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井野の梵天塚 [風習・歴史]



八千代市の下高野の伝統行事に参加させてもらい梵天塚(ボンデン塚)が出羽三山参り(奥州参り)に行った記念碑を塚に集めた場所であることを知りました。隣の地区である同じ八千代市の上高野にも梵天塚があったので紹介しましたが、八千代市の隣の佐倉市に梵天塚というバス亭があることを思い出したので行ってみました。

想像した通り、バス亭の場所に梵天塚がありました。それも15基もありました。場所は千葉県佐倉市の井野のあたりです。佐倉市の井野は八千代市の下高野の隣の地区でもあるのです。


15基の出羽三山参拝記念碑(三山碑)に記載されて参拝の日を調べてみました。
江戸時代の古い記念碑は供養塔という呼び方だったようです。
 文政 3年 2月    1820年
 弘化 4年11月    1847年
 明治 7年 4月    1874年
 明治22年 4月    1889年
 明治35年 7月17日 1902年
 昭和12年 7月20日 1937年
 昭和17年 1月 5日 1942年
 昭和26年 7月16日 1951年
 昭和29年 8月 1日 1954年
 昭和38年 7月26日 1963年
 昭和43年 7月28日 1968年
 昭和49年 8月 5日 1974年
 昭和62年 7月17日 1987年
 平成12年 8月27日 2000年
 平成12年        2000年


こちらの2基ともに平成12年の最も新しい記念碑です。同じ年のものがあるのは初めてでした。経緯は判りませんが左の碑の土台は新しいものなので別の場所にあったものを移動してきたものかもしれません。


こちらにも自転車で行ってみました。


すぐ近くには庚申塔もありました。こちらの塚には5基の庚申塔がありました。万延元年(1860年)、寛政4年(1792年)、文政10年(1827年)の文字が読み取れました。
結構、立派な庚申塔でした。庚申塔は今までにも沢山見つけことが出来たので、梵天塚に比べると庚申塔が建てられている場所は沢山あるようです。昔の小学校でも庚申塔を見ることが出来ました。


高野山のケーブルカー [高野山]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。


大坂のホテルから日帰りで高野山に行ったときのことです。上の写真はケーブルカーの下の駅「極楽橋」に停車中のケーブルカーです。
通称は高野山ケーブルと呼ばれていますが正式名は南海電気鉄道鋼索線あるいは略して南海鋼索線(なんかい・こうさくせん)です。今から81年前の1930年6月29日 高野山電気鉄道により開業しました。長い歴史の中で車両は1953年6月23日と1964年12月17日に取り替えられました。今の車両(コ11・21形)は3代目というわけです。つまり今の車両は47年間使われてきたことになります。2代目(コ1形)は当時としては採用例の少ないアルミ合金製だったそうです。

今回は高野山に登るケーブルカーだけでなく南海電鉄も紹介いたします。
高野山ケーブルカーは大坂の難波から南海電鉄の高野線とつながった路線なのです。つながったと言うよりは一部と言った方が正解です。


きっぷも一枚で高野山まで行けます。上のきっぷがJRとの乗り換え駅である新今宮から高野山までのきっぷで、下が高野山から終点の難波までのきっぷです。


高野線の電車からの景色です。大坂からの列車で山間に入ったあたりです。


もうすぐ極楽橋です。このあたりは単線なので駅で列車同士がすれ違うために待つことがあります。この電車も結構な傾斜で登っていきます。


極楽橋に着きました。ここでケーブルカーに乗り換えます。右の電車に乗ってきました。駅の標高は538mです。ホームは櫛形3面4線です。以前は当駅でケーブルカーに乗らないで乗降する利用客は2004年は1日あたり101人と稀でしたが、高野山町石道が紀伊山地の霊場と参詣道として世界遺産に登録されたのちは、散策コースとして下車する客も増えています。


