SSブログ

我が家のバラも出そろいました。 [植物]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
我が家には8種類のバラが植わっています。今年2014年は5月初旬から咲き始めました。それぞれのバラの見ごろの時期は違いましたが5月31日にはすべてのバラが咲きそろったので我が家のバラを、おおよそ咲き始めた順番に紹介いたします。

クリックすると拡大クリックすると拡大エドガー・ドガ(Edgar Degas)
これは娘がバラの展示会に行き、母の日のプレゼントとして買ってきたバラです。模様に特徴のある、大切なバラなのです。バラの名前は右の写真の絵を描いたフランス生まれの印象派の画家であるEdgar Degasに由来しています。
クリックすると拡大

ヘンリーフォンダ(Henry Fonda)
黄色いバラが欲しくて買ってきました。いろんな黄色いバラを見比べた中でヘンリーフォンダが一番黄色が鮮やかだったので、これを買ってきました。我が家の中で最も元気に見事な花が咲いてくれるバラです。俳優のHenry Fondaが黄色いバラを愛して多数栽培していたことから、黄色いバラの品種の一つにHenry Fondaと命名されたそうです。そのバラが紹介のバラなのです。
クリックすると拡大

ホワイトメイディランド(White Meidiland)
クリックすると拡大比較的最初のころに買ったバラです。いつもは右の写真のように、もっと大きな花を咲かせるのですが、今年は小さな花となりました。
どうやら手入れをおこたったようです。来年のために花が終わったら肥料をしっかりやるつもりです。この薔薇は我が家の中でも最も長く花が咲き続けるバラでもあります。
クリックすると拡大

ピエール・ドゥ・ロンサール(Pierre de Ronsard)
冒頭の写真で紹介したバラです。最も大きく育っているバラです。フランス・ルネサンス期を代表する詩人Pierre de Ronsardにちなんで名づけられたそうです。こちらをクリックした場合は冒頭の写真と違う画像を表示いたします。
クリックすると拡大

キャサリン・モーリー(Kathryn Morley)
比較的、最近買ったバラで、今年はまだ花数がすくなかったので沢山の花を付けるように育てていきたいと思います。
このバラには18歳の娘さんを亡くしたMorley夫妻が娘のためにバラの命名権をオークションで買って娘の名「Kathryn Morley」とつけた素敵な話があるのです。
こちらの花はクリックすると正面からの花を表示いたします。
クリックすると拡大

キングローズ(King Rose)
野性的で我が家の中で最も繁殖力のある強いバラです。ほっておくと大きくなり過ぎてしまうほどです。挿し木でも簡単に増えてしまいます。
クリックすると拡大

キューピッド・イン・ザ・ガーデン(Cupid in the Garden)
可憐な花を咲かてくれます。これから沢山の花を咲かしてくれると思います。
クリックすると拡大

クニルプス(Knirps)
一番最後に咲いたのが、この小さな花のツルバラです。小さな苗を買ってきて育てています。咲き初めで花はまだ少ないけれどももう少ししたら沢山の花で覆われると思います。早く大きくなって、もっと沢山の小さな花を咲かせてほしいです。
クリックすると拡大
タグ:薔薇 バラ

阪急宝塚駅 宝塚歌劇100周年 [宝塚]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
阪急宝塚駅の写真です。
2014年5月23日~28日まで関西に行っていました。実家が宝塚市の逆瀬川にあることから阪急電車と宝塚駅を紹介したいと思います。宝塚駅での写真や動画は5月26日と28日に撮りました。
ご存じの方は多いと思いますが、その宝塚には未婚の女性だけで構成された宝塚歌劇団があります。今年2014年は宝塚歌劇の初公演から100年目にあたります。宝塚歌劇団は1913年に宝塚唱歌隊の名で結成され同年12月に宝塚少女歌劇養成会に改称され1914年4月1日~5月31日の初公演から現在に至りました。宝塚歌劇団は阪急電鉄の一部門(阪急電鉄創遊事業本部歌劇事業部)で阪急電車とは縁が深く阪急電鉄でも宝塚歌劇100周年にともないラッピング列車「宝塚歌劇トレイン」が運行されています。実は上の電車がラッピング列車「宝塚歌劇トレイン」なのです。

宝塚歌劇100周年を記念して宝塚駅の発車メロディーが新しくなりました。宝塚駅からは神戸線につながる今津線には宝塚市に5~24歳まで住んでいた手塚治虫にちなんで「鉄腕アトム」の曲がながされて、大阪(梅田)に直接向かう宝塚本線では宝塚歌劇の愛唱歌として知られる「すみれの花咲く頃」が流されています。その発車メロディーを動画で紹介いたします。プレーボタン( )をクリックしてみてください。
   今津線 発車メロディー         宝塚本線 発車メロディー
   鉄腕アトム              すみれの花咲く頃



ラッピング列車「宝塚歌劇トレイン」の前後の先頭には宝塚歌劇100周年の金色のヘッドマークが取り付けられており側面も飾られていました。それぞれ1編成づつのため所要時間の短い今津線(14分)の方が、乗るチャンスも見るチャンスも多くなります。
  宝塚線 9000系(8両編成)1編成 35分 宝塚~梅田
  今津線 7000系(6両編成)1編成 14分 宝塚~西宮北口
クリックすると拡大

側面のラッピングの見やすい角度の写真も紹介いたします。劇場大階段とダンスシーンをピンク色でデザインされていました。7101の番号から、これは7000系車両で今津線であることが判ってもらえると思います。
クリックすると拡大

側面の金色の文字も紹介いたします。ラッピング列車「宝塚歌劇トレイン」は2014年3月21日~2014年12月24日まで運行するそうです。デザインコンセプトは車体のマルーンカラーと同系色を基調としながら、ゴールドをアクセントに使用してシンプルな中にも宝塚歌劇のもつ華やかさを加えて列車全体から宝塚歌劇100周年の伝統と品格を感じてもらうことだそうです。


こちらの写真は西宮北口駅に到着した時に撮った写真です。上で紹介した宝塚方向の先頭車両と反対側(西宮北口側)の先頭車両になりますがデザインが若干違います。上では等身大のダンスの絵は1人でしたがこちらは2人でした。この時5月24日に初めてラッピング列車「宝塚歌劇トレイン」に乗りました。
クリックすると拡大

ラッピングが行われたのは7000系と9000系ですが2013年に最新の1000系が登場いたしました。関東の家に帰宅した5月28日に宝塚→蛍池まで乗った列車が最新の1000系でした。こちらが1000系の社内の写真です。私自身は小学校4年(10歳)の夏に広島から神戸に引っ越してきてから関東に引っ越した37歳まで阪急電車にお世話になってきたこともあり、この色合がなつかしいです。
クリックすると拡大

こちらが連結部分です。取っ手に触れるだけで扉が開きます。
  編成     8両
  営業最高速度 宝塚線:100km/h 神戸線:115 km/h
  設計最高速度 130 km/h
  起動加速度  2.6 km/h/s
  減速度    3.7 km/h/s(常用最大) 4.2 km/h/s(非常)
  編成定員   1022名
  車両定員   121名(先頭車) 130名(中間車)
  車両寸法   全長 19000mm 全幅 2770mm 全高 4095mm
  車体材質   アルミニウム合金
  車両重量   Tc車:29.8t  M車:36.7t  M'車:33.3t  T車:25.9t
  軌間     1,435 mm
  電気方式   直流1,500V(架空電車線方式)
  編成出力   190kW×16=3,040kW(4077馬力 8両編成)
クリックすると拡大

宝塚駅構内を動画で紹介いたします。


新聞広告最初の大きな写真が1914年4月1日~5月31日に初公演で行なわれた歌劇「ドンブラコ」の写真です。ドンブラコは桃太郎をモチーフにした北村季晴作詞・作曲の歌劇で、1912年1月29日に楽譜が出版されたそうです。右の写真は初公演の新聞広告です。
宝塚歌劇は現在は年間公演数約1300回、観客動員数約250万人、歌劇団員総数約400人です。宝塚歌劇団の名前の沿革は次の通りです。昔の写真はすべてフリー百科事典Wikipediaから拝借いたしました。2014年の「ドンブラコ」再現公演の写真はネットのニュースから転用させていただきました。いずれもクリックすると拡大します。
 1913年 宝塚唱歌隊
 1913年 宝塚少女歌劇養成会 1914年4月1日~5月31日に初公演
 1919年 宝塚少女歌劇団(宝塚音楽歌劇学校の中の組織)
 1939年 宝塚少女歌劇団と宝塚音楽舞踊学校に分離
 1940年 宝塚歌劇団
 1946年 宝塚音楽舞踊学校を宝塚音楽学校に改称
写真:1914年公演 第1回公演「ドンブラコ」桃太郎
クリックすると拡大
  1919年練習風景    1928年公演        1930年公演
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
  1935年公演     1947年公演        1948年公演
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
  1951年公演       1951年公演       1954年公演
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
2014年公演 宝塚歌劇100周年「夢の祭典」 第1回公演「ドンブラコ」再現
クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

高層ビルの谷間の静かな空間 [ピッツバーグ]


写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

古いケーブルカーで登った丘の上のシーフードレストランサンドイッチ店から高層ビル群を紹介いたしましたが、そのビルの谷間に静かな場所がありました。教会の建物がひっそりと堂々と建っていました。Trinity Episcopal Cathedral(トリニティイ・ビスコパル大聖堂)です。写真をクリックすると別角度の写真を表示します。2つの大聖堂が建っていもことも判ります。

2つの大聖堂の間にはお墓がありました。この街の有名な人たちの墓石のようで、すごく雰囲気のある場所でした。
クリックすると拡大

小さなお墓も沢山ありました。ダウンタウンの構想ビルの谷間の静かな空間に驚かされました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大お墓のネームプレートに番号がつけられていました。これには11番 残念ながら番号を付けている理由は判りませんでした。名前のJohn Ormsbyと年代の(1720–1805)から調べた結果、John Ormsbyさんはアイルランドから1752年(32歳の時)に移民してきた方で農業を行いアメリカの兵士としも戦ったようです。丸い札にはRevolutionary War(独立戦争)と書かれていることから独立戦争(1775–1783)でも貢献したようです。ネームプレートにもRevolutionary Soldierの称号がかかれています。独立戦争の時は55歳から63歳ということになります。John OrmsbyさんはWikipediaにも記載されていたので有名な方だと推察できました。Wikipedia翻訳→ポチッ
クリックすると拡大

歴史的な建物みたいです。わざわざこんなものが埋め込まれていました。


こんなのもありました。


墓石のあった場所を紹介いたします。

より大きな地図で Ttrinity Episcopal Cathedral Pittsburgh を表示
ピッツバーグの場所も紹介いたします。

アメリカのマック [ピッツバーグ]


クリックすると拡大
ピッツバーグ空港のMcDonald's
広い空港の中でここだけが人だかり。

このMcDonald'sのすぐ横のハンバーガー屋さんです。この差はすごいです


シカゴ空港のMcDonald'sです。ここもMcDonald'sだけがすごい人だかりです。

ヒッツバーグは高層ビルだけじゃない [ピッツバーグ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
ダウンタウンはアレゲニー川とモノガンヒラ川が合流しオハイオ川になるゴールデン・トライアングルと言われる場所にあります。写真をクリックすると反対側から拡大
そのダウンタウンの中に石作りの歴史のありそうな建物がありました。

これらは一つの建物で非常に大きいです。調べれば必ず出てくるとは思いますが調べ切れていません。


建物をつないだ石造りの通路が印象的でした。
IMGP8458-651.jpg

クリックすると拡大高い塔もあります。この建物は1901年にはすでに建っていたことは下の昔の写真で判りました。
建物の名前はAllegheny County Courthouseで裁判所です。最初の建物は1794年に建てられ、2番目の建物(右の写真)は1857年作られ1882年に火災で崩壊したそうです。今の建物は1883年から建設が始まり1888年に完成したそうです。
塔の高さは76.2 m(250 ft)で、1901年には町で一番高い建物だったようです。
クリックすると拡大

上の写真を少し遠くから撮った写真ですが大きいので全景はなかなか撮れません。


黄色で囲った部分が今回の建物がある場所です。衛星写真をクリックすると黄色で囲った部分を拡大します。拡大した衛星写真にも通路が写っています。


赤色マークがHonorable Kathryn M Hens-Grecoで紫いろマークがAllegheny County Courthouseです。
高層ビルの建っていない1901年の丘(Coal Hill)の上から撮ったダウンタウンの写真を見つけました。今回紹介した高い建物(上から4枚目の写真の建物)が橋の左側に写っていることがわかりますか。この写真から、この時代では町で最も高い建物だったことがわかりました。これから紹介する高層ビル群の中の教会も写っています。写真の中に写っている1881年に作られた橋も健在です。

