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ワンコも2回目となると蓼科旅行はリラックス [蓼科]



クリックすると1回目の時の記事を表示我家のワンコ(ムサシ)の2回目の車での長距離旅行の様子を紹介します。今回は車の中で初めとの時違いリラックスしていました。
右の写真は初めて時(2014年6月30日)は、ほとんどこの姿勢で寝ることもなく緊張している様子でしたが今回はいろんな方向に関心を持っているようでした。犬を連れての泊まりの旅行も2回目でした。

前回と同じ蓼科の友人宅を目指しました。実は友人宅を利用させてもらう旅行のリピーターだったのです。最初に前回も来た御射鹿池を目指しました。紅葉の御射鹿池を見てきたかったのです。


前回の行きの時は、お座りの姿勢で身動きもせずに一睡もしませんでしたが、今回はぐっすりと寝る場面も多かったです。車内も動き回って敷物もぐちゃぐちゃになってしまいました。前回は敷物が最後まで乱れることはなかったことからも、リラックス度の違いが判ってもらえると思います。


友人宅についても前回と違い、すぐに自分で2階のキッチンに上がり、袋に入った焼きたてのパンを袋を破って1枚食べてしまいました。友人の奥さん曰く、一瞬のことだったようです。家に入った途端に、焼きたてのパンの匂いですぐに2階に上がっていったのかもしれません。パンに味にしめたためか、その後もテーブルの上に関心を示していました。


前回はこのようなことがなかったことから、友人宅でも、リラックスした様子でした。


リラックスしてくると、やっぱり、お行儀が悪いです。
きっと、人がいなかったらテーブルに飛び上がっていたと思います。
今回は、やんちゃぶりを見せてしまいました。我々が上高地に日帰旅行に行っている間には得意技の扉開けを友人宅でも披露してしまいました。我々が家に帰ってくると扉の前に椅子が置かれており、そのことを知りました。
右の動画は我が家での扉開けです。ムサシが扉を開けれるようになったのは次の年齢です。現在は14歳7ケ月です。
  押して開ける    6歳8ケ月
  引いて開ける   8歳4ケ月
  スライド式扉   13歳5ケ月


クリックすると拡大リビングにあった大きな丸いソファーにも、あつかましくすぐに寝ていました。フカフカのソファーが気持ち良かったようです。実は丸いぶ厚いソファーは友人宅の1歳のアレックス君(右の写真)のベットだったのです。ムサシは、この丸いソファーがワンちゃん用のベットだとすぐに判ったようでした。ムサシが大きなアレックス君を怖がって吠えてしまうのでアレックス君はムサシが家の中にいる間は、お外でした。アレックス君はお友達になろうとして近づいてくれるので、ほんと、申し訳なかったです。


私も長い運転の後なので広いリビングでリラックスさせてもらいました。私が寝ている間に撮られました。ワンコが寝るとベッドは凹んでいますが、寝ていない時は凸の状態のベットなのです。フカフカ具合が判ってもらえると思います。それにしても凹んでいなくてもワンちゃんベットだとよくわかったと思います。私は、あまりにも大きいので人間用の低いソファーだと思っていました。この大きなフカフカのベッドが気に入ったようなので、買ってあげるために探しているのですが、まだ売っているところが見つかっていません。メーカー名はKIRKLANDです。

これはなんでしょう。 [日々]



ハンドルがついています。これはなんでしょう。
答えは「手回し充電式懐中電灯」でした。
クリックするとIKEAのHPIKEAで買ってきました。右のようにIKEAブランドです。ハンドルを20~30回ほど回すと、約1.5分点灯するそうです。
変わったデザインですが手回しするときに力が入れやすい形なのだと感じました。今回の手回し懐中電灯はIKEAにしては珍しく中国製でした。 クリックすると拡大デザイナーは右のAnna Efverlundです。赤いネックレスが同じ色です。この色がデザイナーの特徴のようです。イケア(IKEA)は、スウェーデンが発祥の地で、ヨーロッパ・北米・アジア・オセアニアなど世界に出店している従業員数120,000人、売上高2兆1,000億円の世界最大の家具販売店です。日本でも有名になりました。

お土産は各種ハーブ 蓼科ハーバルノート [蓼科]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2014年10月20日~22日に蓼科の友人宅に行っていました。友人宅から歩いて行けるほどの距離のところにハーブで有名なお店があるので、お土産を買いに行きました。前回来た時(2014年6月30日~7月2日)の帰る日に寄るつもりでしたが定休日(水曜日)であることを当日に知って断念したのでした。今回も帰宅日が水曜日だったことから友人宅に行く前に、こちらの蓼科ハーバルノートに寄りお土産を買いました。

有名なお店なので立派な建物を想像していましたが、想像と違い質素な小さな建物でした。この建物は開拓農家の小屋を借り受けて最初に始めた小屋だそうです。つまりハーバルノートの生まれた場所で、この地域の開拓当初のままに建物を大切に使っているそうです。外観は小さく見えますが小屋の中には沢山のハーブが置かれた充実した空間でした。私はワンコと外で留守番していましたが、内部が気になって車にムサシを入れて小屋の中に入らせていただきました。
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小さな小屋であることが判ってもらえると思います。手前と奥のつながった2つの建物でハーブが売られていました。オーナーの萩尾エリ子はハーブ、アロマテラピー、園芸などをテーマに講演や執筆活動を行っておられる有名なハーブ研究家です。それではショップを紹介します。萩尾エリ子さんの写真はネットから転用させていただきました。
クリックすると拡大 店名  蓼科ハーバルノート・シンプルズ
      Tateshina HARBAL NOTE simples
 住所  長野県茅野市豊平10284
 電話  0266-76-2282
 営業  9:00~18:00
 定休  水曜日
 オーナ 萩尾エリ子 (写真)
 URL  http://www.herbalnote.co.jp/


店内の写真は撮らなかったのでお店の入口の写真を紹介します。
いくつかのハーブの本も並べられていました。ここに並んでいる以外に下記の萩尾エリ子の著書があります。
  八ヶ岳の食卓 flavours from the forest
  ハーブ(シンプル&ナチュラル)
  ハーブの図鑑(見て、読んで育てて使いきる)


買ったお土産を紹介いたします。個々の説明は下でさせていただきます。
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左が「スー/空気のゆりかご ルーム・フレッシュナー」1080円で、寝る前に寝室で空中にスプレーして使っています。5種類くらいの中からラベンダーとマンダリンと木の香りの最もオーソドックスで薄い香りのなものを選んだそうです。
右が「プラナロム・マッサージオイル」4104円です。マッサージオイルも家内が毎日使っていますが、すごく、いいと言っていました。マッサージオイルには「ペパーミント」、「ヨーロッパアカマツ」、「ブラックスプールス」、「シナモンカッシア」、「レモン」、「ホホバオイル」、「ファーナスオイル」の7種類のプラナロム社製の純粋植物精油/植物油だけで出来ているそうです。
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こちらが「オリジナル・バスハーブ4種セット」1901円です。
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こちらは「プチポム Petite Pomme 4個組」464円です。家に帰ってすぐにバスに入れて入浴いたしました。ほのかな香りがよかったです。
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左がNATURAL FLAVOR TEAの「アグレイ マッハッタン 40g袋」536円で、右が月桂樹の葉「ローレル(ベイ) 20g袋」216円です。
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こちらが「カントリーガーデン・ティー 3種パック」1534円です。
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下の写真もティーで、名前は「セクシー 20g袋」497円です。
参考になると思うのでレシートも添付いたしました。この時も若い女性の方が数組ほど来られていました。
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蓼科ハーバルノーの場所を地図でも紹介します。地図上のアイコンマイナスを数回クリックすると広範囲を表示するので、場所が判ってくると思います。

より大きな地図で 蓼科ハーバルノート を表示

田代池 [上高地]


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大正池から河童橋の間に田代池があります。上の写真のように田代池は趣のあるところでした。ただし田代池は沢山の木で隠れてしまっていることから、田代池から水が流れ出るところの少しの隙間から見ることになります。つまり木の奥に大きな田代池が隠れているのです。

黄色のライン( ━━ )が散策路ですが、田代池は散策路から少し離れていることから、立ち寄らないで通り過ぎてしまう方もおられました。大正池の方(航空写真の下側)から歩いてくると案内板に右方向に田代池と書かれていて、左方向に河童橋と書かれて、つい河童橋の方に行ってしまうのではないかと感じました。田代池まで距離が無いので立ち寄ることをお薦めします。この航空写真からも水路の奥に大きな田代池が広がっていることが判ってもらえると思います。

より大きな地図で 蓼科→上高地 を表示
少し離れて撮りました。手前の砂利の部分が見学場所です。田代池は大正池とともに、大正時代の1915年に焼岳の噴火により流れ出た溶岩が梓川左岸の支流である千丈沢をせき止めたことでできた浅い池です。六百山や霞沢岳からの伏流水が湧き出ていて水がきれいです。水の透明度が高く、イワナなどの川魚が生息しているそうです。周囲は猿などの動物が多く見られるそうです。そういえば熊に注意の看板を見かけました。
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少し場所を変えて撮りました。
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水が流れて来るところを横から撮りました。
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水の下流側の景色です。この辺り全体が湿原地帯で水面が出ているところが田代池なのです。
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田代池の周りは広い湿原が広がっていることが判ってもらえると思います。
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その湿原の中に小川が流れているのです。今は草が枯れていますが、初夏から夏にかけては緑に覆われて沢山の花も咲いていたと思います。
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田代池の場所を地図で紹介します。地図内の 田代池 と書かれたところです。大正池に比べると小さな池ですが、趣がありました。
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黄色のライン( ━━ )が今回歩いた散策路です。左下の大正池から河童橋に向かって歩きました。我々が歩いたのは梓川沿いのコースですが田代池を過ぎたあたりから林間コースで河童橋に向かうコースもありました。散策路の風景も紹介いたします。

より大きな地図で 上高地散策路 を表示
こちらはクマザサに覆われた散策路です。
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こちらも散策路です。散策路もいろんな景色を見せてくれます。広い散策路が整備されて歩きやすかったです。
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自転車で行った上高地 [上高地]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

より大きな地図で 自転車が通った道8月12日~14日 を表示
前記事で2014年10月21日の上高地の大正池を紹介しました。その中で昔、会社に入社4ケ月目の22歳の時に自転車で上高地に来た時の写真も掲載させていただきましたが、その時に自転車で通ったルートを上の航空写真で赤色と青色のラインで示しています。ルートの色を変えているのはは車では走れない登山道(ハイキングコース)だからです。車で行く場合は緑色ルートで行くことになります。
走ったのは8月12日~14日で、八千穂→麦草峠→蓼科→すずらん峠→白樺湖→霧ヶ峰→諏訪→島々→徳本峠( )→明神橋→河童橋→大正池→釜トンネル→安房峠→平湯峠→高山と通りました。
その時の写真を走った順で紹介したいと思います。
 ①<<八千穂→麦草峠→蓼科→すずらん峠→白樺湖→霧ヶ峰→諏訪→島々>>
 ②<<島々→徳本峠→明神橋>>
 ③<<明神橋→河童橋→大正池>>上高地
 ④<<大正池→釜トンネル→安房峠→平湯峠→高山>>


①<<八千穂→麦草峠→蓼科→すずらん峠→白樺湖→霧ヶ峰→諏訪→島々>>
自転車は輪行袋に入れて8月12日に新大阪の列車に乗り、午後に左の写真の八千穂駅に到着して、すぐに麦草峠に向かいました。右の写真が麦草峠への道です。
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左が麦草峠を通る道で右が白樺湖です。この日は霧ヶ峰に持って行ったテントで泊まりました。
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②<<島々→徳本峠→明神橋>>
ここからが青色ラインの車では通れないルートの紹介です。
徳本峠(とくごうとうげ 2135m)辺りが険しいことが判ってもらえると思います。


