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もうすぐ一才 [思いで]


もうすぐ一才といっても昔の写真です。息子も今では大きくなりました。
以前、娘の小さい時の写真を照会いたしました。→ポチッ
そのうちに残りの二人の息子の小さい時の写真を照会するつもりでしたが先ずは長男の方から照会いたします。写真は一才の誕生日前の写真だと思います。

さらに小さい時の写真です。はいはいが出来たころでしょうか。


そのころの従姉(いとこ)達との記念写真です。生後6ケ月です。
そのうちに次男の小さい時の写真も照会いたします。


2013年5月25日に結婚しました。→ポチッ


インド海軍 [インド]

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ムンバイの港に軍艦が停泊していました。2隻のうち後側は空母です。
空母の形式はネットで調べた結果、イギリス式のようです。

インドで空母は意外だったので、つい撮ってしまいました。
潜水艦も停泊していましたよ。 潜水艦の写真は撮り損ねました。
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これは今も現役の海の上のトーチカです。規模が大きいので要塞に近いかもしれません。写真ではわかりにいけれど大砲も設置されていました。
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山本さんのコメントにあったフリゲート艦らしい船をアップさせていただきました。

釣ったばかりのイカを近所の人からいただきました。 [話題]



家内が2013年2月11日の夕方のワンコの散歩の時に、ビーグルの飾りをいただいた犬友達の方から大きなイカをいただきました。お主人がその日に釣ってきたばかりの透明感が残った新鮮なものでした。イカの種類はヤリイカあるいは剣先イカだと思いますが、細身なこととヒレ(耳 エンペラ)の位置からヤリイカの可能性が高いと思われます。35cmのまな板と比べてもらえれば大きさがわかってもらえると思います。

烏賊のヒレの部分は透き通ってまな板が見えます。


さっそく刺身にいたしました。大きなイカが2ハイ(2匹)あったので沢山の刺身が出来ました。左下のほうの色が少しあるところがヒレの部分で固くて別の食感を楽しむことが出来ました。
ちなみに烏賊(いか)は活きている時は匹と呼び、水揚げされると杯(パイ)と呼び、干すと枚と呼びます。


美味しい料理があるとビールが飲みたくなります。


ゲソの部分は塩をつけて焼きました。新鮮なので美味しかったです。


締めには小さ目のイカ丼を作くりました。これも美味しかったです。

門戸厄神 東光寺 [兵庫県]



2013年2月5日に愛蓮で海鮮焼そばの昼食をとったあとに門戸厄神に行きました。上の写真が阪急電車の今津線・門戸厄神駅の近くから見える門戸厄神東光寺です。略して門戸厄神と呼んでいました。今まで神社とばかり思っていましたが高野山真言宗の別格本山に格付けされている寺院だったのです。正式名は松泰山東光寺です。あらゆる災厄を打ち払うという厄神明王(門戸厄神)が有名なことから通称「門戸厄神東光寺」あるいは「門戸厄神」となったのかもしれません。最寄駅名も「門戸厄神」なのです。
マンションや家が増えてしまったことからお寺の全景は見ることが出来なくなってしまいました。ちなみに丘の上に見える建物は聖和短期大学の図書館だと思います。この丘の上には神戸女学院大学や関西学院大学も建っています。

こちらが正門です。表門まで上がる階段で表門まで42段(25段+17段)あります。この階段は男厄坂42段と呼ばれています。階段脇の青いカゴに注目してください。
  住所  兵庫県西宮市門戸西町2-26
  山号  泰山
  宗派  高野山真言宗
  寺格  別格本山
  本尊  薬師如来
  開基  空海、嵯峨天皇(勅願)
  創建年 天長6年(829年)
  正式名 松泰山 東光寺


こちらが正門となる表門です。門戸厄神(松泰山 東光寺)は日本三大厄神です。
ちなみに日本三大厄神とは
   摂津門戸の「松泰山 東光寺」
   紀州高野山の麓「天野明神」 (高野町・和歌山)
   山城男山の「石清水八幡宮」 (八幡市・京都)     です。
それでは関西の三大厄神は
  門戸厄神       松泰山 東光寺
  加古川宗佐厄神  宗佐厄神八幡神社(加古川市・兵庫)
  多井の畑厄神   多井畑厄除八幡宮(神戸市・兵庫)     です。