クリックするとネットの記事を表示下の写真は、もしかしてと思い、駅到着寸前に電車の中から撮った橋です。調べてみると、これが駅名の由来になった極楽橋でした。この橋は不動坂という高野山への参道に通じています。現在の橋は1954年に架け替えられたものだそうです。右の写真はネットから拝借した明治時代の写真です。江戸・明治時代は不動橋と呼ばれていました。
明治・大正・昭和の極楽橋の写真をネットで見つけました。→ポチッ
クリックするとネットの写真を表示

ケーブルカーと列車は連絡されておりすぐにケーブルカーに乗ります。高野線の列車の極楽橋駅発着時刻に合わせて運行されているため運転間隔は不均等だが、おおむね10 - 40分毎に運行されています。ただしお年寄りでも大丈夫なように乗り換え時間は考えてあるので乗り過ごす心配は要りません。
さらに積み残しが発生した場合には当該便の7分後に臨時便が運転するそうです。その場合反対方向の便は実質回送便ということもあります。


ケーブルカーの先頭から前を撮った景色です。
 路線距離 :800m
 高低差  :330m
 最大傾斜 :56.82%(水平100mに対して高低差56.82m 29.6度)
 方式    :単線2両交走式
 軌間    :1067mm
 駅数    :2駅(起終点駅含む)
 所要時間 :5分


ケーブルカーは線路が真直ぐに近いところが多いけれども、高野山は山が入組んでいるためか大きなカーブがありました。


丁度真中で、上からのケーブルカーとすれ違います。


これが頂上の高野山駅です。ケーブルカーの車両の先頭には運転手さんが乗っています。2006年7月1日からは全線でPiTaPaとICOCAが使用できるようになりました。ケーブルカーでICカード乗車券が使えるのは、日本全国でここだけだそうです。


高野山駅の駅舎は1928年完成の木造2階建です。ケーブルカーの開業が1930年6月29日なので開業当初の建物ということになります。洋風建築を基調とする外観で、高野山の玄関駅らしい寺院風の宝形造の屋根を持っています。1階がコンコース、2階が待合室です。待合室には展望室があり、また高野線の歴代車両の写真などが飾られています。この駅舎は2005年に南海電気鉄道鋼索線高野山駅駅舎として国の登録有形文化財に登録されたそうです。一日の乗降人数は平均で1,982人だそうです。
ここから南海りんかんバスに乗り換えて高野山の町に向かいます。
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高野山でユネスコの世界遺産に登録された場所は大門、伽藍、金剛峯寺、徳川家霊台、金剛三昧院の各境内地、そして、奥之院全体と自然景観や森林までを含めて登録の対象です。
掲載させてもらった高野山の記事を紹介します。
タイトルをクリックすると記事を表示します。
  高野山と言えば精進料理 ←ぜひ体験を!
  高野山のメインストリート
  高野山の商店
  高野山真言宗・総本山  ←金剛峯寺
  お寺散策
  ちょっとした配慮
  枯山水
  南峰堂本舗
  高野まき
  大門
  本屋さん
  虎屋薬局
  総本山と大本山
  奥の院 ←お薦め場所
  高野山の入口 女人堂

ここからはケーブルカーの下りを紹介します。
高野山駅から見たケーブルカーです。これから乗るところです。


下りるときも先頭に乗りました。高野山駅を出るとすぐに急カーブが待っています。


15時37分と言えどもケーブルカーのあたりは暗くなりかけていることから写真に撮ると近い景色は流れてしまいます。


真中あたりで昇って来る車両とすれ違うところです。こちらの景色はクリックすると拡大します。
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すれ違いを過ぎたあたりの景色です。


もうすぐ極楽橋駅です。


極楽橋駅からは有料特急「こうや」に乗りました。朝、大坂から高野山に行く時はは特急料金の要らない普通の特急でした。
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座席も特急らしいです。


休みの日の大阪梅田からの往復の例を掲載います。
行きは1時間54分で帰りは1時間48分です。意外と所要時間は短いです。


難波からのルートを表示します。