島々から入ってしばらくすると徳本峠の表示がありました。国道158号線から入った島々の表示もありました。右の写真は道沿いの渓流です。
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左のような木で出来た道も長くつづいていました。右の写真は徳本峠への最後の急坂を登る手前の渓流沿いにある有名な山小屋の岩魚止小屋です。これ以上は岩魚も上れないないほどの急流という意味なのでしょう。
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クリックすると拡大徳本峠に着きました。 右の写真は乗鞍岳(3026m)に登った時の写真ですが、乗って走れない時には右の写真のように担いで進みます。今回のルートである島々から徳本峠を越える道は江戸時代の寛文年間から、木材の搬出や炭焼きなどの生活を支えるルートであったそうです。弘化年間に徳本峠から上高地へ下った白沢出合に「徳吾の小屋」の牛番小屋があったことが、「徳本峠」の名称の由来の一説とされています。1894年に志賀重昂が徳本峠越えを行ったそうです。1895年測量の国土地理院の5万分の1の地形図には徳本峠の名称が記されていました。クリックすると拡大1923年に上高地温泉株式会社が徳本峠小屋を開業し1927年に上高地が日本新八景に選定されると、徳本峠越えの上高地へのルートがメインルートとし多くの人に利用されました。右の小さな写真はネットから用させてもらった徳本峠付近からの穂高連峰の写真です。そして下の右側の写真は私が撮った徳本峠から穂高連峰を見た景色です。
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徳本峠あたりの地形図を表示しました。険しい道であることが判ってもらえると思います。1927年に釜トンネルが出来て1933年に上高地にバスが乗入れられると、徳本峠を利用する人は少なくなったそうです。その後、徳本峠小屋は「昔ながらの峠の小さなランプ小屋」として親しまれるようになったそうです。日本アルプスを世界中に紹介したウォルター・ウェストン(Walter Weston)も、このルートで上高地に入りました。今でもウェストンをたたえるウェストン祭が上高地で行なわれています。

より大きな地図で 徳本峠 を表示


③上高地<<明神橋→河童橋→大正池>>
徳本峠からは地図内の 明神 の辺りに出てきました。この上高地で前日同様にテントで一泊いたしました。
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左が上高地を流れる梓川(あづさがわ)の景色です。その梓川にかかる吊橋が右の写真です。この橋は今回の記事を書くまでは名前が判りませんでしたが、ネットで検索して背景の山々の形から明神橋であることが判りました。現在の橋と違い、当時はコンクリート製の支柱の吊り橋でした。
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こちらがネットから写真を転用させていただいた2003年にリニューアルされた現在の明神橋です。
この明神橋の背景の山々の形から上の吊橋が明神橋であることが判りました。上高地には下流側から田代橋、河童橋、明神橋、新村橋、横尾大橋との5つ橋があり、田代橋以外は吊橋なので、今まで上の吊橋の名前が特定できていませんでした。上の左側の写真も明神橋の上から撮ったものであることが山の配置から判りました。


こちらが自転車で訪れた時の大正池です。立ち枯れの木が今よりも見事でした。正面の山が焼岳です。


同じ場所での記念写真です。ちゃんと自転車で行った証拠のために撮りました。この写真と上の写真は前記事で紹介した写真の拡大版です。


前記事で紹介した現在の2014年10月21日の大正池の景色です。同じ場所です。
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④<<大正池→釜トンネル→安房峠→平湯峠→高山>>
上高地から高山までで残っているのは、下の平湯峠の写真だけでした。
クリックすると拡大右の写真は、今回、シャトルバスの中から撮った釜トンネルです。実は自転車で上高地に行く時の登りの釜トンネルはサイクリング仲間の間で、難所中の難所であることが有名でした。釜トンネルの総延長は1310mの薄暗いトンネルで最大勾配は16.5%(100mあたり16.5m上る 現在は10.9%)で、平均勾配が7.6%(100m/1310m)なのです。勾配だけであれば急な峠の道に比べて特段に急勾配ではありませんが、問題は路肩含むんだトンネル幅員が4.3m(現在でも7.0m)しかないことなのです。車が自転車を追い抜くことが出来ないほど道幅が狭いのでスピードが出ない自転車での16.5%の登りの走行は危険なことから日本で一番の難所と呼ばれていたわけです。車に迷惑をかけないスピードで走るためにはかなりの体力が必要でもありました。
団体でサイクリングしている場合は自転車群は目立つ存在のため危険は少ないのですが、1台で釜トンネルを上るのはリスクがあることから、釜トンネルが下りだけの走行となるように上高地に入るのは、徳本峠越えの道を選んだのも理由の一つでした。下りは車以上にスピードが出せるので心配はいらないのです。もちろん自転車で徳本峠越えをしたいというのが一番の理由でした。
右の写真は0歳(10ケ月)から現在までを2秒間隔で順番に表示します。今回、上高地の写真も組み込きました。入社前の学生時代はサイクリング部でしたが上高地には来ることはありませんでした。釜トンネルを通って上高地に行ったサイクリング部の仲間の話を聞いて、私も上高地に自転車で来てみたかったのです。
現在の釜トンネルは全面的なマイカー規制をしているために釜トンネルの前に立っている係員によって自転車は通してもらえないと思います。明確に自転車は禁止とは書かれていませんが、通行可能な車両として書かれているのは路線バス、シャトルバス、タクシー、緊急車両、観光バス(規制日あり)に限られるからです。と思っていたら自転車で最近行かれた方がおられました。→ポチッ


1995年4月に貫通した安房トンネルは、まだなかったことからジグザクの道を上って安房峠を越えて高山に向かいました。

より大きな地図で 入社1年目 8月12日~14日 を表示

雨の「紅葉の大正池」 2014年10月21日 [上高地]

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バスから降りて大正池の湖畔に立ちました。小雨模様の中をここから写真を撮りながら河童橋の散策路を歩きました。時間はは約1時間でした。

この地図の大正池ホテルと書かれたあたりから田代池に向かって順番に景色を紹介します。クリックするとオリジナルの地図を表示します。
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左に見える建物は大正池ホテルだと思います。ここが散策の出発点です。
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下流側の方の景色です。水面に雨の落ちているあとが判ると思います。カッパを着て首から下げたカメラはレジ袋をかぶせて撮る時だけ出しました。雨がかからないように傘もさしていました。雲がかかっている山が焼岳です。
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焼岳をアップいたしました。雲で焼岳の頂上は見えません。IS100 1/166s F5 での撮影でレンズの焦点距離は105mmです。
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同じ場所からの上流側の写真です。池の中に立ち枯れ木が立っているのが判ると思います。大正池は1915年に噴火した焼岳の泥流によって梓川が堰き止められて形成されました。
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池の中に立っている枯れ木が印象的です。池にある立ち枯れの木々の景観は、1928年に「上高地」が史蹟名勝天然紀念物保存法による「名勝及ビ天然紀念物」に指定される際の理由の一つとなったそうです。
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散策路を歩いて次のビュースポットに移動します。
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木々の間からの大正池の景色も魅力的です。
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大きな木のある景色も魅力的でした。
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湖底の白い砂が印象的でした。
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湖面に生える草に立ち枯れの木が見事な景色を見せてくれていました。
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有名なビュースポットからの景色です。大正池と立ち枯れの木と焼岳が入った景色が見れます。
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昔、一度だけ上高地に来たことがありました。おそらく上の写真と同じ場所だと思います。立ち枯れの木も今よりは随分と多い気がします。背景の山は焼岳です。
会社に入って4ケ月目(22歳)の8月12日~14日に八千穂→麦草峠→蓼科→すずらん峠→白樺湖→霧ケ峰→諏訪→島々→徳本峠( )→上高地→安房峠→平湯峠→高山を自転車で走った時に上高地に来たのでした。赤色と青色のラインが自転車で通ったところです。
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より大きな地図で 自転車が通った道8月12日~14日 を表示
湖畔まで来て立ち枯れの木のある景色を撮りました。
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きれいな水でした。そこの砂と砂利がクリヤーに見えます。
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同じ場所から撮った上流側の大正池です。
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紅葉の山を拡大いたしました。
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蓼科から上高地へ [上高地]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2014年10月20日~22日まで長野県の蓼科にワンコを連れて旅行に行っていました。その間、以前に紹介した右の写真の知人の家に2泊させてもらいました。その知人の家から、前から行きたかった上高地に10月21日に日帰りで行ってみることにいたしました。上高地はペットは禁止の上にマイカーも入れないのでシャトルバスに乗り換えるために、ワンコ(ムサシ)は知人宅に預かってもらいました。上の写真は高速道路から上高地の方向を撮った写真です。

3色のラインが蓼科の知人宅近くのハーブで有名な蓼科ハーバルノート( オーナ:萩尾エリ子)から上高地の河童橋( )までのルートです。が自家用車からシャトルバスに乗り換える沢渡駐車場です。
    車   82.6km 蓼科→沢渡駐車場
    バス 11.4km 沢渡駐車場→大正池
    徒歩  3.5km 大正池→河童橋

より大きな地図で 蓼科→上高地 を表示
蓼科から下りてきて諏訪ICで中央道に乗り、岡谷JCTで長野道に入り松本ICで一般道に下りました。写真は松本IC手前500mの場所です。表示板に松本、上高地、高山、安房峠道路と書かれています。実は高速道路でスケジュールり大きく関係するアクシデントに遭遇して今いました。岡谷JCTの合流地点での事故による事故渋滞で大幅に遅れてしまったです。2km進むのに1時間かかるほどの遅れで予定よりも1.5時間ほどよけいにかかってしまったために上高地での滞在時間も大幅に短くなってしまいました。


松本ICを下りてすぐの景色です。真っ直ぐ西に向かっています。


北アルプスの山々が見えてきました。


山岳地帯に入ってくると景色も良くなってきました。野麦街道です。


道沿いには稲核ダム、水殿ダム、奈川渡ダムで堰き止められた湖が沢山ありました。
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橋のある景色も絵になりました。
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川の名前は梓川で上高地から流れてきます。
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標高が高くなるにつれて紅葉の色が濃くなってきます。
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山全体の色が変わってきていました。
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バスへの乗り換えの駐車場に着きました。ここの標高は1020mです。上高地の大正池が1500mなのでここからシャトルバスで、さらに500m登ることになります。
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沢渡(さわんど)地区は停留所が5つもある大駐車場です。我々は松本から上ってきて最初の駐車場となる「さわんど大橋(沢渡大橋)」に駐車いたしました。ここはタクシーも沢山ありました。
この日は平日で雨模様で、お客が少なかったので好きな席に座れたので問題はありませんでしたが、休日の混んでいる日は、始発停留所となる「さわんどバスターミナル」まで行く方が良いかもしれません。タクシーに乗るつもりならば沢渡大橋は一番良いと思いました。駐車料金は一日500円でした。
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シャトルバスは河童橋の近くの上高地バスターミナルまで行くのですが、大正池から河童橋まで散策路を歩くために大正池でおりました。ただし帰りは上高地バスターミナルからシャトルバスに乗りました。
最初に上高地バスターミナルまで行って河童橋から大正池へ散策路を歩く方法もありますが、その場合、混んでいる時期はバスが満員で乗れない可能性があるので我々のルートが無難だと思います。緑色のライン()がシャトルバス(沢渡駐車場→大正池)で黄色ライン()が散策路(大正池→河童橋)です。


バス乗り場「さわんど大橋」です。タクシーと料金を比較しました。
バスは大正池で降りても終点の上高地バスターミナルまで行っても料金は同じですがタクシーは大正池までならば安く設定されているので、行きはタクシーにして帰りはバスにする方法もあります。行きにバスで行く人は往復を買うこと一人当たり450円お得になります。* 印の片道タクシーというのは行きに大正池までタクシーを利用して帰りにバスを利用した場合の往復の料金です。
       大正池  ターミナル  往復  片道タクシー*
  バス 1名  1250円  1250円  2050円  4750円
  バス 2名  2500円  2500円  4100円  6000円
  バス 3名  3750円  3750円  6150円  7250円
  バス 4名  5000円  5000円  8200円  8500円
  タクシー  3500円  4200円


こちらがシャトルバスです。
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行きはゆったりと座ることが出来ましたが、帰りは満席でした。この時すでに11時36分でした。高速道路の事故渋滞が無ければ9時台にはバスに乗れたと思います。


