塚 1・GF
  電話 0797-84-2184
  営業 9:00~19:00
  定休 水曜日
  創業 1934年(昭和9年)  80年前
  地図 http://goo.gl/maps/Lc6Ju
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下記は今までの伊丹空港で買ったお土産の記事です。
   伊丹空港の旬のお土産 活炊き「くぎ煮」
   抹茶チーズケーキ 伊丹空港のお土産
   今回の伊丹空港のお土産は豚まん
   今回の伊丹空港のお土産はチーズケーキ
   宝塚まんじゅう

丹波立杭焼の里 [兵庫県]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2014年2月5日~9日まで関西に行って宝塚の実家に泊まっていました。2月7日に時間があったので関東に引っ越してからご無沙汰になっていた丹波立杭焼の里である兵庫県篠山市今田町の立杭地区に行ってきました。
丹波立杭焼(たんばたちくいやき)は丹波焼あるいは立杭焼ともいわれています。起源は平安時代にまで遡るといわれ、瀬戸、常滑、信楽、備前、越前と共に六古窯の一つに数えられて主に生活雑器を焼いてきました。江戸時代後期には篠山藩の保護育成などもあり、直作、一房、花遊、一此、市作など世に名を轟かせる陶芸家を輩出したそうです。窖窯時代には小野原焼と呼ばれていたが、登り窯時代になって、現在の呼び名である丹波焼あるいは立杭焼と呼ばれるようになったそうです。
丹波立杭焼の特徴は、登り窯により最高温度約1300度で50〜70時間も焼かれるため器の上に降りかかった松の薪の灰が、釉薬と化合して窯変、「灰被り」と呼ばれる独特な模様と色が現出し、また炎の当たり方によって一品ずつ異なった表情を生み出すことだそうです。

JR福知山線の宝塚駅を9時6分発の篠山口行きの快速に乗って相野まで行きそこからバスかタクシーで行くつもりでした。バスの時刻は判らないので、とりあえず立杭に10時くらいに着く電車を選びました。


相野駅が見えてきました。
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相野駅のホームです。


相野駅には9時30分に着き、出発寸前のバスに飛び乗りました。戻ってきたときに確認するとバスは9時35分発でした。ゆっくりとトイレに行ってからバス停に行ったのでギリギリだったわけです。


すぐにバスに乗れたので頻繁にバスがあるのかと思いましたが、下の時刻表を見てもらえればわかるようら一日に6本しか走っていないバスに偶然に乗れたのでした。それも始発でした。なんという偶然なのでしょう。平日が6本で土曜、日曜、祝日が8本なので、電車で行かれる方のために時刻表を掲載いたしました。帰りも気をつけないといけないことが判ってもらえると思います。降りる時に親切な運転手さんに帰る時のバス停留所が時間帯によって違うことを教えてもらいました。この時刻表をクリックすると下立杭の時刻表を表示します。
クリックすると下立杭の時刻表を表示

なんとバスは相野駅から終点の陶芸美術館まで私一人でした。


バスはこの坂を登って見えている県陶芸美術館に到着いたしました。県陶芸美術館で兵庫県のいろんな時代の陶器を見た後に立杭の集落の方に向かいました。


立杭の集落に向かう途中で見える陶芸美術館の景観です。川の名前は四斗谷川(しとだにがわ)で、陶芸の里らしい橋の名前は「ほとけ橋」です。
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立杭の周辺の景色を紹介します。北の方向を撮った写真です。正面に見える山は白髪岳(721.8m)だと思います。丹波富士とも言われています。
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こちらは立杭の集落です。左の方が下立杭で右の方が上立杭です。現在、今田町上立杭、下立杭、釜屋地区に約60軒の丹波立杭焼の窯元があるそうです。
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集落の中に入りました。ほそい路地が趣がありました。その路地に「窯元路地歩き」の看板が立てられるだけのことがありました。その路地にはそれぞれ「アベマキ坂」「こやすさん坂」「窯の壷坂」「なかみち通り」「やきもの通り」などの名前が付けられていました。
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この路地を登ったところにも窯元がありました。
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路地を歩いていると小さな社(やしろ)もありました。真っ赤な鳥居には稲荷大明神と書かれていました。


それぞれの窯元も趣があります。こちらは俊彦窯(としひこがま)です。清水俊彦(S20)さんと清水剛(S50)が作られているそうです。
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こちらの窯元は丹波・山キ窯・喜仁です。
こちらの「山キ」は文字ではなく「山キ」=なのです。つまり「丹波窯」です。こちらは大上喜仁さん(S31)がやられています。
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こちらも大きな窯元でした。こちらは茶陶丸カ窯です。
こちらの「丸カ」も文字ではなく「丸カ」=なのです。つまり「茶陶窯」です。こちらは市野年彦さん(S31)がやられています。
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こちら窯元は丹窓窯です。写真の中の右端に登り窯が写っています。
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遠くから撮った写真に、その登り窯が写っていました。
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これが登り窯です。
全国的に中世には轆轤(ろくろ)を用いない紐作りという手法で形を整え、窖窯と呼ばれる独特の窯で釉薬を用いず、焼き締めて作られていたそうです。江戸時代に入ると登り窯が用いられるようになり、ここ立杭では今でも沢山の登り窯が残っているようです。
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反対側から見た登り窯です。
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クリックすると拡大立杭の登り窯の特徴は先端の「蜂の巣」と呼ばれる煙出しの部分です。この煙出しの部分は「くど先」「火さき」とも呼ばれています。右の「蜂の巣」から炎が噴き出している写真はネットから転用させていただきました。最近は煙突が付けらりることが多くなったことから、「蜂の巣」から炎が噴き出す美しい光景は少なくなったそうです。
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登り窯は山麓の傾斜地に「そだて石」とよぶ石を並べて基礎とし、割り竹を縄で編んだものを支えとして、両側から「まくら」を半円形に積み上げられるそうです。このまくらは、山土を型に入れてこしらえた立方体の日干し煉瓦(れんが)で、現在では鉄板を支えとして積まれることが多いようです。このとき出入り口や燃料の投入口も設けられ、最後に「ごぢん」とよぶ窯内部の床を厚く塗り固めて完成します。この図はネットから借用させていただきました。
クリックするとオリジナル記事を表示

こちらが窯詰の出入口です。中の煉瓦の表面から高温で焼かれることが判ってもらえると思います。
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ここには複数の登り窯がありました。煉瓦の煙突が建てられた登り窯です。これらは上立杭にあった登り窯です。
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下立杭の方に下りていく途中に大きな木の下にクリックすると拡大社が立てられているところがありました。この木はアベマキで、「上立杭の大アベマキ」として平成元年12月12日に郷土記念物に指定されました。木の姿が扇を開いたように見えるので「おうぎの木」あるいは「おみの木」とよばれ、地域の神木として崇められています。アベマキとしては、兵庫県位置の巨木です。ここから右に行く道が「アベマキ坂」と名付けられています。鳥居には「正一位稲荷大明神」と書かれていました。
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「おみの木」の脇を上がっていく道です。この奥にも窯元がいくつかありました。
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こちらの道にも沢山の窯元がありました。
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立杭の集落のメインストリートです。
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窯元マップがあったので写真を撮りました。クリックすると拡大します。左方向が北方向になります。この看板に書かれている窯元を紹介いたします。
樫山窯 大雅窯 英一窯 省三窯 末晴窯 陶幸窯 山五陶勝窯 大熊窯 丹水窯 (かねと)窯 茶陶窯 丹波窯 製陶所 源右衛門窯 義治窯 窯 丹波窯 窯元やまの 丹窓窯 雅峰窯 珀耀窯 俊彦窯 こおほ窯 陶芳窯 義年窯 丹京窯 丹泉窯 新右エ門窯 信行窯 炎丹久窯 豪人窯 稲右衛門窯 昇陽窯 伝市窯 陶山窯 丹山窯 丹満窯 悟窯 忠作窯 吟兵ヱ窯 松本製陶所 直作窯 圭泉窯 丹誠窯 丹久窯 林造窯 鎮台窯 寿庵 壺市
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緑色マークが窯元マップが立てられていたところです。空色マークが登り窯で、すでに紹介したのが、北側(上側)の登り窯です。赤色マークが陶芸美術館で、黄色のマークが54軒の窯元の作品が広いスペースに窯元ごとに並べて売られている「立杭陶の郷」です。

より大きな地図で 立杭集落 を表示
上の地図の南側(下側)の登り窯です。沢山の登り窯があることが判ってもらえると思います。


こちらの登り窯は兵庫県の指定文化財です。この窯は現在も共同で使用されています。長さは47mで9袋を持っているそうです。記録によると今から119年前の明治28年(1895年)の構築で、立杭に置いては現存の登り窯のなかで最も古いそうです。
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上の写真と反対側から撮ったものです。
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上の方向からの写真も紹介します。
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宝塚の実家に住んでいたころに同じ登り窯を撮った写真が残っていました。
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クリックすると拡大クリックすると拡大入社してすぐのころは車で気楽に行けたので何度も社内の友達同士や、家族で行きました。右の写真はお袋と姪っ子(私の姉の長女)です。
近世における丹波焼は、慶長16年(1611)ごろ、朝鮮式半地上の登り窯が導入されて穴窯時代から登り窯時代になったといわれています。その頃は釜屋の山麓に登り窯が築かれていたので「釜屋時代」「山麓時代」ともよばれていたそうです。人が住む下立杭や上立杭に登り窯が作られたのは宝暦2年(1752)で、里に登り窯が作られたことから「里窯時代」とよばれたそうです。
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昔の写真で煙出しの「蜂の巣」の写真がありました。蜂の巣から吹き出される真っ赤な炎は美しいと思います。
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横には別の登り窯もありました。
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横には丹京窯という窯元がありました。
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実は、昔、こちらの丹京窯で大きな壺を買いました。その壺は今も実家にあります。今は息子さん(清水昌義さん)が窯元をやられているそうです。つまり先代(清水丹京さん)の作くられた壺になります。今度、実家に帰った時に写真を撮って紹介いたします。
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追伸
こちらが、昔に買った清水丹京さんの壺です。
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拡大してみました。クリックすると拡大

添えられていた説明書きです。
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久しぶりに立杭に来たのでお土産を買おうとしましたが閉っているお店も多かったです。寒い時期の平日のため、立杭の集落では、ほとんど人は見かけませんでしたが10月の第3土曜、日曜日には「陶器まつり」が開催され、普段は人通りもまばらな窯元の立ち並ぶ小路まで多くの人々が繰り出し終日賑わうそうです。年間で十万人が訪れるそうです。お土産に買ったのがこちらの吟兵ヱ窯です。


店内を撮らせていただきました。今の窯元の名前は吟兵ヱ保宏(大西保宏)です。私が関西に住んでいたころの窯元のお孫さんだそうです。時間がたったことを感じました。吟兵ヱ窯を紹介します。
  窯元 吟兵ヱ窯(ぎんべいがま)
  陶工 吟兵ヱ保宏(大西保宏) 先代は大西寿
  住所 兵庫県篠山市今田町下立杭187-1
  電話 079-597-2065
  詳細 http://www.tanbayaki.com/kamamoto_shosai/59.htm
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壁際に並べられているのが薪で焼かれた陶器です。手前の方にガス窯および電気窯で焼かれたものが並べられていました。せっかく立杭に来たので薪で焼かれたごはん茶碗を買いました。薪を燃料とした場合は登り窯と穴窯の両方があるようです。
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これが購入した、ご飯茶碗です。
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お土産も買ったので帰ることにいたしました。立杭公会堂前が12時30分のバスで、乗ったのは一停先の下立杭だったので12時32分でした。このバスを逃すと15時25分までバスがありませんでした。心配していましたが時間通りに相野駅行きのバスが来ました。


次の電車は13時3分でした。


相野駅の写真を紹介します。
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この電車で宝塚まで帰りました。
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翌日は学生時代のサイクリング部のOB交流会に出た後、2月9日は雪のためにべた遅れの飛行機に乗って家に帰りました。
さっそく立杭焼きの茶碗で、ご飯を頂きました。趣のある茶碗で食べるご飯は美味しかったです。
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これらが我が家のごはん茶碗です。
クリックすると拡大クリックすると拡大右の3枚の写真は1998年に買った2っの笠間焼と1999年ごろに買った益子焼の茶碗ですが、最近、割ってしまいました。ちょっと残念ですが、使うことを前提に買っているので仕方クリックすると拡大がないことなのです。
下の写真の上段の左が砥部焼で、真中が割った茶碗と一緒に買った笠間焼です。上段の右の茶碗と下段の右の茶碗が益子焼です。下段の左が今回買った立杭焼の茶碗です。大事に使わさせていただきます。
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立杭の場所を紹介いたします。兵庫県篠山市今田町上立杭および兵庫県篠山市今田町下立杭が立杭集落です。赤色ラインが相野駅~立杭のバス路線で、緑色ラインが宝塚~相野のJR福知山線です。

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広州の珠江あたり [広東省]

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こちらは中国の広州の珠江の夜景です。
上海の外灘はきれいな夜景が見れますが、ここの夜景もきれいでした。
写真をクリックすると拡大いたします。

