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トルコ産カラスミ [トルコ]



前記事で台湾のカラスミを紹介したのでトルコのカラスミを紹介いたします。実はトルコはカラスミが有名なのです。こちらでは黒海産カラスミと地中海産のカラスミを置いています。選ぶコツは厚肉のものを選ぶことです。一番いい時期は出来立てが出回る6月ごろだそうです。したがって今は保存されているものです。
トルコのカラスミは日本や台湾のからすみと違いまわりを蜜ロウで固めてあるのが特徴で表面が写真のような色をしています。密ロウは保存のためのもので密ロウを剥いて食べることを忘れないように!
また日本や台湾のものと違い熱を加えないでそのまま食べる方がおいしいとのことでした。

最初にキャビアを買った後はカラスミを買いました。そこでキャビアのように試食させてもらいました。と言っても2種類だけです。
試食用ではなくて新しいの切って食べさせてもらいました。そして気に入った黒海産を3本と比較のために地中海産を1本買いました。味はなかなかいいです。
左の人の左手にあるのが黒海産カラスミで右手のが地中海産のカラスミです。出来上がりの形が違うので判ります。真中の人がお店CENNETのオーナーの「まっちゃん」です。このように試食をさせてくれます。場所はエジプシャンバザール(市場)の中です。

今回の台湾のお土産は! [土産]


タイミングよく台湾に来る機会があったので、上のバレンタインデーのチョコレートのお返し(お土産)はカラスミ! の予定
念のため嫌いだったら困るので事前に確認しておきました。ということは絶対に買って帰らなければ!なりません。

台北の迪化街のカラスミ専門店で写真の、お返しをゲットして来ました。

感謝! 本場の味を思い出させてくれました。 [イタ飯]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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東京の江東区でお気に入りのイタリアアンレストランに行ったので紹介いたします。
最初の前菜はモッツァレラチーズとトマトです。オリーブオイルとバジルをかけただけのシンプルな料理だけに素材の良さがストレートにわかってしまいます。最初からイタリアらしい前菜がいきなり出てきました。
ベトナムのハノイで最も評判の高いイタリア人シェフのお店で食べた味でした。→ポチッ
料理の名前はナナさんに教えてもらいました。 カプレーゼです。

ここは、近所で評判のイタリアンレストランで、なんどか利用したことがあります。
雰囲気もいいので二人でこられる人が多いように感じました。今回は6名で利用させてもらい、料理も大皿で出してもらう取分け方式でお願いしました。
お店を紹介します。
 店名 トラットリア イ・ビスケロ
     TRATTORIA i'bischero
 住所 江東区東陽5-11-2
 電話 03-5635-5077
 最寄 地下鉄東西線木場駅から徒歩6分
 営業 ランチ  12:00~L.O.13:30(前日までの予約制)
     ディナー 18:00~L.O.22:00(日曜・祝日~L.O.21:00)
お店の人に「料理の写真を撮る人はいますか。」と聞くと「沢山おられます。」との答えでした。毎日、必ず撮る人がいるとのことでした。やはり人気店なんですね。
と言うことなので遠慮なしで写真を撮らせてもらいました。
私以外は最初からワインで、私はビールでしたが、この料理だとビールだけだともったいないのでワインもいただきました。ワインの銘柄はイタリア/トスカーナ州のCastello del Terriccio Tassinaia 2002でした。
 

次に出てきたのはパルメザンチーズのかかったルックラのサラダと牛肉のカルパッチョでした。イタリアでは牛肉の生を食べることはイタリア行ったときに牛肉のカルパッチョを食べて知りました。
そのときの組み合わせと同じでした。→そううちに紹介いたします。
最初の料理も含めてイタリアそのもの味でした。料理が出されるたびにイタリアの料理が再現されていることが実感出来るお店であることが判ってきました。
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カラスミが入ったイタリア料理を初めて食べました。トルコに行ったときに地中海産のカラスミが美味しいことを知りました。地中海はカラスミの名産地だったことを思い出しました。地中海に囲まれたイタリアだからこその、豆とカラスミの料理のような気がしてきました。
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タコもよくイタリアで食べられます。
生ではなかったけれどミラノのレストランで出てきました。イタリアンの雰囲気を盛り上げてくれる料理でした。ここまで見ているとイタリア料理は日本料理と共通点が多いことを感じさせてくれました。
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大好きなトマトソースのスパゲッティーが出てきました。その上に新鮮なしらすが乗っていました。天使の髪の毛(エンジェルヘアー)と名づけられた細い麺が使われていました。
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雲丹のリゾットです。見た目も味もすばらしい。イタリアレストランでお米を見るとイタリアの水田を思い出します。
本場の味でした。ホームページを見ると確かに
日本人向けのアレンジをすることなく、トスカーナのマンマの味をそのままにをモットーに、友達の家に遊びに来たような気分で気軽に食事が楽しめるイタリア料理の店です。
                      と書かれていました。
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イタリアで食べた美味しいシンプルなトマトソースのスパゲッティーが食べたくなって、もう一品シンプルなトマトソースのスパゲッティーを追加させてもらいました。思い出させてくれる味でした。写真を比べてみてください。
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メイン料理は牛肉のステーキが2種類とチキンのローストでした。評判通り、料理の美味しいレストランでした。
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デザートにはアイスクリームを選びました。

                            
他の人が選んだチーズケーキも撮らしてもらいました。気がついたときにはすでに口に運ばれつつありました。すこし食べかけになってしまいましたがお許しください。

商家の古い建物を訪ねて 佐倉城下町 [千葉]



江戸時代の佐倉は城下町ですでに紹介した通り、武家屋敷が沢山ある町でしたが今は少なくなってしましました。商人の家も沢山ありました。今は古い家が少なくなってしまいましたが、町の中を散策してみると昔の面影を残した家もいくつかありました。こちの屋敷の袖蔵は1884年(明治17年)に建てられた記録が残っており主屋も同時期ごろに建てられたと考えられています。建物は近代の佐倉における有力商家にふさわしく造形的に優れた建物であり、出桁造の主屋と並んで袖蔵が建つ当時の商家の構えが残されています。こちらは三宅家住宅で今も使われており、今回紹介の商家の写真の中で佐倉市の有形文化財に登録されている建物は2軒です。

佐倉市の登録有形文化財は6軒です。その中で町の中にあるのは先日のルパン三世展の記事の中で紹介した山口家と、今回の三谷家と近くにある石渡家の3軒です。残りの3軒は周辺地域にあります。私の住んでいる場所に近いところにも1軒あります。この航空写真の中の黄色の枠の部分が下の江戸時代の模式図の範囲です。 
 佐倉市の登録有形文化財 いずれも見学はできません。→佐倉市Web
  山口家住宅 新町   1896年 袖蔵及び店蔵 
  三谷家住宅 弥勒町  1884年 主屋・袖蔵・座敷屋
  石渡家住宅 弥勒町  1905年 主屋及び蔵
  藤嵜家住宅 大佐倉  江戸末  主屋・洋館・文庫蔵・味噌蔵・表門・米蔵・馬小屋
  蕨家住宅   先崎   江戸末  長屋門 
  齋藤家住宅 太田   大正末  主屋及び蔵


江戸時代の佐倉の城下町の模式図です。その時代は武士の住む町と商人に住む町に分けられていました。赤い部分が商人の家があったところで明治以降も商家が集まっていたと思われます。今回紹介する商家も図の左下の赤い部分あるいは、その左の先(東)の方で撮ったものです。


有形文化財に登録はされていませんが古い面影の商家と思われる家が沢山ありました。こちらも板と土壁で出来ているので、結構古いものだと思います。
佐倉市内の文化財の指定や登録の数は次の通りです。→市web
   国指定  3件 元藩主 堀田邸など
   県指定 18件 武家 河原家など
   市指定 66件 武家 但馬家など
   国登録  1件 県立佐倉高校 旧校舎
   市登録  6件 商家 三谷家など


上の2軒以外を紹介いたします。沢山の古い商家を同時に見てもらいたいので小さな写真で掲載いたしました。。観光化されていなくても、どの家も今でも大切に使われていました。2枚目の建物はルバン展が行われていた佐倉市立美術館のすくそばにありました。3枚目が佐倉市登録有形文化財の石渡家です。市Webでは住所が太田となっていますが弥勒町と思われます。市Webの齋藤家は先崎ではなく太田です。4枚目の薬屋さんは道路に面した面は改築が行われていますが大切に古い建物を使われていました。13枚目に佐倉市登録有形文化財の山口家を追加しました。
大きな写真を見たい方のために写真をYouTubeに登録いたしました。この写真群をクリックするとYouTubeが表示されます。下に記事内にも埋め込みました