ダウンタウンの普通の景色 [ピッツバーグ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

クリックすると拡大すでに紹介しているピッツバーグの丘の上からのダウンタウンですが、このダウンタウンの中の普通の街並みを紹介しておきます。このダウンタウンはゴールデントライアングルと呼ばれる川の合流点にあります。

町の中に入ると道路脇からすぐに高層ビルが建っているので高いビル群という雰囲気ではありませんでした。ニューヨークのようにビルの谷間という感じでもない不思議な空間でした。
クリックすると拡大

よくみるとほとんどの写真に例の配布ボックスが写っています。


遠くに橋が見えます。掲載した橋とは違うようです。


有名なPPG本社ビルが際立っています。


街の中では道路の狭いところも多かったです。


この道路の下がったところの公園で結婚式の記念撮影をしていました。


航空写真でもダウンタウンを紹介します。航空写真の中のアイコンプラスを3回クリックしてみてください。斜め45度からの景色に代わります。黄色マークは宿泊したホテルの場所です。

より大きな地図で ピッツバーグのダウンタウン を表示

街角のすてきな光景 [ピッツバーグ]


金曜日の夕方にダウンタウンを散歩していると写真の光景に出会いました。結婚式の後(前)に記念撮影をしているようでした。女性のカメラマンが寝転んで撮っているのも面白い! 噴水と高層ビルを背景に入れるための努力ですね。

こちらを見て笑っているのがカメラマンの人です。このあとカメラマンの女性はこちらを意識しているみたいでした。


全体が見えるように遠くからの写真も載せてみました。
ここはピッツバーグ きれいな町でした。


タグ:結婚式

ベトナムのチキン専門店 [ベトナム]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。


上の写真はベトナムのハノイに1泊2日+機中泊の旅で2日目の昼食に鶏料理専門店で食べた鶏料理です。これが非常に美味しかったので報告させていただきます。

場所はハノイから東に車で2時間程度ほどの場所です。国道5号線沿いの、この青い建物全体がレストランで沢山のテーブルは満席でした。すごい人気のお店でした。写真は車の中から別の時間帯に撮ったものですが、昼時は車がレストランの前にあふれているほどの人気でした。料理は鶏をシンプルにボイルしたものと鍋料理だけです。みなさんどちらかを食べていました。


テーブルに出てきた順番に紹介いたします。先ずは調味料である塩にハーブを入れて小皿が各自に出されます。いろんなものに、これを漬けて食べます。
クリックすると拡大

ハーブが多量に出されてきました。これはベトナム料理ではどのお店でも同じで、このハーブを生のまま食べるのがベトナムの習慣です。
クリックすると拡大

先ほどの塩にライムを搾ってハーブを沢山食べました。ここではミント系のハーブですが前日の夕食では若いドクダミでした。切った唐辛子を入れるとピリッとしたタレの出来上がりです。ハーブだけでなく、あとで出てくるチキンにもつけ食べました。
クリックすると拡大

次に、ご飯が出てきました。ご飯は、もち米でした。そのまま食べても美味しいのですが、右上に写っている茶色い粉をかけると香ばしくて美味しかったです。
クリックすると拡大

茶色い粉は、すりゴマとピーナッツを砕いたものを混ぜたものでした。日本のお米以外では、ここで食べたご飯が一番美味しく感じられました。もち米の食感は日本人に合うのかもしれません。
クリックすると拡大

ついに出てきました。これがメインのチキンです。丸々ボイルしたあとに油で揚げてハサミで切って出されてきました。油で揚げずにボイルしただけのものも1羽頼んだので2種類食べれました。油で揚げた方が皮がパリパリで香ばしくて美味しかったです。味付けはされていないのですが、これが驚くほど美味しいのです。濃い鶏の本来の味わいのためだと思いました。上の塩をつけて食べるのもいいのですが、何もつけなくても美味しくいただけました。このお店を選んでくれたベトナムの人も、この鶏は美味しいと自慢されていました。どうやら、このお店の鶏肉を我々日本人に食べさせたたかったようです。驚きました。
クリックすると拡大

これが食べた"もも"の部分です。胸肉の部分も美味しかったです。自然な濃厚な肉の味でした。完璧に地鶏の世界でした。
クリックすると拡大

沢山の量だったので食べ切れませんでした。これが最後に残った残骸です。ボイルだけのものと揚げたものと両方、一つのお皿に乗せて撮りました。揚げてあると足も、ボイルだけのものと比べると、さほど生々しくなく、かじることが出来ました。


料理の最後にスープが出てきました。中には鶏の砂肝など筋肉系のものと麺が入っていました。鶏を無駄にしていないと感じる一品でした。新鮮な鶏肉だから出来るのだとも感じました。
クリックすると麺が現れます。

デザートは「みかん」でした。写真では大きさがわかりませんが、キンカンを一回り大きくした程度の小さな小さなみかんで皮を剥いて丸まま口に入れて食べました。その食べ方で、ちょうどいい大きさなのです。我々が食べているミカンの原種かもしれません。タイから輸入しているそうです。甘くて美味しかったです。


お店が出してくた手拭です。ベトナム語がわからないので、想像でお店を紹介いたします。間違をご指摘いただいたら修正いたします。ちなみにGaはベトナム語で鶏肉のことだそうです。Nhà HàngはレストランでGà Tươiはフレッシュチキンです。Vuaはキングの意味だそうです。
ネットで調べると4店舗あるようでハノイにもお店がありました。
 店名 Mạnh Hoạch (Manh Hoach)
 住所 Ga Phạm Xá Kim Thành - Hải Dương(ハイズオン州)
 電話 0320-729-335
 携帯 0904-552485


住所からGoogle地図で場所を検索しました。青色マークの近くに今回のチキン専門店Mạnh Hoạchがあります。ハノイとハイフォンの間です。Ga Phạm Xá駅が近くにあるようです。4店舗の住所も照会しておきます。4番目のお店が今回のお店です。
  1: 265 Tô Hiệu – Cầu Giấy – Hà Nội        ハノイ
  2: 1 Nguyễn Quý Đức - Thanh Xuân - Hà Nội ハノイ
  3: 783 Nguyễn Văn Linh – Hải Phòng       ハイフォン
  4: Ga Phạm Xá – Kim Thành - Hải Dương    ハイズオン


.

熊本のお土産は晩白柚の「ぷっちょ」 [土産]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
家内が2014年5月18日から5月21日まで熊本と福岡に旅行に行っていました。その時に買ってきたお土産の一つが写真の「ぷっちょ」です。それも熊本県八代産の晩白柚(はんぺいゆ)の果汁が入った「ぷっちょ」でした。

知り合いの方へのお土産に使うので10スティック入りを2箱ほど買ってきました。計20ステック買ったことになります。ゆるキャラの「くまモン」がデザインされておりお土産として喜ばれそうです。「はんぺいゆだモン!」が可愛いです。
クリックすると拡大

さっそく頂きました。甘酸っぱい癖になる味でした。ゆっくりと食べるつもりでしたが1本すぐに食べてしまいました。晩白柚味のソフトキャンディーの中には晩白柚のグミが入っていました。だから名前が「ぷっちょ」なのです。


晩白柚のグミを紹介したくて果物ナイフで切ってみました。これで食感と味わいが判ってもらえると思います。


今、テレビのCMで流れているキャンペーンのシールが貼られていました。「ぷっちょ × 新劇の巨人 進撃のちょ人キャンペーン」です。
クリックすると拡大

この動画を見てもらえれば「ぷっちょ × 進撃の巨人 進撃のちょ人キャンペーン」が判ってもらえると思います。


TVアニメ「進撃の巨人」PV 第2弾の予告編の動画も掲載いたします。


「ぷっちょ」のパッケージに「はんぺいゆは、世界最大級の柑橘類だモン!」とありました。晩白柚は柑橘類で最も重いザボン類に属するのですが、世界最大級が気になってクリックすると拡大調べてみると2005年1月に熊本県八代市川田町東の園田清治さんのハウスで収穫された晩白柚がザボン類(英名:pummelo)の重量世界一としてギネス世界記録に認定されていました。認証された晩白柚は重さ4,858g 、直径26cmで通常の2倍程のバスケットボール程のサイズだったそうです。2005年4月にギネス社へ申請し、2005年6月13日に認定証が届いたそうです。
最初に日本人が元となるザボンに出会ったのは1920年で、美味しかったことからベトナムの植物園から株を分けてもららいましたが栽培法が判らないことから普及しなかったそうです。現在の晩白柚の元になった白柚(ぺいゆ)は1930年に台湾から鹿児島県果樹試験場に株が導入され、最適産地の熊本県八代市地区に根付き、改良が行われた結果、晩白柚として八代市の特産品となったそうです。日本での収穫量は971 トン(2010年)で、その97%が熊本県で生産されているそうです。
クリックすると拡大

追伸
 今日2014年5月23日15時から5月28日夕刻まで関西に出かけます。
 そのため皆さんのところに5月29日まで訪問が出来ないことお許しください。

地元で人気のベトナム料理店 [ハノイ]


クリックすると拡大
ここはベトナム・ハノイのベトナムの人が案内してくれたベトナム料理のシーフード・レストランです。我々がよく行く外国人向けのレストランとは趣が違うので紹介いたします。そして、ここはどくだみの生春巻き鰻とハーブの生春巻きを食べたお店でもあります。外国人は少なく地元の人が利用しているレストランのようでした。料理を選んでくれたのはベトナムの人でした。先ずはアサリのスープです。シンプルで素朴な味わいの美味しいスープでした。アサリとハマグリの中間のような貝でした。

こちらも野菜をゆでただけの素朴な料理で、ベトナムでは初めての経験の料理でした。


何種類かのベトナム独特のタレが用意されていていてそれにつけて食べます。今、つけているのはピーナッツを砕いたものです。これ以外に塩にライムをかけたものもあります。


これはジャガイモの葉を炒めたものです。何でも料理にしてしまうのがベトナムでした。


これは見ての通りイカリングのフライです。上ので紹介したタレをつけて食べます。ベトナムの近海では南洋イカが沢山獲れるのでスルメも沢山あります。日本料理店では新鮮なイカの刺身も食べれます。
クリックすると拡大

クリックすると拡大地元で人気の秘密の理由の一つが、これです。
こちらのレストランの売りにしているのが、チェコ(Czech)の生ビールです。実はベトナムの人もビールが好きなのです。銘柄はČeská KORUNAです。私がビールが好きなことを知っていてくれました。
右の写真はネットに掲載されていたお店のビールサーバーです。この写真が掲載されていたことからもビールを売りにしているお店であることが、うかがえました。


黒ビールもありました。もちろんこちらも生ビールでした。


やっぱり鶏料理は美味しいです。新鮮な鶏がたべれます。こちらも自分の好みのタレをつけて食べます。
クリックすると拡大

酸辛湯(サンラータン)とトムヤンクのような味のスープでした。これはお薦めのスープです。名前はわからなかったのですが、この写真を見せれば注文できると思います。
クリックすると拡大

小さなお椀にスープを移してご飯を入れるのがベトナム風です。ご飯がスープの下に見えるのがわかってもらえると思います。


すでに紹介したウナギとハーブの生春巻きです。本当は、両サイドのライスペーパーを折り曲げるのですが、具が長すぎたので巻くだけにいたしました。
クリックすると拡大

こちらがお店です。日本人だけで行くのは難しいお店ですが紹介しておきます。
括弧( )内はベトナム語です。
 名前 Song Loc Restaurant (Nhà hàng Song Lộc)
 住所 35 Lac Trung street, Ha noi
     (35 Lạc Trung, Hai Bà Trưng Ha Noi )
 電話 04-3636-7307


ネームカードをもらってきましたが全てベトナム語でした。


地図の緑色マーク付近に今回のレストランNhà hàng Song Lộcがありました。今回のレストランNhà hàng Song Lộcはハノイの中心部からは少し離れた場所にありました。
空色マークは以前に伊勢海老料理を食べたレストランBiennbo Ⅱです。
黄色マークは外国人にも人気のベトナム料理店Lan Viênです。

より大きな地図で ハノイ レストラン  を表示

ピッツバーグの路面電車 [ピッツバーグ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
クリックすると拡大144歳のケーブルカーを紹介しましたが、次は124歳の路面電車です。ピッツバーグにも路面電車がありました。結構有名みたいです。見えている路面電車の駅名はステーションスクエア駅(Station Square Station)です。ピッツバーグのケーブルカーは1870年、路面電車は1890年に出来たそうです。路面電車は今から124年前に出来たとのことになります。現在、ダウンタウンの中では地下鉄となって走っています。
ただし写真の場所は一般の自動車とは分離されていました。路面電車と一般の電車の両面を持ったシステムでした。この写真の場所は、すでに紹介した上流側のケーブルカー(Monongahela Inclines)の乗り場のすぐ横です。
Station Square Stationからダウンタウンの中は次のように走ります。緑色の部分が地下鉄になっています。
Station Square Station→鉄橋→First Avenue Station→ →Steel Plaza Station→Wood Street Station→Gateway Station→North Side Station→ →Allegheny Station