表門をくぐると目の前に中楼門がありました。中楼門は威厳のある構えで、入口には巨大な提灯がつられており提灯には大村昆さんの名前があるそうです。この中楼門に上がる両方の階段が女厄坂になっています。


中楼門からの厄神堂です。毎年1月18・19日に厄除大祭が、2月3日に星祭が行なわれます。厄除大祭では数多くの屋台が出店され、何万人もの参拝者で賑わいを見せるそうです。


中楼門の内側境内です。中楼門が最も目立った存在でした。


これが中央にある厄神堂です。ここには日本三躰の秘仏・厄神明王像が祀られています。このお堂で一年間祈願者の厄除け開運諸願成就のご祈祷を行っているそうです。


こちらが御本尊の薬師瑠璃光如来が祀られている薬師堂です。正面から見て厄神堂の右側にありました。正面が本尊ではなく厄神堂なのが門戸厄神らしいです。


もう一つ大きな建物がありました。これは大黒堂・愛染堂で大黒天と愛染明王を祀られていました。


大黒堂・愛染堂の左手には、大師堂があります。ここには真言宗の宗祖弘法大師・空海上人が祀られています。


おみくじを買われる人も沢山おられました。


こちらが南門です。お参りした人の出口になっています。関西の三大厄神とは
  門戸厄神     松泰山 東光寺
  加古川宗佐厄神 宗佐厄神八幡神社(加古川市・兵庫)
  多井の畑厄神  多井畑厄除八幡宮(神戸市・兵庫)         です。


まだまだ紹介したいしたい写真があるので小さな写真を掲載いたします。
住宅地を通って門戸厄神にむかうのですが、大きく日本三体門戸厄神と書かれています。日本三体を調べてみると、空海が嵯峨天皇の勅により刻んだ三体の両頭愛染明王(りょうずあいぜんみょうおう)のことだそうです。東光寺のと同時に作られた他の二体は、高野山天野明神と石清水八幡宮に納められたそうですが、現存するのは東光寺だけとなったそうです。こちらの右の写真は正門の右側にある門です。こちらの門の右の柱には高野山真言宗東光寺と書かれており左の柱には門戸厄神と書かれていました。


表門に真っ直ぐ伸びる参道の入口の両側に建っていた灯篭です。住宅街の中を道が通っており参道の雰囲気を残した唯一のものでした。


願い事を絵馬に書きますが、こちらでは絵馬もありましたが扇子もありました。裏手の方には稲荷社もありました。高安稲荷大明神と書かれていました。


表門に上がる42段の階段が男厄坂で次の中楼門へ上がる33段の階段が女厄坂です。女子の厄の年にちなんで33段になっているそうです。階段の横に籠があり階段を下りる毎にお賽銭を置くことで自分の厄を落とすのだそうです。これはお寺の人が置いたのではなく、お参りする人が勝手に置かれたようです。男厄坂も同様に男子の厄の年にちなんで42段になっており一段づつ登る事で厄を落とすと言われています。


左が男厄坂の階段に置かれていた賽銭籠です。百度参りの石もありました。


左が宝輪杉で右が延命魂です。これらは高野山奥の院、弘法大師御廟近くの山道に、高さ60m、樹齢800年を経た老杉で平成10年(1998年)の台風倒木してしまいそれを高野山金剛峯寺より賜った霊木だそうです。


門戸厄神東光寺は「西国薬師霊場第20番」「西国愛染17霊場第2番」「摂津国八十八箇所第76番」です。そのことにちなんでか四国八十八ケ所めぐりが作られていました。


こちらが一番と八十八番です。


駅からお寺までの道には屋台や厄除まんじゅうのお店などがありました。ちなみに厄除まんじゅうを買って帰りました。


今までの紹介の写真を動画にしてみました。 YouTubeしてフルスクリーンでも写真を見ることもできます。是非とも見てください。

ネットから拝借した境内の地図を掲載いたします。位置関係がわかると思います。