バスからの景色です。


国道から分かれて上高地に上がっていく釜トンネルの一つ手前のトンネルです。


クリックすると拡大こちらが釜トンネルの入口です。この入口には係員が立っておりマイカーが上高地に入れないことを知らないで来たと思われる車に説明をしていました。
昔、自転車で上高地に行ったことが一度あるのですが、その時に、この釜トンネルを下りてきたことを思い出しました。


釜トンネルを抜けて少し経つと、バスの中から大正池が見えてきました。


バスの中からの大正池の景色です。
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大正池停留所に間もなく到着です。


バスから降りて大正池の湖畔に立ちました。小雨模様の中をここから写真を撮りながら河童橋の散策路を歩きました。時間はは約1時間でした。撮った写真は後日に紹介いたします。
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マイカーは通年規制されていますが、行楽期の土曜日・日曜日・祝日・お盆休み期は下記のように観光バスも規制されています。つまり通行できるのは路線バス、シャトルバス、タクシー、緊急車両、観光バス(規制日あり)に限られるのです。
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スパース・ナ・クラヴィー聖堂 [ロシア]

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ロシアのサンクトペテルブルグのネフスキー大通りを散策しているとカザン聖堂や旧シンガーミシン社のビルのあたりから色鮮やかな教会が見えました。それが血の聖堂と呼ばれているスパース・ナ・クラヴィー聖堂です。運河沿いにあり遠くからすぐにわかる場所にでした。さっそく運河沿いに歩いて見に行くことにしました。掲載している写真はすべてクリックすると拡大します。

スパース・ナ・クラヴィー聖堂(Храм Спаса на Крови)は血の上の救世主教会と呼ばれるロシア、サンクト・ペテルブルクにあるロシア正教会の聖堂である。公式名は、ハリストス復活大聖堂(Собор Воскресения Христова)です。
血の上の救世主教会の名称は、1881年3月13日(ユリウス暦3月1日)のロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺によるもので、教会が建つ場所は、皇帝遭難の地であります。横のグリバエードフ運河(グリボエードフ運河 Griboedov Canal)に映えた教会で近づいてくると迫力があります。
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この教会の特徴は玉ネギの形をした屋根です。それも違った色彩に飾られています。サンクトペテルブルグの町の建物はバロック様式の物が大半ですが、それとは違った異国を感じさせられるものでした。この教会の建築はロマンチックなロシア・ナショナリズム、中世のロシア建築の影響を色濃く受けていてモスクのような雰囲気を感じさせてくれていました。
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下から見上げた構図です。ピョートル大帝以来、西欧化を推進してきたロシアにおいては、建築においても伝統的なロシア様式が否定され、ヨーロッパの建築様式が主流となっていた。その西欧化を体現してきたともいうべき都市ペテルブルクにおいてさえ、聖ワシリイ大聖堂のようなロシアを象徴する建築が無意識的に望まれてできたと考えられるそうです。 その一方で、聖ワシリイ大聖堂と比較すると、全体の構成のより自由な点や優美さなどはモスクワに代表されるロシア的なものとは異質であり、やはり、ペテルブルクの建築であるとの評価があります。
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血の上の救世主教会は、アレクサンドル2世の暗殺というロマノフ家にとっての悲劇がきっかけになって建立された建築物である。クリックすると拡大このため、『聖書』の中から悲劇的な要素の強い主題とした面積7500平方メートル以上のモザイク画によって壁面が装飾されています。その一方で、教会は無数のトパーズ、青金石(ラピスラズリの原料)および他の半貴石で飾られています。
イコノスタシスは、ヴィクトル・ヴァスネツォーフ(Viktor Vasnetsov)、ミハイル・ネステロフ(Mikhail Nesterov)、(ミハイル・ヴルーベリ)らを含む当時のロシア最高の芸術家たちによって設計されました。主任設計士はアルフレッド・アレクサンドロヴィチ・パルランド(Alfred Alexandrovich Parland)ですか、ロシアにおいてもほとんど知られていないそうです。

教会の外側にキリストの像が配置されているのも珍しい気がしました。
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北側から見た教会です。観光バスが移動するのを待って写真を撮りたかったけれども、結局はここにいる間にバスが移動することはありませんでした。
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ネフスキー大通り入口から教会を望んだ構図です。このあたりは車が渋滞している場所でした。
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北側の道路を挟んだ隣接した小さな聖堂と思われる建物ですが、似た雰囲気のデザインが一部使われていました。
Googleのストリートビューで同じ構図がありました。→ポチッ
クリックしてオリジナルを表示させてNの文字をドラッグして回すと360度の景色が見ることが出来ます。
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航空写真で位置関係を確認しました。航空写真の中で「血の上の救世主教会」Спас на Крови と書かれているのがスパース・ナ・クラヴィー聖堂です。
小さな聖堂と思われる建物は道路を挟んでスパース・ナ・クラヴィー聖堂の北側(上側)にあります。その建物には「ムゼイ・カムニャ」Музей камня とかかれています。こちらの航空写真でも観光バスが並んでいます。観光バスの停車場所なのですね。

地図でサンクトぺテルブルグの場所を紹介します。レニングラードと呼んだ方がピント来る方もおられると思います。サンクトペテルブルグは、かつてのロシア帝国の首都で、その時代もサンクトペテルブルグと呼ばれていましたが、1914~1924年の間はペトログラードとよばれ、1924~1991年の間はレニングラードと呼ばれていました。ソ連崩壊を受けて、1991年に住民投票により、ロシア帝国時代の現在の名称に再び戻ったそうです。ロシアで訪れた町にもマークをいたしました。
  サンクトペテルブルグ
  モスクワ
  ノヴォシビルスク
  スタールイ・オスコル
  ミハイロフ
  スランツェ

より大きな地図で サンクトぺテルブルグ を表示

チューリッヒ空港からビール(Biel)への鉄道の旅 [Biel/Bienne(スイス)]

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成田を出発してフランクフルト経由でチューリッヒまで着いたあと、チューリッヒ空港からビール/ビエンヌ(Biel/Bienne)までは鉄道の旅です。特急列車で約一時間半で着きます。写真はBiel/Bienneからチューリッヒ空港への帰りのロザンヌ行きの特急列車です。一階建ての小ぶりの列車でした。ワンちゃんも列車を待っています。

ビールはスイスの首都ベルンの北側にある町です。この地図はwikipediaの画像を拝借しています。

                      
チューリッヒ空港駅です。表示にBielが書かれているので一安心です。空港に鉄道が直結しているのでいろんなところに行くのに便利です。チューリッヒの町までも近かったです。


車内の様子です。座席は2+1の三列です。体の不自由な人を助けるSOSと書いたオレンジのベストを付けた人(右の写真の前の人)を駅でよく見かけました。 右の写真は目の不自由な人を席に案内しているところなんです。
年令が同じ位なので、最初は体の不自由な人はオレンジのベストの人かなと思っていましたが、席まで案内した後にオレンジのベストの人は電車を降りたので鉄道側の人であることが判りました。


列車からの景色です。飛行機雲もきれいです。この写真はクリックすると拡大します。
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駅に列車が止まると車体からステップが出てきてからドアが開きます。ビール(Biel)駅のホームです。


ホームから見たビール駅の駅舎です。


ビール駅の外側です。重厚な感じの駅でした。100年の歴史のあるスイス連邦鉄道((独)SBB (仏)CFF (伊)FFS)の文字が書かれています。


キップです。若干システムが違いますがスイスもヨーロッパの鉄道と同様に改札口でのチェックはありません。車内で検札に来ます。その時の検札が真中あたりの青い印字です。値段は75スイスフランでした。

ドアは開閉ボタンを押さないと開きません。無駄な熱を逃がさないためだと思います。


貨物列車が通ったので写真を撮りました。黄色いコンテナが沢山、積まれていました。

いつも一緒に行動する2人のために [Biel/Bienne(スイス)]


ヨーロッパのホテルは他の地域のホテルとはあらゆる面で一味も二味も違います。そんな中でも、洗面台が写真のように2つあるのには驚かされました。今までに2度しか経験がありません。
配管がむき出しでも、お洒落に感じてしまいます。
ホテル名はHOTEL ELITE 
場所はスイスのビール/ビエンヌ(Biel/Binne)です。

カギもカードではなく金属の鍵が多いですね。

ストリートビューで見たホテルの全景です。→ポチッ

スイスの中華料理 [Biel/Bienne(スイス)]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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スイスのbielと言う町で、地元の人を夕食に誘いました。中華料理と地元のスイス料理をチョイスしてもらうと、即座に中華料理になりました。スイスでも中華料理は人気があるみたいです。実際に食べてみてスイスの中華料理もなかなかのものだったので紹介いたします。写真は海老の料理です。大きな海老が美味しかったです。

スイスの中華は中国の中華料理と日本の中華料理のどちらに近いかと言えば、日本の中華料理に近いといえます。これは豚肉料理です。
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最初は「すっぱくて辛いスープ」の代名詞である酸辣湯(サンラータン)を頼みました。


次は餃子、シュウマイ系の料理です。


ここの特徴はお皿を下からロウソクで暖めることです。いつもでも暖かい料理が食べれました。前にスイスで中華料理を食べたときも同じやり方をしていました。確かにこちらの人は食事の時間が長いので、いつまでも暖かい料理が食べられるのですごく良いアイデアです。


酢豚と野菜炒めです。野菜炒めは簡単な料理ですが、なかなかの味でした。


豚肉料理と焼きそばです。


定番の麻婆豆腐も注文しました。


食事は中華でもやっぱりスイス スイスのビールを頼みました。ドイツ系の美味しいビールでした。

ROLEX本社が建つ丘の上の住宅地 [Biel/Bienne(スイス)]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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ここもスイスの時計の街、ビール/ビエンヌ(Biel/Binne)です。ホテルの窓から小高い丘に住宅地が広がっていました。是非、写真をクリックしてみてください。特徴のある家が沢山あります。真中の大きな黄色い建物は学校です。この写真の一番高い住宅の上まで朝の散歩で登り、日の出を見てきました。この写真はホテルに帰ってきて撮ったものです。

こちらの写真もクリックしてみてください。
以前紹介した教会が見つけられるはずです。
この街はROLEXの本社がある場所です。写真を後から見て気が付きました。ローレックスの本社と思われる建物を見つけました。素敵な建物です。皆さんも写真を拡大して探してみてください。
下の夜景の写真でも判るかもしれません。
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同じ場所の夜景も紹介いたします。
クリックしてみてください。
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上から2枚目の写真にこの住宅が写っています。
クリックすると別写真

一番上の写真で紹介した学校です。
学校の名前はGymnasium Alpenstrasse Biel
学校名はネットの地図で見つけました。


月がきれいです。この建物も上の写真の中から見つかると思います。


住宅街の上まで登ってみました。そこからの日の出の景色です。


住宅街の上はハイキングに絶好の場所でした。


住宅街の道は狭いので大型車のすれ違いも大変です。


この住宅だけはビール湖の湖畔です。
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朝の散歩で立ち寄った教会 [Biel/Bienne(スイス)]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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少し前ですがスイスの小さな町に来る機会がありました。チューリッヒ空港から特急列車で約1時間半の距離でした。駅名にはBiel / Bienneと書かれていました。スラッシュ(/)で区切られているのはドイツ語(Biel)とフランス語(Bienne)です。この町はネットで調べると「ドイツ語とフランス語の2ヵ国語併用が法律で定められた街。どんな看板や情報も2か国語で併記されています。」だそうです。
ネットでの説明を紹介します。
美しいビール湖畔に北端に位置する町。リンクと呼ばれる地区を中心に、15世紀の教会、騎士の噴水、カラフルな家々などが建ち並ぶ旧市街は中世の雰囲気が最もよく残っています。
オメガやスウォッチの本社がある時計産業のメッカでもあり、最近はジュラ山脈に広がる素ジュラ地方を総称してウォッチヴァレー(時計の谷)と呼ばれています。
ワインの産地としても有名。
上の写真の教会の名前はPasquart-Kircheです。朝日が当たり始めた景色です。時間は8:20です。
飛行場はないけれど空には飛行機がよく見えます。空気がきれいなせいでしょうか。この写真にも飛行機雲が写っています。
Pasquart-Kircheで検索すると沢山出てきました。→ポチッ