ステーションスクエア駅→鉄橋→ファーストアベニュー駅→ →スティールプラザ駅→ウッドストリート駅→ケートウェイ駅→ノースサイド駅→ →アラゲイニー駅

鉄道の下を路面電車が通っています。その奥の方はトンネルです。トンネルの中を走る路面電車もめずらしいですね。このトンネルはすでに紹介した丘Coal Hillの下を走って丘の向こう側ら続いているのです。トンネルを抜けて南の郊外には線路は2つに分かれてLibrary Station(ライブラリー駅)とSouth Hills Village Station(サウス・ヒルズ・ビレッジ駅)まで行きます。
クリックすると拡大

一般車両と分離しているのに路面電車と表現しているのは一般車両とは分離されていましたが、バスと共用の道路だったからです。トンネルの奥からこちらに来るのはバスです。トンネルの向こう側は住宅地で衛星写真で見るとほとんどが一般道路と分離されておりました。このトンネルの部分だけが路面のようです。
クリックすると拡大

上の写真はクリックすると拡大しますが、クリックが面倒な方のためにバスの部分を拡大いたしました。このバス路線はSouth Busway (Sバスウェイ)と呼ばれており1960年代に路面電車と段階的に入れ替える目的で登場いたしました。現在は路面電車とバス路線の両方が使われている段階のようです。
クリックすると拡大

クリックすると拡大ピッツバーグの昔の路面電車を紹介したかったのでネットから写真を拝借いたしました。上の段の右の写真は1985年の路面電車で、左の写真は1972年ものです。下の段の左側の写真は1967年の写真です。この写真から橋の正面に駅があったことが判ります。右の1915年の写真では線路の横を馬車が走っていました。これら写真の場所はトンネルの正面にあるSmithfield Street Bridge(スミスフィールド通り橋)です。
クリックすると拡大クリックすると拡大
クリックすると拡大クリックすると拡大

ステーションスクエア駅の近くにはステーションスクエア(Station Aquare)がありました。バックに写っている丘が Coal Hill で、丘の上は高級住宅地です。すでに紹介したシーフードレストランサンドイッチ店があります。ここから丘の上には紹介したケーブルカーで登ることが出来ます。


ここが路面電車の写真を撮った場所です。今は左下のトンネルから出てきて、右に急カーブで曲がってステーションスクエア駅に向かっています。昔はトンネル出た後に真っ直ぐで目の前の橋の上を路面電車が走っていきました。左上にはすでに紹介したケーブルカーが写っています。

大きな地図で見る航空写真の中の
青色ラインが路面電車のトンネルです。
オレンジ色ラインがSmithfield Street Bridgeで赤色ラインがケーブルカーです。緑色ラインは今は無くなったケーブルカーです。青緑ラインはダウンタウン内を走る路面電車(地下鉄)でフットボール場のハインツフィールドの近くのAllegheny Station(アラゲイニー駅)まで行きます。

より大きな地図で 路面電車のトンネル を表示
こちらがトンネルの反対側の出口です。

より大きな地図で 路面電車のトンネル出口 を表示
紫色ラインが丘のトンネルを出た後の南側の郊外の路面電車です。青色マークは路面電車の終点駅です。黄色マークは宿泊したホテルの場所です。Google地図で計測した結果、路面電車の総延長はで33.75km(=ダウンタウン 3.93km + トンネル 1.13km + 郊外 28.75km)でした。

より大きな地図で ピッツバーグの路面電車 を表示
路面電車とは関係ありませんがカーネギーメルン大学やピッツバーグ大学のあるオークランド地区も有名なので、そのあたりの航空写真を掲載いたします。
カーネギーメロン大学あたりのストリートビューです。→ポチッ
黄色マークは宿泊したホテルの場所です。

より大きな地図で ピッツバーグの文教地区 を表示

131年前の橋 今は通勤路 [ピッツバーグ]


クリックすると拡大
朝7時ごろモノガンヒラ川にかかるこの橋を歩いて通勤する人を沢山見かけました。
先日、144年前に作られたケーブルカーが通勤に使われていることを紹介いたしましたが、そのケーブルカーに乗って通勤する人が必ず歩いて渡るのがこちらの橋なのです。橋の名前はスミスフィールド通り橋(Smithfield Street Bridge) 川幅は315mで橋の長さは361mです。

上の写真はケーブルカーのある丘側からダウンタウンの方を撮った写真ですが、下の写真はダウンタウン側の橋の上から丘側を撮った写真です。なかなか変った造りの橋でした。クリックすると拡大設計者のMr. Gustav Lindenthal は、33年後に右の写真のニューヨークにあるHell Gate Bridge(ヘルゲート橋 1916年9月30日完成)を設計したことでも有名な建築家です。Hell Gate Bridgeの写真はWikimediaから拝借いたしました。
    名前 Smithfield Street Bridge スミスフィールド通り橋
    川名 Monongahela River     マノンガヒラ川
    構造 Lenticular truss bridge   レンズ状のトラス橋 
    設計 Mr. Gustav Lindenthal (1850年5月21日~1935年7月31日) 
    全長 361m(1184feet)
    橋桁 110m x 2 (スパン 360feet x 2)
    高さ 13 m(水面からのクリアランス 42.5feet)
    開通 1883年3月19日
クリックすると拡大


オレンジのラインがSmithfield Street Bridge(スミスフィールド通り橋) の通勤で使われる歩道の部分です。赤色ラインが現存する144年前に作られたケーブルカーで緑色のラインはその時代に存在した巨大な貨物用のケーブルカーです。巨大な貨物用のケーブルカーは今はありません。

より大きな地図で Smithfield Street Bridge を表示
1846年に最初のつり橋が出来て現在の形式に造りかえられたのが131年前の1883年だそうです。 ピッツバーグの繁栄の時代ですね。古い写真はネットから写真を拝借します。この写真は1881年の建設中の写真です。
ネット拝借

そう言えばこの橋の真正面が掲載した路面電車のトンネルでした。改めて時代を感じます。渡っているのも馬車です。
ネット拝借

例のケーブルカーも写っています。ダウンタウンから丘を見た写真ですね。
ネット拝借

すでにここでは現在の橋飾と同じですね。そして一般の車とはすでに分離されていました。半分は道路 半分は路面電車ですね。
ネット拝借

あの高級住宅地からケーブルカーで下りて来てこの橋を渡るとすぐにダウンタウンです。歩いてこんなルートを通勤できるなんて本当に羨ましい。
この車社会のアメリカでもめずらしい存在かも。若い女性も沢山歩いているのを見かけます。安全な場所でもある証拠ですね。私も安心して歩きました。


この写真をクリックしてみてください。芸実的な骨組みが見れます。


この写真の左端のビルはピッツバークで有名なPPG本社ビルです。
ネットで調べると「PPG社は、1883年に設立されたアメリカで最初のガラス製造会社で、社名のPPGは、ピッツバーグで誕生したガラス会社という意味を込め Pittsburgh Plate Glassの頭文字を取ったものです。」と説明されていました。


Mtワシントンの丘の上からの写真です。
一番手前の橋がスミスフィールド通り橋(Smithfield Street Bridge)です。
橋からはケーブルカーもよく見えます。写真をクリックして表示される広範囲が写った写真では2番目にスミスフィールド通り橋が写っています。


昔と同じ構図の写真があったので掲載します。ネットの写真は1908年です。
SORI撮影
ネット拝借

1985年と現在を比較したものです。1985年には現在の高層ビルが出来ていたことがわかります。現在の路面電車は路面電車専用の橋が上流側出来ています。
SORI撮影
ネット拝借

真っ赤なチャイナドレス [北京]


クリックすると別画面
北京で式典に出席する機会がありました。式典では真っ赤なチャイナドレスを着た女性が主役です。長い演説よりも赤ドレスの女性の方々に目が行ってしまいました。

出番を待っているところです。同じ色のチャイナドレスの人が10人揃うと壮観です。一見は7人のように見えますが最前列と4列目と最後尾が2名です。 


10名の内訳はテープカットのテープを持つ人が8名でハサミを渡す人が2名でした。

クリックすると別画面


大役が終わったあとはホッとしたのか、笑顔も出ていました。


式典は工事を始める起工式(中国語では開工典礼/开工典礼)でした。
来賓の受付から終了までの写真です。 開=开(簡体字)




ジンベイザメとマンタを見てきました。 [沖縄]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
沖縄美ら海水族館(Okinawa Churaumi Aquarium おきなわ・ちゅらうみ・すいぞくかん)は巨大な水槽にジンベイザメとマンタが泳いでいることを聞いていたので是非行ってみたいと思っていました。
前日にホテルの人に沖縄美ら海水族館の開館時間とカーナビに入力するための電話番号を確認しました。開館が8時半と結構早くから開いていることを知って、一番の6時半に朝食を食べてホテルを7時に出発し、途中で瀬底島に寄り道しましたが、水族館に8時半に到着しました。
確かに、すごい大迫力の景観に満足させられました。沖縄観光の目玉の一つになっているようです。

ネットで書かれていたジンベイザメ の説明は下記の通りです。
成長すると10〜12mになる。魚類の中では最大種。世界の熱帯から亜熱帯の表層に生息する。当館に寄せられる沖縄本島での確認情報は5〜6月頃が多い。模様が夏着の甚平に似ていることからジンベエと名付けられたとされている。大きな身体をしているが動物プランクトン等の小さな餌しか食べない極めて穏和なサメで、ダイバーが近づいても逃げようとしない。サンゴの産卵時期には水面に漂う卵を食べたり、時には立ち泳ぎをしながら水面近くの餌を食べることが知られている。当館でも、給餌解説の際には約100リットルの海水とともに餌のオキアミを大きな口を開けて吸い込む、豪快な給餌シーンを見ることができる。生態はほとんどわかっておらず、1995年、台湾で捕獲された母ザメの体内から約300個体の胎児が見つかったことで胎生であることが判明した。
  学 名 :Rhincodon typus
  英 名 :Whale Shark
  沖縄名:ミズサバ
近づいて来るとなかなかの迫力でした。


ジンベイザメを3匹同時に撮れました。写真をクリックして拡大すると判りやすいと思います。

                            
こちらの写真もよく見ると3匹写っています。


クリックすると拡大ジンベイザメとマンタの共演の連続写真を掲載いたします。マンタも大きいです。大きなジンベイザメに、引けを取らない大きさです。こちらの水族館は世界で初めてマンタ繁殖に成功したそうです。写真をクリックすると個別に並べた拡大写真を表示します。
ネットに書かれていたオニイトマキエイ 通称マンタの説明を枠内に転記いたします。
幅6.8m、体重2tの記録があるが更に大きくなると推定される。エイ類の最大種。通常、沖縄以南の全世界の温・熱帯海域に生息する。飼育や餌付けに成功したのは当館が世界で初めて。大きな体をしているが主に小さなプランクトンを食べるおとなしいエイ。下顎の歯は米粒より小さく、上顎には歯がない。泳ぎながら頭の前縁にある大きな口を開けて、頭にあるヒレ(頭鰭)をのばして口の中に餌を流し込むようにして食べる。通称マンタと呼ばれ、ダイバーにも人気がある。腹の黒い斑紋で個体識別ができる。
  学 名 :Manta birostris
  英 名 :Manta Ray
  沖縄名:ガマーカマンタ
クリックすると個別写真を表示

迫力のある水族館を実現しているのが高さ8.2m、幅22.5m、厚さ600mm、総重量は130トンの巨大なアクリル板です。このアクリル板が2002年11月1日に、2つのギネスの認定を受けました。右が「世界最大の水族館観賞用窓」で左が「世界最大のアクリルパネル」です。
今は2008年11月4日にオープンしたドバイ・モールのドバイ水族館 の高さ8.3m、幅32.88m、厚さ750mm、総重量は245.61トンがギネス世界記録を持っています。ただしアクリルパネルを作ったのは日本の同じ製造メーカーだったと思います。
クリックすると拡大

大水槽以外の魚たちも紹介しておきます。イソギンチャクがきれいです。クマノミもカラフルです。


この水槽はサンゴが題材のようです。
クリックすると拡大

ミノカサゴ は大変きれいですが毒の棘があるので要注意の魚です。
モーリシャスから南日本にかけてのインド・西太平洋域に分布。国内では北海道南部以南で確認されています。沿岸の岩礁域に生息し、単独性。岩に沿ってゆっくりと泳ぎながら、小型の魚類やエビなどを捕らえて食べます。同属のハナミノカサゴ とは、尾びれや頭部腹面の斑紋、眼上皮弁の発達具合などから識別できます。
  分類: 脊索動物門 条鰭綱 カサゴ目 フサカサゴ科
  学名: Pterois lunulata
  英名: Luna lionfish