White Swan Hotel前の沙面街です。 
みやげもの屋や海鮮料理店が軒を連ねています。
この写真はチョット謎があります。 このホテルには1994年9月 2000年1月 2005年9月に宿泊しましたが同じ風景でした。写真をクリックして拡大すると判るかも知れません。
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White Swan Hotelから沙面街を上から見ました。 この一角が西欧風であることが判って貰えると思います。洒落たお店が沢山あります。沙面街は1861年以降、フランス、イギリスを中心とした欧米列強の租界地となり、現在でも当時の洋館の美しい街並みが残されている場所です。
租界や租界地は海岸沿いの沢山の都市に設けられた。最も有名なものに上海の共同租界やフランス租界がありますが、すでに紹介したとおりに天津にもありました。大連、青島、広州には租界地が出来ました。廈門にも共同租界が出来ました。こちらの写真もクリックすると拡大いたします。
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大坂と言えば串かつ [大阪]

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この日のお昼の昼食は「ぼてぢゅう」のお好み焼きにしたので夕食も大坂らしいものと思い決めたのが梅地下の串カツでした。カウンター席で二度つけ禁止のソースが入ったステンレスのケースが思い出されますが、外人の人には難しいと思いテーブル席のある串カツ屋を梅地下(梅田地下街)を歩きながら探しました。大きな串かつの張り紙を見てお店に入りました。さっそく串かつ(メニューでは串揚げ)を頼みました。右の写真はネットから拝借

大坂の梅地下の特徴は生のキャベツと野菜のステックがついてくることですが、こちらのお店でも出てきました。梅地下の伝統は生きていました。


これは野菜とウズラとタコの串カツです。
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これはキスの串カツです。こちらのお店の価格は1本がほとんどが180円以上なので、けっして安くはありません。でも、ゆっくりとテーブルで落ち着いて食べれました。
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こちらのお店はメニューを見ると焼き鳥と串カツの両方を売りにしているようなので焼き鳥も頼みました。焼き鳥も串カツも美味しかったです。
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焼き鳥や串カツ以外の料理もあったので、頼みました。


偶然に入ったお店でしたが、味はなかなか良かったのとネットで調べても詳しい掲載がほとんどなかったので、お店を紹介させてもらいます。ネットで調べると同じ名前のお店が梅田駅近辺に7軒(実際には10軒以上あると思われる)もあるので、今回のお店を地図を掲載させてもらいました。旗のマークのところのお店です。他の「むさし乃」は焼き鳥が専門のところが多いようです。
 店名 むさし乃 東店
 営業 12:00~23:00
 電話 06-6360-6528
 場所 梅田地下街 イーストモール
 住所 大阪市北区小松原町梅田地下街4-2
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悲しい報告です。 蕎麦屋「あまね」 [蕎麦]

2014年2月23月追記 タイトル : 悲しい報告です。 蕎麦屋「あまね」
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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蕎麦屋「あまね」さんの新店舗が建設中にストップしてしまい。再開の兆しがないことから、気になっておりました。その理由をネット検索で偶然に知ることになりましたので報告させていただきます。
それはuribo10inosisiさんの「アントンくんの静かな日々」の記事に「あまね」の方からのコメントが入っていることで知ったのでした。それは蕎麦屋「あまね」の御主人が2013年の5月に亡くなられたとの訃報でした。 長い間、美味しいお蕎麦を楽しませていただき、ありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。
今回、掲載させていただいた4枚の写真は蕎麦屋「あまね」さんで、最後にいただいた手打の「せいろ」です。これで630円だったのです。
あまねさんからのコメントの内容を枠内に転記させていただきました。
あまね  2013年08月26日 00:12
突然のコメントで大変申し訳ございません。
長い間、そばやあまねをご愛顧頂きまして、ありがたく存じます。
本来なら、店主より新店舗移転のお知らせと、長い間の暖かいご支援の感謝を込めて、こちらへコメントとして記載させて頂きたかったのですが、本年5月、新店舗開店のお知らせをする事も叶わず、店主が夭折致しました事を、長い間新店舗の開店を心待ちにして頂いていた皆様に、お詫びと感謝を持ちまして、ご連絡させて頂きます。
長い間、皆様の暖かいご支援に、何とお礼を申し上げれば良いか、本当に、感謝の言葉もございません。 大変遺憾ながら、新店舗として、あまねが今後開店する事は叶いませんでしたが、皆様の暖かいご支援と、ブログによって、店主の想いのつまった店舗を懐かしく思い返せる幸せを、心より感謝致します。
  本当に、ありがとうございました。

これがご主人の打ったお蕎麦です。美味しくいただきました。
今回、追加で掲載した4枚の写真は、クリックすると、特別に大きい写真が表示されるようにいたしました。是非ともクリックしてみてください。
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冒頭の写真に写っている天ぷら以外にサービスで出された竹輪天です。この心遣いが思い出されます。
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100円の「ごはん」も頼んで、「せいろ」についている天婦羅を乗せて小天丼もいただきました。サツマイモとナスとマイタケとキスの天婦羅です。ごはんに付いてくる天丼用のタレが良くあいました。いい思い出となりました。
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2013年3月29月追記 タイトル : 開店予定場所が見つかりました。 
蕎麦屋「あまね」

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2012年6月末で閉店した超人気の蕎麦屋「あまね」さんの新しく開店する場所を執念で探されている方のブログ「アントンくんの静かな日々」から新しく建てているお店の場所がわかりました。文面の中の「八街神社を右に見て通り過ぎるとすぐに四木入口の信号のある交差点がある。その交差点の手前左角に店はある。」との表現から推測したのが赤色マークの新しい蕎麦屋「あまね」(仮の名)さんの場所です。空色マークが前の蕎麦屋「あまね」さんの場所です。旧あまねからの距離は22.6kmでした。驚いたことに昔よく行ったゴルフ場に行くときに車で通ったルートにありました。残念ながら最近、別のゴルフ場の会員になったことから、この場所を通ることはなくなりましたが、お店が完成したら食べに行きたいと思っています。お店の名前は「あまね」ではないそうです。住所は「千葉県八街市八街へ199-???」です。
この場所を探されたuribo10inosisiさんには敬服いたします。ありがとうございました。

航空写真で見るとスペースが大きそうで、駐車場問題はなさそうです。表示が航空写真でなく地図の場合は地図上のアイコン写真をクリックしてみてください。
 ストリートビューはこちらです。→ ポチッ 2008年1月撮影

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2013年6月7日追伸
クリックすると拡大そろそろお店が開いているのではないかと開店予定地に行ってみました。理由はわかりませんが、残念なことに「アントンくんの静かな日々」さんが3ケ月前に掲載された写真の状態から、右の現在の写真のように工事は進んでいませんでした。店の前に置かれた資材も3ケ月前と同じで、違いは草が生えてきたくらいでした。


2012年8月17月追記 タイトル : すごく残念です。
今日2012年8月15日に、久しぶりに蕎麦屋「あまね」さんに食べに行くとシャッターが閉まって「テナント募集」の張紙が貼られていました。ネットで調べると2012年6月末で閉店したそうです。
あれだけ人気があり沢山のお客さんが来られていたので超行列のお蕎麦屋さんの突然の閉店は信じられません。今までは日曜日だけが休みでしたが、すこし前(4月)から土曜日も休みとなったことから何らかの事情があったものと推察いたします。すごく残念です。
初めて「あまね」さんの記事を掲載したのが2006年8月18日でした。長い間、おいしいお蕎麦を提供し続けていただきありがとうございました。
ネットのブログによると名前も変えて半年後に八街市四木にお店を出すそうです。あの手打ちそばの味ならどこで開店しても繁盛間違いなしです。


2011年8月28日掲載 タイトル:海老天を一本追加すると立派な「天せいろ」
クリックすると拡大一年ぶりの蕎麦屋「あまね」さんの追加掲載です。
この日(2011年8月27日)は、いつも頼んでいる630円の「せいろ」に海老天(200円)を追加しました。もともとが「せいろ」と言えども、天婦羅が沢山ついた立派な「天せいろ」ですが、海老の天婦羅がつくことで正真正銘の「天せいろ」になりました。
この「天せいろ」が830円(630円+200円)で食べれるのですから人気があるはずです。この日も駐車場に入れるのには苦労いたしました。さらにお店に入るまで30分ほど待ちました。
今までは海老天を追加することはありませんでした。それは630円でエビは入っていませんが立派な天婦羅がついていたから海老天が割高に思えてしまうからでした。カラッと揚がった揚げたて海老天を食べてみて値打ちがわかりました。

こちらの手打ち蕎麦は、私の好きなタイプなのです。こちらのお店では蕎麦も天婦羅も出来立てを出されるために、お盆の上には両方が乗って出されることはほとんどありません。天婦羅に関しては2回3回に分かれることも偶にあるくらいに出来立てにこだわっています。でも1分以内には蕎麦と天婦羅はそろうので、この日も、ちょっと待って天婦羅が出てきてから上の写真を撮りました。


海老天以外の天婦羅はマイタケにナスにオクラに竹輪にキスでした。メニューには3品と書かれていますが、この日も5品を出してもらえました。美味しくいただきました。
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お店のメニュー「おしながき」の「せいろ」は630円を見てあれ!
私の記憶では680円だったのです。本記事の過去記事を調べてみました。やっぱり!
2010年2月14日掲載記事(写真→ポチッ)では680円でした。
なんと値下げをしてくれていたのです。「せいろ」だけではなく「鴨せいも」や「海老天」や「追加せいろ」も値下げしてくれていました。もっと過去にさかのぼって値段を調べてみました。今は「天せいろ」と「小天丼とせいろセット」はありませんが海老天(200円)とタレ付きご飯(100円)を頼むことでこの両方が食べれます。せいろ(天婦羅なし)を頼んでもサービスで天婦羅一品を付けてくれました。天婦羅は3品と書いてあるのですがほとんどサービスで5~6品になります。
            2006年8月  2010年2月  2011年8月 値引き
  せいろ 天婦羅あり  550円    680円    630円   -50円
  せいろ 天婦羅なし         500円    500円
  鴨せいろ       900円    950円    900円   -50円
  追加せいろ      300円    350円    300円   -50円
  海老天               220円    200円   -20円
  天せいろ       800円
  小天丼とせいろセット 890円



初めてお店の内部を紹介いたします。偶然にも目の前の席が2つ空いたので、写真を撮りました。梨が売られているのが判ってもらえると思います。


そばや「あまね」さんの隣は梨園なので、お店の中でも、この日の朝に採れた梨が売られていました。我々は待っている間に梨園に行って一袋500円の梨を買いました。家に帰ってから数を数えると10個は入っていました。500円で10個も、かなりお得でした。お店の外で待っているときに蕎麦の精算を終わった方がこの袋を持ってお店を出る人を何度も見かけました。石川梨園の人も補充にこられていました。お店の名前は石川梨園です。いつも家の近くの梨園から知り合いに梨を送っていましたが、美味しかったので、今年は、この梨園から8月30日に3箱送りました。


さっそく冷やしていただきました。梨の季節です。
  店名:石川梨園
  住所:佐倉市上志津原244-2
  電話:(043)461-0882


お店の廻りの航空写真です。赤色マークが「そばや・あまね」さんで青色マークが「石川梨園」さんです。斜め格子模様の畑が梨畑(梨園)です。

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2010年8月14日掲載 タイトル:お店の味をおうちで!
いつもの、「あまね」さんのお蕎麦を家で食べる機会があったので紹介いたします。
家のワンコは預けるとストレスがかかるようで長期間預けられません。したがって我が家ではワンコの世話のために交代で帰省しています。
クリックすると拡大娘が帰省していた四日前の火曜日(2010年8月10日)に家内と二人でよく行く、お蕎麦屋さん「そばや・あまね」に、食べに来たときの写真です。これに加えてピーマンの天婦羅は後から出てきました。常に揚げたてを出すのが基本で蕎麦と天婦羅も別々に出てくる場合が多いのです。そしていつも通りに右の写真のように小天丼にして食べました。(作り方は下のほうで紹介しています。)
てんぷらの写真はいずれも家内と行った時(2010年8月10日)のものです。
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テーブルの上には塩も用意されているので、天婦羅を塩で楽しむことが出来るのは、うれしいです。私は塩派ですけん。(テレビの影響で、なまってしまいました。) 
器には荒い塩がはいっていました。クリックするとつぶつぶ感が判ると思います。
そして昨日(2010年8月13日)は家内が帰省しているので、こちらのお店に娘と二人で蕎麦を食べに行きました。
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ところが、昨日(2010年8月13日)は、常に満車で苦労する駐車場が、ガラガラなのです。定休日は日曜日なのにどうしたのかな。と思っているとお店の中から、いつもの、お姉さんが出て来られたので、車の窓ガラスを下ろすと「すみません、お店の主人がケガをしたので臨時休業します。」と言われて、打ち立ての手打ちの生蕎麦をプレゼントされました。心遣いがうれしかったです。ご主人、早く怪我を直してください。
こんな形で蕎麦を頂きました。


生の蕎麦の拡大写真です。表面に沢山の粉がついています。
のびやすい蕎麦は、茹で加減が大切であることは聞いたことがありました。茹で時間をどれくらいにするかネットで、いろんなサイトで調べてみました。平均的に結論を出すと、再沸騰してからの時間は太さにより30秒~60秒というのが正解のようです。それで今回は無難なところで40秒と決めました。冷水に入れるまで手間取ると考えてタイマーは30秒にセットしました。大きな鍋にたっぷりの水を入れて強火で沸騰したところに、頂いた蕎麦を入れました。再沸騰したところでカウントダウンです。
クリックすると茹で上がった状態