ホテルからこの教会が見えていたので、散歩で行ってみることにしました。


同じホテルの窓から同じ角度の夜の景色です。この教会がライトアップされています。写真をクリックすると広い範囲を表示します。
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こちらの写真は太陽が昇る前の景色です。時間は7:47です。この日は8:03に太陽が昇り始めました。
この町にはローレックス、オメガ、スウォッチあり時計の街と呼ばれています。
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別の角度からの教会です。
ドイツ語で書かれていたネットでのビールの教会のことを掲載します。その中に教会の名前が出てきていました。
Kirchen(教会)
Da Biel zweisprachig ist, befinden sich neben verschiedenen kleineren Gotteshäuser je eine deutschsprachige und eine französischsprachige reformierte Kirche. Die Stadtkirche am Ring wird von den deutschsprachigen und die Kirche Pasquart an der Seevorstadt wird von den französischsprachigen besucht. Die grösste katholische Kirche befindet sich an der Juravorstadt.
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こんなメモリアムが壁に付けられていました


教会のコーナーに取り付けられたランプです。月もきれいです。

クリスマスバージョンのコーラ [Biel/Bienne(スイス)]

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そろそろクリスマスの季節です。スイス料理レストランで出てきました。場所はスイスのBiel/bienneです。写真はクリックすると拡大します。

スイス料理のレストラン [Biel/Bienne(スイス)]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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スイスの人口5万人の小さな町 Biel で昼食でスイス料理のレストランに行きました。Biel はドイツ語でフランス語ではBienneと呼ばれている街です。写真をクリックするとレストランの入口の写真を表示します。レストラン名はSchlössli Ipsach(Schloessli Ipsach)でBielの街では名店のようです。写真の左の建物がホテルで右側の建物がレストランです。昼食だったので簡単な料理を食べました。レストランの入口には、今、話題のミシュランのシールが張られていました。
雰囲気のあるレストランでこの街(Biel)でもスイス料理としては1、2を争うレストランだそうです。もう一軒は我々が泊まったホテルのレストランだそうです。

レストランの45度斜め航空写真です。

美味しいスープでした。 スイス料理はあまり美味しくないとの定説はくつがえりました。


キノコと牛肉の料理です。味はなかなかのものでした。この次は夕食に本格的な料理を注文してみたくなりました。
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最後はやはりデザートです。


Biel / Bienneの町の航空写真です。が今回紹介のスイス料理のレストランの場所です。
マイナス(-)のアイコンを数回クリックすると場所が判ると思います。
着色文字をクリックすると記事を表示します。その他の場所は、これから記事を掲載する予定です。
クリックすると拡大  鳥の見られる小川
  Biel / Bienne駅
  湖畔のレストラン
  旧市街 中世の街並み
  教会 Pasquart-Kirche
  泊まったホテル
  スイス料理のレストラン

出石皿そば [蕎麦]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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関西の実家に帰省しているときに出石皿そばを食べに行きました。実は出石皿蕎麦のお店が、実家のある兵庫県宝塚にあるので久しぶりに食べに行ったわけです。
「出石皿そば」は兵庫県豊岡市の旧出石地区の名物そばで約50軒の、そば屋があるそうです。宝永三年(1706年)に出石藩主松平氏と信州上田の仙石氏がお国替えとなった際に、仙石氏と供に信州から来たそば職人の技法が在来のそば打ちの技術に加えられ誕生したそうです。その後、出石焼きが始まり白地の小皿に盛る様式が確立されて現在の形式になったそうです。

神戸に住んでいるころは、時々、車で出石に行き出石皿そばを食べました。出石焼(いずしやき)の壷や酒器(徳利、お猪口)も買った思い出の場所です。下の蕎麦つゆの壷の入れ物や蕎麦猪口や皿も出石焼きです。
地元に出石皿そばを食べに行ったころの地名は出石郡出石町でしたが、2005年4月1日に豊岡市や但東町、城崎町、日高町、竹野町と合併したために町名はなくなりました。ただし「出石町」は冠称となりました。例えば出石城跡がある住所は「豊岡市出石町内町」です。昔の出石町は今は一般的に出石地区と呼ばれているそうです。
地図で確認した地名は出石町町分、出石町川原、出石町鉄砲、出石町弘原、出石町柳、出石町松枝、出石町鍛冶屋、出石町福住、出石町小人、出石町内町、出石町田結住、出石町本町、出石町宵田、出石町魚屋、出石町伊木、出石町下谷、出石町東條、出石町寺町、出石町谷山です。
町名は冠称になりましたが出石皿そば、出石焼き、出石城跡など出石の名前は残っており、現在も残る風情のある町並みは、「但馬の小京都」と呼ばれています。


注文すると、このようにテーブルの上に皿が並べられました。


出石皿そばは、つゆに山芋を入れるのが特徴です。薬味はネギと大根おろしとワサビが添えられていました。出石焼は兵庫県豊岡市出石町一帯で焼かれる磁器で白磁が中心です。透き通るような白い磁肌に浮き彫りや透かし彫りによる精緻な紋様が際だつのが特徴です。


山芋と薬味をそば猪口に入れました。


全て完食です。一人で割り箸の高さまで食べると一人前と書かれていましたが、ちょっと食べすぎになるのでこれくらい(15皿)にいたしました。後から来た人の注文をしているところを聞いていると一人10皿程度が普通のようです。
久しぶりに懐かしい出石皿そばが食べれて満足しました。


一人10皿食べると一人前が5皿なので5皿追加となります。すると料金は840円+120円×5皿=1440円となります。


クリックすると拡大本格的な手打ちの出石皿そばが本場以外で食べられるのは珍しいと思うのでお店を紹介いたします。
 店名:一理庵 そば義
 住所:兵庫県宝塚市逆瀬台一丁目11-4-102
 電話:0797-74-5122
 蕎麦:二八そば 手打
 営業:11時半~18時(蕎麦がなくなっら終了)
 休み:毎月6日と月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日)
     お盆と年末年始には定休日以外に休みがあります。(電話確認要)
 HP :http://www6.ocn.ne.jp/~sobayosi/


蕎麦は本格手打ちですが、つゆにもこだわりがあるようです。下の写真をクリックすると拡大するので、説明が読めると思いますが、一部を紹介いたします。
厳選の二種類の醤油とアルコール抜きした本味醂を炊き合わせた「本かえし」を一ヶ月以上寝かせ、その「本かえし」に毎朝作る一番だし(昆布・椎茸・鰹ぶし)を合わせて作り上げたものです。
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あたりまえの風景のはずなのに! [Biel/Bienne(スイス)]

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横断歩道は歩行者優先です。車が止まって人間が歩く風景、あたりまえのはず! でも、日本では信号のない横断歩道で車が止まっている風景はあまり見ななくなったような気がします。逆に人の方が、渡るタイミングをはかっているところは、よく見受けます。
ヨーロッパでは横断歩道に人が近づくと、必ず車が止まってくれます。ここに掲載の写真はスイスのBielと言う小さな町の風景です。
道を歩くときすごく安心感があります。どんなに沢山の車が走っている道路でも横断歩道に近づくだけで車が止まってくれました。もちろん反対車線側の車も止まってくれます。交差点以外の横断歩道には信号機は必要ないのです。

100%車が止まってくれるため、まったく立ち止まる必要はありません。遠くから減速して横断する人に不安を与えないような配慮も見受けられます。


このような風景を見ていると日本の交通マナーは先進国とは言えないですね。途上国の交通マナーに嘆いていること自体が恥ずかしくなってきます。

!  駐輪棒 [Biel/Bienne(スイス)]



ヨーロッパは昔から自転車が生活やレジャーにも浸透していました。ドイツ、フランス、イタリア、イギリスでもそれを実感しました。
フランス・リヨンでは自転車のレンタルシステムに驚いたものです。スイスでも沢山の人が、かっこよく乗っていましたが、この駐輪場は目を引きました。
ここはスイスのBiel(ビール)です。町の中心街ですが自転車の駐輪のための棒が沢山立てられていました。

ほんとに沢山ありました。日本だと車の駐車スペースに立てられているのです。日本と違いスタンドが付いた自転車は少ないので、こんな形式になったのだと思います。


化石燃料を使わないエコ乗り物として優遇されているのかもしれません。ほとんどの棒はステンレス製ですが、ここの棒だけは亜鉛メッキでした。


ここにもありました。通勤に自転車を使っている人が多かったです。これらの駐輪場で共通しているのが車道に作られていることです。車の駐車と同等に考えられているようです。
そして巨大な駐輪場ではなく町中にのあらゆるところに設けられていました。
駅の近くにもありましたが、なんといっても自転車が乗せられる車両があるために別の街に行ってもそのまま自転車が使えるます。日本は工業的な省エネが発達していますが、スイスでは、こんな配慮が目に見えないエコに貢献しているのかもしれません。


自転車のマークはあらゆるところにあります。列車の客車にも描かれていました。


パトカーとも仲良し? パトカーは駐車しているのではなくて走っているのです。つまりパトカーを追い抜いているわけです。

Biel/Bienneでの朝食 [Biel/Bienne(スイス)]

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ビール/ビエンヌ(Biel/Bienne)のホテルの朝食です。スイスと言えばチーズですね。泊まったホテルの朝食にも美味しいチーズが置かれていました。カマンベールのようなチーズが2種類ありました。

クロワッサンは美味しくて、いくらでも食べれます。クロワッサン(仏語 Croissant)は、フランス語で三日月を意味するそうです。


このスモークサーモンも美味しそうでしょう。もちろん美味しかったです。
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ハム、ソーセージ、ソフトサラミですが、シンプルな朝食ですが味は一流でした。


ジャムが充実していました。ラズベリージャム、ブルーベリージャム、ストロベリージャム、ミックスジャム、ハチミツなどです。
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Biel / Bienneの場所を紹介します。ここはドイツ語圏とフランス語圏の境にあることから地名も2種類の名前が並記されているのです。

より大きな地図で Biel/Bienne を表示
Biel / Bienneの町の航空写真です。 が泊まったホテルの場所です。着色文字をクリックすると記事を表示します。その他の場所は、これから記事を掲載予定です。
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初夏のレンツブルク城 [スイス]

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前回は冬のレンツブルク城を紹介しました。初夏は本当にきれいです。比べてみてください。同じカメラとは思えないです。暗いと解像度が出ないのはデジカメの特徴かな?