ご存知、海のギャングと呼ばれているウツボです。
クリックすると拡大

穴子の種類のチンアナゴ でガーデンイールの仲間では最もよく知られた種類です。
高知県、琉球列島からインド洋、西部太平洋に分布する。サンゴ礁外縁部の潮通しのよい砂底に群れをなして生息するそうです。後半身は砂に入り、頭胸部を外に出して潮の流れの方に頭を向け、流れてくる動物プランクトンを摂食している姿が可愛いですね。頭部側面に黒点を持つのが特徴です。和名は顔つきがイヌのチンに似ていることからつけられたそうです。
  学名:Heteroconger hassi
  英名:Spotted Garden Eel
昼間のアナゴは海底の砂泥中や岩石のすき間にひそみます。砂泥底に生息する種類は集団を作り、巣穴から頭だけ、もしくは半身を海中に乗り出しています。和名の「アナゴ」はこの生態に由来するそうですむ。なお、この様が庭園に規則的に植えられた草木のようであることから、英語ではアナゴ類のことを"Garden eel(ガーデンイール)"ともよばれています。
クリックすると拡大

変わった哺乳類も展示されていました。
あ、間違い!失礼しました。水族館の方でした。水槽を掃除しているところです。


大水槽でも沢山の人が働かれていました。毎日、大変な仕事でしょうね。
クリックすると拡大

右は入館券です。
可愛いジンベイザメがデザインになっています。
 住所 沖縄県国頭郡本部町字石川424番地
 電話 0980-48-3748(カーナビ入力)
 開館 08:30~20:00(3月〜9月)
    08:30~18:30(10月〜2月)
    入館締切は閉館の1時間前です。 
 料金 大人    1800円
    高校生   1200円
    小中学生   600円

水族館の入口です。
こちらでも甚平鮫が向かえてくれていました。


沖縄美ら海水族館は1975年7月20日〜1976年1月18日に開催された沖縄国際海洋博覧会 の会場を公園として整備した海洋博公園(正式名は国営沖縄記念公園 )の中に2002年11月1日に完成しました。広い海洋博公園内には水族館以外にも沢山の施設があります。
特に沖縄美ら海水族館の周辺は魅力的な施設が多くあります。写真にもオキちゃん劇場やイルカラグーンが写っており、そこではショーが行われます。うれしいことに水族館以外の、これらの施設は入場無料です。オキちゃんショーは11時からです。イルカラグーンショーは11時半からなので時間を合わせて水族館を見学されるといいと思います。目の前には海が広がっています。正面の島は伊江島で、真中の山は標高172.2mの城山(ぐすくやま)です。伊江島では落花生が作られていることをRinkoさんにコメントで教えていただきました。伊江島産の黒糖と混ぜ合わせて作る黒糖ピーナッツを食べてみたくなりました。


オキちゃん劇場のオキちゃんです。11時からのショーのための朝の特訓中でした。ショーは11:00 13:00 14:30 16:00から15分間です。 3月〜9月は18:00にもあります。
クリックすると拡大

マナティー館のマナティー(Manatee)ちゃんです。人魚と見間違えられた哺乳動物で丸しゃもじのような尾びれが印象的でした。


ウミガメ館にはウミガメも沢山いました。


水族館の前の海岸はエメラルドビーチと呼ばれています。残念ながら、この日は曇り空でしたが、晴れるとその名の通りエメラルト色の海が続いているそうです。
クリックすると拡大

別館 Photo蔵 ┐(´ー`)┌フッさんの黒潮探検ツアー@美ら海水族館にトラックバックしています。
Vaio-x さんの水族館 動画 HD画質にトラックバックしています。
はしちゃんさんのはしちゃんin沖縄(美ら海水族館)にトラックバックしています。

石造りの天文台 [北京]



早朝の散歩をしているときに北京の天安門の前を通っている大通り(建国路)沿いに城壁のような建物を見つけました。近代的なビルが並ぶ中に古い建物がポツンと残されている感じでした。

その壁には古観象台と書かれていました。
さっそくネット で調べると、ここは「北京古観象台」(Beijing Guguan Xiangtai)で、現存する世界で最も古い天文台(1442年)と書かれていました。ただし現存する最も古い天文台と言うのは解釈によっては正確ではないかもしれません。たとえば韓国・慶州の瞻星台と言う天文台は7世紀だそうです。
明、清の時代の皇帝の天文台として使われたもので、現在のように古代の天文観測器具などを展示した博物館となったのは1956年のことです。屋上には古代の天文観測機械の展示があります。


朝早くて中に入れませんでしたが、確かに屋上に天文観測機械らしきものを視ることが出来ます。クリックすると拡大します。
クリックすると拡大

地図で場所を紹介いたします。緑色マークが北京古観象台です。
天安門が空色マークです。

より大きな地図で 北京古観象台 を表示
ネットで説明されている内容を枠内に転記いたします。
クリックすると拡大建国門立体交差の東南方向に位置する。元の大都の時代、至元16年(1279)以来の歴史を有する世界最古の観象台である。元の大都の時代にはここが都城の城壁の東南隅であり、観象台上にはイスラム暦学による観測儀器が備えられた。明代になり、朱元璋が南京に遷都すると儀器は南京へと移されたが、その後、明の正統帝の時代に復興されて「観星台」の名で呼ばれ、清代へと引き継がれ「観象台」の名に改められた。清初の順治年間には、イエズス会宣教師のアダム・シャールが欽天監(国立天文台のような機関)の長官となり、観象台も暦法を治めるアダム・シャールによって指揮されることとなった。康熙年間に入ると、欽天監内部のイエズス会宣教師等による西洋新暦派と、イスラム暦法派勢力との間で暦法の主導権を奪い合う「暦法対立」が生じ、一時イスラム暦法派が勢力を得たものも、結局、西洋新暦派が勝利し、以降清末の19世紀初頭まで欽天監の長官には代々暦学に精通する西洋人宣教師が就任した。観象台も欽天監の長官の指揮の下におかれ、日々欽天監の官生らによって測天作業が行われ、朝廷に観測結果の報告がなされた。
現在、観象台の台上には、8種の青銅製の観測儀器が備えられているが、そのうちの赤道経緯儀、黄道経緯儀、地平経儀、象限儀、紀限儀、天体儀は康熙年間初頭の欽天監の長官であったベルギー人のイエズス会士フェルビーストによって作製され設置されたものである。1900年に義和団の乱を鎮圧するため8か国連合が北京に進軍すると台上の儀器も持ち去られたが、第一次大戦後のベルサイユ条約の定めに従って中華民国の時代に順に返還された。
  FEE   :F 10元
  OPEN :9:00~16:00
  ADD  :東城区建国門東裱褙胡同2号
  TEL   :(010)6524-2202

昨日、掲載させてもらった猫ちゃんの話題です。 → ポチッ

丘の上の住宅地 [ピッツバーグ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
上の写真は、すでに紹介したゴールデン・トライアングルを見下ろせる丘にあるすばらしい夜景が見れるシーフードレストランから、丘の上の住宅地を撮ったものです。有名なサンドイッチ店もあるし、羨ましい住宅地です。

どれくらいで買えるのかな。
丘の上の不動産屋さんのウインドーの中にあったチラシでこのあたりの住宅の価格を確認して見ました。建物の写真はウインドーの中のチラシの写真のためガラスで反射して鮮明でないこと了承願います。
クリックすると拡大普通の家
 価格 199,000ドル
    (約2000万円)
 ベッドルーム  5
 バスルーム   2

敷地面積とか土地の広さの表示はありませんが写真からかなりの広さであることが想像できました。表示はベッドルームの数とバスルームの数だけです。バスルームが多いです。日本とは生活習慣が違うな! と感じました。
住宅の説明書はクリックすると拡大するので詳しくわかると思います。バスルームの6の内訳はFull Bathsが5でPartial Bathsが1です。車が2台はいる独立した車庫(Detached Garage)もあるようです。
2物件ともに住居(Residence)用です。
大きな家
 価格 345,000ドル
    (約3500万円)
 ベッドルーム  6
 バスルーム   6
クリックすると拡大  

航空写真で住宅地を紹介します。川より南西側の丘が住宅地になっています。北東側の川に挟まれた三画の部分が高層ビルが立ち並ぶダウンタウンです。
住宅地のある丘には「石炭の丘(Coal Hill)」の名前が付けられている通り、製鉄業が盛んだった昔は石炭を採掘する山でした。ピッツバーグではアメリカの鉄の30%~50%の生産した時期もある上に、第二次世界大戦中には、年間に9,500万トンの鉄が生産されました。まさにアメリカの原動力の鉄を作る石炭の丘だったわけです。
その丘は、丘の上の住宅街からケーブルカーで降りたあと歩いて高層ビルが立ち並ぶビジネス街に通勤できる高級住宅地に、変貌したのです。右の写真は橋の上の通勤風景です。
Smithfield Street Bridge (スミスフィールド通り橋)の部分の川幅が315mです。川幅から通勤距離を想像願います。 1時間以上、満員電車で通勤する日本とは大違いだと思いませんか。
クリックすると拡大

鰻とハーブの生春巻き [ハノイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
前記事でどくだみの生春巻きを紹介いたしましたが、本来は今回紹介する鰻とハーブの生春巻きでした。

これが出来あがった生春巻きです。本当は、両サイドのライスペーパーを折り曲げるのですが、具が長すぎたので巻くだけにいたしました。
クリックすると拡大

今回の生春巻きの具のメインはこの鰻です。カラット揚がって、生春巻きに入れないでライムと塩あるいは醤油で食べても美味しかったです。この写真はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大

これが鰻と一緒に入れる野菜とハーブです。野菜としてはモヤシも入っていました。野菜と一緒にライスペーパーも乗って出てきました。
クリックすると拡大

ライスペーパーに鰻と野菜とハーブを乗せて巻きます。すでに紹介したとおりドクダミを一枚(半枚)入れると独特の香りがついて美味しくなります。
クリックすると拡大

ドクダミの生春巻き [ハノイ]



ベトナムには何度か来る機会がありました。レストランの客が外国人中心のレストランが多いのですがベトナムの人が中心のレストランも経験いたしました。そんな中で印象的な料理を紹介いたします。地元のベトナム料理店ではいろんなハーブや野菜とライスペーパーが出されます。シーフードなどと一緒に包んで生春巻きにして食べます。それらのハーブの中に、必ずドクダミが入っています。1枚程度入れるのが普通ですが、試しにドクダミだけの生春巻きを作ってみました。
写真はライスペーパーにドクダミを乗せたところです。これを巻くとドクダミ生春巻きの出来上がりです。

これらのハーブの中からドクダミを使ったのです。ベトナムのドクダミは日本のドクダミと同じですが匂いはソフトなので作ってみました。今までにも何度か生のドクダミ料理を食べる機会がありました。
  中国 成都       → サラダ
  中国 九寨溝      → サラダ
  ベトナム ハティエン  → 生春巻き
  ベトナム ハノイ    → 生春巻き (今回)


IMG_2204-50.jpgこれがドクダミ生春巻きです。これだけ沢山入ると決しておいしい物ではないことが判りました。ただし、食べれない代物でもないことが判りました。やはり右の写真のように一枚または半枚を入れるのが正解です。少し入れると、不思議と、おいしく感じられます。

通勤ケーブルカーは144歳 [ピッツバーグ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
       上流側ケーブルカー              下流側ケーブルカー
      Monongahela Inclines           Duquesne Incline

クリックすると拡大
先日に紹介させていただいたシーフード店からきれいな夜景を見ることが出来たピッツバークの丘には2本のケーブルカーが登っています。2本共に真直線で且つ空中を走っているのが特徴です。どちらがお好みでしょうか。
上の写真の右側のケーブルカーが上流側で、左側が下流側のケーブルカーです。
角度がきついので写真のようなタイプになったようです。それぞれ違うので面白いですね。普通は平行四辺形が多いけれどここのタイプはいずれもあまり見ないタイプです。
ケーブルカーで登った丘の上は住宅街です。「丘の上の住宅地」で紹介した景色は衛星写真で説明すると左上から右下を写したものです。

オリジナルのGoogle航空写真でも2ケ所のケーブルカーの位置を赤色マークで紹介します。緑色マークがすでに紹介した夜景のきれいなシーフード店で、空色マークがサンドイッチ店です。

より大きな地図で ケーブルカー を表示
下流側にあるケーブルカーです。名前はDuquesne Inclineです。こちらは137年前の1877年に建設されました。
クリックすると拡大

別の角度からのケーブルカーです。昼食を食べたサンドイッチ店からり景色です。
クリックすると拡大

下流側のケーブルカーの山頂駅の前には写真のような石碑がありました。中に売店もあり結構人気でお客さんがいっぱいでした。ここからシーフードレストランサンドイッチ店も歩いて1分です。左側の緑ぽい建物が山頂駅です。道路標識にケーブルカーのマークがあります。