上の商家の写真です。プレーボタンをクリックすると表示します。別画面で出したい場合は形式1あるいは形式2をクリックしてください。
  YouTube → 形式1(素早く見たい方) 形式2(ゆっくり見たい方)


上で紹介していない商家以外の3つの佐倉市の登録有形文化財です。 いずれも江戸時代は農家地域の名主クラスの家だったようです。
 藤嵜家住宅/大佐倉      蕨家住宅/先崎        齋藤家住宅/太田


山田洋次ミュージアム [東京]



寅さん記念館の向かいの葛飾区観光文化センターB棟の2階に山田洋次ミュージアムが2012年12月15日にオープンいたしました。入場券は寅さん記念館と共通になっています。ここは「男はつらいよ」の山田洋次監督の記念館です。

山田洋次ミュージアムの展示は一つの部屋で展示されています。そこでは8つのテーマに出会います。展示11コーナーの中でテーマーの部分は緑色にしています。
 ①フィルムメーカー山田洋次"もう一つの世界
 ②デビュー作から「男はつらいよ」誕生まで
 ③家族とは
 ④シンボルオブジェ フィルムよさらば
 ⑤立ち止まり 振り返る
 ⑥教育とは
 ⑦渥美清へのオマージュ
 ⑧山田洋次全作品予告コーナー
 ⑨時代劇三部作
 ⑩人々の苦難により添って
 ⑪名作に挑む


こちらが展示室です。中央にあるのがシンボルオブジェで映写機材や映画のフィルムが沢山使われていました。


時代劇三部作のそれぞれにとって重要なものを紹介します。第一作「たそがれ清兵衛」の井口清兵衛の屋敷の模型です。これを見て佐倉の武家屋敷を思い出してしまいました。


二作目「隠し剣 鬼の爪」の映画の中で使われた短刀です。


三作目「武士の一分」で三村夫婦が飼っていた鳥の鳥籠です。


過去の映画のポスターがホールだけでなくトイレに行く通路にも沢山張られていました。トイレへの通路は結構長いので両側に張られたポスターは迫力がありました。


えっ 町の中に飛行機が!! [英国]



ロンドンで宿泊したホテルの近くをgoogle地図の航空写真で探している時に偶然に飛行機が写っていることに気が付きました。見た瞬間は、最初は「すごい構造物が地上においているものだな。」と思いました。
いろいろ検証した結果、これは高度の高いところから真下を飛んでいる飛行機が偶然に写ったものでした。つまり航空写真に飛んでる飛行機が写っていたのでした。
空港近くでは見つけることが出来ますが、空港から離れた町の中では珍しいと思います。もちろん、いろんな場所を探すと他にもあると思いますが小さいので見つけることは稀で、私もはじめて見つけました。珍しいことだと思うので紹介いたします。航空写真ではなく地図が表示されている場合は、地図上のアイコン写真をクリックしてみてください。航空写真の中のマイナスのアイコンを数回クリックすると場所がわかってくると思います。
大きな航空写真で見たいときはクリックしてください。→ポチッ

Googleの航空写真が更新されると飛行機が見えなくなると思うので、2012年9月20日~2013年2月28日の航空写真のハードコピーを掲載させてもらいます。飛行機を真上からみる光景は珍しいと思います。航空写真は2014年に更新されたために2014年7月27日現在は飛んでいる飛行機を見ることが出来なくなりました。


上の写真では飛行機が地上にあるようにも見えますが、飛んでいることを証明するためにはストリートビューで確認させてもらうと、地上には飛行機らしい構造物がないことがわかりました。そのことから飛んでいる飛行機であると思われます。
     ストリートビュー→ポチッ
クリックが面倒な人のためにストリートビューのハードコピーも掲載いたします。


下のように登録している地図に黄色いマークを追加しています。もしGoogle地図の航空写真で飛んでいる飛行機を見つけたら是非とも教えて頂けないでしょうか。 現時点でプロットしているのはロンドン成田空港の近くヒースロー空港ドイツのマイン空港韓国のインチョン空港ですが空港近辺以外はロンドンだけです。空色のマークは地面に映った飛行機の影です。この地図はGoogleに登録している人ならば誰でも編集できるように設定いたしました。→ポチッ
飛行機を探すときは左下の表示が500mで探すのが効率が良いと思います。


驚いたことにロンドンの町で、別の飛行機を見つけました。

写真が更新されると飛行機の映像が消えてしまうので、こちらもハードコピーを掲載いたしました。こちらの航空写真も2014年に更新されたために2014年7月27日現在は飛んでいる飛行機を見ることが出来なくなりました。ハードコピーをとっていて正解でした。
この飛行機はエアバスのA350(全長60.7~74m)あるいはボーイングの777(全長62.8~73.9m)と思われますが地上の130mの構造物と同じ大きさに見えます。これは比較的高い高度を飛んでいるためだと思います。
航空写真を撮っている高度が10000mと仮定すると、この飛行機は4310~5330mの高度を飛んでいる計算になります。
  計算式 10000 - (60.7~74)÷130×10000=4310~5330
冒頭の飛行機の機種は判りませんが、仮にA320(全長37.57m)と仮定すると地上の70mの構造物と同じに見えていることから10000mの高さから撮られた写真の場合は飛行高度は4630mということになります。


これが上で報告したロンドンの2機の飛行機と、下で追伸した飛行機の合計3機を見つけた場所です。地図(航空写真)の中のマイナスのアイコンを2回クリックするとロンドンの郊外の西(左方向)にあるヒースロー空港が現れてくると思います。


上の写真や画像は過去の飛行機ですが、現在の飛行機のことを紹介いたします。
下記の画像は2012年9月22日4時20分に世界を飛んでいる飛行機を表したものです。現在飛んでいる飛行機を見たい方はこちらをクリック→ ポチッ 
これはkazuさんに教えてもらったフライトレーダーhttp://www.flightradar24.com/というサイトです。黄色の飛行機のマークがリアルタイムでオレンジの飛行機のマークが5分遅れのデーターをプロットしたものだそうです。これだけ沢山(3200機14:20~6500機4:20)の飛行機が常に空中にあることに驚かされます。ポチッで出来た地図上の飛行機のマークにカーソルを持っていくとフライト番号が表示されるので、友達や家族の方が、現在、飛行機に乗っておられるのであれば、飛んでいる場所を探すことが出来ます。リストから場所を出すことも出来るしマークをクリックすると、飛行機の詳細のスペックと飛び立ってからの飛行ルートも表示する優れものです。


追伸です。
ロンドンで3機目を見つけました。驚きです。こちらの飛行機は上の2機よりも胴の長さが短めの機種のようです。機体の種類は判りませんが、とりあえずA318として、10000mから撮影されたと仮定すると飛行高度は2600mとなります。こちらも2016年11月29日の時点では飛行機を見ることが出来なくなりました。航空写真が更新されたのだと思います。ハードコピーは取っていませんでした。
      計算式 10000 - 31.44÷42×10000 = 2600

motomchanさんが日本でも見つけられてマークを付けられ乃した。飛行機のマークのところを拡大すると実際の飛行機が写っています。こちらもすでに更新されたようで2016年11月29日時点では、ほとんどのマークのところには飛行機は写っていません。

より大きな地図で 飛行機みっけ を表示

台北の小籠包 京鼎樓(京鼎楼) [台湾]


上海の南翔饅頭店の小龍包を紹介いたしましたので、台北で小龍包(ショウロンポウ)の専門店で食べた時のことを紹介いたします。この日はホテルに着いたのが夜の7時半だったのでホテルの近くで小龍包を食べることにしました。
いつも通っていた道だけど、こんなお店が出来ているとは知りませんでした。
台北で有名な「鼎泰豊」の従業員が分家したお店だそうです。台湾ナビによると「鼎泰豊」で20年以上も修行を積んでいた従業員の陳3兄弟が1998年に独立して作ったのが京鼎小館で、現在では次男(陳章旗)が京鼎小館(台北)で、長男(陳任貴)は京鼎樓(台北)で、三男(陳章雄)は京鼎樓(東京)で腕をふるっているそうです。
すごい繁盛でした。日本人が次から次へと! 一番多いのが女性の2人組でした。日本でも相当有名になっているみたいでした。