ここには日曜日に着きました。スイスと言えばチーズ料理ですね。(もともと冬の料理です。とも言われてしまいました。)
期待していたのですが食べれませんでした。それどころがまともな食事も食べれませんでした。これくらい小さな町となると日曜日はレストランがすべて閉っているのです。ホテルの人に聞いて日曜日でも営業しているだろうと言われたお店も閉まっていました。唯一中華料理店だけが開いていましたが、スイスの雰囲気を期待していたので、やっぱり入る気がしなくてさらに探した結果、一軒見つけました。入ってから判ったのですがそこはBarでした。沢山の若者が屋外のテーブルでビールなどを飲んでおりました。
我々もそこで食事をすることに! と言ってもソーセージやフライドポテト! 結局この日はビール中心で楽しむことになりました。と言うことで写真は撮らず。
Barもこのお店以外は開いている様子はなく次から次へとお客さんが入ってきました。
Barも中華系のインドネシア人が経営! やっぱり華僑はすごい!でした。

お城を大写しにしました。このお城も増築、増築だったのでしょう。いろんな様式の棟が連なっています。
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ムギ畑とお城 初夏を感じます。 是非、この写真はクリックしてみてください。
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表側からのレンツブルク城です。また雰囲気が違いますね。
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空の青い色が本当にすごい! 
丘の上にあるのがお城です。いろんな民家ともマッチしています。
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入口の跳ね橋から
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町を挟んだ丘の上にも少し小さいお城がみえます。
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お城の周りで牛を飼っている農家です。3っ上の写真の中にもこの建物が写っています。


ここもお城の周りは高級住宅地ですね。きれいな家が沢山ありました。民家の写真を3枚ほど紹介します。




前回のクリスマスのときと同じ通り比べてみてください。
その時の夜の写真は⇒ここ
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東方のピラミッド 西夏王陵 [寧夏回族自治区]

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写真はと東方のピラミッドと呼ばれている西夏王陵です。寧夏回族自治区と言えば、謎の王国と呼ばれた西夏があった場所です。西夏はタングートの首長李元昊(景宗)が1038年に建国した王朝でモンゴル帝国のチンギス・カンによって滅ぼされた1227年まで続きました。西夏の墓陵が西夏王陵です。西夏墓陵として残されているのが1号陵から9号陵の9つの王陵です。上の写真が西夏の初代皇帝である李元昊(景宗)の墓陵です。ただし1号陵ではなく3号陵です。西夏の前進の夏国公の初代皇帝である李継遷(太祖)の王陵が1号陵です。ちなみに李継遷(太祖)は西夏の初代皇帝の李元昊(景宗)の祖父にあたり、2号陵の李徳明(太宗)は西夏の初代皇帝の李元昊(景宗)の父であり、夏国公の2代皇帝です。初代皇帝の李元昊(景宗)は夏国公の3代皇帝でもありました。
西夏王陵はエジプトのピラミッドのように石で出来てはいませんが、砂漠の中にあるところが東方のピラミッドと呼ばれたのかもしれません。

こちらの地図はWikipediaから転用させていただいた1142年時点の地図で西夏の場所を紹介します。西夏の都の興慶は現在の寧夏回族自治区の首都である銀川にありました。西夏王陵があるのは、クリックして出てきた拡大地図の興慶府と書かれたところの少し西側です。
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クリックするとオリジナル記事を表示西夏の都である興慶(現在の銀川)の西の賀蘭山脈の麓の砂漠地帯に西夏王陵があります。左の地図に9つの西夏王陵の位置が記載されています。1号陵から9号陵の皇帝は次の通りです。8代皇帝以降の王陵の場所は判りませんが、この地域には皇族の陵を含めて253基の西夏陵があります。
  陵号 廟号 皇帝名と陵名  皇帝代
 1号陵 太祖、李継遷の裕陵 李元昊の祖父
 2号陵 太宗、李徳明の嘉陵 李元昊の父
 3号陵 景宗、李元昊の泰陵 初代皇帝
 4号陵 穀宗、李諒祚の安陵 2代皇帝
 5号陵 恵宗、李秉常の献陵 3代皇帝
 6号陵 崇宗、李乾順の顕陵 4代皇帝
 7号陵 仁宗、李仁孝の寿陵 5代皇帝
 8号陵 桓宗、李純祐の庄陵 6代皇帝
 9号陵 襄宗、李安全の康陵 7代皇帝
     神宗、李遵頊     8代皇帝
     献宗、李徳旺     9代皇帝
     末主、李睍     10代皇帝

下のGoogle航空写真の真中に点のあるのマークが1号から9号の西夏王陵です。下から3つ目が今回写真で紹介する3号陵です。点のない紫色のマークが航空写真で確認したその他の西夏時代の大型の陵です。は軍用飛行場の銀川賀蘭山空港で、我々は民間機用の別の飛行場である銀川河東空港を利用しました。

より大きな地図で 西夏王陵 を表示
西夏の歴代皇帝の系図です。系図の中の(一)は西夏の初代皇帝を表しており、(二)は2代皇帝です。つまり(十)は10代皇帝を示しています。
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こちらは博物館内にあった西夏王陵群の模型(ジオラマ)です。真中手前にあるのが我々が訪問した3号陵で、左奥に1号陵と2号陵があります。背景にあるのが
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こちらのジオラマの手前が1号陵で奥が2号陵です。このジオラマで判るように西夏王陵はピラミッド状の王陵のまわりを四角い土塁に囲まれてた広い敷地になっています。この配置を頭に入れて後で紹介する写真を見ていただくと判りやすいと思います。写真をクリックすると航空写真で1号陵と2号陵を表示します。
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3号陵からは無料バスで1号陵と2号陵にも行くことが出来ますが、時間がなかったことから、3号陵だけの訪問になりました。こちらの写真は博物館でビデオ紹介された1号陵と2号陵を撮ったものです。背景の山々は賀蘭山脈(がらんさんみゃく)です。賀蘭山脈の主峰の賀蘭山は3556mです。西夏王陵が点在するあたりの標高は1200mです。


王陵の地下構造の模型があったので紹介します。地下に墓室があります。3号陵にも地下に行く行く入口が残っているそうです。ただし透明なプラスチック板でふさがれているので中に入ることは出来ません。この入口は後で知ったので、実際に見ることは出来ませんでした。


博物館の方から歩いてくると最初に目にする景色です。
遠くに見えるのが王陵である陵塔(Tomd Tower)ですが手前に入口にあたる部分に2つの土で出来た塔の闕台(Gate Tower)が配置されています。闕台(Gate Tower)より奥が王陵の敷地になるわけです。正面から歩いてくると手前の2つの塔(闕台)の真中に王陵(陵塔)が見えるはずですが、博物館は中央の道路より左側にあるので博物館から歩いてくる場合は左右対称には見えなかったのです。
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これが右側の闕台(Gate Tower)です。遠くに見えるのが陵塔(Tomd Tower)です。陵塔(Tomd Tower)が小さく見えますが、それはとう区にあるためで、実際には、はるかに大きいのです。
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こちらが左側の闕台(Gate Tower)です。右奥に見えるのが陵塔(Tomd Tower)です。
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西夏王陵の正面の道から見た景色です。この位置の左右に闕台(Gate Tower)があります。
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こちらが碑亭(Tablet Pavilion)で、闕台(Gate Tower)より陵塔(Tomd Tower)側に左右に計2つありました。
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碑亭(Tablet Pavilion)の辺りからから見ても、陵塔(Tomd Tower)はまだ小さく見えます。王利用の広さが判ってもらえると思います。手前の土塁と奥の土塁の間の広場は月城(Moon City)と呼ばれています。奥の土塁より陵塔(Tomd Tower)側が内城(Inner City)です。
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内側の土塁と陵塔(Tomd Tower)を拡大してみました。陵塔(Tomd Tower)まで遠いことが判ってもらえると思います。
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何重にも土塁が作られていました。土塁はレンガと土で出来ているようでした。
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土塁群です。今は土塁の状態ですが、昔は煉瓦で覆われた高い壁だったのではないかと想像されます。
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背の高い土塁も残されていました。土塁の隅や途中には角闕(Corner Towers)がありました。
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陵塔(Tomd Tower)の周囲にある土塁です。この内側は内城(Inner City)と呼ばれています。内城(Inner City)に入る南門(Southern Gate)より外側の広場が月城(Moon City)です。
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陵塔(Tomd Tower)に近づいてきました。この真下の地下に墓室があるのです。
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陵塔(Tomd Tower)は不思議な形をした土の塔です。小さな穴が水平に何段にも並んでいます。昔は表面を飾り石あるいは煉瓦などで覆われていたのかもしれません。
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近くから陵塔(Tomd Tower)を見上げた写真です。寧夏回族自治区には2014年8月28日~9月2日に滞在して、ここ西夏王陵には9月1日に行きました。
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陵塔(Tomd Tower)の裏側(北側)です。ここに北門(Northern Gate)がありました。土塁のコーナー部が角闕(Corner Towers)です。ここの状態からも、今は土塁の状態ですが、昔は煉瓦で覆われた高い壁だったのではないかと想像されます。
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上で紹介の写真の位置を航空写真で紹介します。左方向が北西方向です。クリックするとオリジナルのGoogle航空写真を表示します。
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上の航空写真で角台と書かれている塔です。本来は4隅にあったそうです。南側(右側)は痕跡のみだそうです。


陵塔(Tomd Tower)自体はクフ王のピラミッドのように大きくはありませんが、西夏王陵自体は長さ600mx幅400mを越えるの規模を持つ巨大な王陵だったのです。墓域面積が世界最大であるとされている仁徳天皇陵(大仙陵古墳)の長さ840mx幅654mの規模には及びませんが、日本で2番目の履中天皇百舌鳥耳原南陵を越える規模です。同じ縮尺のGoogle航空写真で大きさを比較いたしました。
西夏王陵 3号陵            履中天皇百舌鳥耳原南陵

クフ王のピラミッド               仁徳天皇陵


西夏王陵に関する台湾の放送局の動画を見つけたので紹介します。


追伸
2014年10月10日から10月18日まで関西に行きます。関西では飲み会が3~4回入っているので皆様のところへの訪問が十分に出来ないのではないかと思います。その時にはこ容赦願います。

前日予約でしか食べれない蕎麦屋のワラビ餅 三乗 [蕎麦]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

2014年10月7日追記 タイトル:前日予約でしか食べれないワラビ餅
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10月4日は姪っ子2人と娘と家内で前々から決めていた七輪焼肉をして翌日の昼食は5人で評判の手打ち蕎麦屋さん三乗に行きました。蕎麦屋に行くことは前日に決めていました。こちらの蕎麦屋ではデザートに自家製のワラビ餅があるのですが、実は前日の予約が必要だったのです。そこで前日の昼ごろに5人分のワラビ餅を予約いたしました。

10月5日の開店時間11時30日に到着すると幸いにも、前に2組の方しかおられなかったのでテーブル席にすぐに座ることが出来ました。雨だったことも幸いしたようです。待っている人が多くてあきらめたこともありました。この日はワラビ餅を予約していたので待つこともありうると早めに来たのです。
先ずは定番の「だし巻き玉子」を頼みました。
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こちらの「だし巻き玉子」は美味しいので必ずと言っていいほど頼みます。
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久しぶりに「栃尾の油揚げ」を頼みました。自家製の唐辛子味噌とワケギが中に詰められて一品でした。
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この日の外気温は15℃と寒かったので2名が温かい天ぷら蕎麦を頼みました。蕎麦は伸びやすいので手打ちの場合はのど越しを大切にすることから、冷たい蕎麦を食べることが多いので、温かい天ぷら蕎麦は初めて紹介することになりました。
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こちらが天麩羅のアップです。塩か天つゆで食べることになります。
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こちらが蕎麦です。きれいな蕎麦です。
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温かい「とろろ蕎麦」を頼んだ人もいました。これは下の方で一度紹介しております。
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私は、どんなに寒くても冷たい蕎麦「せいろ」です。
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蕎麦の拡大写真を掲載します。
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喉越しのいい蕎麦も食べたいし温かい蕎麦を食べたい人の解決策は鴨せいろです。漬け汁が温かいのです。
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最後は、お待ちかねのワラビ餅です。前日に予約したおかげで食べることが出来ました。娘からわざわざ予約してほしいと、前日の昼ごろに電話があり、すぐに予約をいたしました。器を乗せているランチョンボード(盆)が洒落ていました。左の黒蜜をお好みでかけて食べます。
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ワラビ餅を拡大いたしました。
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デザートは「わらびもち」と「そばがきぜんざい」があります。「わらびもち」はメニューに書かれている通りに3人前以上の前日予約が必要なのです。前回2014年8月16日に娘や息子たちと来た時には「わらびもち」は前日予約が必要なことを知りました。


そのため8月16日のデザートは「そばがきぜんざい」にいたしました。こちらが「そばがきぜんざい」です。
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「そばがき」がたっぷりと入った美味しいデザートでした。
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8月16日は蕎麦として「せいろ」と「ダシ蕎麦」を頼みました。「ダシ蕎麦」は一度紹介したことがあるので下の方の記事を探してみてください。蕎麦以外は天麩羅の盛り合わせと、だし巻き玉子を頼みました。これらはすでに紹介したことがあるので小さな写真での紹介にしておりますが、クリックすると拡大いたします。
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2013年3月26日追記 タイトル:ついに一日10食限定の蕎麦をいただきました。
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先週の日曜日2013年3月17日に家族で、いつもの蕎麦屋さんに食事に来ました。何度も来ていて、冷たい蕎麦は一つを除いてすべて食べました。一度は食べてみたい思っていた一日10食限定の「ピーナッツ」を、ついに頼みました。上の写真が、その「ピーナッツ」です。「せいろ」のつけ汁が落花生なのです。千葉県八街産の落花生で、つけ汁を作っているそうです。今回はつけ汁の写真以外はクリックすると拡大写真を掲載いたします。