出来上がったのが、このお蕎麦です。ちょっとさびしいけれど茹で具合は、いつもの食感! ちょうどよかったようです。味わいも、よかったような気がしました。
残念ながらいつもの天ぷらはないため、スーパーで天婦羅を買ってこようかと考えましたが、「あまね」さんの天婦羅には、とてもかなわないので天婦羅は想像だけに、いたしました。気がついたことが一つ。それは不思議なことに蕎麦はザルに乗っている方が美味しそうに見えることです。家内が帰省しておりザルが見つからなかったので、なるべく渋いお皿に乗せましたが、どうやら「ざる」には、かなわないようです。
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2010年2月14日掲載 タイトル:せいろ
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昨日(2010年2月13日)に、家の近くで一番のお気に入りの手打ち蕎麦屋さんに行ってきました。今、先週と先々週に行ってきた韓国の記事を連載させてもらっていますが、あいだにお蕎麦の記事を入れさせてください。
上の写真は「天せいろ」ではありません。お店の看板メニューの「せいろ」です。それも値段が680円です。その「せいろ」に100円の「ごはん」を頼みました。多少昔とメニューが変わりました。その昔と現在を紹介いたします。先ずは現在です。

「せいろ」なのに天婦羅が沢山付いています。この日は舞茸が二つに茄子、さつまいも、ピーマン、キスと6品が乗っていました。ごはんを頼むと天婦羅を多めに乗せてくれる気がします。特に舞茸はしっかりとした立派な物が使われており材料費だけでも原価を越えてしまうのではないかと思ってしまうのでした。実は天婦羅なしも頼めるのですが、その場合の値段差は180円(=680円-500円)なのです。つまりこれだけの天婦羅が180円と言うことになるからです。塩が置かれているのもうれしいですね。
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さらにうれしいのが、以前にも紹介した天丼サービスです。
100円の「ごはん」を頼むと右の天丼用のタレが付いてくるのです。
「せいろ」に付いてくる天婦羅を「ごはん」の上に乗せてタレをかけると天丼の出来上がりです。タレは少し甘めの市販や家では真似が出来ない美味しい味です。このタレの味には感心してしまいました。タップリとかけて食べると「ごはん」だけでも美味しくいただけること間違いないです。天ぷらの量が多いのでごはんの上に乗り切りません。このときも2品は天ぷらとして塩で食べました。この写真は是非ともクリックしてみてください。この写真は2010年2月27日の新しいものです。上の天婦羅と少し違うのが判ってもらえると思います。この日は舞茸が二つ、キスも二つに茄子、さつまいも、竹輪と7品でした。追加のタラの芽も天丼に乗せました。
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お得な天婦羅サービスのことばかり書きましたが、実は蕎麦のおいしさが一番うれしいことなのです。是非とも写真をクリックしてみてください。美味しさが伝わってくれると思います。
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これがお店のメニューです。基本的に「せいろ」と「鴨せいろ」だけで冷たいお蕎麦だけのこだわりのお店です。以前はもう少しメニューがありましたが、沢山のお客さんに対応するためにシンプルにされているのだと思います。


こちらが500円の「天ぷらなしの、せいろ」です。こちらにも竹輪の天婦羅がついていました。「天婦羅つきの、せいろ」では量が多すぎる人にはいいと思うし、この味の手打ち蕎麦が500円で食べれるのもうれしいです。
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そばや「あまね」下の写真は11時42分です。いつも車でいっぱいです。実は、このお店は紹介したくないのです。いつも車の駐車に苦労するから、これ以上お客さんが増えると困るからです。 でも美味しいお店は紹介したくなります。 
  店名 そばや「あまね」
  住所 佐倉市上志津原245-2 
  電話 043-489-7031
  休日 日曜日(祭日は臨時休業の場合あり)
  営業 11:00~14:30(L.O.) 営業は昼のみ
      だだし、そばめん終了で閉店



2010年2月27日掲載 タイトル:鴨せいろ と たらの芽
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今日(2010年2月27日)の昼食に、いつもの御蕎麦屋さんに行ってきました。今まで「鴨せいろ」を紹介したことがなかったので、今日は「鴨せいろ」を注文してみました。一緒に乗っている「たらの芽の天婦羅」は追加で頼んだものです。今の時期は4~5本のタラの芽の天婦羅が150円で食べれるのです。こちらのお店のメニューは基本的に、この「鴨せいろ」と先々週に紹介した「せいろ」の2種類だけです。

鴨セイロのつけ汁にはいろんな具が入っていました。
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こちらがタラの芽です。これで150円はやっぱり安いです。
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次に昔の「あまね」さんを紹介いたします。昔は日曜日も営業されていました。

2006年10月28日掲載 タイトル:ちょっと得した気分になる蕎麦屋さん
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タイトル「ちょっと駐車に苦労するお蕎麦屋さん」で紹介した蕎麦屋「あまね」さん 相変わらず蕎麦はおいしいです。写真をクリックしてみてください。おいしさ伝わるかな。
私は細い更科系の蕎麦が大好きなんです。

ここでのお得な食べ方を紹介しておきます。
天セイロを注文すると同時にごはんを頼むんです。
いつごろからか、ごはんを頼むと「丼のタレ」を付けるサービスを始められました。白っぽい右上の入れ物が「丼のタレ」です。このときはさらに上右端の舞茸とししとうの天婦羅もサービスしてもらえました。
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ごはんの上にサービスの舞茸とししとうの天婦羅を乗せてタレをかけると天セイロと小天丼の出来上がりです。
もちろん海老を乗せても舞茸の天婦羅はそのまま食べてもおいしいです。
天セイロ800円+ごはん100円なので、これが900円で食べれるんです。
天セイロが800円だけでもものすごくお得のに、この特別サービスには脱帽です。「あまね」さんありがとうございます。
サービス続けてくださいね。
舞茸とししとうのサービスがなくても天セイロの天婦羅は沢山あるので心配いらないです。ちゃんと小天丼は作れます。
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小天丼だけでもすごいです。これが追加で100円で食べれるのがうれしいです。でもこのときは昼食だったので食べすぎになってしまいました。この次は夕食に利用しようと。


ということで夕食に利用しました。天セイロでなくてもセイロだけでも天婦羅が付いてくるので大丈夫です。
さらにおまけの舞茸の天婦羅もあります。


                ↓ 小天丼つきに変身です。


さらにインゲンとイカの天婦羅もサービスしてもらいました。


次が、はじめて紹介したときの記事です。2014年2月22日から7年6ケ月前です。

2006年8月18日掲載 タイトル:ちょっと駐車に苦労するお蕎麦屋さん 

このお店も口コミで教えてもらいました。それ以来、かなりの回数行っています。細めの手打蕎麦です。おいしい蕎麦を出してくれるお店です。麺もタップリ乗せてくれます。初めて訪問させてもらって3~4回目で、この時、2006年8月6日でした。

セイロです。でも天ぷらが三点付いています。
これで550円には驚きです。
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昔は「小天丼とせいろのセット 890円」が一番人気でしたが事情があって今は3種のみとなっています。それでも人気です。
 セイロ  550円(天ぷらが三点付)
 天セイロ 800円
 鴨セイロ 900円
お手ごろ価格も人気ですが蕎麦のおいしさが人を引きつけるのだと思います。

蕎麦屋「あまね」はいつも満員です。席が4~5テーブルと少ないので車の中で待ちます。10台程度は停められるのですがそれでもお客さんの数の割りには駐車場が狭くて、いつも一杯です。そのため諦める人の方が多いくらいです。ちょっと辺鄙なところなので車でしか行けないのが残念です。すんなり停められることは少ないけれど私は諦めたことはありません。このお店はネットでもかなり取り上げられています。


下の写真が天セイロです。 一番出ているメニューのようです。天婦羅は「海老」と「キス」と「なすび」と「舞茸」と「しし唐」です。写真は載せていませんが鴨セイロも本格的です。都内でこのレベルを食べようと思うと倍近い値段になってしまいます。
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営業時間は下記ですが時間が来る前に蕎麦がなくなってしまうため開始時間から1時間以内(確実なのは30分以内)に行くことをお勧めします。今は昼間だけの営業で夕方の営業を行っていないので注意してください。

大阪でお好み焼き ぼてぢゅう [大阪]

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久しぶりに大阪のお好み焼き店「ぼてぢゅう」に入りました。関西に住んでいたころは、お好み焼きを食べに「ぼてぢゅう」によく食べに行きましたが、関東に引っ越してからは、ご無沙汰していました。
今回、大阪を外国の人に案内する機会があったので、大阪の味を知ってもらおうと昼食は「お好み焼き」にすることにしました。急に決めたことなので「ぼてぢゅう」以外は思いつきませんでした。とりあえず携帯で宿泊していたホテルの近くのお店を探しました。私が頼んだのは上のネギモダンです。

入ったお店は阪急三番街地下2Fにある1969年(45年前)に開店した梅田店で伝統のカウンタースタイルのお店でした。来たときは満席で入れなかったので店の前に一人残ってウインドショッピングをしてもらいながら席が空くのを待ちました。すぐに席があいたので携帯電話で連絡してお店に集合しました。
阪急三番街が1969年11月30日に開業と同時に出来たお店なので阪急三番街も45年が経つのだなと妙に懐かしく感じました。
お店に入って、さっそく焼いてもらい始めました。カウンター席のおかげで大阪の雰囲気を味わってもらえました。
お店の名前をぼてゅうと思われている方も多いと思いますがぼてゅうが正解です。つまりではなくてなのです。なぜ「」なのだろうと調べてみました。
お好み焼きをテコで「ぼて」とかえし、さらに「ぢゅう」と焼くことが語源だそうです。
でも、ヂュウヂュウ焼く(2)と書くよりも、ジュウジュウ焼く(42,800)と書く方が多いので「じ」と「ぢ」の違いの説明にはなっていないかもしれません。括弧内数値はYahooでの検索件数です。
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外国人にはメニューの写真を見て好きなものを選んでもらいました。お好み焼きを食べに来たのですが、みなさん焼そばを頼んでいました。確かに外国の人から見たらこちらの方が美味しそうに見えるのかも知れません。
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別の外国人が頼んだのもモダン焼でした。お好み焼きの種類ではありますが、これも純粋なお好み焼きではないですね。
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せっかく外国の人に、純粋な、お好み焼きを紹介したかったのですが、思惑が外れてしまいました。そこでシンプルなお好み焼きを追加で頼んで味わってもらいました。もちろん皆さん、お好み焼きも、焼ソバも、モダン焼きも、大満足でした。もしかしたら私が一番食べたかったのかもしれません。
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お好み焼きにはビールですね。グビ、グビと何杯も飲んでしまいました。この日の夕食も大坂名物の串カツにいたしました。


店舗数を調べてみました。「ぼてぢゅう」が有名と思っていたら、実はお好み焼きチェーン店で店舗数で最大のが「道とん堀」です。2011年と2014年を比較すると両方ともに地道に延びてきている感じがします。
専門の人が作るのが「ぼてぢゅう」に対して「道とん堀は基本的に自分で作るお店です。みんなで楽しく自分で焼くのを楽しむか、専門の人に焼いてもらうのか、その時その時」に決まってくるのだと思いました。料理店として別物で比較するのは次元が違っていたような気がしました。
実は「道とん堀」は家から車で3分で行けるところにあるほど千葉に浸透しているけれど「ぼてぢゅう」は1店舗もなかったのですが、現在は酒々井アウトレット店を含めて3店舗が出来ました。
         ぼてぢゅう      道とん堀
       2011年 2014年   2011年 2014年
海外6    12    0    5   
大阪15    18    4    3   
東京13    21    29    25   
神奈川5    9    24    23   
埼玉2    3    30    34   
兵庫2    4    3    2   
愛知1    3    7    8   
山梨1    0    3    3   
岡山1    3    2    2   
奈良1    1    1    1   
千葉0    3    22    25   
その他0    7    165    170   
合計47    84    290    301   

お店を紹介いたします。
 店名 :ぼてぢゅう 梅田店
 電話 :06-6374-2254
 営業 :11:00~22:00
 住所 :大阪市北区芝田1-1-3 
       阪急三番街 B2F
 開店 :1969年(昭和44年)
 系列 :ぼてぢゅうグループ   
 特徴 :カウンター席のみ
 
「ぼてぢゅう」のなかでも「カウンター席のみ」のお店は珍しいです。

「ぼてぢゅう」は、終戦(1945年8月)から10ケ月目の1946年6月(68年前)に大阪市西成区玉出で西野栄吉さん(左の写真)が創業したお店だそうです。
その後、紆余曲折を経て、分家として「ぼてぢゅうグループ」と「大阪ぼてぢゅう」が出来て、本家は「ぼてぢゅう総本家」として続けて、長く3社で「ぼてぢゅう」の名前が使われていました。ところが2009年5月に「ぼてぢゅう総本家」が破産をして、「ぼてぢゅうグループ(東京フード)」が商標権などを引き継いだそうです。今回食べたお店は、我々が一番よく知っている「ぼてぢゅうグループ」です。その「ぼてぢゅうグループ」は、現在の社長の栗田英人さんの父である北村貞次さんにより1962年7月に創業したそうです。
クリックするとマヨネーズの説明お好み焼と言えばマヨネーズですが、それを最初に始めたのが西野栄吉さんでした。その味の噂からタカラジェンヌ達の贔屓(ひいき)のお店になったことがきっかけで大阪中に評判が広がり、現在の「ぼてぢゅう / BOTEJYU」につながったそうです。本白黒の写真は「ぼてぢゅう」のホームページから拝借させていただきました。
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龍角寺古墳群 [千葉]