下流側のケーブルカー(Duquesne Incline)の麓の駅の写真は撮っていなかったのでWikimediaから写真を転用させていただきました。
クリックすると拡大

ここから上流側のケーブルカーの記事を掲載いたします。
こんなに急ではないけれどモンマルトルの丘のケーブルカーはこのタイプでした。空中は走っていなかったですね。
クリックすると拡大

上流側のケーブルカーを拡大いたしました。
クリックすると拡大

こちらは上流側ケーブルカーの乗り場です。このケーブルカーは144年前の1870年に作られたそうです。朝、散歩している時に丘の上の住宅地からダウンタウへの通勤に使われている人を沢山見かけました。目の前の鉄の橋は133年前の1881年に作られたそうです。
クリックすると拡大

建設当時の写真をネットから見つけました。ケーブルカーと思われるものが2ケ所に写っています。それぞれのケーブルカーの名前はCastle Shannon と Monongahela Inclinesです。写真の左側のケーブルカー(Castle Shannon )は今はありませんなが、写真の右側のケーブルカー(Monongahela Inclines)は今でも使われています。それが上の写真の上流側のケーブルカーです。この写真には1881年前に作られた橋も写っています。
今は通勤用に使われているケーブルカーも昔は石炭の採掘のためだったようです。写真には「Castle Shannon and Monongahela Inclines ascending Coal Hill (Mt. Washington)」と説明されていました。右側のケーブルカーMonongahela Inclinesをよく見ると2本あります。したがってこの写真には3本のケーブルカーが写っていることになります。つまり下流側のケーブルカーも含めると、この時代には少なくとも4本のケーブルカーが存在したことになります。
      完成  1870年5月28日 蒸気駆動   (1870年 = 明治3年)
      改造  1882年 鋼鉄製化
      改造  1935年 電気駆動  
      改造  1994年 現状の駅完成
      長さ  194m(635ft)
      高低  112.59m(369.39ft)
      角度  35度35分
      速度  10km/h (6マイル/h)

クリックすると拡大こちらもネットから1905年の写真を拝借いたしました。こちらも上流側のケーブルカーと思わります。大型(左)と小型(右)のケーブルカーがあります。丘の上の駅の建物の形が1905年も今も同じであることから右側の小型のケーブルカーが今も使われていると思われます。
クリックすると拡大

写真を拡大すると大きい方のケーブルカーの巨大さがよくわかります。大型機材などを馬車ごと乗せることも出来たと思います。右のケーブルカーの形には現在のケーブルカーの面影があります。
クリックすると拡大

昔のケーブルカーも含めた4本のケーブルカーの位置を航空写真に記載しました。
航空写真の中の2本の緑色ラインのケーブルカーは今はありません。
2本の赤色ラインが今も活躍しているケーブルカーです。左上のケーブルカーがサンドイッチ店の近くにあったケーブルカーです。

より大きな地図で ピッツバーグのケーブルカー を表示

丘の上のサンドイッチ店 [ピッツバーグ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
ピッツバーグはサンドイッチが有名です。
ということで昼食は、丘の斜面に屋外の張り出したテラスで、名物のサンドイッチが食べられる人気のレストランにしました。このテラスに出たときは絶句でした。この景色が最高の贅沢です。少し早かったので我々以外は1組だけでしたが、このあとすぐに満席になりました。早めに来てよかった! です。

先日、ピッツバーグの夜景で紹介のダウンタウンです。でも角度が違います。クリックしてみてください。レストランとはすこし違う雰囲気が味わえます。
アレゲニー川(左)とモノガンヒラ川(右)が合流しオハイオ川になります。まさに合流するところにダウンタウンがあります。ゴールデン・トライアングルと言われているみたいです。
クリックすると拡大

これが名物のサンドイッチ 名前はチーズステーキ(cheese steak) メニューにはお店の名前を取って Saloon Cheese Steakと書いていました。
中身は薄い焼いた肉にとろけるチーズです。いかにもアメリカ的ですが見かけと違い美味です。
クリックすると拡大

野菜をタコスで包んだようなタイプもありました。
クリックすると拡大

こんな景色だと昼食ですが、ビールが飲みたくなりました。さっそく生のギネスビールを飲みながらサンドイッチをほうばりました。

この写真は生ビールを注ぐためのレバーです。沢山のレバーがあります。いろんな生ビールが飲めます。上の生ビールは一番右側のギネスです。


このお店はケーブルカーの横にあります。この写真でテラスが張り出している感じと斜面の角度が判ってもらえると思います。ここはすでにオハイオ川ですが水の色を見てください。アレゲニー川とモノガンヒラ川の水の色は違うのです。合流後もはっきりと分かれているのが判ってもらえると思います。
クリックすると拡大

川下の方向の景色です。ケーブルカーもだいぶ上がってきました。ケーブルカーの料金は往復で2ドルほどです。安いです。
クリックすると拡大

ダウンタウンの景色も息を飲みますがフットボールのハインツフィールドもすばらしい。
クルージングの船が川に浮かんだ光景も絵になります。
クリックすると拡大

なぜか昔の潜水艦が係留してありました。展示物だそうです。潜水艦の後の建物にはCarnegie(カーネギー)の文字があります。
鉄鋼王のアンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie)にちなんだ建物のようです。カーネギーは最初からの資産家ではなく、学校も行けずに長い努力と苦労と才能によって鉄鋼王になったことは有名です。


カーネギーに関してネットで調べた内容を記載いたします。
カーネギーは1835年11月25日にスコットランドで手織り職人の長男として生まれ、12歳のとき両親と共にアメリカへの移住しました。そして学校へも行かずに紡績工場で働きました。
何度か転職しピッツバーグ電信局の電報配達の仕事に就きました。その後16歳でモールス信号を耳で聞き分ける特技を身につけて、電信技士に昇格し、秘書兼電信士としてペンシルバニア鉄道に引き抜かれました。責任者が副社長になり、彼は18歳でペンシルバニア鉄道のピッツバーグの責任者になりました。
25歳の1861年に南北戦争が始まると北軍の輸送を支援して、南北戦争終結後にペンシルバニア鉄道を退職し鉄の橋を作るキーストン鉄橋会社を設立し成功しました。その後、時代の流れを読み製鉄事業の規模拡大に力を注ぎ鋼鉄王と呼ばれるようになりました。
しかし、従業員の労働環境は劣悪であったことから65歳の1901年に鉄鋼会社をモルガンへ4億8000万ドルで売却し、翌年に1億ドル以上を投じてカーネギー財団を設立しカーネギー・ホールやカーネギーメロン大学を作るなど慈善活動に専念したそうです。

お店の名前はGrandview Saloon まさに名前の通りのレストランです。同じようなレストランは何軒かあるそうですが「ここがもっともテラスが張り出していると思う」と案内してくれた人が説明してくれました。ネットで検索すると沢山出てきました。やはり有名みたいです。→ポチッ
   名前 The Coal Hill Steakhouse st The Grandview Saloon
   住所 1212 Grandview Ave Pittsburgh, PA 15211
   電話 (412)- 431-1400


場所の紹介のために衛星写真を拝借しました。シーフードレストランとケーブルカーの場所も掲載しました。写真をクリックすると拡大したレストランのテラスがわかるはずです。Googleのストリートビューを見ると、いつの間にか文字の増えた新しい看板になっていました。


追伸
 私の写真が3枚使われているサイトを見つけました。     → ポチッ
 使われていたのは次の3枚です。サイトはtripadvisorです。
 SORI'sから転用していることが、ちゃんと記載されていました。
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
将来、サイト画面が変わってしまうかもしれないので画面のハードコピーを記録しておきます。
クリックすると拡大
クリックすると拡大

ちょっと小洒落た北京の四川料理 [北京]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
先日は四川省政府直営の北京の四川料理店を紹介いたしましたが、今回はちょっと洒落て北京の四川料理店を紹介いたします。
この時の移動は南京⇒済南⇒北京でした。
北京ではチョット辛い料理が食べたくなったので四川料理にいたしました。偶然ですがこの日が私の誕生日だったのです。写真の中の唐辛子は味付けのみ、この唐辛子の中に埋まった海老と野菜だけ食べます。ビールが合いますね。

次は定番の麻婆豆腐 さすが四川料理専門店の麻婆豆腐!
クリックすると拡大

チャーハンの上に麻婆豆腐と思って頼んだ福建チャーハン
麻婆豆腐を上に乗せる必要もなく美味しくて辛いあんが乗っていました。麻婆チャーハンを食べるもくろみは失敗 でも、この料理は結構いけてました。これが福建炒飯だったのです。
クリックすると拡大

きのこスープ さすが北京で繁盛しているお店のスープて感じ


今日のメインデッシュ 値段もこの日の勘定の半分を占めます。 もちろん活きた海の魚を料理 これもおいしい! 
頼むと右のように生きたハタ系の魚を持ってきて「これでいいですか?」と確認されます。刺身で食べたくなる魚でした。
クリックすると拡大

これはホイコーロ(豚肉と野菜の炒め物) 


この日は日本人ばかり4人の食事でした。北京の知り合いの人に薦められて、こちらにしました。
これがレストランのなかの風景 中華とは思えないでしょう!
皆さんワインを飲まれていました。もちろん我々もワインを注文 !
さすが北京! 都会です。  アベックも多い!
この後すぐに満席になりました。お店を紹介します。
ここは2000年に開店した一号店でその後、北京だけでなく全国各地に広がったようです。
 店名 俏江南 SOUTH BEAUTY
 場所 朝陽区建国門外大街1号 国際貿易中心大厦西楼2階
 電話 010-6505-0809
クリックすると拡大

レストランの場所を地図でも紹介します。
空色マークが今回紹介の四川料理のレストラン「俏江南」で、緑色マークが前回に紹介した四川省政府が直営している四川料理店「貢院蜀楼」です。

より大きな地図で 北京のレストラン を表示

帰りにお茶のお店によって試茶!!



追伸
四川料理の翌日の晩は広東料理で旧正月の忘年会(新年会)をいたしました。広東料理は日本人の口に最も合う中華料理のカテゴリーと言われています。
一つのテーブルで大人数で楽しみます。
この日はアルコール濃度が52%の白酒で始まりましたが、やっぱりきついので途中から38%の白酒に代えてもらいました。


中華料理のカテゴリー
山東料理 四川料理 揚州料理 広東料理 福建料理 浙江料理 湖南料理 安徽料理 北京料理 上海料理 江蘇料理 雲南料理 台湾料理 . . . . . . . . . . . . 

インターネット引用(中国国家観光局)
山東料理四川料理揚州料理広東料理四大料理であるが、それにさっばりした福建料理、味が純粋な浙江料理、辛い湖南料理と味が濃い安徽料理を加えれば八大料理になる。それにまた北京料理上海料理を加えると十大料理になる。

熊本の叔父さんからクインシーメロンが届きました。 [九州]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
熊本の叔父さんからスイカに引き続き2014年5月3日にメロンが届きました。今回いただいたメロンはクインシーという品種でした。立派なくクインシーが6個も入っていました。叔父さんありがとうございます。

箱に「ましき」と書かれていることから、先日に頂いたスイカと同じく熊本県上益城郡益城町で生産されたメロンのようです。
箱に書かれている「よかよか うまか かみましき」が印象的でした。
これはJAかみましきのキャッチフレーズで、よかよか=とてもいい、うまか=おいしい、という熊本の方言を使い、上益城の農産物は良い品物でおいしいというイメージを表現しているそうです。箱に書かれている階級のLAはメロンの果径を表しています。またメロンの等級は、一番上から秀・優・良と分類されており、今回のメロンは一番上の秀であることが書かれていました。
スイカの生産量は熊本県が全国一位です。実は熊本県はメロンの生産量も多くて全国で3位(集計によっては2位)なのです。


クインシーは見事なネット系メロンでした。ネット系メロンは、成長過程で果肉が果皮よりも大きくなろうとして、その時に果皮がひび割れてしまい、このひび割れをふさごうとしてできたコルク層がネット模様になるそうです。クインシーメロンは1988年(昭和63年)にヨーロッパ系赤肉メロン「ボレロ」とアールス夏系7号」を交配して生まれたものに「スーパタチブ゙」を交雑して優秀な赤肉を育成し、さらに「新宝玉の固定系×ふかみどりの固定系」との交配後を経て育成された品種とされています。


さっそく食べるために切ってみました。オレンジ色の見事な果肉でした。
クインシーメロンはカロテンを非常に多く含む赤肉系ネットメロンで、果肉は厚く緻密で、肉色は見ての通りオレンジ色で、甘みが強くジューシーなメロンと書かれていました。食べた時の甘さの質が、アンデスメロンやアールスメロンなどと微妙に違い特徴のある風味が感じられるそうです。
クインシーメロンの名前の由来は、赤肉なので女性的ということで『クイーン』、カロテンたっぷりで健康的なので『ヘルシー』、この二語からの造語だそうです。
クリックすると拡大