このタレにつけて食べます。 生姜の千切りに酢と醤油
           

写真のように店先で皮作り 蒸すのも店先
出来立て!これがいいですね。


お店の名前は京鼎樓(京鼎楼 ジンディンロウ) この看板が目印です。
有名な「鼎泰豊(ディンタイフォン)」は日本で13店舗も、店を出していますが、こちらの「京鼎楼」も恵比寿などに、お店を出しているようです。2013年2月に調べた範囲での有名3店の日本の店舗数は下記のとおりです。表示価格はシンプルな小龍包です。
  店名    6ケ価格  地元本店      日本展開
 鼎泰豊    819円 台北 信義路  日本橋高島屋店など13店舗
 南翔饅頭店 819円 上海 豫園   六本木ヒルズと西武渋谷の2店舗
 京鼎樓    790円 台北 長春路  恵比寿 横浜 千葉 池袋など6店舗


小龍包だけで十分だったのですが、つい下の写真の料理も注文してしまいました。
こちらは海老シューマイです。


こちらは野菜餃子です。小龍包、海老シューマイ、野菜餃子、いずれも10個入りの蒸籠を頼みました。


スープはまとめて出てきます。みんなで取り分けて!
スープは酸辣湯ですが、今まで飲んだ酸辣湯の中で一番おいしかった気がします。翌日の昼も四川料理店で酸辣湯を注文しましたが写真の酸辣湯が圧倒的においしかったですね。


ここでも空心菜 味付けはニンニクでした。

迪化街 台北 [台湾]


右側の建物が永楽市場  下の引用ネットはこの建物を対称に配置しており両側にあるように思っていましたが下の看板でもわかるように片側だけです。昔ながらの街が味わえます。

迪化街の地図の看板です。

                    
迪化街はネットにものっている場所 → 迪化街  枠内はネット引用
「台北で最も古く、由緒正しい問屋街、それが迪化街です。
18世紀末期から中国福建省からの移民が居を構えはじめ、淡水河を利用した水運の中心エリアとして、はやくから商業施設が発達しました。19世紀中頃の清朝末期には、既に貿易商の館や、船荷を扱う商店が軒を並べはじめ、城隍廟といった廟や寺院も建立されました。
日本政府による統治がはじまった20世紀初頭には、台湾随一の商業エリアとして、全国から漢方薬、乾物、お茶、布などを扱う商店が集結。また「市区改正」計画に則り通りが拡張され、メインストリートの左右には、裕福な商人が回廊を伴う華麗なバロック建築を競って建てました。 現在の迪化街の美しい街並みは、この時代に完成したのです。」

独特の雰囲気の場所ですね。
乾物を誰がこれだけ買うのかと思うほどの量を売っています。まさに中華の世界
               

今朝、迪化街に行ってみました。
迪化街入口の信号 
余談ですが台北ではほとんどの信号は発光ダイオードに替わっていました。


これが迪化街のメイン通りです。


お寺(霞海城隍廟 迪化街の守り神)に人が集まってお祈りをしている風景にも出会えました。

            
台湾では朝食を家ではなく外で食べる人が多いそうです。


約束のカラスミ( ? )をゲット
空港やみやげ物の老舗「新東陽」ではカラスミは結構します。写真の大きさだと1200元(3720円)くらい。
ホテルの人に聞くと迪化街に行けばカラスミ専門店が沢山あると聞いてタクシーで迪化街へ


お店には下の写真のような感じで置いてありました。電卓が無造作においてあるのが台湾らしい。値段を聞くといきなり300元(930円)!  いつもは、しつこく値切るのですが、ちょっとだけ負けてもらって即買い!


翌朝、お店の写真を撮りに行ってきました。朝早かったので閉まっていました。

私、生れも育ちも葛飾柴又です 帝釈天で産湯使いました 根っからの江戸っ子 姓名の儀は車寅次郎 人呼んでフーテンの寅と発します   寅さん記念館 [東京]



IMG_0893-127.jpg日曜日2013年2月24日は天気がよかったので東京都葛飾区柴又に行ってきました。葛飾柴又と言えば下記の言葉で第1作ポスター クリックすると全体を表示有名な寅さんですね。
 私、生れも育ちも葛飾柴又です
 帝釈天で産湯使いました
 根っからの江戸っ子
 姓名の儀は車寅次郎
 人呼んでフーテンの寅と発します

上の写真の左端に黄緑色のジャケットを着ている人はボランティアの「かつしか語り隊」で、柴又の名所を無償で案内してくれます。地元のためにボランティアで頑張っておられるのだと思います。各所で活躍されている方を沢山見かけました。

ここに来れば、やっぱり「寅さん記念館」です。
帝釈天を見て山本亭を抜けると、小高い丘があります。この丘の中(地中)に「寅さん記念館」があります。頂上の建物からエレベーターで降りると「寅さん記念館」です。


エレベターで降りると土産物屋さんの寅さん人形が迎えてくれます。トイレのマークも寅さんの帽子をイメージしていました。


エレベーターを使わないで丘を回り込んでも記念館に行けます。これが記念館の入口です。エレベーターの場合は奥からここに出てきます。


丘の中は吹き抜けの中庭(光庭)があります。正面のトンネルの途中の右側から記念館に入ります。トンネルをぬけると上の写真の場所です。この中庭には全ロケ地を焼き付けたタイルが日本列島の地図状に配置されています。写真から九州、四国、本州と北海道の一部が判ると思います。


入口を入ったところです。こちらでは渥美清主演の映画「男はつらいよ」の山田洋次監督をはじめ、撮影、照明、録音、メイクなどスタッフを紹介しています。監督が使った椅子やメガホンも紹介されていました。


寅さんの少年時代から放浪の末に故郷柴又へ戻るまでの物語を妹さくら(倍賞千恵子)さんのナレーションと共に可動式のジオラマでたどることが出来ました。家内は全て見ていました。


大船撮影所から移設した実際の撮影に使用した草だんご屋さんのセットがありました。


草だんご屋さんの名前は「くるま菓子舗」です。もちろんこれも撮影セットの本物です。ここで撮影された映画のおかげか、帝釈天の参道でも名物の草団子が大人気でした。


こちらが団子屋さんの店内です。ここのセットは第1作から第48作の撮影で使用されました。数々の名場面が生まれた場所なのです。


こちらが「くるま菓子舗」のダンゴを造る場所です。まさに映画の世界でした。


だんご屋さんの居間です。撮影セットとは思えないほど全体になじんでいます。


「くるま菓子舗」の撮影セットから次のエリアへは大変な人でした。


そのエリアは撮影スタジオ「朝日印刷所」です。本物の活版印刷機も置かれていました。沢山の活字も並べられており映画の世界に入り込んだような錯覚となりました。
左の椅子に座っているのは人形やエキストラではありません。見学に来られている本物のお客さんです。服装からエキストラの人かと思ってしまいました。


昭和30年代の帝釈天参道が再現されていました。「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又」コーナーです。映画「男はつらいよ」には人情豊かな下町の情緒が必要でした。
山田洋次監督とスタッフはピッタリの場所もとめて東京近郊の候補地をロケハンで廻りましたがイメージ通りの場所が見つからずに諦めかけていた時に辿り着いたのが葛飾柴又だったそうです。


銘茶店の「井筒園茶舗」に古美術店の「永古堂」です。


酒屋の「山本酒店」に仏具の「法華堂」です。一番奥は、せんべい屋さんです。


上の3枚の写真とは反対から撮りました。一番手前は手焼せんべい屋さんです。


実は帝釈天参道はミニチュアだったのです。小さくでも精密に再現されているのには驚かされました。人間が巨人のように見えます。


最初の構図の写真の少し左側を入れると、こうなります。


上の写真の真ん中のテーブルの上の模型です。


映画のポスターも沢山紹介されていました。その中から2枚を紹介いたします。
左側が記念すべき第一作目のポスターでキャッチフレーズ「私、生れも育ちも葛飾柴又・・・・・」が書かれています。右側が第二作目のポスターです。
記念館に来られた時は、是非とも第48作までのポスターを探してみてください。


その昔、柴又に子宝に恵まれなぬ夫婦がいたそうな。これを哀れに思い召した産土の神は「汝らの篤き信仰心に愛でて、その子をさずく。かしこき男子なれば名を寅次郎と命名す。善きかな善きかな」
このような写真も沢山飾られていました。これは第14作「男はつらいよ 寅次郎子守唄」の中の一場面です。