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前記事で大阪の古墳を紹介した機会に、房総の古墳も紹介いたします。
上の地図の中の茶色のクリックすると地図を表示部分が古墳で、なんと114基あります。
千葉県八千代市の古墳を紹介させてもらった機会に過去記事ですが、龍角寺古墳群の記事を一番下の表を追加して再掲載させていただきます。
前方後円墳、円墳および方墳が判っているだけで114基もある全国最大規模の龍角寺古墳群が千葉にあることは、全国的には、あまり知られていないと思います。
画像をクリックすると大きな地図が出るので見やすくなります。大型の古墳は少ないけれど、確かに、これだけ沢山の古墳を一度に見れる場所は初めての出会いでした。皆さんにも知ってもらいたいので紹介いたします。

古墳には番号が付けられており、看板が立てられています。看板がないと古墳とは気がつかないような、小さな古墳もあります。これは全長42mの21号の前方後円墳です。上の地図では左の上の方にあります。この日は自転車で来てみました。


こちらは57号の前方後円墳です。地図に57と書かれている古墳で風土記の丘資料館のすぐそばにあります。114基の内訳は円墳が71基で前方後円墳が37基で方墳が7基です。高さが1~8mのものが103基とこの範囲が大半を占めていました。
ただし下の表にあるように全長(円墳は直径 方墳は一辺)に関しては1基が8mですが、残り113基は全て10m以上でした。


古墳広場です。小さな丘のように見れるのが全て古墳です。こちらの広場も圧巻です。沢山の古墳の中で遊ぶことが出来ます。古墳の新一覧表はこちらです。→ポチッ


こちらは発掘調査に基づき古墳がつくられた当時の様子を復元させた101号の円墳です。楯(たて)を持つ武人や猪、犬、馬、水鳥などを含め約100体の埴輪が並んでいました。


埴輪が沢山置かれていました。昔の人はお墓を大事にしたのですね。
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上空からの101号古墳です。写真の中のマイナスのアイコンをクリックすると縮小するので周りの様子や場所がわかると思います。


こちらは大きな龍角寺岩屋古墳(りゅうかくじいわやこふん)です。上の地図で場所を確認してみてください。こちらでは今でも石室を見ることが出来ます。鉄格子のところが石室です。この岩屋古墳は、千葉県印旛郡栄町にある方墳で、114基ある竜角寺古墳群の105号古墳です。
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鉄格子の間から石室を撮らせていただきました。南面には2基の横穴式石室が10メートル間隔で並でいます。西側石室は奥行4.23メートル、奥壁幅1.68メートル、高さ2.14メートルで、東側の石室は西側よりやや大きいが、この時は崩落してブルーシートがかけられていました。石材は凝灰質砂岩で、この地方で産出される貝の化石を多量に含んだものだそうです。被葬者は不明で、1970年(昭和45年)に墳丘と横穴式石室の測量調査が行われました。
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岩屋古墳はちょっとした小山です。印旛沼北岸の標高約30メートルの台地上に位置する。築造年代は古墳時代終末期の7世紀前半頃と考えられています。一辺78メートル、墳丘は3段築成。高さは13.2メートル、幅3メートルの周溝と周堤が巡っている。同時期の大方墳である春日向山古墳(用明天皇陵)、山田高塚古墳(推古天皇陵)をもしのぐ規模であり、この時期の方墳としては全国最大級の規模だそうです。


岩屋古墳を上空から見ました。こちらも写真の中のマイナスのアイコンをクリックすると縮小するので周りの様子や場所がわかると思います。


古墳の上には登れません。でも一ヶ所だけ登れる古墳がありました。


それが浅間山古墳(せんげんやまこふん)です。頂上まで階段がありました。浅間山古墳は龍角寺古墳群に属する111号古墳で、7世紀前半に築造されたと考えられる前方後円墳です。
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ここが浅間山古墳の頂上です。浅間山古墳は古墳群内最大の前方後円墳で、墳丘長は78メートルとされています。浅間山古墳には複室構造の横穴式石室があり、石室は筑波山付近から運ばれた片岩の板石を用いて築造されており、石室内からは金銅製冠飾、銀製冠、金銅製の馬具や挂甲などが出土しました。
墳丘からは埴輪は検出されておらず、前方後円墳最末期の古墳であることは間違いないとされますが、石室の構造や出土品から浅間山古墳の造営を7世紀第二四半期という新しい時期を想定する研究者もあります。一般的には6世紀末から7世紀初頭と考えられている前方後円墳の終焉時期との関係で論議を呼んでいる古墳です。
浅間山古墳を含む龍角寺古墳群は、古墳時代後期から龍角寺の創建に代表される飛鳥時代にかけての地方首長のあり方を知ることができる重要な遺跡と評価され、2009年2月12日、すでに史跡とされていた古墳群内の岩屋古墳に追加する形で、龍角寺古墳群・岩屋古墳として史跡に指定され、また出土品は2009年3月4日、千葉県の文化財に指定されました。


栄町教育委員会ホームページのデーターを元に、龍角寺古墳群の114基の古墳の大きさを、表にいたしました。全長の数値は円墳の場合は直径で方形の方墳は1辺の長さです。前記事で紹介した百舌鳥古墳群の古墳に比べると、一つ一つの古墳は小さいけれでも数に圧倒されます。旧資料(2009年)では115基でしたが新資料では114基になっていました。
龍角寺古墳 クリックするとオリジナルの新資料を表示します。

龍角寺古墳群の場所を地図で紹介します。 A マークのところが古墳群の中心あたりです。房総風土記の丘史料館で検索すると判ると思います。「千葉県立房総のむら(千葉県印旛郡栄町龍角寺1028 Tel:0476-95-3333)」の近くでもあります。直接に古墳群に行きたい場合は「房総風土記の丘資料館(0476-95-3126)」を入力するとよいと思います。
古墳群のある風土記の丘は無料なのがうれしいです。房総のむらと史料館は有料ですが、両方合わせて中学生以下は無料で高大学生は150円で一般は300円と内容からみて安いです。行列の鰻屋さんも、この近く(8.1km)なので寄ってみてはいかがでしょうか。→ポチッ

バスの窓から見えるチベット族の村々 [九寨溝 黄龍]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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九寨溝の中のチベット族の村はすでに紹介いたしましたが、ここでは黄龍や九寨溝に向かうバスの中から見ることが出来たチベット族の村々を紹介いたします。是非とも訪れてみたくなる景観が広がっていました。黄龍に向かう途中の3900mからの景色で遠くに見える山々は5000m級で、この村は標高3700~3800mの高地でチベット族の人たちが暮らしている村です。こちらは「天空の村」と呼ぶにふさわしいところでした。ここをもう少し進むと標高4007mの雪山梁峠があります。

村のあたりを拡大してみました。段々畑が山のすそ野に作られているのが印象的でした。建物は小さくてわかりにくいと思いますが立派な家々が立ち並んでいました。


さらに村を拡大しました。チベット族の村の象徴であるルボリが確認できます。
撮影角度は3枚ともすこしづつ違います。


こちらは九寨溝に向かう途中にあった標高3200mのところにあったチベット族の集落です。集落を見下ろす山の麓に白っぽい飾りがありました。


その飾りを拡大しました。塔を中心に五色の旗が沢山飾られている下に、チベット語と思われる文字が書かれていました。


建物のあたりを拡大いたしました。九寨溝の中で見た家の前の塔は石で出来ていましたが、こちらの村では各家に木を寄せた円錐形の塔が経っていました。家々も大きく立派でした。こちらでも山のすそ野に5色の旗の「のぼり」がいくつも立てられてチベット族の地域に来ていることを実感させられました。


道の脇の家も何枚か紹介いたします。道の近くでは、ほとんどの家が道よりも高いところに建てられていたため、すべて見上げるような写真となりました。高い石垣が組まれているのが印象的でした。


こちらも石垣が印象的でした。旗の数もすごかったです。


沢山の家がある典型的な村だと思うのですが、道路からの写真だと見上げる構図となってしまいます。道路を挟んで反対側の斜面に登って撮ると素晴らしい景観だと思います。


その構図の写真がこちらですが、こちらは直接に村を撮った写真ではありません。チベット族の人たちの歌や踊りが行われていたステージのバックに張られていた大きな写真のパネルです。おそらく、この辺りで最も有名な村の写真だと思います。
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道路から遠く離れた村を撮ると村の様子がよくわかります。少し高いところを走ってる道路から遠くに見えた村です。これは珍しい角度の写真で沢山の家が一列に並んでおり各家の前に大きな庭があることがわかりました。庭には木の円錐の塔が立てられていました。


金色の屋根を持つ立派な建物がある村もありました。このような大きな金色の屋根の建物がある村をいくつもありました。貧しいという印象が一変してしまいました。手前の方にはヤクが放牧されています。このヤクの放牧された光景も印象的でした。こちらも3400m近い標高の場所でした。バスが標高3500m程度を走っているときに撮った写真です。


こちらの村にも金色の屋根の大きな建物がありました。山のすそ野の飾り付けも立派でした。村の前の大きな畑では沢山の人たちが働いていました。


金色の屋根の建物が写っている3枚の写真は、それぞれ別の場所です。ここは比較的道路に近い開けた場所の集落で沢山の人が暮らしている様子でした。


やはり5色の旗のノボリの数は半端ではありませんでした。普通の景色のように見えるけれども、この辺りの標高も3300mあります。マラソンの高地トレーニングにいいかもしれません。


大きな塔が建てられた集落もありました。場所は中国の四川省チベット自治州の九寨溝あたりです。



これらの写真は右の地図の青いラインで示す54kmの道路沿いで撮ったもので、写真は概ね南(下)から北(上)の順番に紹介しています。

地図内のアイコンをクリックすると地形図が現れます。その状態でのアイコンをクリックして縮尺を上げると道のあたりの標高が3000m~3800mの地域であることがわかると思います。富士山の頂上に近いところで暮らすチベット族の村々でした。このあたりの周りの山々はさらに高く、標高4000m~5588m(雪宝頂)です。

地図内のアイコンをクリックすると航空写真に変わります。






追記 ハロン湾の海上レストラン [ベトナム]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

昔の記事でベトナムのハロン湾あるいはハーロン湾(Ha Long Bay / Vịnh Hạ Long)にある海上レストランを紹介いたしましたが、その場所をgoogle地図で探しても、なかなか見つけられませんでしたが、やっと航空写真で見つけることが出来ましたので、記事を追加掲載させていただきました。表示が航空写真ではなく地図の方はアイコン写真をクリックすると航空写真に切り替わります。
航空写真のイカダの上の配置は、その時の記憶通りでした。巨大な四角い生簀が沢山あるのがわかってもらえると思います。
地図上には「Ba Hang Bar」と書かれています。レストランの中のバーの名前だと思います。最初に掲載した記事で紹介しているように大きなイカダの上にレストランが作られており、建物も立てられており屋外でも屋内でも食べることが出来ました。もちろん屋外で食べました。マークの位置のテーブルで食事をいたしました。

食事に訪れたのが夜であったことから、海のレストランの写真を撮っていなかったので、以前から海上レストランの写真の写真を探していましたが見つけることができませんでしたが、場所がわかったことから写真も見つけることが出来ました。これが海上レストランの全景です。イカダの下の巨大な生簀から魚をすくって料理してくれました。
我々が行ったのは非常に大きいな海上レストラでしたがネットを見ていると小さな海上レストランや水上住宅が沢山集まった場所がありました。→ポチッ ポチッ
こちらの写真はクリックすると拡大いたします。
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広範囲が見える航空写真も掲載いたします。3つの島に囲まれる場所に海上レストランがありました。航空写真上のアイコンマイナスを数回クリックすると、この場所がわかってくると思います。

ワンピースの海上レストラン「バラティエ」も「どーん!」と紹介しておきます。



2010年9月19日掲載 タイトル:海の桂林・ハーロン湾

今、先日(2010年9月7日~10日)に行っていたホーチミンの記事を掲載中です。
ベトナムということで以前に行ったベトナムの北の端のハーロンの景色を紹介いたします。上の写真が海の桂林と呼ばれているベトナムのハーロン湾!です。霧にかすんだ島影がまさに桂林のような景観です。この写真は末尾に紹介している宿泊したホテルの窓から撮ったものです。

この手前の船で島の間を走り景色を楽しみます。 ハーロン湾は1994年にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された幻想的な場所です。007のロケ地であることも有名です。乗り合い船に乗ってもいいのですが交渉すれば一隻チャーターしても安くなるので仲間がいれば自分達だけで乗るのも楽しいですよ。もちろん食事付きなので食事を楽しみながらのんびりすごせます。途中で小船が追いかけてきて高級食材も売りにきます。(これで儲けているのかも!)