食べるために切り分けました。切るとさらに果肉の赤肉が際立って見えました。
クリックすると拡大

メロンのスイカの分類比較とメロンの種類は次の通りです。メロンは沢山の種類があります。農林水産省の品種登録情報ページによれば2011年時点で78種類の品種が登録されています。ここでは、その一部を紹介いたします。クインシーメロン以外の写真はネットから転用させていただきました。
        メロン        スイカ(科まではメロンと同じ)
  門 : 被子植物門  Magnoliophyta  被子植物門  Magnoliophyta
  綱 : 双子葉植物綱 Magnoliopsida  双子葉植物綱 Magnoliopsida
  目 : スミレ目   Violales     スミレ目   Violales
  科 : ウリ科    Cucurbitaceae  ウリ科    Cucurbitaceae
  属 : キュウリ属  Cucumis     スイカ属   Citrullus
  種 : メロン    Cucumis melo  スイカ     Citrullus lanatus  
名前皮表面皮色果肉
マスクメロン(アールス)ネット
夕張メロンネットオレンジ
アンデスメロンネット
クインシーメロンネットオレンジ
アムスメロンネット濃緑
タカミメロン(貴味メロン)ネット
オトメメロンネット
ルピアレッドネットオレンジ
プリンスメロン滑らか淡緑緑+オレンジ
ホームランメロン滑らか
ハニーデューメロン滑らか淡緑淡緑
キンショウメロン滑らか
レノンネットオレンジ
キスミーネット
 マスクメロン   夕張メロン  アンデスメロン  クインシーメロン
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
アムスメロン タカミメロン オトメメロン  ルピアレッド プリンスメロン
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大
ホームランメロン ハニーデューメロン キンショウメロン レノン キスミー
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大


全国の2012年の収穫量は次の通りです。片方にだけ入っている千葉県以外の数値は類似していることからメロンとして集計する品種の違いかもしれません。
ちなみに人口当たりのメロン生産量では熊本県が一位です。
 3位と表示されているサイト
   1 茨城県 41900 22.8%    6 静岡県  9460  5.4%
   2 北海道 29700 16.9%    7 愛知県  8730  5.0%
   3 熊本県 26500 15.0%   8 長崎県  3020  1.7%
   4 山形県 12400  7.0%    9 宮崎県  2540  1.4%
   5 青森県 11100  6.3%   10 鳥取道  1260  0.7%
                       合計 176300 トン/年
 2位と表示されているサイト
   1 茨城県 43200 23.9%    6 静岡県 10300  5.7%
   2 熊本県 28200 15.6%   7 愛知県  8940 5.0%
   3 北海道 27900 15.5%    8 千葉県  8580  4.8%
   4 山形県 13000  7.4%    9 長崎県  2890  1.6%
   5 青森県 11000  6.1%   10 宮崎県  2800  1.6%
                        合計 180400 トン/年
最後に拡大写真を掲載させていただきます。クリックすると特別に大きく拡大するので、クインシーメロンの瑞々しさと独特の甘さを感じてもらえるかもしれません。
クリックすると拡大

クリックが面倒な方のために拡大写真を掲載いたしました。
クリックすると拡大

参考に茨城県のメロンの出荷時期をネットから転用させていただきました。
クリックすると拡大

熊本県の特産品を紹介いたします。全国一位の農産物が「いぐさ」、「デコポン」、「カスミソウ」、「なつみかん」、「トマト」、「すいか」と沢山あります。この表にはありませんが柿の王様である太秋柿(たいしゅうがき)も熊本県が日本一でした。「くり」、「なす」、「メロン」、「いちご」、「しょうが」など2位、3位の物も沢山ありました。
クリックすると拡大

清の時代の宮廷料理店 白家大院 [北京]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大します。
クリックすると拡大します。一昨日に右の写真の花びらのサラダを紹介した清の時代の宮廷料理を再現したしたレストランですが、このお店は清の時代の皇帝の兄弟だった人が住んでいた家だそうです。本宅ではなくて別荘のような使われ方だったそうです。この中には築300年の建物もあるそうです。こちらの黄色い服の女性が最初から最後まで面倒を見てくれました。
クリックすると拡大します。「白家大院」の中も案内してくれたし、最後はこの道路の門まで見送ってくれました。木の靴(下駄)を履いているのが印象的でした。クリックすると木の下駄が判ってもらえると思います。
実は2000年(14年前)ごろにレンストランとして利用するようになり、その時に名前を「白家大院」にしたそうです。 それまでは「楽家花園」と呼ばれていました。建設当初は作った人の名前から「禮親王楽園」と呼ばれいました。約14年前までの使い方は?と案内してくれた女性に尋ねると中学校として使っていたそうです。清の時代の皇族の食卓を再現したものだそうです。中国文では「再現清朝宮廷飲食文化」と記載されていました。

レストランの入口です。ここが道路に面した最初の門です。白家大院の看板が判ってもらえると思います。
クリックすると拡大します。

ここから奥に進んでいきます。車が沢山停まっています。最初の門から二番目の門までの間の道です。


道を進むと「白家大院」にたどり着きました。ここの門の前には星条旗の付いた車が停まっていました。ナンバープレートに赤の「使」の文字があったので、たぶん2台ともアメリカ大使館の車です。時間は13時50分で皆さんが帰る時間帯でした。我々はこれから昼食にしたので「白家大院」全体を独占することになりました。


沢山の店員さんが迎えてくれました。いらっしゃいませ! と言う感じです。


この人が門から部屋まで案内してくれました。時々振り向きながら静かに案内をしてくれました。この緑の服の方も最後まで面倒を見てくれました。
食事をする場所は庭園の中に点在している昔の住居を利用しています。こちらの写真もクリックすると木の靴を履いていることが判ってもらえると思います。
クリックすると拡大します。

「白家大院」の中は池のある大きな庭と言う感じで建物がところどころにありました。我々は一組だけは入れる建物の中で食事をしました。ちょっと贅沢ですね。大きな部屋では踊りなども行われるそうです。
クリックすると拡大します。

食事をした個室の前から見た池の景色です。
クリックすると拡大します。

航空写真を紹介します。この緑の部分が白家大院で、この緑の中に個室やホールなどの建物が点在しているのです。広い敷地の中の贅沢な空間でした。緑の木々の中に沢山の建物があるのが判ってもらえると思いますが、その中の一軒(個室)で食事をさせてもらいました。


クリックすると拡大黄色を基調としたテーブルです。右の写真のように食器も黄色で統一されていました。ここでは料理も美味しいけれど食べる雰囲気が最高のご馳走かも知れません。
通常は、一際高いナプキンが飾られてある席がホスト席ですが、こちらではテーブルのセットはすべて同じでした。でも、ちゃんとホスト席の目印があります。
一つだけ椅子が違うのがわかりますか。ここがホスト席です。勘定を支払う人が、この席に座ります。左端の布がかかっていない大きな木の椅子です。
クリックすると拡大します。

クリックすると拡大上の写真ではホスト席の木の椅子が判りにくいかと思い、別の写真を掲載させていただきました。中央の席より少し左側に木の椅子があることが判ってもらえると思います。その他の椅子にはすべて布がかかった椅子で、龍の絵との文字が印象的でした。秘儀の写真のように料理の器にも龍が描かれる徹底ぶりなのには驚かされました。
クリックすると拡大します。

各自のセッテングはこのようになっています。


沢山の女性の人たちが料理やビールを持ってきてくれました。
他のお客さんが帰ったあとのためかもしれません。でも必ず責任者が一部屋に一人付いてくれるのが中国なので安心です。黄色い服の女性に緑の服の女性に加えて赤い服の女性の3人の女性の方が我々の個室(建物)に付いてくれました。右の写真で、木の椅子に私が座らされたことが判ってもらえると思います。
クリックすると拡大

庭を背景に撮らしてもらいました。女性の衣装は少数民族の一つ満族のものです。頭の飾りが独特です。満族はこのレストランの歴史の舞台である清朝の支配民族でした。こちらの女性の薄化粧が新鮮で印象的でした。
クリックすると拡大

料理を運ぶ人もすべて民族衣装を着ています。


屋外にもテーブルを設けていました。このときは5月で気候がよかったので夜は屋内も屋外も満席になるそうです。
クリックすると拡大します。

食事の後は黄色の服の女性にお願いして庭を少し散策させてもらいました。
クリックすると拡大します。

飾り付けも見事でした。緑の多い広い庭であることが判っていただけたと思います。
クリックすると拡大します。

昔に高貴な人たちが使った牛車も庭に展示されていました。
クリックすると拡大します。

クリックすると拡大します。我々が帰ったのは15時36分だったので我々が帰る時間には車は1台も残っていませんでした。来た時には右の写真のように沢山の車が停まっていました。結局13時50分から15時36分までの1時間46分の昼食を楽しんだことになります。


お店を紹介いたします。青色マークが今回紹介の白家大院で、黄色マークが先日に紹介した北京ダックのお店の羲和雅苑です。
クリックすると拡大します。マイナスのアイコンを数度クリックすると北京の中のおおよその場所がわかると思います。右の方を含めて3名の女性の方が我々の部屋の世話をしていただけました。
  店名 白家大院       クリックすると拡大
  住所 北京市海淀区蘇州街15号
  電話 010-6265-8851
  時間 10:30~22:30(L.O.22:00)
  営業 年中無休

より大きな地図で北京のレストランを表示
この冒頭の写真が、食事が終わって帰る時に黄色い服の女性が道路のところまで見送りに出てきてもらった写真だったのです。それが「こちらの黄色い服の女性が最初から最後まで面倒を見てくれました。」説明させていただいた意味だったのです。
料理の記事はこちらです。→ポチッ
クリックすると拡大します。

キンランの森 [植物]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
先日、野生のクマガイソウ(熊谷草)の咲いている山を紹介しましたが、その山には今までに見たことのないほどの数のキンラン(金蘭)が咲いている森だったのです。

目立たない小さなラン(蘭)なので写真で、その数の多さを実感してもらうのは難しいけれども出来る限り紹介したいと思います。この写真のように広い範囲に点々とキンランが咲いていました。写真をクリックしてもらうと拡大するので沢山のキンランの花が確認できると思います。ここだけでなく山全体、森全体にキンランが咲いていました。
クリックすると拡大

残念なことですがキンランも盗掘されている形跡かありました。ただしクマガイソウほどの被害ではない上に目印や柵などの保護が行われ始めたようなので、是非とも、この群生した景観を後世に引き継いでもらいたいと思います。
クリックすると拡大

大きな株が密集して咲いているところもありました。
キンランは人工栽培はきわめて難しい植物です。
多くのラン科植物の共生している菌根菌はリゾクトニアなどの、落ち葉や倒木などを栄養源にして独立生活している腐生菌です。 ところがキンランが依存している菌は腐生菌ではなく、樹木の根に外菌根を形成する樹木共生菌です。そのような外菌根の菌は炭素源を共生相手の樹木から供給されているため、その生存には特定種の樹木が必要不可欠で、その菌から栄養分を吸収しているキンランは、樹木の作った栄養を、菌を通じて間接的に摂取しながら生きているために、蘭のなかでも、きわめて人工栽培が難しい植物であることから、キンランを見つけても採取せずに自生している場所で鑑賞してほしいのです。
クリックすると拡大

さらに大きな株が密集して咲いているところもありました。私の家の近所の雑木林にもキンランが咲きますが、これほど立派なキンランは見たことがありませんでした。
クリックすると拡大

沢山の花を付けたキンランを見つけました。これほどの数の花を付けた株を見たのは初めてでした。それも3株が密集して咲いているのは圧巻でした。周囲が明るくなると、このようにキンランは花を広げます。暗くなると花を窄めて半開き状態になります。
クリックすると拡大

見事に群生したキンランも見つけました。これほどの大きな群生を見たのは初めてでした。キンランはクマガイソウと同じラン科の植物です。元々、日本では、ありふれた和ランの一種でしたが、1990年代ころから急激に数を減らし、1997年に環境省レッドリストの絶滅危惧II類(VU)にしていされました。
  門 : 被子植物門  Magnoliophyta
  綱 : 単子葉植物綱 Liliopsida
  目 : ラン目    Orchidales
  科 : ラン科    Orchidaceae
  属 : キンラン属  Cephalanthera
  種 : キンラン   Cephalanthera falcata (Thunb.) Blume
クリックすると拡大