左は第 1 作で、20年ぶりに妹のさくらに再開される場面です。「あの・・・もしかして」「うん?」「そうよ、お兄ちゃんよ」
右は第12作の場面で、絵をこころざす、りつ子と知り合う寅次郎です。


台本も置かれていました。


映画の名場面に使われた重要なアイテムです。トイレットペーパーには「さくら心配するな。おれは生きている。寅」と書かれていました。そのほかとして履歴書、診療録、祝儀袋、パスポート、旅先からの葉書が写っています。


寅さんのトレードマークのカバンや帽子なども展示されていました。


最後には全48作の歴代のマドンナ全員が見送ってくれます。ここでは登場シーンも映像(左側の出っ張り部分)で紹介されていました。男はつらいよの映画シリーズは、松竹によって1969年から1995年までに全48作がつくられました。


男はつらいよ全シリーズを紹介いたします。
作数    公開         タイトル                 マドンナ
第 1 作 1969年08月27日 男はつらいよ               光本幸子
第 2 作 1969年11月15日 続・男はつらいよ             佐藤オリエ
第 3 作 1970年01月15日 男はつらいよ フーテンの寅      新珠三千代
第 4 作 1970年02月27日 新・男はつらいよ             栗原小巻
第 5 作 1970年08月25日 男はつらいよ 望郷篇          長山藍子
第 6 作 1971年01月15日 男はつらいよ 純情篇          若尾文子
第 7 作 1971年04月28日 男はつらいよ 奮闘篇          榊原るみ
第 8 作 1971年12月29日 男はつらいよ 寅次郎恋歌       池内淳子
第 9 作 1972年08月05日 男はつらいよ 柴又慕情         吉永小百合
第10作 1972年12月29日 男はつらいよ 寅次郎夢枕       八千草薫
第11作 1973年08月04日 男はつらいよ 寅次郎忘れな草     浅丘ルリ子
第12作 1973年12月26日 男はつらいよ 私の寅さん        岸惠子
第13作 1974年08月03日 男はつらいよ 寅次郎恋やつれ    吉永小百合
第14作 1974年12月28日 男はつらいよ 寅次郎子守唄      十朱幸代
第15作 1975年08月02日 男はつらいよ 寅次郎相合い傘    浅丘ルリ子
第16作 1975年12月27日 男はつらいよ 葛飾立志篇       樫山文枝
第17作 1976年07月24日 男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け 太地喜和子
第18作 1976年12月25日 男はつらいよ 寅次郎純情詩集    京マチ子
第19作 1977年08月06日 男はつらいよ 寅次郎と殿様      真野響子
第20作 1977年12月24日 男はつらいよ 寅次郎頑張れ!     藤村志保
第21作 1978年08月05日 男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく 木の実ナナ
第22作 1978年12月27日 男はつらいよ 噂の寅次郎       大原麗子
第23作 1979年08月04日 男はつらいよ 翔んでる寅次郎    桃井かおり
第24作 1979年12月28日 男はつらいよ 寅次郎春の夢     香川京子
第25作 1980年08月02日 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 浅丘ルリ子
第26作 1980年12月27日 男はつらいよ 寅次郎かもめ歌    伊藤蘭
第27作 1981年08月08日 男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎  松坂慶子
第28作 1981年12月28日 男はつらいよ 寅次郎紙風船     音無美紀子
第29作 1982年08月07日 男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 いしだあゆみ
第30作 1982年12月28日 男はつらいよ 花も嵐も寅次郎    田中裕子
第31作 1983年08月06日 男はつらいよ 旅と女と寅次郎    都はるみ
第32作 1983年12月28日 男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎   竹下景子
第33作 1984年08月04日 男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 中原理恵
第34作 1984年12月28日 男はつらいよ 寅次郎真実一路    大原麗子
第35作 1985年08月03日 男はつらいよ 寅次郎恋愛塾     樋口可南子
第36作 1985年12月28日 男はつらいよ 柴又より愛をこめて  栗原小巻
第37作 1986年12月20日 男はつらいよ 幸福の青い鳥     志穂美悦子
第38作 1987年08月05日 男はつらいよ 知床慕情        竹下景子
第39作 1987年12月26日 男はつらいよ 寅次郎物語       秋吉久美子
第40作 1988年12月24日 男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日 三田佳子
第41作 1989年08月05日 男はつらいよ 寅次郎心の旅路   竹下景子
第42作 1989年12月27日 男はつらいよ ぼくの伯父さん    檀ふみ +※
第43作 1990年12月22日 男はつらいよ 寅次郎の休日    夏木マリ +※
第44作 1991年12月23日 男はつらいよ 寅次郎の告白    吉田日出子 +※
第45作 1992年12月26日 男はつらいよ 寅次郎の青春    風吹ジュン +※
第46作 1993年12月25日 男はつらいよ 寅次郎の縁談    松坂慶子
第47作 1994年12月23日 男はつらいよ 拝啓車寅次郎様   かたせ梨乃
第48作 1995年12月23日 男はつらいよ 寅次郎紅の花    浅丘ルリ子
特別編  1997年11月22日 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇
浅丘ルリ子
※:後藤久美子(満男のマドンナ)
渥美清さんが亡くなったのは1996年8月4日(68歳没)
初代マドンナの光本幸子さんが2013年2月22日18時10分に亡くなられました。69歳の若さでした。ご冥福をお祈りいたします。
シリーズのパターンは寅次郎が旅先や柴又で出会うマドンナに惚れてしまい、マドンナも寅次郎に対して好意を抱くが、それは多くの場合恋愛感情ではなく、最後にはマドンナの恋人が現れて寅次郎は振られてしまうのです。

ラウンジの一番人気メニューは? [機内 CY]

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成田空港の某航空会社のラウンジではいろんな料理が食べれますが、一番人気の料理と言えばズバリ! 
                        カレーライスです。
カレーライスと言うよりはビーフカレーと呼んだ方がいいかもしれません。これが出てくると皆さんが並ぶほどの人気です。カレーだけは写真を見ただけでは、簡単には美味しさの判断がつかないと思いますが、レベルの高い味です。もしかしたら写真をクリックすると美味しさを感じてもらえるかもしれません。
外国人にも人気で肉だけ選んで持っていくので困っているとの話を聞かされました。柔らかくて大きな肉が沢山入っているのが特徴です。
ただし、この料理は11時から出されるため、午前中の便の人は食べれません。この日のフライトは11時のパリ行きで搭乗口には30分前に行く必要があるため当然、お目にかかることはなかったはずですが、幸い(?)にもフライトが1時間遅れたおかげで、この人気のカレーライス(ビーフカレー)を食べることが出来ました。

本場の南翔小籠包を食べてきました。 南翔饅頭店 豫園 [豫園]



こちらが上海/豫園にある南翔饅頭店/本店の蟹みそ入り小籠包です。
小龍包では台湾の鼎泰豊が日本全国にお店を出していることが有名ですが、実は南翔饅頭店も2003年に日本の六本木ヒルズにお店を出したことで日本でも知名度が上がってきたようです。2010年には渋谷の西武にもお店をだしました。上海市内や中国全土に沢山のお店を出していますが、その本店が今回のお店なのです。
観光案内に使用されている一つの説ですが、小籠包の起源は1871年に中国の嘉定県南翔鎮の菓子屋「古猗園」の店主黄明賢が売り出した「南翔大肉饅頭」にあるといわれています。南翔大肉饅頭は好評を博したため同業者からすぐに真似されたそうです。その後、皮を薄くしするなどの工夫して「古猗園南翔小籠」を販売したそうです。それが「南翔小籠包」と呼ばれ、これが今日の「小籠包」という名称となっているそうです。世に小龍包が知られるようになったのは「古猗園」店主黄明賢の弟子である呉翔升が1900年に上海に開店した「長興樓」が1920年ごろに小籠包を売り出したところ人気を呼び上海の名物点心となってそうです。「長興樓」はのちに「南翔饅頭店」に改名しました。

旧正月前の2013年1月26日に上海の豫園(よえん)に行ってきました。豫園は正月の準備真っ最中で楽しく散策となりました。そこで長い行列が出来ているお店がありました。そこは南翔饅頭店という名の有名な小龍包(小籠包)のお店でした。建物に南翔饅頭店と書かれているのがわかると思います。