ハロン湾(Vịnh Hạ Long,)は、ベトナム北部のトンキン湾北西部にある湾です。カットバ島のほか大小3,000もの奇岩、島々が存在します。カットバ島以外の島は現在は無人ですが、約7,000年前の新石器時代にはわずかに人が住んでいたそうです。数世紀前までは海賊の隠れ家として利用され、また モンゴル軍の侵攻の際には軍事的に利用されたそうです。
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北は中国の桂林から、南はニンビンまでの広大な石灰岩台地の一角であるため石灰岩台地が沈降し、侵食作用が進んで、現在の姿となったそうで「海の桂林」と呼ばれています。こちらの写真はクリックすると拡大とします。
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と、ここまでは普通の観光案内 で、実はお勧めなのが海上レストラン

海上レストランと言えばワンピースの海上レストラン「バラティエ」を思い浮かべる人が若干名いると思います。バラティエは船でしたがここは大きなイカダをいくつもつないだ上にレストランを作っています。
写真の景色の中の小さな島に固定された高級なレストランです。かなりの広さがあり室内でも食べれますが屋外で月明かりの中で食べると開放感があります。ここには専用の船で行きます。名前は忘れましたがホテルで聞けば判ると思います。残念ながらレストランの写真は残っていません。メニューは、すべてベトナム語だったので料理が判らないし、魚介類の英語の単語は通じないので身振り手振りとなり、出てくるまでの楽しみとなります。幻想的な食事が楽しめると思います。イカダの下が海で巨大な生簀になっていました。シーフードが主体ですが雰囲気が最大のご馳走です。

こちらはハーロン湾の中の市場の風景です。
右の小さな写真のように写真の右側に私が立っていますが大きな写真ではカットさせていただきました。沢山の人がベトナム特有の三角笠をかぶっていました。何気なく撮っているように見えますが、こちらの女性に頼んで自然な感じの記念写真を撮らせてもらいました。


下は南のカンボジア国境近くの暖かい地域の市場での一こまです。 雰囲気が違いますね。市場全体の写真はクリックすると拡大します。電線が沢山なの気になってしまいます。
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ハーロン湾で宿泊したホテルHeritage Halong Hotel(ヘリテージ ハロン ホテル)です。朝にビーチに散歩に出て撮りました。冒頭の幻想的な写真と3枚目の写真は、このホテルの窓から撮ったものです。そして4枚目の写真は、この写真を撮った同じ場所から海を撮った写真です。ハーロン湾には3度来る機会がありました。海上レストランに行ったときは、この辺りのホテルが満席であったことから、少しは離れた小さな町の小さなホテルに泊まりました。その場所が海上レスランに近い場所にあったことから海上レストランを知ることが出来たのです。


ハーロン湾の衛星写真も紹介しておきます。写真の中の島々が桂林のような景観を見せてくれることから海の桂林と呼ばれています。
赤いマークが鍾乳洞です。黄色のマークは泊ったことがあるホテルで緑のマークが夕食をした大きな海上レストランです。青のマークは大きなホテルが満席で、なんとか探した小さなホテルがあった町の場所です。空色のマークは小さな海上レストランや水上住宅が沢山あるところです。

耀

ニサンザイ古墳 [大阪]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

飛行機の上から大阪平野を見ると沢山の前方後円墳に気が付かれる方が多いと思います。その中の一つに2014年2月8日に行ってみました。それが紹介するニサンザイ古墳です。上の写真はGoogle地図のニサンザイ古墳の航空写真です。

ニサンザイ古墳の周豪で幅12mx長さ45m以上の古墳時代最大の橋脚後の柱跡が新たに発見されたことが2016年1月27日に堺市文化財課から発表がありました。枠内がその掲載記事です。2013年の記事→ポチッ
幅12メートル、古墳時代最大の橋跡 大阪・堺のニサンザイ
日本経済新聞 2016/1/27 21:29
2013年に橋脚跡とみられる柱穴が見つかった陵墓参考地「ニサンザイ古墳」(堺市北区、5世紀後半)の周濠(しゅうごう)から、新たに柱穴5カ所が見つかり、堺市文化財課が27日発表した。橋は幅約12メートルで、長さは45メートル以上だったと推測でき、古墳時代最大の木橋と分かった。 全長約300メートルの前方後円墳で全国7番目に大きく、大王墓とみられている。橋は古墳の中心線上にあり、白石太一郎大阪府立近つ飛鳥博物館館長は「水をたたえた古墳での埋葬方法は分かっておらず、葬送用の橋ではないか」と推測、古墳の築造過程や葬送の様子を知る遺構となりそうだ。 2013年の調査で後円部近くに7列の柱穴を確認。橋は丁字形の可能性もあったが、昨年10月からの調査で対岸側でも7列の柱穴があることが分かった。今回の柱穴は直径66~92センチ。また、木製埴輪(はにわ)の一種「笠形木製品」も1点出土した。 古墳時代の木橋の跡は群馬県高崎市の三ツ寺I遺跡や石川県小松市の千代・能美遺跡で見つかっているが、いずれも橋幅は5メートル以下と考えられている。 陵墓や参考地は宮内庁が管理しており、周濠の調査例がほとんどない。ニサンザイ古墳の周濠は堺市が所有していたため発掘調査した。一瀬和夫京都橘大教授は「ほかの巨大古墳でも同様の施設があるのではないか」と期待を寄せた。〔共同〕

前方後円墳は3世紀から7世紀頃にかけて盛んに造成された形式で「円形の墳丘(後円部)」と「方形の墳丘(前方部)」を組み合わせた日本独特の特徴の古墳です。大きすぎて地上からの写真では、前方後円墳の形の実感を伝えるのは難しいのですが、少しでも全景を伝えらるの角度を周囲を一周して探しました。クリックすると拡大そのひとつが「方形の墳丘」の後ろ斜めからの写真です。北西方向の方向から撮りました。上の航空写真で言えば左上方向からの写真です。この写真では、左奥の方向が「円形の墳丘」です。右の前方後円墳の模式図はWikimediaから拝借いたしました。
 名前  ニサンザイ古墳
 形状  前方後円墳
 規模  全長290m 
      円墳径156m 円墳高さ24m  
      方墳幅226m 方墳高さ22.5m
 築造  5世紀後半
 被葬者 名前不明
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ニサンザイ古墳の周囲の土手を一周いたしました。2014年2月8日と言えば関東では観測史上1~2番の積雪があった日ですが関西では前日の夜から降り始めて当日は、この写真の程度の積雪でした。
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こちらの写真はもう一方の「方形の墳丘」の斜め後ろからの写真です。右奥がの方向が「円形の墳丘」です。
方向的には南西方向(左下方向)からの写真です。
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ニサンザイ古墳の周囲は住宅地であり散策路が整備されていました。
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こちらが円墳の部分です。
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円墳の正面より少し右側に池を渡る通路がありました。ただし入口には鍵がかけられており中には入れませんでした。
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ニサンザイ古墳は大阪府堺市北区百舌鳥西之町3丁にある前方後円墳で日本で8番目の大きさです。ただし世界最大の仁徳天皇陵の築造以降5世紀後半に限れば日本最大の古墳であることから、当時の大王の墓と考えられています。百舌鳥古墳群の大型古墳の中では最も時代が新しいそうです。
現在の周濠は一重ですが二重目の濠が一部確認されています。2012年に墳丘裾の護岸工事の際に行われた調査では、現在の墳丘の端から5m外側の濠の底から本来の裾部分が見つかったことから全長が300mを超えていた可能性もあるとされています。「ニサンザイ」は「ミサンザイ」、すなわち「ミササギ(陵)」の転訛したものと考えられているそうです。周囲には聖塚古墳や舞台塚古墳などの小古墳である陪塚が点在しているそうです。
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西側公園になっており子供とお母さんが雪遊びされていました。


東側は墓地になっていました。見えている森の部分がニサンザイ古墳の円墳の部分です。大阪府泉南郡岬町淡輪にもニサンザイ古墳というなの古墳があります。そちらは「淡輪ニサンザイ古墳(たんのわニサンザイこふん)」とよばれており、今回紹介の大阪府堺市百舌鳥西之町のニサンザイ古墳は「土師ニサンザイ古墳(はぜニサンザイこふん)」と呼ばれています。
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墓地の中には沢山の石碑が積み上げられていました。
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ニサンザイ古墳の北西方向には百舌鳥古墳群があり、その中に日本最大の仁徳天皇陵(大仙陵古墳)があります。仁徳天皇陵が一般的な呼び名ですが正式には大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)だそうです。大仙陵古墳は築造年代は5世紀前期~中期とされており、日本最大(全長486m、高さ35m)の前方後円墳であり、墓域面積では世界最大でもあります。周囲の古墳と共に百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)を構成しています。ちなみに履中天皇百舌鳥耳原南陵は日本で3番目の大きさだそうです。
 百舌鳥古墳群の構成  (全長100m以上は数値を記載)
   大仙陵古墳(仁徳天皇陵)(486m)
   履中天皇百舌鳥耳原南陵(365m)
   反正天皇百舌鳥耳原北陵(148m)
   ニサンザイ古墳(290m)
   御廟山古墳(203m)  
   いたすけ古墳(146m)
   長塚古墳(102m)  七観音古墳     源右衛門山古墳
   永山古墳(100m)  菰山塚古墳     収塚古墳
   狐山古墳      銅亀山古墳     グワショウ坊古墳
   銭塚古墳      竜佐山古墳     寺山南山古墳
   旗塚古墳      樋の谷古墳     孫太夫山古墳
   塚廻古墳      丸保山古墳      
   鳶塚古墳(復元)   原山古墳(復元)
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牛さんが放し飼いでした。 [ベトナム]



ベトナムはお米の国、水田の国です。今でも水田で牛さんが活躍しています。
それだけに沢山の牛さんが飼われていますが、働いていない時は牛さんが自由に歩き回っているのです。
荷物を運ぶ荷車も牛さんがほとんどでした。前回の記事です。→ポチッ

道を自由に歩いているので車が止められてしまう場合もあります。この時も牛が道路を渡りきるまで待っていました。


道端で草を食んでいる姿をよく見かけます。いずれも飼い主の人はそばにいないのです。


一番不思議だったのが、この写真です。道を牛が行列を作って歩いているのです。人はまったくついていないのに行儀よく歩いているのには驚かされました。


道路の中央分離帯ですが、こちらでも牛さんはくつろいでいました。稲が長く伸びてくる時期は牛さんは仕事がなくなって、のんびりと出来る時期なのだと思います。阿蘇山でも沢山の牛さんを見かけました。牛注意の標識も見かけました。→ポチッ
ベトナムではいたるところにいるので標識を立てることは出来そうにありませんでした。



タグ: ベトナム

白い黄身の卵 [パキスタン]



パキスタンで朝食にマッシュルーム入りのオムレツを頼みました。出てきたのがこれです。真っ白のオムレツでした。人からパキスタンの卵は白いと聞いていましたが実際に見て驚きでした。白身だけのようでオムレツらしくないです。アラブの内陸地域も卵の黄身が白いそうです。
日本で黄身抜きのオムレツを作ってもらったことがあります。
  そっくりだと思いませんか。 → ポチッ

<パキスタンの卵>
さっそくゆで卵を持ってきてナイフで切って見ました。黄身の色がすごくうすいことが判ってもらえると思います。
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<日本の卵>
比較のために日本のゆで卵の写真を掲載しました。 下の写真が日本の卵です。普通の値段の玉子で、写真の色調整もしておりません。比べてみてあらためて驚きました。
パキスタンの白い黄身の原因は餌の問題のようです。こちらで生卵を食べたい日本人はニワトリを飼うそうですが、やはり白い黄身になってしまうそうです。いろいろ調べて貝殻などを入れたり日本から餌持ってくる工夫をした結果、同じニワトリで日本で食べる卵のように黄色い黄身の卵を産むようになったそうです。これからするとニワトリの品種のせいではないようです。
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雪の中のワンコの散歩 [むさし]



2014年2月14日の夕刻から今朝にかけてまた雪が降りましたが、雨に変わって路面に積もった雪は昼までに解けてしまいました。写っている雪は2月8日に積もった雪で、見ての通りまだ残っているところが多くあります。

2月8日の時の千葉の雪は観測史上一番の雪だったことから雪の中にワンコが入ると身動きが出来ないことから雪の中に入ろうとしませんでした。でも雪の深さも浅くなったのでワンコも雪の中を走れるようになりました。雪が降った当初はワンコの背丈ほどの深さがあったので雪の中に入ると身動きが出来なくなってしまった経験から、ワンコ自身も雪の中に入るのを避けてきましたが、今回程度だとすぐに雪の中に入りました。飛び跳ねるように雪の中を走っている姿をプレーボタン( )をクリックして是非とも見てください。雪が浅くなると歩くことが出来ますが前半は雪が深かくて歩けないので走りました。動画の後半は、雪の解けた道での散歩の光景です。


2014年2月15日の同じ場所の5時半(上段)と13時半(下段)の写真です。
この写真から2月14日に千葉に降った雪はすぐに溶けてしまったことが、わかってもらえると思います。2014年2月8日に降った雪はこちら → ポチッ
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

クリックすると拡大実は今日(2月15日)は学生時代のサイクリング部の友達が2名、一泊で家に来て3人で飲むことになっていて楽しみにしていたのですが、その中の1人が長野県茅野市のため特急が全て運休となり来れなくなりました。朝から連絡を取り合って3月8日に再集合することになりました。集まるのは下の写真の矢印の3人で、この時は3人は2回生でした。下の写真の真中が私です。懐かしい写真なので掲載させてもらいました。