こちらがつけ汁です。少し甘みのある濃厚なピリ辛味で、確かに自慢のつけ汁のようで美味しかったです。意外と蕎麦に合っていました。


こちらの蕎麦は当日の朝に石臼で国内産の蕎麦の実を挽いたもので、蕎麦粉9割・小麦粉1割の一九蕎麦です。クリックして蕎麦の食感を感じてみてください。
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家内は暖かいお蕎麦が好きなので「かけ」を頼みました。美味しいだしが命の一品です。
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息子が選んだのが「鴨せいろ」です。
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今の時期は一番のお薦めの「桜きり」は娘が頼みました。すでに紹介していますが、のどごしが最高のお蕎麦です。
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この日頼んだおかずも紹介いたします。ごぼう巻です。蕎麦を食べる前におかずを頼むのが最近の定番になりました。タイミングを見て蕎麦を出してくれるので、おしゃべりを楽しむことが出来ます。
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もう一品が、今が旬の小鮎の天ぷらです。苦味がきいていて季節を感じる一品でした。
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ここから下は今年の1月に来た時のものです。これは「ゆり根のかき揚げ」です。
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こちらは「栃尾の油揚げ」です。分厚い油揚げでした。
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こちらは「とろろ柳川」です。熱々でした。
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みんなで取り分けて食べました。
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暖かいお蕎麦の「玉子とじ」です。これは温まります。
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2012年9月5日追記 タイトル:変わりそば しそ切り

季節限定の変わりそばを紹介いたします。今の季節ではなくて初夏の変わり蕎麦「しそ切り」です。桜の季節の「桜切り」を紹介いたしましたが、それと同じ作り方だと思われました。

ほのかなシソの香りがする蕎麦でした。この拡大写真で蕎麦にシソの葉が練りこまれているのがわかると思います。上の写真のようにワサビや薬味はなして蕎麦つゆだけで食べる更科系の、のどごしのよい蕎麦でした。


短い期間だけ味わえるお蕎麦でした。蕎麦とつゆだけで1000円は高いように思われる方もおられるかもしれませんが、それだけの値打ちのある麺でした。


私と家内は、しそ切りを頼み子供は天セイロにいたしました。天婦羅には天つゆと塩が用意されているので両方を楽しむことが出来ます。


こちらの天婦羅も拡大いたしました。



2012年9月9日追記 タイトル:季節の蕎麦 ダシ蕎麦

昨年(2011年)の夏の期間限定のお蕎麦がイタリアン風の完熟トマト蕎麦であったことから今年の夏の蕎麦が気になって2012年8月15日に、いつもの蕎麦屋さんに来て見ました。今年は「ダシ蕎麦」でした。ダシは山形の郷土料理で昨年からテレビでも取り上げられて急に有名になりスーパーでも、よく売られるようになりました。その山形の郷土料理であるダシを蕎麦にアレンジしたものでした。

こちらのダシにはキュウリやナスが少な目で細切り昆布に山芋にシソなどが入っていることからお店で蕎麦用にアレンジしたものと思われました。これに蕎麦つゆをかけて食べるのです。


混ぜたところを、さらに拡大した写真で紹介いたします。ねばねばを実感してもらえたでしょうか。


この日は夕食で食べに来たので蕎麦以外に単品料理も頼んでみました。

いつもと違うものを食べてみたかったのでメニューからではなく黒板に書かれたお薦めから選びました。こちらは焼き茄子のゼリー寄せ「ひすい茄子」です。

もう一品は山口県の萩産の「さつま揚げ」です。これらを食べ終わったころに蕎麦が出てきます。


やっぱりビールが飲みたくなりますね。でも車なのでノンアルコールを頼みました。ビールに比べるとノンアルコールは味は劣るのですが、こちらのノンアルコールビールは0℃近い温度に冷やされていて、これがすごくよかったです。ビールの味を堪能させていただきました。


最後は蕎麦湯も飲むことが出来ました。蕎麦湯を飲みたい方は少し蕎麦つゆを残しておくことをお忘れなく。

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2012年8月13日追記 タイトル:蕎麦屋のイタリアン 完熟トマト蕎麦

手打ち蕎麦「三乗」さんは純粋な手打ちの日本蕎麦店ですが夏季限定で「冷製パスタ風トマトそば」を出していることがありました。
これは、今年ではなく昨年の夏の2011年8月13日に食べた時の写真です。あまりにも珍しったので紹介いたします。

見ての通り、盛り付けもきれいでした。味は完璧にイタリアンでした。日本の蕎麦がこのような料理なることを証明されたような感じでした。


蕎麦の食感を感じていただくために、さらなる拡大写真を掲載いたします。最近掲載している写真のサイズは3×2(480x320)ですが、追加掲載の記事なので従来サイズに合わせて4×3(480x360)とさせていただきました。



2012年4月16日掲載 タイトル:桜の季節限定蕎麦

土曜日(2012年4月14日)に近くのお蕎麦屋さんに桜の季節にだけ食べれる蕎麦を食べに行きました。以前に食べたことがあり素晴らしい蕎麦だったので毎年食べたいと思っていましたが、いつも時期を外してしまって食べれませんでしたが、この日はちゃんとありました。

名前は「桜切り」と命名されており桜の葉を蕎麦に練りこんだそばです。最初はつゆをつけないで食べてみてください。言われたのでそのまま食べてみるとその意味がわかりました。桜の香りを感じることが出来ました。桜餅のような香りです。
この蕎麦には薬味やワサビはついてきません。確かに薬味やワサビが入ると桜の香りが感じられなくなると思います。


これは大盛りです。私が、このお蕎麦で一番気に入っているのは、のど越しです。おそらく更科系になるのだと思います。もちろん花びらもいただきました。


こちらが普通盛りです。こちらが1000円で大盛りが400円増しとなります。普通の「せいろ」が750円(大盛り300円増し)ですがそれだけの価値がありました。


こちらが3年前(2009年4月4日)に初めて食べた時の「さくら切り」です。このときは桜の花は乗っていませんでした。実はお店に来たのも、この時が初めてでした。偶然に、このお蕎麦が食べれたわけです。半月後に来たときには、このお蕎麦は残念ながらありませんでした。本当に限定だったのだと思いました。お店が出来たのはネットで調べると2006年12月なので2年半目に来たことになります。結構評判のお店になっていました。


このときの蕎麦を拡大いたします。美味しさに感激しました。


初めて桜蕎麦を食べた3年前の2009年4月4日には他の蕎麦も頼みました。他の蕎麦も紹介いたします。こちらが「天せいろ」です。


天せいろの天婦羅です。


蕎麦麺の拡大写真も掲載いたします。そば粉が9で小麦粉が1の一九蕎麦で国内産蕎麦の実を自家製粉した手打ち蕎麦です。


さらに麺の拡大写真を掲載いたしました。


こちらも3年前に食べた「つけとろ」です。


その後の別の日に食べた蕎麦も紹介いたします。これが一番シンプルな「せいろ」です。


こちらは「きのこおろし」です。


こちらが「鴨せいろ」です。暖かいつゆの中に柔らかな鴨肉が入っています。


こちらは「しらすおろし」です。一日10食限定の「ピーナッツ」以外の冷たいお蕎麦は全て紹介いたしました。大盛りは+300円です。ちなみに桜の季節限定の「桜切り」はすでに紹介の通り普通盛り1000円、大盛り1400円でした。
  せいろ         750円
  しらすおろし      950円
  ピーナッツ       950円  一日10食限定
  天然きのこおろし  1050円
  つけとろ       1100円
  鴨せいろ       1400円
  天せいろ       1550円


こちらはでは暖かいお蕎麦も食べれます。ただし暖かいお蕎麦は大盛りの設定がありません。こちらが暖かい「とろろ」です。暖かいお蕎麦のメニューを紹介します。
  かけ          800円
  玉子とじとろろ    900円
  天然きのこそば  1150円
  鴨南蛮       1550円
  天ぷらそば     1600円


蕎麦い以外では1~2品ほど頼むことがあります。天然海老と季節の野菜の天婦羅「天たね盛り合わせ」です。何人かで取り分けて食べます。


定番のだし巻きです。これはよく頼みました。蕎麦が出てくるまでの待ち時間に食べるのに丁度いいです。蕎麦と料理を頼むと、ゆっくりと時間を過ごせるようにタイミングを見計らって蕎麦を出してくれる心遣いがうれしいです。


これは今まで気になっていた料理「牛すじ煮込み」です。牛肉以外にゴボウ、ダイコン、人参などの野菜も一緒に煮込まれていました。これは桜切り蕎麦を食べた2012年4月14日に頂きました。


下の写真は、とろろの豆腐の「とろ豆腐」です。メニューに書かれていた一品料理を紹介いたします。ただし下から4つは右のように黒板に書かれたメニューでした。
  海老真丈の天ぷら  700円
  たし巻き        750円
  そばがき        800円
  揚げ蕎麦サラダ    850円
  鴨ロース       1150円
  天たね盛り合わせ 1500円
  とろろ豆腐       500円
  牛すじ煮込み     550円
  クラゲのよろず和え  550円
  とり焼          700円


お店はカウンターとテーブル席が3つの家庭的なお店です。


お店を紹介いたします。店主は八王子の車家で修業されたそうで三乗の店名は車家の社長に名づけてもらったそうです。
  店名 手打ち蕎麦 三乗
  住所 千葉県佐倉市井野1362-3
  電話 043-463-7880
  休日 火曜 ・ 第三水曜 ( 祝祭日の場合は、翌日休み )
  営業 11:30~15:00 17:30~21:00
  交通 ユーカリが丘駅 あるいは 志津駅



2012年5月13日追記 タイトル:そばがきぜんざい

すでに紹介したお蕎麦屋さんで、お蕎麦を食べた後にデザートも頼みました。
写真の「そばがきぜんざい」です。初めて食べたものでした。

もちっとした蕎麦がきの上にあんが乗った一品でした。そばがき(蕎麦がき、蕎麦掻き)は蕎麦粉に熱湯を加えるか、水を加えて加熱し、箸などですぐかき混ぜることで粘りを出して塊状にしたものです。子供でも簡単に作れるので、蕎麦産地では昔からおやつとして定番だったそうです。あんの下に、真っ白のそばがきが、たっぷりと入っていました。お餅の代わりが「そばがき」です。お蕎麦屋さんのデザートにふさわしいものでした。


スプーンですくったソバガキです。餅とは少し違った食感の食べ物でした。こんな形で蕎麦を食べたのは初めてでした。このように「そばがき」と「あん」を一緒に食べます。

2014年10月8日 皆既月食 [日々]

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 18時44分 ISO3200 F5.6 1/60s   月食開始から20分経過  食甚 -70分
この日は皆既月食が見れることに気が付いて、すぐに2階のバルコニーから写真を撮りました。この時、夕食を食べる時間で準備は進んでいたのですが、食事は後にしました。先ずは自動露出で撮りました。月を撮ったとしては露出過多ですが地球の影が月に映っていることを実感できる写真だと思います。写真をクリックしてみてください。
使用したレンズの焦点距離は、最初(400mm)と最後(760mm)の2枚の写真を除き、すべて400mmのレンズに2倍のエクステンションを付けて800mm(400mmx2倍)で撮りました。

自動露出では月が真白だったので露出は手動にして月の模様が見えるように上の写真の65分の1に調整して撮りました。少し暗くしすぎたようです。次からはもう少し明るくすることにしました。
 18時49分 ISO3200 F11 1/2000s 月食開始から25分経過  食甚 -65分


地球の影が広がって月の明るい面積が狭くなってきました。
 19時03分 ISO3200 F11 1/160s  月食開始から49分経過  食甚 -51分


少しづつ地球の影で月がかけてきました。
 19時09分 ISO3200 F11 1/125s  月食開始から55分経過  食甚 -45分


明るい部分が、さらに小さくなってきました。
 19時16分 ISO3200 F11 1/125s  月食開始から62分経過  食甚 -38分


暗くなってきたのでシャッタースピードを遅くしました。
 19時21分 ISO3200 F11 1/25s  月食開始から67分経過  食甚 -33分


太陽のあたる部分はわずかになりました。シャッタースピードを皿に遅くしたので影の部分も月面の模様が写るようになりました。第2接触(19時24.6分)寸前の状態です。これから皆既日食の状態に入ります。
 19時24分 ISO3200 F11 1/10s  月食開始から70分経過  食甚 -30分