常時50人くらいの人が並んでいたと思います。この行列の先がさらに左に曲がって、さらに右に曲がって続いているのです。


その先の行列です。少し先頭が見えてきました。


ここが売場です。外売部と書かれているところで買います。


ここはガラス張りになっており沢山の人が小龍包を作っていました。


紙のパックに入れてくれます。一見して小龍包らしくないように見えます、実は底の部分が上になっており、ひっくり返って入れられているのです。無造作に入れられたために、このようになっているのかと写真を撮った時には思いましたが、後で3階でレストランで小龍包を食べてみて、この入れ方は意識的にしているのだと感じました。小龍包の底の皮は非常に薄いため破れた時にスープが出てしまわないようにとの配慮のように思えました。確かに他の人のパックを見ても同じような感じでした。このパックに16個入っています。このとき10時45分でした。


10時~11時のみに売られる普通の小龍包が16個で12元(180円)で、11時以降に売られる蟹入りが16個で20元(300円)でした。他にも皮で包まれたスープが売られていました。でも皆さんのお目当ては小龍包です。


並んで立って食べるのは大変ですね。ゆったりと食べたい方のために3階がレストランになっていました。ここでもレストランに入るために列が出来ていました。この先に右と左にレストランがありました。ここに並んでいるお客さんは右のレストランに入るために並んでいるのです。


レストランはそれぞれにランク付けされているのです。左の方がハイランクで、並んでいる人が少ないので、そちらに進みました。


こちらは右側のお店です。1900年に開店した当初の名前「長興樓(長興楼)」が使われていました。2階にもレストランのような部屋がありました。そこは1階で小龍包を買った人が食べる部屋だと思いますが、とてもテーブルをキープ出来る状況ではなかったので、ほとんどの人が外で食べるのだと思います。


こちらが我々が入った左側のお店です。名前は鼎興樓(鼎興楼)でしょうか。個室は瑞鑫樓(瑞鑫楼)のようです。
確認したわけではないけれども3け所のレストランの料理の値段は同じだと思います。実は最低食べる料理の量の違いだけのようです。我々が入ったレストラン鼎興樓の規定は1人あたり80元以上を注文することでした。個室を頼むと一人最低150元を食べる必要がありました。それから想像すると右側のレストラン長興樓は最低が設定されていないか、あるいは60元が最低に設定されているのだと思います。
こちらのレストランでも並びましたが、我々の前は3人だけだったので、すぐにテーブルにつくことが出来ました。九州の団体のお客さんがスルーで個室に入って行ったので個室の場合は予約しておけば待ち時間は無いようでした。


レストランの中を紹介いたします。小籠包屋さんとしてはきれいです。


テーブルのセッティングです。大きな取り皿とレンゲの入った椀に小皿が乗っていました。真中の小皿に乗っているのは生姜の千切りです。


店員さんが注文に来ます。注文は電子化されていました。


お茶は鳥龍茶を頼みました。


最初の小籠包が出てきました。これは海老入り豚肉小籠包です。海老の味がいきた美味しい小龍包でした。


美味しさを感じていただくために拡大いたしました。この小龍包の底の部分の皮が驚くほど薄いのです。中のスープが透き通って見えるのがわかってもらえると思います。静かに持ち上げると皮は破れることなく取ることが出来ました。蒸籠の底に工夫がされているのだと思いました。これを見て一階の小籠包は少し皮を厚くしているのだと思いました。


次に出てきたのがお店の一番人気の「蟹みそ入り小籠包」です。これはさらに美味しかったです。


スープが本当にたっぷりと入っていました。


こちらが標準的な豚肉の小籠包です。これでも十分に美味しかったです。


これは自分の小皿に生姜の千切りと黒酢をいれたものです。
小籠包は、そのまま食べても美味しいけれども、生姜の千切りが入った黒酢に、つけるのが本場の食べ方です。確かに、この食べ方は小籠包にあいました。


野菜も頼みました。これは茎の部分の食感が何ともいえない美味しい野菜でした。
追伸 2013年2月24日
ペタッキさんに野菜の名前をコメントで教えていただきました。
野菜はカイランというとそうです。調べてみるとカイランは漢字では芥藍と書き、カイランサイ(芥藍菜)とも呼ぶそうです。別名はチャイニーズブロッコリー(Chinese broccoli)あるいはチャイニーズケール(Chinese Kale)でアブラナ科の緑黄色野菜でキャベツやブロッコリーの仲間ですが結球はしないそうです。


お隣の席の食事風景です。皆さん80元にはこだわらずに結構な量を食べられていました。親子3代での食事ですね。


我々のレストランにも専用の小龍包を作る部屋がありました。すごい人数と量でした。ということはこちらの本店では少なくとも3ケ所で小龍包が作られていることになります。


2人合計で179元(2685円)で一人80元はクリヤーいたしました。日本のお店の小龍包や一階の小龍包の値段の差が気になると思いますので比較してみました。豫園店にも上海蟹みそ入りふかひれ小籠包はありましたが値段を控えるのを忘れました。 
豫園店1階の普通の小龍包一個あたり値段を基準にすると豫園店3階は7.8倍で日本の六本木店は12.1倍でした。
日本の値段は豫園店3階の2倍くらいと高いけれども豫園店1階の値段から見れば豫園店3階は日本並みの値段と言ってもいいかもしれません。
日本店(6ヶ) 豫園3階(6ヶ)豫園1階(16ヶ)
豚肉入り小籠包          819円  35元(525円)  12元(180円)
海老入り豚肉小籠包      1134円  40元(600円)    -
上海蟹肉入り小籠包      1449円  35元(525元)  20元(300円)
上海蟹みそ入り小籠包     1764円  55元(825円)    -
上海蟹みそ入りふかひれ小籠包 1974円    ?        


佐倉の武家屋敷 [千葉]



佐倉市立美術館でルパン三世展を見た後に武家屋敷に行きました。佐倉市には立派な武家屋敷が保存されていることは知っていましたが、今まで見に行くことがありませんでしたが、佐倉市立美術館から歩いていける距離であることから行ってみることにいたしました。こんな場所があるのだと驚くと同時に、もっと早く来ればよかったと思いました。時代劇に出てくるすごい門構えの武家屋敷ではなくて山田洋次監督の時代劇に出てくる「たそがれ清兵衛(井口清兵衛)」が住んでいたような平侍(ひらざむらい)や、あるいはそれより少し上の侍(武士)の武家屋敷が河原家(かわらけ)と但馬家(たじまけ)と武居家(たけいけ)の3軒がありました。石高(こくだか)で言えば100石未満の小屋敷から300石程度の大屋敷でした。こちらは河原家の門です。

古い屋敷は少なくなっているために当時もこのような門だったかどうかは判りませんが、新しい家になっても下の写真のように似たような門が使われている家が多かったことから、おそらく当時に近かったのではないかと想像されます。


こちらが通称武家屋敷通りです。
江戸時代の名前は鏑木小路(かぶらぎこうじ)でした。今は宮小路でしょうか。
道は狭いことから大きな門は不釣り合いなため、門は冒頭の写真のように比較的質素のものであったと想像されます。
ここ武家屋敷通りの景観の特徴は道路の両脇に土手を築き、その上に生垣を巡らせていることです。これは馬上から屋敷内を覗かれないようにするためだと伝えられています。
武家屋敷通りの左側(北側)に手前から武居家、但馬家、河原家と並んでいます。武居家と河原家は同じ鏑木小路ですが別の場所に建っていたものを但馬家の両隣に移築されました。それぞれの家の家禄である石高(こくだか)や家の格式や建坪などから次のように分類されています。
      分類  家禄  分類目安家禄 敷地    文化財指定
  河原家 大屋敷 300石 300石以上  759坪 千葉県指定有形文化財
  但馬家 中屋敷 150石 100~299石  340坪 佐倉市指定有形文化財 
  武居家 小屋敷  90石 100石未満  290坪
家禄に使われている一石は大人一人が一年に食べる米の量に相当する単位で、田畑や屋敷などの土地の価値にそれぞれの計数をかけて米の生産力に換算して石単位で表示しのが石高(こくだか)です。


江戸時代の佐倉の城下町の模式図です。
城下町は武士の住む町と商人に住む町に分けられていました。武家屋敷は城の東側に広く配置されておりその中の赤枠で囲った鏑木小路に今回の武家屋敷がありました。道が行き止まりになったり複雑な道になっているのは敵の侵入を防ぐものだったそうです。この町並みは1610年から佐倉藩主であった土井利勝が築いたものと考えられています。