この時に自転車で走った走ったコースです。青色が一人で走った道で赤色ラインが全員で走った道です。黄色のラインは東京からの迎えで車で移動した道です。四年間の合宿のルートです。
 一回生夏合宿 若狭   http://goo.gl/maps/qA1az
 一回生春合宿 北九州  http://goo.gl/maps/SSV9J
 二回生夏合宿 信州   http://goo.gl/maps/JolKf    ←下記地図
 二回生春合宿 信州   http://goo.gl/maps/2ibxZ
 三回生夏合宿 東北   http://goo.gl/maps/0LV3f
 三回生春合宿 信州   http://goo.gl/maps/XXZqN
 四回生夏合宿 信州   http://goo.gl/maps/xX1MM
 自転車で通った峠     http://goo.gl/maps/h7kXQ  ←プロット途中

より大きな地図で 2年夏合宿 8月2日~8月13日 を表示

タグ: むさし

国道1号線 ハノイ~ホーチミン [ベトナム]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

ハノイとホーチミンを結ぶ鉄道を紹介したので、今度はハノイとホーチミンを結ぶ国道を紹介いたします。ハノイから南に230kmの町まで車で走る機会がありました。走る国道はベトナムで最も交通量の多い国道1号線でした。距離は230kmですが、所要時間は5時間半ほどで休憩も入れると6時間のなかなかハードな旅でした。
そして、翌日は、その国道1号線を同じ車でハノイに戻りました。この国道を紹介したいと思い、ハノイへの帰りは運転席の横に乗せてもらいました。上の写真が国道1号線です。
左に2段の頑丈そうなガードレールがありますが、その左がすでに紹介したベトナムの国鉄の線路です。こちらもハノイとホーチミンを結んだ路線で、国道1号線と平行して走る機会が多かったです。
昔は大きな川に架かる橋は鉄路と道路の兼用だったので道路と線路が平行して走ることになったのだと思います。ここでは線路は右にありますが左を走っている場所もありました。入れ替わるところでは、すでに紹介した踏切がありました。

この写真と近い場所の動画も撮ったので紹介いたします。気になるのが頑丈なガードレールです。車を守ってくれているのか、線路をまもってくれているのかはわかりませんが、これほど頑丈なガードレールをつける理由が走っているうちにわかってきました。その理由は、下の方で説明いたします。


下の写真のように鉄道が鉄橋となっている場所や線路が離れている場合は普通のガードレールでした。線路が見当たらないところではガードレールもありませんでした。今回の道沿いには、すでに紹介したタンホア鉄橋もありました。ただし、この写真はタンホア鉄橋ではありません。
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国道1号線はほんとうにバスが多い道路でした。鉄道が安全だと思うのですが、本数が少ない上にハノイからホーチミンまで33時間かかるそうなのでバスの方が便利なのだと思います。全てがホーチミンまでではなくて途中の大きな町までの表示のバスが多かったですが、見ていると運転手さんが二人乗っているので、ほとんどが長距離バスのようでした。


ほんとうにバスが多かったです。それも続けてどんどんと別の色のバスがすれ違っていきました。実は国道1号線ではバスが最も荒っぽい運転をするとベトナムに長く住んでいる人が話してくれました。
一般道で大形車両にも関わらず、すごいスピードで走っていました。
その原因の一つが国道1号線が交通量が多いのにも関わらず片側1車線にあるそうです。遅い車も走っており、競争各社がある中で走行スケジュールのあるバスは追い抜き行いながら走行をすることになるためだと思います。


当然、追い抜きは反対車線を走行することになります。車の追抜きは対抗車との間で余裕があるときに行うのが普通ですが、時にはこの写真のようにぎりぎりのタイミングになることが何度もありました。右のバスが追い抜きを行っているところで我々の正面に向かってくる感じでした。これはかなりの恐怖感があります。最終的にはこちらが路肩に逃げて避けることも何度かありました。当然、路肩には人が歩いていたり自転車やバイクが走っていることもありえるのです。我々が乗っている車も、他の車より早く走っていたのですが、それを追抜いていくバスもありました。バス同士でも追抜きを行っていました。安全運転を心がけるバス会社(たいがいは大手のバス会社)もあるそうです。そのバスを追抜いていく荒っぽいバス会社があるのです。


バスの次に荒っぽい追抜きを行うのがトラックです。トラックはこのようにぎりぎりの追抜きになるケースは少なかったけれどもバス以上に迫力がありました。この時は最終的にこちらがスピードを落として路肩側に逃げました。前にバイクが走っていたので路肩に逃げるためにはスピードを落とすしかありませんでした。
このようなことが頻繁にあることから冒頭の写真のような場所では線路に突っ込んでしまう車が出る可能性が高いのだと思いました。だから頑丈なガードレールで線路が守られていたのだと気がつきました。
クリックすると拡大今回の記事とは関係ありませんが、トラックに追抜かれている左側の白っぽい趣のある車は1958年当時のデザインのままのロシアのメーカーUAZ(ワズ)のバンのようです。この車は昨年ロシアで見かけて記事に書きました。→ポチッ


遅い車が多いので、もちろんこちら側も追抜きを行う必要があります。我々の前を走っていた車が追抜きを行っているところです。


前に遅い車が前を走っていると我々の車も追抜きを行う必要が出てきます。追抜きのタイミングを計っているところです。この車を追抜いているところが次の写真です。


追い抜き中の写真です。これもなかなかの迫力でした。我々の車は慎重で直線でしか追抜きは行わなかったし、対向車線に車が見えるときは基本的に追抜きを行いませんでした。ベトナムでは日本と反対で車は右側通行です。国道の走行風景を紹介したいことから運転席横の助手席に座りましたが、初めての知らない車でベトナムの国道を走るときは後部座席でシートベルトをすることをお薦めします。今回の車は長年にわたって、日本人を乗せて長距離を超安全運転で走ってきた車なので、心配はありませんでしたが、迫力はすごかったです。


国道1号線は高速道路ではないところでも料金をとられます。何箇所かにこのような料金所がありました。


ハノイに近いところには高速道路もありました。ただし5時間半の内40分だけでしたが距離的にはかなり稼げました。中央分離帯もあるし片側2車線なので追抜き時の恐怖感もありませんでした。


国道1号線は正式には国道1A号線(Quốc lộ 1A)と呼ばれています。下記の青いラインが国道1A号線の全路線です。ライン上の小さな丸は通過点を指定しているところです。通過点を指定しないと国道1号線から外れるルートが表示されます。国道1A号線は中国との国境近くのランソン省ドンダン( A )からベトナム最南端のカマウ省カマウ市ナムカン( B )までを結ぶ全長2,301kmの国道です。国道1A号線は20世紀初頭にフランスによって建設されたそうです。
クリックするとオリジナル表示
通過点を指定しないでハノイからホーチミンのルート検索を行ってみました。
クリックするとオリジナル表示青い線がハノイ( A )からホーチミン( B )までの最適と検索されたルートです。上の地図の全て国道1号線のルートと比較してみてください。フエやダナンの手前から国道1号線から離れて内陸ルートになります。
距離は下記のポチッをクリックしてもらうと判りますが1709kmで車の平均所要時間は30時間)と表示されました。これだけの距離を紹介したような走行を行うバスでの移動はハードであることが判りました。 ルート表示→ ポチッ
ポチッをクリックして地図を表示させて左に表示されるルート13をクリックするとラオス国内の詳細なルートが表示されます。ラオス国内を走るルートだと1489kmで24時間と表示されました。タイ国内を走るルートも3番目に検索されていました。ラオスとタイとカンボジアを通るルートです。それにしてもルート検索は面白い機能です。このルートでは出来ませんでしたが徒歩や列車でも検索することが出来ます。ダナンまでは検索されたルートですが1号線はその後も海岸線を走ります。
ベトナムで一番長時間、車に乗ったのは11時間でした。ホーチミンからカンボジアとの国境の町ハティエンに行った時でした。

ハノイ~ホーチミンの列車 [ハノイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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ハノイの近くの踏切を2つ紹介いたしました。一つはハノイ駅からホーチミンの方向の南に105.4km行った場所で、もう一つがハノイ駅から北に700m行ったハノイ市内の踏切でした。今回、ハノイで泊まったホテルはハノイ駅か650mの位置にあるホテルで、目の前にハノイ~ホーチミンの線路が見えました。是非とも、その線路を走っている列車を撮りたくて窓の近くでカメラを持って構えていましたが、まったく列車が通りませんでした。通る列車の本数が極端に少なかったのです。結局、諦めました。
でも、ある理由により上の写真を撮ることが出来ました。その理由は後で種明かしをいたします。

地図で場所を紹介いたします。赤色マークの位置がハノイ駅です。緑色マークの位置が上の写真の列車の先頭です。空色マークが写真を撮った場所です。あと800m走るとハノイ駅に着きます。
半透明の赤色ラインは上の写真の列車の位置をイメージしたものです。

より大きな地図で 列車の先頭 を表示
動画も撮ることが出来ました。この動画はホーチミンの方角から来た列車です。この動画のプレーボタンをクリックしてもらうと、先ほど種明かしをすると言った列車がほとんど通らないのに写真や動画を撮影出来た理由が判るかもしれません。
幹線道路のように車が沢山通る踏切にはゲートや遮断機が設置されていますが、ほとんどの踏切がない上に線路の側は民家の軒先で沢山の人が行き来しているために警笛を鳴らし続けるのでした。つまりホテルの部屋の奥に居ても列車が来たことが判るためカメラを持ち出して撮ることが出来たのです。列車のスピードも遅いため間違いなく撮ることが出来ました。


こちらの写真はハノイ駅を出発して、これから南(ホーチミン方向)に向かう列車です。今回、掲載している写真はすべてクリックすると拡大するように設定しているので是非とも拡大写真を見てください。
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列車の最後尾を撮りました。民家の軒先を走っていることが判ってもらえると思います。
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私の部屋と反対側にハノイ駅がありました。エレベーターホールからハノイ駅を撮りました。こちらも目の前にあることがわかってもらえると思います。
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列車の先頭のディーゼル機関車ですが1800~1900馬力クラスのものだと思います。機関車の向かっていく方向に踏切がありますが遮断機がないことがわかってもらえると思います。
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先ほどの動画は南から来た列車でしたが、今度は南に向かう列車の動画も紹介いたします。ベトナムの鉄道は総延長2,600kmのうち2kmを除くほとんどが単線なのが特徴です。1905年に初めて開業してから109年が経ちますが、電化も行われず、昔のままを今に残しているのもベトナムの国鉄の特徴でもあります。


航空写真でも位置関係を説明いたします。緑色マークの位置が上の写真の列車の先頭です。空色マークが写真を撮った場所です。右下の方にはすでに紹介したトンニャット公園が広がっています。


オレゴンのおばあちゃんのチーズケーキは「泣く子も黙るチーズケーキ」 [話題]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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姪っ子が持ってきてくれたチーズケーキです。全国には美味しいチーズケーキが沢山ありますが、これはなかなかレベルの高いチーズケーキだったので紹介いたします。
ケーキなどのスイーツはフランスなどのヨーロッパの味の印象でしたが、このチーズケーキはお店の名前であるSweet of Oregonとあるようにアメリカのオレゴン州の小さな田舎町が発祥の味のチーズケーキなのです。オレゴン州(Oregon)にある小さな街ユージン(Eugene)に「泣く子も黙るチーズケーキ」と呼ばれるチーズケーキを作る右下の写真の、おばあちゃんがいたそうです。おばあちゃんの名前はグランマ・ギルスでした。
Sweet of Oregonのオーナーパティシエが30年前の1984年に小さな田舎町で、チーズケーキ作りの名人「グランマ・ギルス」のチーズケーキに出会い感動したことが原点だそうです。

オーナーパティシエが何度もグランマ・ギルスのもとへ訪れて、伝授された名人のレシピを元に10年を費やして秘伝の味を再現することが出来たそうです。その「泣く子も黙る」の味を伝えるチーズケーキ専門店は名古屋にありました。
 名前 Sweet of Oregon(スイート オブ オレゴン)
 住所 名古屋市名東区牧の原2-607
 電話 0120-875-201
 購入 エキュート東京店 JR東京駅
 電話 03-3211-8918
 HP  http://www.ccake.jp/   Blog
姪っ子が持ってきてくれたお土産は下記の3種類のチーズケーキが入ったパッケージでした。