皆既月食の状態に入り月が暗くなったのでISOは6400に上げシャッタースピードは1/6sまで遅くしました。感度を揚げたので影の部分も写っています。赤色の月です。正確には19時24.6分に皆既月食に入りました。
 19時31分 ISO6400 F11 1/6s  月食開始から77分経過  食甚 -23分


さらに遅いシャータースピードにしてみました。ISO3200の1/125sに比べると100倍の露出です。ISO3200の1/125sのままだと真黒で何も映っていないと思います。
 19時33分 ISO6400 F11 0.4s  月食開始から79分経過  食甚 -21分


少しシャッタースピードあげて1/5sで撮った写真です。約1時間ほど皆既月食が続くと聞いていたので、一旦、写真撮影を中断して食事にすることにいたしました。
 19時35分 ISO6400 F11 1/5s  月食開始から81分経過  食甚 -33分


上の写真の48分後の写真です。左側が明るくなってきました。
 20時23分 ISO6400 F11 1/5s  月食開始から129分経過  食甚 +29分


さらに左側が明るくなってきました。20時24.5分に皆既月食が終了しました。
 20時29分 ISO6400 F11 1/5s  月食開始から135分経過  食甚 +35分


太陽の光が直接にあたりはじめたようです。光があたっているところは真白です。
 20時36分 ISO6400 F11 1/5s  月食開始から142分経過  食甚 +42分


ISOを3200に戻しシャッタースピードも1/50sに上げました。そのために影の部分は真黒になりました。
 20時41分 ISO3200 F11 1/50s 月食開始から147分経過  食甚 +47分


太陽のあたる部分が広がってきました。シャッタースピードも1/125sに戻しました。
 20時46分 ISO3200 F11 1/125s 月食開始から152分経過  食甚 +52分


地球の影が遠のいていくのが判ります。
 20時57分 ISO3200 F11 1/125s 月食開始から163分経過  食甚 +63分


地球の影は約40%になりました。
 21時09分 ISO3200 F11 1/160s 月食開始から175分経過  食甚 +75分


雲が西から流れて来たので撮影終了です。この後、月が全く見えなくなりました。
 21時20分 ISO800 F11 1/10s  月食開始から186分経過  食甚 +86分


月食の変化を判りやすくするために、上で紹介の写真の最初と最後を省いた16枚の写真(-65分~+75分)を小さくして並べてみました。





月食は地球の影が月に映る現象です。2014年10月8日の月食の経過は次の通りです。19時24.6分~20時24.5分が皆既月食となります。
  18時14.5分 第1接触 月が地球の本影に入り始めた瞬間   -100分 
  19時24.6分 第2接触 月が地球の本影に完全に入った瞬間  -30分 
  19時54.6分 食甚   食の最大              ±0分 
  20時24.5分 第3接触 月が地球の本影から出始めた瞬間   +30分 
  21時34.5分 第4接触 月が地球の本影から完全に出た瞬間 +100分 
21世紀の100年間で皆既月食85回、部分月食57回生じるそうです。
一方、日食は21世紀の100年間では金環食を含めた皆既日食は147回で部分日食は77回であることから月食の発生頻度は日食より低いけれども特定の場所に住んでいる人にとっては月食は頻繁に見ることが出来ますが日食は滅多に見れない現象です。これは月食の場合は地球の影が月に映る現象なので夜の地域の人は晴れていれば全員が見ることが出来るのに対して、日食は月の影に入る一部の人しか見ることが出来ないためです。

タグ: 皆既月食

中国で高速バスに乗りました。 [寧夏回族自治区]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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今までに中国で高速バスに乗ったことがあるのは南京から上海に走る高速バスだけでした。数回は乗ったことがありましたが、南京→上海以外の路線は乗ったことがありませんでした。今回、寧夏回族自治区に来て中衛から銀川に向かうのに高速バスを使いました。南京→上海以外では、初めての高速バスとなりました。上の写真はバス中衛のターミナル内の待合室です。ビル内に入るのは空港並みに厳重でした。

下の地図の緑色ラインが2014年8月31日に高速バスが走ったルートです。
中衛( )から銀川( )に走りました。前日にもを車で一般道を走りました。
  8月28日PM 200km タクシー   銀川→中衛
  8月30日AM 250km ホテルの車 中衛→銀川→石嘴山 
  8月30日PM 250km ホテルの車 石嘴山→銀川→中衛 
  8月31日PM 200km 高速バス   中衛→銀川       

より大きな地図で 中衛→銀川 を表示
電光掲示板の「37179 16:30 銀川快客」と書かれているのが我々が乗るバスです。16時30分に出発して18時に着くとのことでした。「快客」の意味は「急行」のようですが、バス自体も普通のバスとは違っていました。


バスのフロントガラスの表示です。


バスの車内はきれいでした。
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席ごとに送風調整が出来る上にランプもありました。


別の場所区行くバスです。このバスは快客ではないようです。


出発するとすぐに黄河を渡ります。右の方の濁った水が黄河です。
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バスの窓からは、モスクがある景色、サービスエリア、風力発電の風車、山のある景色など、いろんな景色を見せてくれます。
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出発して2時間半で銀川のバスターミナルに着きました。これが我々が乗った快客バス(急行バス)です。
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メキシコの教会 [メキシコ]


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メキシコのモンテレイに滞在している時にメキシコの人に隣り町のサルティーヨ(Saltillo)に連れ行ってもらいました。サルティーヨは、メキシコのコアウイラ(Coahuila)州の州都であり、モンテレイからは西に90kmの距離の場所にあります。人口はメキシコで20位の約63万人だそうです。実は最近まで町の名前も場所も知らなかったのです。その時に連れて来てもらったのが上の写真の立派な教会でした。もちろん、町の名前もわからないくらいですから教会の名前も知りませんでした。
メキシコの記事を書いたきっかけに教会の名前を調べてみることにしました。車で走った方向から、確信はありませんが町の名前としてサルティーヨ(Saltillo)が候補に上がりました。
日本語のサルティーヨ教会では出てくないのでSaltilloの画像検索でこの教会の名前がわかりました。ズバリSaltillo Cathedral (スペイン語:Catedral de Saltillo)でした。日本語で言えばサルティーヨ大聖堂となります。ということで連れてきてもらった町もサルティーヨ(Saltillo)であることも、はっきりと確信が持てました。そして名前の通り、この町を代表する教会であることもわかりました。上の写真はクリックすると拡大するので是非とも見てください。
サルティーヨ大聖堂はバロック建築様式で1745年に建設がはじまり1800年に完成しました。1891年6月23日にサルティヨの教区の勃起で、教皇レオ十三世によって大聖堂のランクが与えられたそうです。

メキシコで撮った写真のほとんどはパソコンが壊れたために失われて教会の写真で残ったのは上の一枚だけなので、ストリートビューの写真を掲載させていただきました。教会は意外と奥が深いたてもので、奥の部分にドームがありました。
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教会の写真を判ってもらうために上からの写真も紹介します。冒頭の写真は、この航空写真で言えば左側から撮ったものでした。
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クリックすると拡大メキシコのモンテレイで3ケ月間ほど泊まっていた右の写真のホテルGran Hotel Anciraから隣町の教会Saltillo Cathedral へのルートを示したGoogle航空写真です。
紹介の教会のストリートビューはこちらです。→ ポチッ
  モンテレイ   Gran Hotel Ancira
  サルティーヨ Saltillo Cathedral
  動画の撮影場所

より大きな地図で Saltillo Cathedralへのルート を表示
ネットで調べていて、わかったことですが、メキシコの教会はどれも似ていました。その特徴は正面から見て右側に高い塔が建っていて左側に時計の付いた少し低い塔があることでした。真中の建物にはきれいな彫刻が彫られているのも共通した特徴でした。
下記の写真はモンテレイの町を代表する教会であるモンテレイ大聖堂(Monterrey Cathedral)です。似た配置になっていることがわかってもらえると思います。この写真はモンテレイに長期滞在していた知り合いの方が撮った写真です。
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モンテレイ(Monterrey)からサルティーヨ(Saltillo)に向かう途中にある峠( )の近くからの景色の動画です。 この動画の最後にメキシコ人が写っていますが、その方が サルティーヨの町や教会を案内してくれました。


モントレイとサンティーヨの場所を広い範囲の地図で紹介いたします。メキシコでも沢山の写真を撮っていましたが、写真を保管していたノートパソコンが壊れてしまって大半の写真が失われてしまいました。そのおかげでバックアップを行う習慣が身につきました。残され数少ないた写真でメキシコの記事を掲載させてもらいました。

メキシコのサソリ [メキシコ]


プレーボタン( )をクリックしてみてください。

すでにタイトル「モンテレイの肉料理」の記事の中でメキシコのサソリを紹介いてしましたが、そのサソリの動画をYouTubeに登録いたしました。この動画は私が撮ったものですが、サソリの動きに合わせて後ろに下がりながら撮りました。一度目に私の靴のところに来たときはあわてて目標を外してしまいました。最後にもう一度、靴のところに来たところで終了です。おそらく私の靴を隠れる場所と思ったのでしょうね。
サソリ(蠍、蝎)は、節足動物門・鋏角亜門・クモ綱・サソリ目 Scorpiones に属する動物の総称です。前に鋏、尾に毒針を持つ事で恐れられるが、命にかかわる毒を持つものはごく一部(25種)だそうです。それでも世界全体では1000人近い人が命を落としているそうです。 クリックすると拡大します。サソリ類は世界に多く分布しており、種数は1000を超えるそうです。右の写真はネットから拝借した猛毒を持つストライプバークスコーピオンです。
今回のサソリの種類はわかりませんが猛毒を持つストライプバークスコーピオンに色合いなどが似ています。体長が4cmだそうなので大きさも似ています。ネットで調べるとフロリダにも近種がいるとのことなのでメキシコにストライプバークスコーピオンの近種がいても不思議ではなさそうです。

YouTubeは中国や一部の日本企業の社内Lanでは見れないところがあるので画像は小さいのですがSo-netに登録した動画も掲載いたします。

1000種類以上いるサソリの一部を紹介します。
・主な危険なサソリ
 ストライプバークスコーピオン         フロリダにも近種 
 オブトサソリ                 中近東に生息 最強毒種
 イエローファットテールスコーピオン      北アフリカに分布
 サウスアフリカンジャイアントファットテールスコーピオン 南アフリカ産
 ボルネオロングクローフォレストスコーピオン  ボルネオに生息

・日本のサソリ
 ヤエヤマサソリ           八重山諸島
 マダラサソリ            八重山諸島、宮古諸島、小笠原諸島

・主なペットサソリ
 ダイオウサソリ           アフリカに住む世界最大のサソリ
 レッドクロウエンペラースコーピオン アフリカに生息
 チャグロサソリ           アジア産の大型種
 フラットロックスコーピオン     アフリカに生息
 デザートヘアリースコーピオン    アリゾナ砂漠に生息

メキシコで一番危険なサソリはCentruroides noxius Scorpionだそうです。日本の外務省から出ているメキシコのサソリに関する記述は下記の通りです。
メキシコ市内でも散見されますが毒性は弱く、モレロス州に毒性の強いサソリが生息しているとのことです。刺されたらサソリを捕獲して救急外来に受診ください。

モンテレイの肉料理 [メキシコ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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メキシコのモンテレイ (MONTERREY)です。その時のことを紹介いたします。3ケ月間と私にとっては最も長い海外滞在がこの場所でした。その中で最も印象に残ったのが肉料理でした。メキシコと言えばメキシコ料理と思われがちですが、私にとってはメキシコと言えば肉料理でした。なぜかメキシコはステーキはおいしい。レストランに行けば時々はずれもあるけれど5軒に4軒はあたり! おいしいステーキはソース&たれの類はまったく必要ありません。つけない方がおいしいくらいです。
高級店に行けばいろんな高級部位が選べます。人数が多ければ、すべてを注文して全員で取り分けて食べることをお奨めします。その時、初めて部位の違いによる味やおいしさの差がはっきりと判ると思います。実はそういう食べ方で自分の一生の中で一番おいしいステーキがありました。その時、部位の名前を確認しなかったことと店の名前をメモしなかったことを後悔しています。