ほぼ同じ場所のGooglの航空写真を紹介いたします。航空写真でなく地図が表示されている場合は、地図の中のアイコン「写真」をクリックしてください。木の生えている空堀の部分が江戸時代の模式図とそっくりです。マークAが武家屋敷の場所です。

航空写真で見た3軒の武家屋敷です。左から武居家、但馬家、河原家です。上からだと家の形がよくわかります。この辺りには趣のある古径(こみち)が沢山残されていのす。この航空写真の中にも佐倉サムライの古径「くらやみ坂」があります。


それでは3つの武家屋敷を紹介いたします。
  住所 千葉県佐倉市宮小路57番地
  電話 043-486-2947
  時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
  休館 月曜日(祝日の場合は翌日) 12月28日~1月4日
  駐車 無料専用駐車場あり
  料金 大人 210円 学生・児童 100円 土曜日:小中学生無料

こちらが旧河原家住宅です。   冒頭の写真と同じです。
河原家と上では記載していましたが現在の正式の呼名は「旧河原家住宅」です。


こちらの写真は門の位置から撮ったものです。
河原家が鏑木小路に写ってきたのは1835年12月とされています。ただし現在の建物の建築年代は正確にはわかっていませんが古文書から少なくとも1845年には存在していたことがわかっています。建築様式や構造部材の古さから、佐倉で残されている武家屋敷の中で最も古いものとお考えられています。
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建物の周りを回ってみます。こちらの建物は長い縁側のような廊下が特徴です。目安の石高は300石以上と上で記載しましたがネットで調べていると家禄300石と記載されていました。300石は上級武士となります。


その廊下の部分です。河原家の建物の中には年3回の特別公開日を除いて入ることが出来ません。ただし武居家と但馬家に関しては自由に内部に入ることが出来ます。今年最初の特別公開日は2月11日でした。残りの特別公開日は過去の事例から4月29日と11月23日が予想されます。ただし確定ではないので事前に確認願います。


廊下の突き当たりには厠(かわや)がありました。現代風に言えばトイレあるいは化粧室ですね。


違う方向からの写真です。手前に湯殿(ふろ場)が見えます。建坪は数十坪程度で大きくはありませんが敷地は759坪(当時)ありました。そのバランスからの当時の武士の生活が伝わってくるような気がします。当時、鏑木小路には武家屋敷が27軒があり敷地の平均が665坪でした。もっとも広かったのが3869坪で、最も狭かったのが268坪ということで、河原家は鏑木小路では広い方から4番目の武家屋敷でした。


その湯殿です。


襖(ふすま)で仕切られた空間はきれいでした。


10畳の座敷の床の間には甲冑が置かれていました。


居間です。180年舞うの生活の実感が伝わってきます。


こちらは板の間です。下の図面で納戸と書かれているところです。室内には当時の調度品が置かれていたことから江戸時代の武士の生活を垣間見ることが出来ました。


台所は土間になっており窯が中央にありました。土間の部分に関して内部に入れます。


土間には、いろんな桶が並べられていました。


佐々木すみ江さんと三浦貴大がの写真が飾られていました。こちらで映画も撮られたようです。


こちらが旧河原家住宅の配置図です。

こちらが旧但馬家住宅です。
こちらは当時のままの所在地です。そのために建物だけでなく、屋敷地の形状や植栽にも武家屋敷の特徴をよく残しています。


こちらの建物も正確な建築年は判りませんが文献や絵図から1821年から1837年の間に建てられたと推定されています。最初にこの住宅に住んだのは誠心流槍術の師範であった井口氏で明治になって岡田氏に移り、その後に但馬氏に代わりました。井口家の家禄は150石と佐倉藩の中では代表的な中級家臣だったようです。


正面が玄関で左側が一番大きな座敷です。但馬家には自由に室内に上がって内部を見ることが出来ます。玄関から上がってください。


こちらが裏側で一番手前が土間になっているので台所だと思います。


こちらが居間で奥の部屋が仲のまで、さらに奥が座敷です。


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こちらの座敷には甲冑が飾られていました。さすが武家屋敷です。


こちらが旧但馬家住宅の配置図です。

こちらが旧武居家住宅です。
こちらの建物は茅葺が傷まないようにカバーがされていました。


武居家は「天保の御制」と呼ばれる居住の制における百石未満(小知)の藩士が住む小屋敷の規定と家屋の規模が一致しています。幕末にこの家に住んでいた田島伝左衛門は90石の禄高であることも「天保の御制」と一致します。右側の入口が玄関でその横の入口が台所(土間)への入口です。こちらの建物も靴を脱いで内部に上がることが出来ます。


建物の裏側の写真も紹介いたします。90石と言えども敷地は当時290坪の武家屋敷でした。武居家は1996年に250m東の当時の場所からから保存のために移築されました。
参考ですが、たそがれ清兵衛こと井口清兵衛は50石でした。確かに映画の中でも建物は大きくなかったけれども敷地は広かったです。武士の一分の三村新之丞は30石で、隠し剣鬼の爪の片桐宗蔵の家は100石もらっていましたが父親の切腹で30石に減らされました。


土間の台所から奥を見たところです。武居家の内部には武家屋敷の敷地から出土した昔の陶磁器や藩士の生活に関する資料などが展示されています。


こちらが床の間のある6畳の座敷です。藩士の写真が飾られています。名前は読み損ねましたが、もしかしたら田島伝左衛門かもしれません。機会があれば確認いたします。


こちらが旧武居家住宅の配置図です。

こちらが映画の世界ですが、たそがれ清兵衛こと井口清兵衛の屋敷です。同じくらいの大きさの屋敷です。「天保の御制」で百石未満の藩士の規定が関係しているのかもしれません。この模型は寅さんで有名な葛飾柴又の山田洋次ミュージアムに展示してありました。


武家屋敷通り(鏑木小路)辺りの判りやすい地図があったので紹介いたします。但馬家と河原家の移築前と移築後の位置がわかりやすく書かれていました。破線で書かれているのが当時の敷地の区割りをしめしています。この地図は左が北方向なので上で紹介した地図と比較するときは半時計回りに90度回転してイメージしてください。ひよどり坂の方向に、お城があります。
くらやみ坂が真ん中辺りの旧但馬家住宅と旧河原家住宅の間にあります。 くらやみ坂は大手門への近道のため、侍が登城時にはこの道を利用したとも言われているそうです。


これが「ひよどり坂」です。下から武家屋敷の方向を撮っています。背中側がお城の方向ですが一旦下がった後にまた登ります。このような判りにくい道で敵から城を守ったのだと思います。急な長い坂道なので休憩場所が設けられていました。


今も使われている昔の武家屋敷もありました。茅葺は傷まないようにカバーがされていました。現在でも生活出来るようにサッシをつけたりと改築されされています。このような建物を昔通りに復元整備したのが今回紹介した3軒の武家屋敷だと思います。今から30年前の1983年(昭和58年)の説明付の地図が武家屋敷通りに建てられていましたが、そのころは沢山の古い建物があることが、その地図からわかりました。仕方がないことだとは思いますが30年でずいぶんと減ってしまいました。佐倉市でも武家屋敷が残っているのは紹介の場所と中尾余町だけとなったそうです。


帰りは但馬家と河原家の間の佐倉の古径(こみち)である「くらやみ坂」を通って駐車場まで750mの道を歩いて帰りました。先ほど紹介した「ひよどり坂」も佐倉のサムライの古径(こみち)と呼ばれています。佐倉の町には、このような小径が沢山ありそうです。


緑のラインが、くらやみ坂を通って帰った道です。青いラインが佐倉市立美術館から歩いてきた道です。車の場合も青いラインとなります。

より大きな地図で 佐倉市立美術館⇔武家屋敷 を表示

カザフスタンにも嵐がありました。 [アルマトイ]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。

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海のないカザフスタンでも強い風が吹く嵐がありました。我々が到着する少し前に非常に強い風が吹いたそうです。その風によって木がなぎ倒されていました。このように木がなぎ倒された場所が道路脇に沢山あり、道路の周りの補修工事が大々的に行われていました。

建物にも危害が出ていました。こちらの建物は屋根が吹き飛ばされていました。かなりの強い風が吹いたようです。


この翌日はカザフスタンからウクライナに移動しました。

地たまごプリンとチェア 佐倉市立美術館 [千葉]