同じ森の中に咲いていた花たちをいくつか紹介いたします。
ラン科のエビネ(海老根)も、このように咲いていました。野生のエビネを見たのは久しぶりでした。エビネは園芸種として沢山栽培されていますが野生のエビネは少なくなっています。そのため環境省のレッドリストの準絶滅危惧(NT)に指定されています。総個体数は全国で約20,000、平均減少率は約60%だそうです。減少の主要因は、園芸用の採集、森林の伐採、土地造成であると推定されています。また多くの都道府県のレッドリストでは絶滅寸前(CR)・絶滅危惧種(EN)・危急種(VU)・準絶滅危惧(NT)の種に指定されています。このことからも、このエビネが非常に貴重であることが判ってもらえると思います。最近は園芸種が広まっていることから相対的に原種エビネの園芸需要が減って盗掘も少なくなっているそうです。減少率60%の定義は10年間で60%減少することです。つまり10年前の40%の数になるほどの減少率なのです。
  門 : 被子植物門  Magnoliophyta
  綱 : 単子葉植物綱 Liliopsida
  目 : ラン目    Orchidales
  科 : ラン科    Orchidaceae
  属 : エビネ属   Calanthe
  種 : エビネ    Calanthe discolor
クリックすると拡大

こちらもラン科です。すでに紹介したたクマガイソウ(熊谷草)です。ここは貴重な野生植物の咲いている貴重な森でした。
  門 : 被子植物門   Magnoliophyta
  綱 : 単子葉植物綱  Liliopsida
  目 : ラン目     Orchidales
  科 : ラン科     Orchidaceae
  属 : アツモリソウ属 Cypripedium
  種 : クマガイソウ  Cypripedium japonicum
クリックすると記事を表示

小さなギンラン(銀蘭)も見つけました。キンランが沢山咲いている割にはギンランは少なかったです。以前にもギンランの記事を書きました。
  門 : 被子植物門  Magnoliophyta
  綱 : 単子葉植物綱 Liliopsida
  目 : ラン目    Orchidales
  科 : ラン科    Orchidaceae
  属 : キンラン属  Cephalanthera
  種 : ギンラン   Cephalanthera erecta (Thunb.) Blume
クリックすると拡大

マムシグサやウラシマソウも沢山咲いていました。
こちらはマムシグサまたはアオマムシグサです。ここで紹介した以外にイカリソウやヤマユリもありました。その他にも沢山の貴重な野草が生育しているようでした。
  門 : 被子植物門    Magnoliophyta
  綱 : 単子葉植物綱   Liliopsida
  目 : サトイモ目    Arales
  科 : サトイモ科    Araceae
  属 : テンナンショウ属 Arisaema
  種 : マムシグサ    Arisaema serratum
クリックすると拡大

レッドデータブックカテゴリー
1997年に発表された環境省レッドデータブックで採用されているカテゴリーと定義を枠内に記載します。
 キンラン   VU
 エビネ    NT
 クマガイソウ VU
EX 絶滅  (Extinct)
     日本では既に絶滅したと考えられる種
EW 野生絶滅  (Extinct in the Wild)
     飼育・栽培下でのみ存続している種
CR 絶滅危惧IA類  (Critically Endangered)
      ごく近い将来に野生での絶滅の危険性が極めて高いもの
EN 絶滅危惧IB類  (Endangered)
   IA類ほどではないが、近い将来に野生での絶滅の危険性が高いもの
VU 絶滅危惧II類  (Vulnerable)
     絶滅の危険が増大している種
NT 準絶滅危惧  (Near Threatened)
     存続基盤が脆弱な種
DD 情報不足  (Data Deficient)
     評価するだけの情報が不足している種
LP 絶滅のおそれのある地域個体群 (Threatened Local Population)
     地域的に孤立している個体群で、絶滅のおそれが高いもの
下記の区分は環境省のレッドブックが参考にしているIUCN(国際自然保護連合 International Union for Conservation of Nature and Natural Resources)の基準(2001,ver.3.1)の減少数と個体数の関係を示したものです。あくまでも参考です。定性的な正確な調査をしている間に絶滅してしまう笑えない話になってはいけないので、確実な情報がある場合や情報が少ない場合などで柔軟に決めているようです。特に情報が少ないものは安全サイドの判断がなされているようです。本IUCNの基準の区分は福島県内の絶滅危惧種のモニタリング報告会調査結果に参考に添付されていたものを引用させていただきました。
クリックすると拡大

花びらのサラダ 白家大院 [北京]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

清の時代の宮廷料理を再現した白家大院の料理を紹介します。こちらのレストランは由緒あるある場所で、この時もアメリカ大使館の車が何台か停まっていました。
お店の紹介は後日に行いますので先ずは料理の写真を楽しんでください。
クリックすると拡大します。一番最初の料理として出てきて、度肝を抜かれたのが上の写真の花びらのサラダです。それが見かけが美しいだけでなくて、食べてみて美味しいのに驚きました。ドレッシンがよかったのだと思います。沢山食べてしまいました。レストランの名前である白家大院をネットで検索すると必ずこの花のサラダが掲載されていました。皆さん、このサラダに感激するみたいです。私は花に驚いたのではなく美味しいに驚きでした。花のサラダをネットで調べると、こちらのお店では妃子笑というそうです。

花弁のサラダを実感してもらうために拡大いたしました。


最初に料理の写真を紹介いたしましたが、席に座ると先ずは料理の前にお菓子とお茶が出てきました。


緑茶のようですが香りの高い凍頂烏龍茶です。緑茶も頼みました。ゆっくりと会話を楽しんでから先ずは花びらのサラダでした。すでにお気づきかもしれませんが茶菓子以外の料理の食器はすべて黄色主体の同じ模様に統一されていました。高貴な色なのかもしれません。


花のサラダに引き続き前菜が出てきます。この中で始めて食べたのが左の真中です。白菜の辛し和えです。食べた瞬間にその辛さに驚きましたがなれると癖になる味でした。ビールを飲みながら料理が出てくるのを待ちます。


鶏肉とナッツの料理です。
クリックすると拡大

パパイヤを器にしたスープです。器自体も食べれます。

               蓋を開けると
白い寒天状のものはコラーゲンタップリの高価で珍しいものだと聞きました。冗談なのか本当なのか、わかりませんが蛙コラーゲンだと言われました。恐る恐る食べましたが美味しかったです。
クリックすると拡大

海老チリです。大型の海老で食べ応えがありました。海老料理は王道ですね。


より美味しさをお伝えするために拡大写真を掲載しました。


野菜料理です。シャキシャキ感のある料理でした。


こちらの野菜料理も拡大写真を添付いたしまするニンニクのみじん切りが入っていることがわかってもらえると思います。


烏賊とチンゲン菜の料理です。
クリックすると拡大

豆とトウモロコシの料理です。
クリックすると拡大

アスパラです。
クリックすると拡大

セロリとユリ根とクコの実の料理です。
クリックすると拡大

マナガツオの料理です。
中国では魚は煮る、揚げる、蒸すが普通ですがフライパンで焼かれていました。中国で焼き魚に近い状態の料理は初めてでした。なかなか美味しかったです。


中華料理では珍しい焼き魚も拡大いたしました。


肉をパンで挟んだものです。


肉団子のスープです。 やっぱりスープ物は美味しいですね。
クリックすると拡大

デザートは2種類出ました。ことらが最初のデザートの饅頭です。
クリックすると拡大

こちらが最後にデザートの饅頭です。一人づつ選びます。選んだ饅頭で冒頭の小さい写真の中の黄色い服を着た女性が占いをしてくれます。私は真中の饅頭を選びました。名前は「宮廷面点」というそうです。
ちなみに白家大院とは「白さんの大邸宅」という意味だそうです。
クリックすると拡大

お店を紹介いたします。青色マークが今回紹介の白家大院で、黄色マークが先日に紹介した北京ダックのレストラン羲和雅苑です。
クリックすると拡大します。マイナスのアイコンを数度クリックすると北京の中のおおよその場所がわかると思います。右の方を含めて3名の女性の方が我々の部屋の世話をしていただけました。
  店名 白家大院    クリックすると拡大
  住所 北京市海淀区蘇州街15号
  電話 010-6265-8851
  時間 10:30~22:30(L.O.22:00)
  営業 年中無休

より大きな地図で北京のレストランを表示

本格四川料理は庶民の味方 [北京]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大                           
これが北京っ子の間で人気の四川料理店 の麻婆豆腐です。

北京はレストランの料理の値段が非常に高いところです。地方に比べて北京の料理の値段は3倍くらいだと思いますが、実感としては地方から北京に来ると同じような料理を食べると5倍くらいに感じてしまいます。
この日、夕飯はなにがいいかと聞かれたので四川料理を希望すると、いいお店があると言って四川省出身の人がアレンジをしてくれお店です。
行ってみて驚きました。店の外まで行列の出来るお店だったのです。


店内にも待合室が設けられており沢山の人が順番を待っていました。四川省出身の人が味は本格的な四川料理と太鼓判を押してくれたお店でもありました。おいしいお店は沢山の人が入ることの証明ですね。


行列の出来る理由は値段が安いこともあるそうです。確かに料理も一皿300円程度です。高級な活きた桂魚の料理でも1000円程度で食べられるのです。担々麺は80円程度でした。確かに物価の高い北京でこの値段は安いです。


お店のカードをもらってきたので掲載します。
左が表で右が裏です。表の4文字「貢院蜀楼 」がお店の名前だと思います。地図には「川京辧 」とも書かれていました。調べてみると川は四川、京は北京、辧は事務所を表していることから川京辧 は四川省北京事務所の意味のようです。こちらでの正式レストラン名は四川省駐京弁餐廳で別名が貢院蜀楼だそうです。近くには長安大戲院 国際飯店 中糧廣場などの文字も読み取れます。クリックすると地図の部分を拡大します。
クリックすると地図の部分を拡大

入口にも同じ文字「貢院蜀楼」が書かれていたので間違いないと思いますが「貢院」は住所でもあるのです。ネットで調べると「四川省駐京弁餐廳 」とも「四川省人民政府駐北京弁事処 」と言われており四川省が監督する四川料理店で北京で一番人気の四川料理店と書かれていました。クリックすると拡大略して「川京辧」ようです。
 店名 四川省駐京弁餐廳 貢院蜀楼 / 川办餐庁
 住所 北京市建国門内貢院頭條5号
 TEL 010-6512-2277
クリックすると拡大

我々が食べた大広間の風景です。個室も沢山ありますが一週間前に予約しないと取れないので、大広間のテーブル席を予約しました。時間は午後6時からですが、お店の人から「午後5時に来て席を確保してください」と頼まれたので1人だけ1時間早くここに来てもらいました。おそらく席が空いていると待たされているお客さんからクレームされるのだと思います。


会社帰りの人や恋人同士や家族と思われる人が、入れ替わり立ち代り入ってきました。中国でこんな雰囲気のお店は初めてでした。白酒(パイチュウ)を乾杯する姿は見当たりません。ビールなどを自由に飲んでいる感じです。見た印象は違いますが日本の居酒屋に相当する場所に感じました。都会は変わってきていることを感じてしまいました。


それでは注文した料理を紹介いたします。
先ずは蒸し鶏を粉唐辛子につけて食べます。なかなかおいしい食べ方でした。家でも出来そうですがおいしい皮付き鶏肉である必要がありそうです。
クリックすると拡大

野菜です。魚料理以外はお皿が小さいため少人数でも沢山の種類の料理が楽しめます。カップルの人も沢山入っていました。


山椒の実と一緒に煮た肉料理です。山椒の実は除いて食べますが身に山椒の味がしみ込んでいました。
クリックすると拡大

薄い豚肉の料理です。これらの料理はすべて四川省出身の人に選んでもらいました。


スライスした肉に辛いタレをかけた料理でタレにの付けかたで辛さが調整できるのがよかったです。
クリックすると拡大

冒頭の写真の麻婆豆腐です。麻婆豆腐だけはこちらからお願いしました。四川料理と言えば、これは外せないですね。今回はビールがものすごく進みました。
クリックすると拡大

麻婆豆腐の味を感じていただくために拡大写真も掲載いたしました。
クリックすると拡大

スープも頼みました。鶏肉をベースにしたスープでこれは辛くありませんでした。量は多かったので5人では飲みきれませんでした。


やはりメインは桂魚です。辛いタレがかけられいますが、身にはしみ込ませていないので、辛いタレと混ざり具合を調整しながら食べられので、おいしく食べれました。
クリックすると拡大

ワンタンと水餃子も頼みました。
クリックすると拡大

最後は坦々麺(担々麺)です。これはなかなかの辛さのものでした。
席の確保が難しいお店ですが安くておいしいお店でした。ほんと四川省出身の人にいいお店を紹介してもらい感謝です。
クリックすると拡大