今回の写真はメキシコの人たちとバーベキューをやった時の写真です。地元の人が選んできてくれた肉なので格別に美味しい肉でした。もちろん炭火焼きです。ほとんどが牛肉ですが鶏肉も焼きました。それもおいしかっです。それにしてもすごい量でしょう。
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肉も多かったけれどもバーベキュー参加者も多かったです。左が全メンバーの記念写真で、右が日本人だけの記念写真です。白いワイシャツ姿が私です。


赤色の印のところでバーベキューをやりました。
記念写真の背景の発電プラント(268,000KW)が完成したので、共に苦労したメキシコ人の仲間たちと日本人のプライベートの、ささやかな焼肉パーティーだったのです。3ケ月間の滞在と上で書きましたが本来は10日間(12月10日~12月19日)の予定でした。試運転が厳しい状況であったことから、引き渡しまでの3ケ月間(12月10日~翌年3月12日)の滞在になったわけです。試運転を行うのは電力会社の指示で真夜中であることから、皆は12時間勤務の2交代で行ないましたが、私だけは朝の8時に出勤して翌日の20時に帰る36時間勤務が何度もありました。海外で正月を過ごしたのも初めてでした。
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バーベキューは、このセロデルフライル山の麓で行いました。なんともいえない景観の中での食事でした。モントレー (MONTERREY) から車で40分くらいの場所でした。モンテレイは大きな町ですが少し離れると景色が一変することがわかってもらえると思います。
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植物と言えばサボテンが最も目立った存在の場所でした。
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バーベキューをしたあたりには沢山のジャックラビットが生息していました。
近くに来るのですが、なにしろ逃げ足がすごく速いので簡単には写真が撮れません。やっと撮れたのが右の写真ですがボケちゃってます。左の写真はネットから拝借した写真です。耳の大きな野うさぎであることがわかってもらえると思います。
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ガラガラ蛇(ただし死骸)やサソリも見つけました。その時のサソリの動画を掲載いたします。さすがメキシコでした。私の足が2度出てきますが、一回目は画面が乱れてしまいます。2度目は動画の最後のところです。
SSブロク登録の動画→ポチッ


このあたりの道路を走っている時の動画も紹介します。再生してもらえると雰囲気が判ってもらえると思います。モンテレイの隣町であるサルティーヨ(Saltillo)に行く途中の峠道を行くところの動画です。


すぐに車を止めて廻りの景色を動画に撮りました。上の動画の中の最後の画面と、ほぼ同じ構図の画面があるので探してみてください。


肉料理の国だけあってってトルコなどで、有名なドネルケバブも街で良く見かけました。
DSC01607-850.jpg

セロデルフライルの場所がわかりました。
バーベキューを行った場所から目の前に見えていたセロデルフライル山を衛星写真で探してみると蝶の羽のような不思議な形をした山脈の集まりであることがわかりました。セロデルフライル山をネットで探してみましたが日本語では出てきませんでした。セロデルフライルはスペイン語だとCerro del Fraileと想像されますが地図の上には、ありませんでしたが、この山脈の最高峰はPicachos el Fraileであることが判りました。不思議な形をした山脈ののマークのところがこの山の最高峰です。標高は2390 mです。等高線の入った地図はこちらです。→ポチッ ポチッ
さらにCerro del Fraileで検索すると今回の山の画像沢山出てきたのでCerro del Fraileであることは間違いないと思います。
さらに1969年6月4日に79人が乗ったボーイング727メキシカーナ航空がセロデルフレイルに墜落したことが書かれていました。→記事
撮影場所と書かれているのは以前の記事で自然のトンネルの写真を掲載しましたが。そのトンネルの撮影場所のことです。
クリックすると地図
  タグをクリックすると今までの肉の記事を表示します。

土の家 [寧夏回族自治区]


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クリックすると拡大中国・寧夏の中衛市には右の写真の巨大な土で出来た温室が沢山あることを以前に紹介いたしました。簡単には確率出来ない技術だと感じており、土で御浮名構造物をつくる技術が古来からあると思っていました。田舎の道を車で走っているときに土とレンガが出来た家の集落の中を通る機会がありました。
その時に、この土の家を作る技術が巨大な土の温室の建設に行かされたのだと直感いたしました。
土で出来た巨大温室群の記事はこちらです。→ 温室 レストラン

砂漠地帯なので、建材としての木が少ないことから土とレンガが発達したものと想像されました。
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こちらはレンガで出来た家です。
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レンガと土の組み合わせの家です。
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中衛の市街地から黄河沿いの道路への抜け道を走った時に、この集落を通りました。
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クリックすると拡大中衛市の市街地周辺には右の写真のように沢山の中層マンションが建っていました。さらに沢山のマンションが建設されていました。このことは土の家が減っていくことを暗示させられました。都会では、ほとんど見れなくなった集落の貴重な写真になるかもしれません。
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衛星写真で見ると中衛市が土漠や砂漠の中にあることが判ってもらえると思います。まさに砂と土の文化圏なのです。香山郷はスイカ「中衛硒砂瓜」と羊肉の名産地です。
スイカと羊肉と市街地の記事はこちらです。→ 西瓜 羊肉 市街地
 寧夏回族自治区 中衛市 市街地        標高1300m
 寧夏回族自治区 中衛市 沙坡頭区 香山郷 標高1780m
 寧夏回族自治区 中衛市 法王殿        標高2300m以上
 寧夏回族自治区 中衛市 南華山        標高2955m

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なつかしい芦屋の評判の 牛肉の佃煮(芦屋軒) と 焼き菓子(ポッシュ・ドゥ・レーヴ芦屋) [土産]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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2014年9月22日は山口県に墓参りに行きました。その墓参りに合わせて9月20日~兵庫県の宝塚の実家に帰省していました。墓参りにはお袋と二人で行くのですが山口県の叔父さん(お袋の弟)に車出しなどお世話になっているのでお土産を芦屋に買いに行きました。
今までは清荒神の参道にある「さん志ょうや本家」の「あかね昆布」と「松茸佃煮」をお土産にしていました。それに甘いものとしてアンリシャルパンティエの焼き菓子も持っていきましたが、今回は芦屋の牛肉の佃煮にしたいとお袋が言ったので、芦屋に買いに来たわけです。上の写真は芦屋に流れる芦屋川で見えている山は六甲山です。
クリックすると拡大クリックすると拡大私が高校生時代には上の写真の芦屋川にはきれいな川にしか住めない右の写真のプラナリアが生息していました。水質的には今でも住めると思います。

実は私は芦屋の高校に通っていたので、懐かしくなり高校まで足を運んでみました。広いグラウンドは昔のままでした。高校生時代は生物部に所属していました。
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一番海側の建物以外は新しくなっていました。カヌー部とヨット部と放送部が全国大会出場との垂れ幕が飾られていました。
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マミズクラゲを発見した右上の池は無くなっていました。
思い出の記事はこちら→ポチッ
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こちらが神戸牛の佃煮屋さんの芦屋軒です。阪急芦屋川駅の側なので、最初にこちらのお店を訪れて、その後に母校に行ったのでした。
  店名 芦屋軒
  住所 兵庫県芦屋市西山町1-6
  電話 0797-22-2981
  営業 9:00~19:00
  定休 月曜日
  創業 大正末期
  名物 神戸名産・牛肉佃煮
  HP http://www.kcc.zaq.ne.jp/ashiyaken/
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お土産用は175gx2袋入り4200円を買いました。


実家用には90gを買いました。こちらは1050円でした。
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焼き菓子のお土産も買いたかったので、家にいる家内に電話して、芦屋で有名なスイーツのお店をPCで検索してほしいと頼んだ結果、教えてもらったお店がこちらでした。確かに人気のようで沢山のお客さんが来られていました。
 店名 Poche du Rêve ポッシュ・ドゥ・レーヴ芦屋
 住所 兵庫県芦屋市公光町9番7号モントルービル101
 電話 0797-32-0302
 営業 10:30~19:00 水曜日のみ9:30~17:00
 定休 火曜日
 創業 2009年1月10日
 店長 伊藤 福子 オーナーパティシエ
 HP https://www.poche-du-reve.com/
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お土産用の焼き菓子を買いました。小さい方の箱が人気No1の和三盆リングサブレ8個セット1380円です。大きい方がサブレ、ブリアン、パウンド、マドレーが入ったセット3430円です。


実家用はケーキにいたしました。持ち帰る時に荷物が多かったことから箱が斜めになってしまい、こちらのケーキは少し変形してしまいました。レシートではフィグ490円とかかれていました。
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切った断面を紹介します。イチジクのケーキでした。評判になるだけの美味しさでした。フィグはイチジクのことでした。フランス語はFigue、英語でもFigです。
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こちらのケーキはピスターシュ480円です。
シチリア産の最高級ピスタチオを贅沢に使用したフランボワーズのシュプレームを合わせたものだそうです。
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こちらも切った断面を紹介します。
店名のPoche du Rêveのフランス語の意味は「夢のポケット」です。
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ケーキにはやっぱり紅茶ですね。
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Google地図で位置関係を紹介します。到着した時間を書いています。
  09:50 芦屋軒
  10:25 兵庫県立芦屋高等学校
  10:40 Poche du Rêve ポッシュ・ドゥ・レーヴ芦屋

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遅い昼食は簡単に! と思ったら [寧夏回族自治区]


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クリックすると拡大寧夏回族自治区の銀川で2014年8月30日の昼食で食べたラーメンです。トッピングは玉子とネギだけのラーメンでした。あっさりとした美味しいスープで、麺は平打ちのちぢれ麺でした。写真をクリックすると拡大した平打ち麺を表示します。
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右の写真が沖縄そば(沖縄すば)です。→ポチッ
見た目も似ていると思いませんか。
那覇にある「てんtoてん」というお店の沖縄そばです。    

実は8月28日~8月31日の間に銀川と中衛の間は2往復しているのです。特に2014年8月30日は銀川市の近くの石嘴山市と中衛市の両方に幼児があったことから中衛⇔石嘴山()を日帰り往復したのでした。中衛からだと石嘴山は銀川より遠くになるために銀川を通りました。
  8月28日 200km タクシー  銀川→中衛
  8月30日 250km ホテルの車 中衛→銀川→石嘴山 
  8月30日 250km ホテルの車 石嘴山→銀川→中衛 
  8月31日 200km 高速バス  中衛→銀川     
中衛市内で用事を済まして中衛を10時半に出発して銀川のレストラン中海隆飯に着いたのが14時でした。遅い昼食で石嘴山までは、まだ遠いのでラーメンを食べてすぐに出発と思っていました。

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ラーメンを食べ終わると料理が出されました。もちろんビールも注文いたしました。ピーマンの料理です。これほどピーマンが主張している料理も珍しいです。
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少し発芽させた豆料理です。
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麺が少し入った野菜炒めです。
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日本人の大好きな麻婆豆腐です。私がいたから注文してくれたのだと思います。
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もやし炒めです。
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大きな器にスープが出てきました。
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この日のメインデッシュは大きな魚でした。魚の種類を聞くと鯉(コイ)でした。上のスープの器が小さく見えるほど大きなコイでした。中国に92回ほど来ていますがコイは初めてかもしれないほど珍しいです。
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かなり濃いめの味付けでネギがたっぷりとかかっていました。


これが鯉の身です。泥臭いのかと思いきや、まったく臭みがなく美味しいかったのです。やっぱり料理人は美味しくする工夫を知っているのだと感心いたしました。濃い味わいにするところは日本の鯉料理と似ていました。このあとに石嘴山に行き銀川ですでに紹介した夕食で回族料理を食べて中衛に戻ったのは23時半でした。往復500kmの高速道路を使わない車の旅となりました。
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