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今、佐倉市立美術館でルパン三世展が行われています。
前記事で、美術館の一階ロビーにあるCafe Buona Giornataのサンドイッチと飲み物を紹介いたしました。こちらのお店ではサンドイッチと飲み物に加えてデザートのお店でもあるのです。今回は上の写真のデザートを紹介いたします。

このプリンは2012年12月1日(土)9:30~10:30に放送された「ぶらり途中下車の旅」で紹介されもので佐倉市上志津原長谷川養鶏園さんの評判の玉子で作られているそうです。こちらの卵は千葉県知事賞を受けたそうです。卵の種類はボリスブラウン卵という種類だそうです。ちょっと拡大してみます。これで350円はお得だと思います。
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いただきました。 少し食べたところでさらに拡大しました。
卵の味がしっかりとでているクリーミーなタイプのプリンでした。添えられている生クリームと一緒に食べました。


ほかのデザートを紹介いたします。フレンチトースト、チーズスフレケーキ、チョコケーキ、アフォガード、季節のアイスクリームです。いずれも400円でした。


こちらは、すでに掲載した記事「ルパン三世展に行ってきました。」で紹介した写真ですが、こちらが、Cafe Buona Giornataのエリアです。実はこちらで使われている椅子が美術館が売りにしている10種類の椅子の一つなのです。こちらのカラフルないろんな色の椅子はアルネ・ヤコブセン(1902~1971年)が1955年にデザインしたダイニング・チェアです。ヤコブセンはスカンジナビアの家具デザインの近代化に重要な役割を果たした人です。


せっかく椅子を紹介したので10種類の椅子を全て紹介いたします。こちらは塗り絵のコーナーで使われていたチェアーです。こちらの作者は1922 年生まれで現在も活躍しているジャンドメニコ・メベロッティで、椅子の名前はスパゲッティ(101/V)です。ベロッティーはイタリアで生まれて16歳で彫刻を学んだ後に建築の仕事を始めたそうです。建築やインダストリアルデザインの分野でも活躍している人です。こちらの椅子の写真も実は前記事で紹介していました。こちらの椅子がデザインされた年は1967年なので、こちらの美術館で展示されている椅子の中では最も新しいデザインのものです。


こちらの椅子の写真も前記事で紹介していました。
左側がヘーリット・トーマス・リートフェルト(1888~1964年)が1918年に設計したレッド・アンド・ブルーです。彼はオランダの代表的なデザイナー・建築家で赤・青・黄の三原色を活用していることでも有名です。こちらの椅子にも赤と青と黄が使われていました。右側の椅子もヘーリット・トーマス・リートフェルトのもので1934年に設計された名前がジグ・ザグというイスです。両方ともに座ってみましたが座り心地はよかったです。見た目だけではないことに関心いたしました。


こちらのベッドのように大きなソファーはハリー・ベルトイア(1915~1978年)が1931年に設計したものです。これは彼がバウハウスの校長を務めていたころの作品です。作品の名前はカウチ(258-M)です。取り外し可能な肘(ひじ)当てが特徴でです。こちらの椅子も沢山置かれていましたが肘当てが取り付けられていたのは一つだけでした。


こちらの椅子もいろんな場所に置かれていました。ミ-ス・ファン・デル・ローエ(1886~1969年)が1929年に設計したバルセロナ・チェア(251)です。。ミ-ス・ファン・デル・ローエはドイツ生まれの建築家です。この椅子は1929年にスペインのバルセロナ世界博覧会のドイツ館で発表されたものです。その経緯からついた名前だと思います。


こちらの左はハリー・ベルトイア(1915~1978年)に1957年に設計したスモールダイヤモンド・チェアです。ハリー・ベルトイアはイタリア生まれの彫刻家で、代表作であるこの椅子はスチール・ワイヤーを網状に溶接して有機的なシェル型に作られています。
右はスリング・チェア(LC-1)という作品でル・コルビュジエ(1887~1965年)とピエール・ジャンヌレ(1896~1967年)とシャルロット・ペリアン(1903~1999年)の3名の共同設計です。椅子はスチール・パイプと子牛の毛皮張りで出来ています。沢山の方が座ったのだと思います。毛皮の毛は擦り切れて半分程度しか残っていませんでした。沢山の椅子の中で木やスチールや皮張りのものは、きれいなままですが布や毛皮張りのものは擦り切れている部分が見受けられました。


こちらはアルネ・ヤコブセン(1902~1971年)が1958~1959年にデザインしたエッグチェアです。アルネ・ヤコブセンはデンマーク建築家・家具デザイナーで、椅子だけでなくあらゆるものをデザインしました。この椅子は体をすっぽりと包み込むような卵を思わせる形態から「エッグ」と名付けられました。


最後に紹介する椅子も、すでに紹介したル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレとシャルロット・ペリアンの3名の共同設計です。ル・コルビュジエはスイス生まれの建築家です。その彼と従弟(いとこ)なのがピエール・ジャンヌレで、やはり建築家です。シャルロット・ペリアンはインテリアデザイナーで、この3人が1928年に設計したグランコンフォール(LC-3)です。グランコンフォールは大いなる快適という意味で、この言葉の意味を体感できる椅子でボリューム感のあるクッションが特徴です。


今回の椅子に関する説明は1階ロビーにあった紹介パネルから転記させていただきました。この中にあった椅子(チェア)を全て紹介させていただきました。


今回紹介の地卵プリンと、それに使われている卵を紹介した「ぶらり途中下車の旅」の動画を見つけたので紹介いたします。


佐倉市立美術館の全景です。
スパロウさんのオランダデザイン展にトラックバックしています。
BT2designさんの佐倉市立美術館までにトラックバックしています。
そーすけさんさんのルパン三世展にトラックバックしています。

陳麻婆豆腐 [成都]

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四川省の成都に来たならば、是非とも食べに行きたいのが麻婆豆腐の本家本元レストラン「陳麻婆豆腐」です。日本でおなじみの麻婆豆腐が考案された歴史は比較的新しく清の時代だそうです。場所は私が今来ている成都です。
泊まっているホテルで陳麻婆豆腐の場所を聞くと歩いて行ける距離で2本目の信号を右に曲がるとわかるとのことでした。
中国ではよくあることですが、歩きはじめると信号のある交差点のスパンが非常に長く2本目と思われる交差点まで来るとちょっと不安になってしまいました。道に立っている人に陳麻婆豆腐の場所を聞いても誰も知りませんでした。そこでタクシーに乗ることにしました。タクシーに乗って行き先を告げると親切なことに歩いて行ける距離だと説明されました。その場所がホテルで教えられた2つ目の信号であることもわかったので腹ごなしに歩くことにしました。
だいぶ歩いて陳麻婆豆腐の場所を人に聞くと今度は皆さん知っていて指差してくれましたが、皆さんが「値段が高いですよ。」とアドバイスしてくれました。何とか行き着きましたが、日本人の歩ける距離ではなかったですね。帰りはタクシーで帰りました。

食べた料理を紹介します。出てきた順番です。4人だけの食事なので料理も4品にしました。先ずは具をかけたオコゲの料理です。


これが完成品です。写真をクリックすると拡大します。
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お待たせの麻婆豆腐です。人数が少ないので小ぶりのお皿にしてもらいました。これは本場の味でした。山椒がきいていました。これさえあれば満足でした。
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さすがは本場なので辛さもすごいです。この料理だけは、ご飯と一緒に食べると美味しいです。ご飯が必要と思ってもらったほうがいいです。そして、ご飯は木の"おひつ"に入れられて出てきました。これは中国で初めての経験ですが、今回は別のお店でも同じようなオヒツで、ご飯が出されました。ご飯は雑穀が少し混ぜられて、ちょっと美味しそうに感じました。


キクラゲとシシトウとカエルの料理も頼んでみました。カエルの肉は鶏肉に近い食感でした。もちろん赤唐辛子は味付けのために入れているだけで食べません。
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海老料理も頼みました。いかにも四川料理という感じで唐辛子の中に海老がある感じです。もちろん唐辛子は食べませんが唐辛子の辛さが海老に染込んで、かなりピリッとした料理でした。
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ネットで麻婆豆腐を調べてみるとおおむね下記のように書かれていました。
麻婆豆腐の故郷は四川省の省都、成都です。ここにある陳麻婆豆腐(チンマーボードウフ)が本家本元レストランです。麻婆豆腐は1862年に陳富文氏の奥さんが考案したといわれています。特別料理ではなく、あり合わせの材料を使った来客用の料理だったそうです。陳さんの顔にはあばた(麻はアバタの意味)があったので、「あばたのある陳婆さんの豆腐」という意味で、陳麻婆豆腐と名づけられのだそうです。