蓋を開けると3種類のチーズケーキが現れました。
左からスフレチーズケーキ、プレーンチーズケーキ、オレゴニアンです。
一般的にチーズケーキには大別して3種類の作り方があります。それは、焼いたベイクド・チーズケーキと、湯煎焼きのスフレ・チーズケーキと、火を通さないレア・チーズケーキです。その3種類の作り方のチーズケーキが、まさにこの3種類でした。
         一般名            Sweet of Oregon
  湯煎焼きの スフレ・チーズケーキ   スフレチーズケーキ
  火を通さない レア・チーズケーキ    プレーンチーズケーキ
  焼いた ベイクド・チーズケーキ     オレゴニアン
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こちらがスフレチーズケーキです。一般的な呼び名であるスフレ・チーズケーキの名が、そのままつけられていました。お店のレシピとは違うかもしれませんが、普通のスフレ・チーズケーキは、オーブンで焼かれるベイクド・チーズケーキの材料を生クリームから牛乳に変え、更に湯煎焼きにする事でふわっとしっとりした生地のチーズケーキに仕上げるそうです。通常のスフレとは作り方が違いますが、出来上がりや食感はスフレのようなので、この名が付いたそうです。海外ではスフレ・チーズケーキは日本発祥のチーズケーキとされており、一般には「japanese cheesecake」と称されることが多いそうです。ちなみに「湯煎焼き」とはオーブンで焼くときに天板に熱湯を入れて焼く方法のことです。 
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こちらがSweet of Oregonで一番人気のプレーンチーズケーキです。確かに格別の味わいで人気があることが納得できました。これを食べて生クリームがたっぷりと使われていることが伝わってきました。このチーズケーキは火を通さないレア・チーズケーキで、一般的にはクリームチーズなどに生クリームを混ぜ合わせたものを冷やし固めてつくるそうです。
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こちらがオレゴニアンで、オーブンできつね色になるまで焼かれるベイクト・チーズケーキに属します。上の説明書きにあるようにニューヨークチーズケーキと呼ばれることもあるそうです。海外において単に「チーズケーキ」と言う場合は、ほぼこのタイプのチーズケーキだそうです。チーズの味が前面に出ている、ずっしりとしたチーズケーキでした。オレゴニアン(Oregonian)は「オレゴンの人」を意味しているそうです。
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このように切り分けで3種類の味を同時に食べ比べてみました。それぞれに特徴があって美味しくいただけました。作り方も知って食べるともっと興味深く味わうことが出来たと思いますが、作り方を知ったのは食べた後でした。
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こちらは冒頭の写真です。上の写真をクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のために拡大写真を再掲載いたしました。クリックすると3種類の違いがよくわかると思います。土台に栄養価の高いグラハムクッキー(Graham cookies)が使われるのがグランマ・ギルス流で今も、そのレシピはまもられているようです。
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やっぱり紅茶ですね。
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こちらがSweet of Oregonの名古屋のお店です。Googleマップのストリートビューから転用させていただきました。クリックするとストリートビューを表示します。
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今回紹介のチーズケーキの味の発祥の場所であるOregon州のEugeneの場所を紹介します。 Eugene(ユージン / ユージーン) 市はオレゴン州でポートランド、セイラムに次ぎ3番目に大きい都市です。古い統計(2000年)ですが人口137,893人で、58,110世帯(31,321家族)が暮らしているそうです。


トンニャット公園のエアロビクス [ハノイ]



早朝に散歩したトンニャット公園のバトミントンダンスを紹介いたしましたが、もう一つ大規模に行われていたものがありました。それが動画と写真で紹介するエアロビクスです。公園のいろんな場所で行われていましたが、ここのが最も大規模に行われていました。

バトミントンとダンスは普段着で行われていましたが、エアロビクスは専用の服を着ている人も沢山見かけました。エアロビクスをやっている人は、ほとんどが女性でした。
トンニャット公園(Cong vien Thong Nhat)は、2003年10月にレーニン公園から名称が変更になったそうです。現在のレーニン公園(Cong vien Le Nin)は、軍事博物館があるディエンビエンフー通り沿いの旧チラン庭園(vuon hoa Chi Lang)で通りを見下ろすようにレーニン像が建っていました。
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乗り物上の写真の線路が気になりませんか。
今は走っているかどうかわかりませんが、気になったのでネットで探して見ました。
右の写真がネットに掲載されていたので紹介のために拝借いたしました。
記事は2005年10月に書かれたものでした。
トンニャット公園内を一周するエンジンが乗った機関車風の乗り物だったようです。
乗り物こちらの写真は2007年11月の記事に掲載されていました。2012年9月20日の記事にも乗り物の後ろ姿の写真が掲載されていました。もしかしたら今でも動いているかもしれないですね。

トンニャット公園は巨木の森でした。 [ハノイ]

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ベトナム・ハノイにあるトンニャット公園は早朝からパトミントンダンスエアロビスク太極拳なのどために沢山の人が訪れる公園でした。その公園は緑豊かな公園で、こんなに幹の太い木も生えていました。

公園の中に、こんなに大きな木があるのには驚かされました。いつからあったのか気になりますね。
世界の巨木コースト・レッドウッド、ジャイアント・セコイア、屋久杉には及ばないと思いますが幹回りはかなりのものでした。根元の感じから800種類あるガジュマルの一種のような気がします。
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トンニャット公園の太極拳 中国だけではありませんでした。 [ハノイ]



中国各地では早朝に太極拳を行なっている風景によく出会います。ゆっくりとした動きが体にむりがないようでお年寄りが沢山参加されています。ベトナム・ハノイのトンニャット公園ではバトミントンダンスエアロビクスが盛んに行なわれていましたが太極拳をやっている人も多くおられました。
この風景は、まさに中国です。

剣を使った太極拳(?)も行なわれていました。これも中国で見たことがある光景でした。太極剣かな。扇を使った太極拳も見かけることがあります。太極拳には、いろんなタイプがあるようです。一見、中国のようですが、こちらもベトナム・ハノイのトンニャット公園の風景でした。

トンニャット公園のダンス [ハノイ]



ベトナム・ハノイのトンニャット公園のバトミントンを紹介いたしましたが、朝のトンニャット公園(Cong vien Thong Nhat:統一公園)ではダンスも行われていました。日本ではちょっと考えられない光景だったので紹介いたします。6月の土曜日の7時12分のことでした。

上の動画と同じ場所の写真です。動画を見てもらえれば判りますが、右回転で踊りながら大きな木を中心に左周りに移動していっていました。こちらの写真はクリックすると拡大いたします。
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同じ場所を少し遠くから撮ったものです。

やっと関西から雪の関東に帰ってきました。 [千葉]



2014年2月5日から関西に行っており、2月9日に千葉にある我が家に帰ってきました。伊丹空港が13時30分のフライトでしたが、飛行機が3時間半ほど遅れたことから、帰宅は20時30分となりました。最寄駅に下りて雪の多さに驚きました。
写真は2014年2月9日深夜の自宅前の光景です。家の前は近所の人が総かかりで除雪した様子でした。
車が沢山通る幹線道路は、いつもであれば、どんなに沢山の雪がつもっても、夕方までには雪は解けてなくなっていますが、今回は沢山残っていました。

人家の少ないあたりは人が歩ける幅だけしか除雪されていませんでした。


いつもならば、かなりの幅が除雪されているのですが、このような光景も初めての経験でした。明日の早朝に写真を撮って、もう一度紹介したいと思います。



2014年2月10日早朝のワンコの散歩です。
翌朝に見ると状況がよく判りました。ワンコにモデルになってもらい近くの雪景色を紹介いたします。
我が家の前の状況です。この回の雪では、これほど除雪されたところは珍しいです。断念されて路面に雪が残ったところが多かったです。


夜の写真で紹介した場所です。


こちらの写真だけはクリックすると拡大いたします。写真では明るく写っていますが、まだ暗いので鮮明な写真は少ないため、拡大写真はこれだけにいたしました。
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小学校への通学路なので除雪されたようです。


8日の夜に柔らかい雪で身動きがとれなくなったなった経験のためか除雪された場所を歩いていました。


でも、慣れてくると雪の上を歩いていました。


車が通る幹線道路も雪が沢山残っていました。


住宅地から離れていく、いつもの散歩コースでは車のわだちがここで止まっていました。車もここまで来て前に進めなくてバックで戻ったようでした。


その道を進んだところで私も前に進むのをあきらめました。ワンコは前に進みたかったようです。運動靴で散歩に出たのですが、長靴にすればよかったと後悔してしまいました。


別の方向も雪が深いので住宅地の方向にUターンいたしました。


最近、広げた2階のバルコニーの雪です。私がまだ関西にいた2月9日の朝は、ふわふわで、もっともっとすごかったそうです。



2014年2月11日早朝の状態です。
早朝から雪が降ってきて道路が薄らと雪で覆われました。ただし除雪されていた路面に降った雪に関しては10時40分には溶けてくれました。左の写真は6時37分で右の写真は8時48分に撮ったものです。
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2014年2月12日の状態です。
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2014年2月13日の状態です。
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2014年2月14日の状態です。
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2014年2月15日5時半の状態です。
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2014年2月15日13時半の状態です。
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2014年2月16日の状態です。やっと晴れました。
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2014年2月17日の状態です。今日も晴れました。
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2014年2月18日の状態です。今日も晴れそうです。
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2014年2月19日の状態です。
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2014年2月20日の状態です。
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2014年2月21日の状態です。
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2014年2月22日の状態です。 もう少しで雪が完全に溶けそうです。
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2014年2月23日の状態です。
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2014年2月24日の状態です。
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2014年2月25日の状態です。
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2014年2月26日の状態です。
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2014年2月28日の状態です。 右の写真では雪がなくなりました。
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タグ: 千葉

200年前のレンガ造りの監視塔 [ハノイ]

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帰国する日に時間があったのでハノイの町を散策していると趣のあるレンガ造りの塔があったのでさっそく行ってみました。ここはザーロン帝によって1805年から7年間かけて作られた宮殿のための監視塔でした。今は国旗掲揚塔(旗の塔)として残っていました。八角柱が印象的な塔で高さは33.4メートルです。国旗掲揚台(フラッグタワー)とも呼ばれていました。

塔はレンガ造りの正方形の2段の建物の上に建設されています。建物の1段目は1辺が42メートル、2段目は1辺が15メートルで東西南北の4面に扉があります。
インドシナ戦争末期の1954年3月から5月にかけてのディエンビエンフーの戦いでフランス要塞が陥落し、同年10月10日にベトナム軍が首都を解放しました。その際にベトナム軍及びハノイ市民により、この塔に現在のベトナム国旗である金星紅旗が掲げられました。この国旗は当時のベトナム民主共和国の勝利の証であり、ベトナムが独立・自由・幸福を得た新たな歴史の幕開けを飾ったそうです。


この塔はレンガ造りで、塔内には54段の螺旋階段あり、上に登れるとのことなので、さっそく登ってみました。右の写真は親子が登ってくるところです。写真のように螺旋階段は狭いために登る人と降りる人のすれ違いが大変でした。この写真は降りるときに撮ったものですが、なんとか登りきることが出来ました。一番上に展望室の八面からはハノイ市内や目の前にある遺跡を見ることが出来ました。


こちらが展望室です。


展望室内は沢山の人でいっぱいでした。


展望室からハノイ市内の方向の景色です。


これは目の前のハノイ城跡の端門です。この左側に最近発見された世界遺産のタンロン遺跡がありました。ちなみに正面の端門も含めて世界遺跡に認定されました。
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端門から見た国旗掲揚塔です。


タンロン遺跡や旧ハノイ城跡の端門との位置関係は下記の地図でわかると思います。軍事歴史博物館がすぐそばでした。


監視塔の前には昔の大砲と石の砲弾が展示されていました。
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下高野の辻切り 2014年 [風習・歴史]

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2014年2月2日に千葉県八千代市下高野地区の辻切り作りに参加いたしました。本来は1月25日に近い日曜日に行われるので例年であれば1月26日でしたが、1月26日に八千代市の郷土博物館で講演会があり、辻切り作りの方が講演されたこともあり2月2日になったとのことでした。私は下高野に住んでいるわけではないので異例のことだと思うのですが、以前に掲載したブログの記事「下高野の辻ぎり」がきっかけでした。
私の記事を下高野の辻切りの指導的立場の方が見ていただいてコメントを何度もやり取りをしたことで実現いたしました。

大蛇をつくるハウスの中を動画で紹介します。雰囲気が判ってもらえると思います。作り始めてすぐの状態です。


先ずは頭作りから始まります。前回の記事で大蛇の頭作りは詳しく紹介したので今回は省略させていただきます。


大蛇作りで難しいのは頭ではなく胴体なのです。私も2012年に教えてもらい頭だけは作れるようになりました。胴体の方はベテランの人は1人で作れるのですが、慣れてない人はベテランに教えてもらいながら2人がかりになります。


胴体の作り方を、言葉で説明するのは難しいので動画を2本撮りましたので動画で説明いたします。
胴体は注連縄のように3束の藁で出来ています。先ずは頭の後ろから出ている藁を3つに分けます。次にその3つの束の内、2本をよっていくのですが、それぞれを、ねじりながら2本を巻きつけていきます。それぞれをねじる方向と2本を巻きつけていく方向が重要でどちらかが反対だと縄にはならずにばらけてしまうので動画でよくねじる方向と巻く方向を見てください。藁が短くなると藁を足していきます。(大蛇の胴作り 1/2)


2本の束の巻きつけが完成したところで3本目をねじりながら2本の束に巻きつけていきます。これも動画からコツを学んでください。(大蛇の胴作り 2/2)


半分くらいできたところでお茶タイムです。


お茶に甘酒に漬物を出してもらいました。さらにビールまでいただきました。漬物は大根の味噌漬けです。味噌も大根も自家製だそうです。味噌を作るための麹も自家製だそうです。その麹で甘酒を作られたそうです。


恒例の揚げたオカキも出されました。これも美味しいのです。


休憩の後に作業を開始して6本の大辻と呼ばれる藁の大蛇が出来上がりました。
この後にきれいに整えてお札を付けたり柊や杉の小枝を付けて完成です。この写真の中には奥の6本と手前に1本と7本の大蛇がいることが判ってもらえると思います。実は手前の1本は手伝ってもらいながら私が作った大辻です。この大辻は近くの小学校に飾ってもらうために作ったものです。
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大辻が完成したところで昼食です。
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おにぎりです。