Google地図でお店の位置を紹介いたします。緑色マークがお店の場所です。

より大きな地図で 北京のレストラン を表示

ピッツバーグの夜景 [ピッツバーグ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
前記事で台湾の高雄の町の夜景を紹介したので、ここではアメリカのピッツバーグの町の夜景を紹介いたします。上の写真は午後6時38分です。この時間から定点観測的に時間を追って夜景を紹介いたします。
ピッツバーグ(Pittsburgh)という町をご存じですか。鉄の町としてアメリカを支えてきた町です。そして2006年に野球のオールスターが開催された町です。一番下の写真に照明で浮かび上がった球場が見えます。
2006年のフットボールのスーパーボールの優勝チーム・ピッツバーグスティーラーズのある町なのです。5回目のスーパーボール優勝だそうです。
スティーラーズ(Steelers)の名前は鉄鋼の町にちなんで付けられたそうです。
鉄鋼の町と言われるように昔はスモッグで有名な町でした。今は上の写真の通り空気は澄んだすばらしい町です。

午後8時33分 すこし暗くなり始めました。
ここに来るまではアメリカの普通の町としか印象がなかったけれど、この景色を見たとたん綺麗なすばらしい町であることが判りました。もちろんダウンタウンを歩いても感じました。写真の中で最も高い高層ビルは256mのUSスチールタワーです。もちろんピッツバーグで一番の高さです。世界では190番目で、アメリカでは44番目の高さです。USスチールのビルというところが、鉄の町である証しなのかもしれません。


午後8時42分 夜景の雰囲気が出てきました。
絶好のポジションからの景色に出会えたのはケーブルカーで登った丘の上に建つマンションの最上階にある有名なシーフード・レストランで食事をする機会があり、そのレストランでも、この景色が常に見ることが出来るコーナーの席を用意してくれたために食事をしながらも時間を負った写真を撮ることが出来ました。


午後8時52分 夜景の領域ですね。
レストランの中でもこの景色が見れるコーナーは2フロアの一か所づつ、計2か所ですが、一か所は格式が高いフォーマルなフロアーなので写真を何度も撮ることは出来ません。我々に用意してもらった席は気楽に写真が撮れるカジュアルな方のフロアーのコーナーの席でした。
クリックすると拡大

午後8時59分 短時間の間に暗くなっていきます。
上野写真と7分違いです。
アレゲニー川(左)とモノンガヒラ川(右)が合流しオハイオ川になります。この合流場所はゴールデン・トライアングルと呼ばれています。
クリックすると拡大

午後9時36分 こちらが最後の写真です。
このレストランで最も景色が綺麗に見える場所で食事が出来たのは、このレストランをよく利用している方がレストランに特別にお願いしてくれたからでした。この写真を撮るために3時間ビールなどを飲み続けました。
ここはMt.Washingtonの上の高層マンションの最上階にあるONTEREY BAY FISH GROTTOというクリックすると拡大シーフード料理を食べさせるレストランです。ピッツバーグで最も有名なレストランの一つであるため、大リーグやフットボールのスーパースターも食事をしたと思います。一緒に食事をした地元の人もイチローに会った(見た?)と言っていました。ただし話し方から別のレストランで会った感じでした。こちらのお店でも食事をしたのではないでしょうか。
クリックすると拡大

最高の場所だと分かる写真を紹介します。
クリックすると拡大

連続のアニメーション写真にしてみました。
クリックすると拡大

有名人がよく来る場所だからなのか、このあたりは下の写真のような車がよく通ります。この車はこの広~い曲がり角(レストランの前)を3回も切り返さないと曲がれなかったです。曲がりきるまで見ていました。
誤解のないよう! 映画のシーンでは良く見かけますが、実際のスーパースターは、このような車には乗りません。


ここからは町全体が見渡せます。写真をクリックしてみてください。大きく拡大します。このパノラマ写真は4枚の写真をつなぎ合わせて作ってみました。夜景なので解像度はよくありませんが、いろんな建物が確認できると思います。煌々と照明が付いているのはオールスターが開催されたパイレーツの本拠地の野球場です。真っ暗ですが正面に今年のフットボール・スーパーボール優勝のスティラーズの本拠地ハインツフィールドです。
夜景の写真は8月4日です。そして8月5日の朝5時30分にホテルを出て成田に着いたのは8月6日の15時でした。つまりピッツバーグでの最後の晩餐だったのです。
クリックすると拡大

航空写真の緑色マークがレストランONTEREY BAY FISH GROTTOです。川の合流地点の小高い丘の上なので、最高の景色が見れる場所に建っていることが判ってもらえると思います。表示が航空写真ではなく地図の場合は地図上の写真をクリックしてみてください。

より大きな地図で ピッツバーグ を表示

高雄の夜景 [台湾]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
台湾の高雄の夜景です。高雄の海鮮料理で手甲海老を紹介したので今度は景色を紹介いたします。昔から高雄には何度も来ていますが、高雄はきれいになりました。景色を時間を追って紹介いたします。

18:09の夜景です。
クリックすると拡大
              もう少し時間が経つと
18:22の夜景です。
クリックすると拡大
              さらに時間が経つと暗くなってしまいます。 (笑)
もっと夜景を撮りたかったのですが、前記事で紹介した手甲海老の海鮮料理を食べに行って、帰ってきて写真を撮るつもりでしたが、そのまま寝てしまいました。気が付くと時間は朝の5:35でした。でもまだ暗いので夜景の内かな。 

あこがれの野生の熊谷草に出会えました。 [植物]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
今年(2014年)の6月末から7月初にかけて学生時代のサイクリングの友人の長野県の家にワンコを連れて車で遊びに行く予定です。家のワンコはペットホテルが苦手なことから、連れて行く必要があります。今までワンコは車で長距離を乗ったことがないので練習を兼ねて2014年5月3日にあまり人には知られていないけれども散策路のある山まで車で行ってみました。

山道にはいろんな野草が咲いていました。その中に熊谷草(クマガイソウ)が見事な花を咲かしていたのです。これを見るまで、この山に熊谷草が生えていることは知りませんでした。
今や、熊谷草は栽培のための乱獲によって自生を見ることが出来るのは、有名な場所だけになってしまいました。その絶滅に瀕しているクマガイソウに、名もない山で出会えるとは信じられないことでした。それも見事な熊谷草でした。
クリックすると拡大

花を拡大してみました、見事な熊谷草であることが判ってもらえると思います。クマガイソウは環境省のレッドデータブックで絶滅危惧II類(VU)とされています。県レベルではさらに高いレベルで絶滅が危惧されている県もあるそうです。
 門 : 被子植物門   Magnoliophyta
 綱 : 単子葉植物綱  Liliopsida
 目 : ラン目     Orchidales
 科 : ラン科     Orchidaceae
 属 : アツモリソウ属 Cypripedium
 種 : クマガイソウ  Cypripedium japonicum
クリックすると拡大

花をさらに拡大いたしました。クリックするとさらに拡大します。
クマガイソウの名は、膨らんだ形の唇弁を背中に母衣(ほろ 背面からの流れ矢を防ぐ目的の布)を背負った昔の武士である熊谷直実に見立ててつけられたそうです。
同じように名前が付けられたラン科の植物が、右の写真のクリックすると拡大アツモリソウ(敦盛草)で、こちらは平敦盛に見立てられています。花色から源氏の白旗(クマガイソウ)、平氏の赤旗(アツモリソウ) に見立て命名されたとの説もあります。右の写真は比較のためにネットから拝借させていただいたアツモリソウです。熊谷草の花は径8cmmほどで、敦盛草の花は径5cmほどだそうです。
クリックすると拡大

すこし角度を変えた写真も紹介いたします。こちらもクリックすると拡大いたします。
クリックすると拡大

正面から見た花です。花の中央の穴の中が少し見えます。
クリックすると拡大

穴の中にピントを合わせてみました。クリックすると拡大するので是非ともクマガイソウの内部を見てもらいたいです。
クリックすると拡大

クマガイソウは無菌播種による増殖技術が確立されていないことから、他のランのように実生増殖した苗を大量供給することはできないこともあり悪質なマニアや業者に乱獲、盗掘され続けています。そのために逆に公開することで盗掘を少しでも減らすようにしているのです。
ここでもわざわざ、熊谷草がの場所が判るように木の枝で囲っているのです。


しかしながら、世間に知られていない自生地は盗掘の危険は高いようです。上の写真と同じように枝で囲われており、少し前までは上と同じような熊谷草が咲いていたと思われますが、今は黄色の丸印の部分に小さな苗が一つ生えているだけでした。熊谷草の痕跡あることから盗掘されてしまった可能性が高いのです。このように保護していたと思われるけれどもなくなってしまったところを沢山見かけました。
クリックすると拡大

斜面に作られた柵は熊谷草をまもっているものだと思われます。目印の細い竹が沢山建てられていることから、その場所に熊谷草が生えているのだと想像されます。
クリックすると拡大

柵の中の写真です。柵の中に沢山の熊谷草が咲いているはずでしたが、熊谷草が密集しているのは一か所だけでした。他の目印の下には大きな熊谷草は生えていませんでした。ほんと残念です。本来ならば今回の場所も皆さんにお教えしてみんなで楽しんでもらいたいのですが、このような状況なので場所をお教えすることが出来ないのです。関東の某所とだけお伝えします。
クリックすると拡大

このように熊谷草(クマガイソウ)の保護のために縄が張られ、地権者一同からのお願いの紙が貼られたところが沢山ありましたが、このように熊谷草が残されているところは稀でした。上で紹介した近種の敦盛草(アツモリソウ)も栽培目的で最も激しく乱獲、盗掘されるラン科の植物ですが、無菌播種が開発されて大量の苗を生産することが可能になりました。残念ながらクマガイソウは、まだ無菌播種は開発されていないそうです。


上の保護のための縄の周りにもさらに縄が張られていました。昔はこの周囲に熊谷草が群生していたのだと思います。
いろんな場所に熊谷草が生えていた痕跡がありました。おそらく9割以上は盗掘で無くなってしまった印象でした。幸いにも新しく掘られたような跡はなかったので、保護されることで、昔のように沢山繁殖することを願っております。持ち帰っても環境が変われば短い時間で枯れてしまう可能性が高いと思います。仮に長く長らえさせることが出来ても繁殖は難しい植物であることから、いつかは枯れてしまいます。自然の環境の中で育てて入れば、繁殖が期待できるのでいつまでも咲き続けて皆さんの目を楽しませてくれるので、そっと見守ってほしいと思います。2020年にも見に行きました。→ポチッ
クリックすると拡大

美味しい本格インド料理 [インド]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
IMGP3003-974.jpg
最近はインドで美味しいインド料理が食べれる機会が多くなりました。しかし、昔は何度もインドにに行っていましたが昔は口に合わないことが多いので、インド料理は敬遠していました。そんな経験の中で、すばらしく美味しいインド料理に出会えたのがハイデラバード(HYDERABAD)のホテルでした。その時のインド料理が上の写真です。それは2004年のことでした。

バナナの皮をひいた銀のお皿の上に料理が並ぶ豪華で本格派なインド料理で、フォークもナイフもスプーンもありません。手で食べます。今でも、これだけ美味しいインド料理に出会えることは滅多にありません。 ナンもパイ生地風や普通のものもありました。



屋外のレストランで本格的なインド料理を食べる機会がありました。インドは暑い国なので屋外で食べる機会は初めてのことでした。
場所はチェンナイ(CHENNAI)のTaj Connemara Hotel の屋外レストランです。1996年にマドラス (Madras) から正式にチェンナイに改名されました。
インドは暑くて屋外で食事なんて!とインドに行ったことがある人は思うはずです。 ところが驚いたことに意外とこの屋外レストランだけは涼しかったのです。i廻りに沢山の木を植えてあるのが関係していると思われました。でも暑いときもあるかも!このときは使っていなかったけれど沢山扇風機がありました。インドの屋外で、涼しく食事をするのは最高の贅沢なのかもしれません。


欧米人の人が中心で広い庭園のレストランは満席になりました。


そこで食べた料理がこちらです。カレーと鶏肉料理です。薄く焼いたパン生地でカレーを食べました。
IMGP4895-848.jpg

我々のテーブルの写真も紹介いたします。一人、インドの人がいると料理を選ぶのが助かります。やっぱりインド料理にはビールですね。この時は4人でいただきました。


下のように目の前で料理も!
IMGP4874-480.jpg  

丸いのはナンとは違うもので写真のように焼きます。
IMGP4894-480.jpg

屋外ステージではいろんなインドの音楽や踊りが行われて、雰囲気を盛り上げてくれました。
IMGP4883-480.jpg  

画像はよくありませんが動画も撮ったので紹介します。プレーボタンをクリックすると踊りの動画を表示します。


もちろん伴奏も生演奏でした。


下記の地図の緑色マークがチェンナイのTaj Connemara Hotel の位置です。地図上のアイコンプラスを数回クリックすると詳細の位置が判ってくると思います。空色マークは冒頭で紹介したハイデラバードです。

より大きな地図で Taj Connemara Hotel を表示
インドとパキスタンで訪問した町です。

より大きな地図で 訪れた町 を表示