白菜の漬物とタクワンです。


自家製味噌のお味噌汁です。


昼食を食べて13時になったところで大蛇の最後の仕上げの開始です。先ずは大蛇の胴体は出ている藁をはさみできれいに切った後に下の動画のように「なめし」ます。


大蛇の目と舌作りです。
このため専用に作った唐辛子に取り付けるための針金を通します。
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目と舌を取り付けているところです。


目と舌が付け終わるといよいよ仕上げです。頭の方からヒイラギの小枝、お札(大)、杉の小枝、ヒイラキの小枝、お札(小)、杉の小枝の順に取り付けます。


6体の大辻が完成いたしました。辻切りは集落の境(辻 / 結界)に、この藁の大蛇(大辻)を飾ることにより、集落へ入ってくる疫病や悪霊が侵入しないように行う行事で、災難を封じて五穀豊穣と郷内安全を祈願するものだそうです。近隣では井野地区、上高野地区、小竹地区で見ることが出来ます。ただし小竹地区は大蛇ではなく注連縄が使われていました。
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さっそく大辻の取り付けです。最初の場所は大蛇を作った場所の近くなので、そのまま歩いて行き取り付けます。先ずは昨年の大辻を取り外します。


新しい大辻を取り付けているところです。


これで完成です。大辻がよく見えるように回りま枝を切りました。
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6体の大辻はこの地図の赤いマークのところに設置します。①~⑥の順番にみんなで取り付けにいきます。上の取り付け光景は①のところです。
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軽トラに乗せて残りの5ケ所に取り付けに行きました。
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前回の記事で全ての場所の取り付け光景を紹介しているので最後の⑥の場所の取り付けを動画で紹介いたします。


⑥の場所の取り付けが完成したところで全て終了です。
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今回も家用の小辻を作ったので家に帰ってすぐに飾りました。今回は2体です。右側の小辻はベテランの方に作ってもらったものをいただきました。左側が手伝ってもらいながら作った小辻です。上の複数の動画を1本にまとめました。→ポチッ


追伸
今日2月5日の15時20分から関西に行きます。帰ってくるのは2月9日の夕刻なので、それまで皆さんのブログに訪問できない失礼をお許しください。


2014年4月16日追伸 タイトル:9番目の辻切りが小学校に飾られました。
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上で記載している通り2014年2月2日に近くの井野小学校に飾ってもらうために作り、お渡しした藁の大蛇が飾られていることを車で通りかかった時に偶然に見つけました。さっそく写真を撮り追加掲載させてもらいました。

下記の写真の説明の看板が、今回の辻切り(藁の大蛇)が飾られた木の脇にあります。この看板は昭和51年2月1日(1976年)に建てられてものです。

フォー(PHO)とブン(BUN) [ホーチミン]

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ベトナムのホーチミンには2泊しました。ホテルの朝食で麺を作ってくれるコーナーがあり2日共に麺にしました。これがベトナムで有名なフォー(PHO)で2日目に食べました。
 ハノイで食べたフォーは→ポチッ

1日目に食べたのがこちらの麺です。上のフォー(PHO / Phở)と同じように見えますが、こちらはブン(BUN / Bún)です。どちらも米から作った面ですが、形と太さが違うようです。ブン(BUN)はフエという町で人気の麺のようです。よく調べてみるとブン(Bun / Bún)はビーフンのことのようです。フエの名物であるBún Bò Huế (ブン ボー フエ)は「フエ風の牛肉汁ビーフン」と言うことになります。
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麺の違いが判るように拡大した写真を掲載いたします。こちらがフォー(PHO)で少し平らな麺です。


そして、こちらがブン(BUN)です。細くて丸い麺です。上のフォー(PHO)との違いが判ってもらえたと思います。


ベトナムのワンチャンとバイク [ハノイ]

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ベトナム・ハノイの平日の夕刻です。セントバーナードとグレートデンですね。どちらも超大型犬ですがグレートデンは放して散歩させていました。さすがに驚きです。ベトナムでグレートデン? グレートデンを放して散歩?

さらにバイクで別のグレートデンを散歩させている人を見ました。


こちらも放して散歩ですがバイクに乗って車道をワンチャンも一緒に走っていきました。バイクにも驚きです。上も同じですが一般庶民ではないですね。


セントバーナートやグレートデンに関しても同じなのですが、ベトナムで、このようなバイクに出会えるとは思ってもいませんでした。バイクが気になったので、クリックすると拡大する写真を掲載いたしました。
バイクに詳しい方、このバイクに関してコメントをお願いします。
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こちらは庶民のワンチャンです。元気です。上の大きなワンちゃんの近くで走り回っていました。背景がベトナムらしいです。


そして、こちらが庶民のバイクです。さすがハノイです。新しいバイクが多いです。

ベトナムの朝食 フォー( Phở ) [ハノイ]

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ベトナムの朝食と言えばフォー( Phở )ですね。特にハノイは沢山の外国人が、よく行く有名なフォーの専門店があり、安くて美味しいフォーが食べれるのですが、今回は時間がなかったのでホテルのフォーに、いたしました。道端の専門店の雰囲気は一番下に写真だけ紹介いたします。味のほうはさすがに高級ホテルだけのことはあります。文句のつけようがありませんでした。美味しいです。

ベトナムは小麦がなく、お米の国なのでお米の麺が発達したのでしょう。いろんな具を入れてくれます。調味料も好みで入れられます。


街のフォー専門店です。
PHỞ はフォーでBÒ は牛肉です。つまりPHỞ BÒ は牛肉の入ったフォーのことです。あるいは牛のダシ汁のことかもしれません。
Xào(サォ)は「炒める」なので、下の方に書いてある Phở XàoMý Xào は焼きそばのようです。
ベトナム語と日本語のフォーのWikipediaです。→ Phở  フォー

迷惑コメントは特定の古い記事に限定 [SNS]

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2014年1月10日にコメント投稿者の名前が「お名前 (必須)」の迷惑メール( コメントスパム / Comment Spam )の報告をいたしましたが、その後、1月14日から2月3日まで追跡調査すると過去記事の特定の5つの記事だけに限られていることが判りました。
限られた記事への迷惑コメントなので、とりあえず一安心です。
迷惑コメントの数は20日間で20個なので1日に1個のペースです。
また画像認証コードは長くしたり複雑にしても迷惑コメントの頻度は変わらないことが判ったので画像認証コードは一桁(9)に戻しました。
迷惑メールが届く記事はつぎの5つのみです。
  2013-07-14 パキスタン料理
  2013-02-28 感謝! 本場の味を思い出させてくれました。
  2011-05-14 マイタウン直通の深夜バスに初めて乗りました。
  2013-08-05 北海道のゴルフ場
  2011-05-15 バラ園に初めて行きました。

枠内が迷惑メールが届く5つの記事の一つの「バラ園に初めて行きました。」のコメント欄です。このように1月19日と1月21日と1月25日と2月2日に4つの迷惑メールが入ってきました。
この5つの記事のコメント設定を「受付しない」にすれば迷惑コメントは防止できますが、この記事への一般の方もコメントも出来なくなってしまうので現状のままで推移を見守りたいと思います。


迷惑メールの頻度や順番や回数をわかりやすく編集いたしました。バラバラのようですが、現時点で5つの記事への迷惑メールの数が全て4つなのに驚かされました。そのことから同じところからの迷惑コメントだと思われます。特徴もはっきりしているので、なんとか防止してほしいものです。
  1.コメント投稿者の名前は「お名前 (必須)
  2.コメント本文は英文
  3.コメントは特定の古い記事
  4.認証コードを変えても同じ頻度でコメントが届く

限られた特定の過去の記事のため深刻な問題でないことから、長期間、様子を見て、また追加報告をさせていただきます。
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2014年1月10日投稿  タイトル: 迷惑コメント投稿者は「 お名前 (必須) 」
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So-netさん
 頻繁に迷惑コメントが届きます。
 全て次の2つの特徴ががあります。
 是非とも対処をお願いいたします。
  1.コメント投稿者の名前は「お名前 (必須)
  2.コメント本文は英文


上の画像はコメント一覧表画面です。
今のところ古い記事だけにこの形式の迷惑コメントが入ります。
So-netさんの記事
  「コメント投稿での画像認証表示の仕様変更」と
  「コメント投稿時の認証画像について
にトラックバックしています。
迷惑コメントは削除したので現時点では残っておりません。
迷惑コメントがあまりにも頻繁になった場合は画像認証コードを複雑にするかもしれません。その時は皆様にお手間をおかけすることをお許しください。


2014年2月11日追伸 タイトル:コードを4桁にいたしました。
認証画像コードを、1桁(9)から4桁(sori)にいたしましたが、相変わらず迷惑メールが入ってきます。とりあえずコードを3桁(999)にして、もう少し様子を見てみます。様子を見た結果、迷惑メールの頻度は変わらないので画像認証コードは1桁(9)に戻しました。
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スパムフィルタは「半角英数のみのコメント」は「受付しない」に設定していますが関係なく入ってきます。

ケーキ屋さんの恵方巻き アンリ・シャルパンティエ  [話題]

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今日(2014年2月3日)は節分です。節分の食べ物と言えば、いろいろあります。その一つが「恵方巻き」ですが2月1日に、よく利用している洋菓子店(アンリ・シャルパンティエ / HENRI CHARPENTIER)で上の写真の珍しいケーキが売られていたので、つい買ってしまいました。名前は、ずばり「節分フルーツロール」です。

姪っ子も家に来ていたので、さっそくに食べてみることにいたしました。確かに巻き寿司の太巻きです。フレッシュなフルーツが具で生クリームが酢飯で、スポンジケーキが海苔をイメージさせてくれていました。黒いスポンジは竹炭を生地に含ませているそうです。フルーツは苺とキウイと黄桃でした。2月1日(土)~2月3日(月)の3日間限定だそうです。
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切り分けました。昨日、家で作った太巻きの一番下の写真と見比べてください。色合いが似ています。
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いつものカップでいつもの紅茶です。ケーキだとやっぱり紅茶ですね。
このケーキを売っていたアンリ(HENRI)は実家のある関西でよく利用しています。おそら一番多く利用してきた洋菓子店だと思いますが、関東では買ったことがありませんでした。そのお店が身近なところにあったのもケーキを買った理由の一つなので、お店を紹介いたします。通っていた高校がケーキ店の発祥の地である芦屋であったこともあり、1~2店舗の時からの馴染みのあるお店ですが、こんなにも沢山の店舗数になっているとは知りませんでした。お店が出来たころに、母が、宝塚(実家)から芦屋まで買いに行っていたのを思い出しました。
 名前 アンリ・シャルパンティエ / HENRI CHARPENTIER
 店名 船橋東武店
 住所 千葉県船橋市本町7-1-1 東武百貨店
 電話 047-411-0678
 営業 10:00~20:00 (日曜:19:00)
 定休 1月1日
 店数 83(関西 28 関東 33 東北・北海道 2 中部 8 中四国 8 九州 4)
 本店 兵庫県芦屋市公光町7-10-101  1969年創業
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こちらが昨日(2014年2月2日)に作った本物の恵方巻きです。節分より1日早かったけれども日曜日なので、節分にあやかって作ってもらいました。こちらも姪っ子と一緒にいただきました。
恵方巻きは恵方の方向に向かって食べることはよく知られています。恵方とは「歳徳神(としとくじん)のおられる方向」ですが、その恵方は毎年おなじではなく十干(じっかん)ごとに違うそうです。年の区分とし十二支が知られていますが、十干も年の区分のです。十干は、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)の10の要素で2014年は甲です。今年は「きのえ馬」の年という言い方をするわけです。有名なのが「ひのえ馬」です。
恵方は年によって4方向があります。2014年は東北東が恵方となります。ちなみに去年(2013年)は南南東が恵方でした。東北東と言っても正確には東北東ではなく「東北東やや右」です。つまり4方向は「東北東やや右」、「西南西やや右」、「南南東やや右」、「北北西やや右」に読み替えてください。「やや右」は西洋式の16方位と中国式の24方位のズレ(7.5度)があるためだそうです。各年の恵方は次の通りです。
  東北東 甲(2014年) ・己(2019年)
  西南西 乙(2015年) ・庚(2020年)
  南南東 丙(2016年) ・辛(2021年) ・戊(2018年) ・癸(2023年)
  北北西 丁(2017年) ・壬(2022年)
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太巻きだけでなく鉄火巻きも作ってもらいました。
節分に恵方の方向に向かって太巻きを食べると縁起がいいので、恵方巻き(えほうまき)ですが、恵方巻きの名称が全国的に使われるようになったのは意外と最近のことです。その恵方巻の名称は1998年にセブンイレブンが全国発売にあたり、商品名に採用したことによるとされています。それ以前は「丸かぶり寿司」などと呼ばれており「恵方巻き」と呼ばれていたという文献等は見つかっていないそうです。節分に太巻きを食べる習慣のあった大阪地方の地元においても、単に「巻き寿司」や「丸かぶり寿司だったそうです。
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ケーキの恵方巻きと比べてもらうために、我が家の太巻きの断面の写真も紹介します。確かにケーキの断面と似ています。それではみなさん、太巻きもケーキも恵方の方向(東北東やや右)に向かって食べてみましょう。
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