こちらは有名なお店なので沢山のテーブルや豪華な部屋があると思われましたが最も庶民的なテーブルで食事をさせてもらいました。写真で雰囲気がわかってもらえるでしょうか。
 住所 四川省成都市青羊区西玉龙街197号

ルパン三世展に行ってきました。 佐倉市立美術館 [千葉]


展示内容を紹介したくてパンフレットの一部を追加させてもらいました。
緑色の部分が2013年2月21日に追加したところです。


私の住む町にある佐倉市立美術館でルパン三世展が行われていることを知り、行ってきました。アニメ化40周年を記念して行われているようですが2月2月から3月24日まで行われるそうです。上の写真が観覧券(入場券)の表と裏です。
This is the world of Lupin the 3rd がキャッチフレーズのようです。Lupin the 3rd はルパン三世なので「これがルパン三世の世界だ。」というところでしょうか。

電車の中吊り広告が出ているので、この広告を見られた方もおられると思います。


こちらが佐倉市立美術館で、比較的新しい美術館で出来たのが1994年11月です。ここには浅井忠、都鳥英喜、荒谷直之介、香取秀真、津田信夫、堀柳女など佐倉市と房総ゆかりの作家の作品を中心に収蔵されており入館料は無料で見ることが出来ます。この美術館の特徴は熱心に特別企画展示(有料)を行っていることです。美術関係者には東京に来たときには、ここ佐倉まで足を運ぶ人がいるくらいです。特別企画展示が行われている時は展示会場が使われるために常設展示物は見ることはできません。常設展示を見たい場合は事前に確認してください。


こちらの美術館のもう一つの特徴が正面入り口のエントランスホールに1918年(大正7年)に建てられた建物が利用されていることです。


この建物は1918年に旧川崎銀行佐倉支店として建設されたもので、設計者は矢部又吉、施工者は神谷平吉です。現在は千葉県指定文化財(有形文化財)でもあります。1927年には川崎銀行と第百銀行が合併して第百銀行佐倉支店となりました。1937年に第百銀行から佐倉町へ売却されて佐倉町役場となり、そのあと佐倉市役所として使われました。
その後も、市役所→公民館→図書館→一時閉鎖→資料館→の変遷を経て美術館のエントランスホールとして生まれ変わりました。正面からだけでは判りにくいと思い、斜めからの写真も掲載します。本館とは右の写真のようにガラスのトンネルでつながっています。建物を大切にする配慮だと思います。


ルパン三世展は美術館の企画展示としては珍しいと思います。エントランスホールに飾られていたので、展示物の中で唯一写真撮影が許可されたものでした。
観覧料は一般800円、大高生600円、中小生400円でした。
この写真を見て気がついたことですが、この2つ人形の間に人が立って記念撮影が出来るようになっていました。少し間が広いので気にはなっていました。この場所は無料のエリアなので近くを通った時に記念撮影だけでも寄ってみては、いかがでしょうか。男性であれば石川五ェ門に、女性であれば峰不二子になりきってみるのもいいかもしれません。


こちらが入口です。第一会場は3階で第二会場は2階にありました。主催は佐倉市立美術館、読売新聞社、トムス・エンタテインメント、日本テレビです。
展示場では写真撮影は出来ないので残念ながら紹介出来ないのですが、ルパンや次元大介や石川五ェ門や峰不二子や銭形警部などの登場人物の構図を計画した鉛筆書きなどがありました。沢山の案があったことを知りました。特に峯富士子に関しては驚くほどの数の案がアッたことを知りました。アニメの設定図やセル画や元画や原稿など貴重で興味深いものが沢山ありました。沢山の過去のフィギアやポスターなどもありました。


展示会場内では写真だけでなく模写や筆記道具の使用も禁止されているので展示会場内以外でのルパン三世に関係した部分の写真を紹介します。こちらは「ルパン de つぶやき」と題し一言掲示板です。沢山の一言が貼られていました。


一階のホールです。ここには喫茶コーナーCafe Buona Giornataや売店がありました。売店では土産物が売られていました。


屋外には寺田栄の作品「風景」という1992年の作品がありました。


階段には子供たちの塗り絵が沢山張られていました。一階ロビーには塗り絵コーナーがあり塗って持ち帰ることが出来ました。


こちらが塗り絵コーナーです。奥のテーブルが先ほど紹介した「ルパン de つぶやき」のつぶやきを書くところです。


Cafe Buona Giornataはサンドイッチが人気です。我々も、ここでランチを食べるのも目的の一つでした。


広いロビーの一角にCafe Buona Giornataがありました。日当たりの良いロビーの半分くらいのスペースにテーブルと椅子が並べられていました。食べるものが決まると、奥の窓口で注文をすると、テーブルまで持ってきてもらえます。


ルパン三世展を観に来たのだから、この限定メニューを食べなくては [exclamation]
クリックすると拡大写真を表示今回は紹介しませんでしたが「ぶらり途中下車の旅」で紹介された「地たまごプリン 350円」をいただいてみました。
佐倉市上志津原長谷川養鶏園さんの評判の玉子で作られているそうです。次の記事で「地たまごプリン」を紹介したいと思います。


こちらが家内が注文した「生ハムと帆立のパニーニ」です。珍しいサツマイモのピクルスが添えられていました。これ以外に「クロックムッシュ」と「スモークサーモンのパニーニ」と「カポナータのパニーニ」の3種のサンドイッチがありました。ちなみにパニーニとはイタリアのサンドイッチのことです。クロックムッシュはフランスを発祥の地としたハムとチーズをパンにはさんで軽くトーストしたものです。カポナータは一般的に揚げナスの甘酢煮です。


こちらが「生ハムと帆立のパニーニ」と一緒に頼んだマサラチャイ(Masala Chaie)です。飲んだ瞬間、すぐに紅茶だと判りました。


そしてこれが私が頼んだ80gのソーセージを使った「スパイシーHOTドッグ」です。独特のソースのホットドッグでした。本写真はクリックすると拡大いたします。
クリックすると拡大

私の頼んだ飲み物はヘーゼルナッツミルクでした。このように模様を描いてくれる飲み物はカプチーノ、抹茶ミルク、キャラメルラテがありました。


こちらの美術館では芸術的な椅子が沢山置かれていることでも有名です。一つ一つに説明が書かれていました。美術館の中を椅子を探して散策するのもいいかもしれません。


椅子には自由に座ることが出来ます。
探し出した椅子に座ってみるのもいいかもしれません。


美術館の近くには古い建物があります。こちらは1896年(明治29年)に建てられた袖蔵です。隣には店蔵があり佐倉市の有形文化財に登録されています。無縁だとは思いますが明治29年は本州における当時の観測史上最高の海抜38.2mを記録する津波が発生した明治三陸沖地震があった年でもあります。


是非とも展示内容の雰囲気を感じてもらうためにパンフレットの一部を拝借いたしました。こちらは「ルパン三世 カリオストロの城」の一場面の鉛筆書きのレイアウト図です。時計塔の中の場面ですね。大きな歯車でわかりました。
このような企画図が沢山展示されていました。その企画図とセル画を比較したものも沢山ありました。



こちらは搭乗人物の特徴です。水平に引かれている線は身長です。上から200cm 175cm 150cmなのでそれぞれの身長が比較できて面白いです。銭形警部が大柄の人であることも初めて気が付きました。
カラーの展示物より鉛筆書きの展示物の方が多いというイメージのがルパン三世展の特徴だとおもいます。(実際にはカラーのほうが多いかもしれません。)



下は佐倉市立美術館の航空写真です。
クリックすると拡大マークをクリックすると説明文が表示されます。
ここから歩いて15分(700m)くらいのところでは1835年前後に建てられた武家屋敷(旧河原家、旧但馬家、旧武居家)を昔のままに見ることが出来ます。(右の写真)
我々も青いラインを歩いて見に行きました。

より大きな地図で佐倉市立美術館→武家屋敷を表示

飛騨高山麦酒  2月21日スタウトを追加 [ビール]



バレンタインの前日(2013年2月13日)に息子から高山市の地ビールが送られてきました。特に説明ははなかったのでバレンタインデーを意識したものかどうかは判りませんが、ありがたくいただきました。子供のころの息子です。→ポチッ
飛騨高山のビールで2010年のジャパンアジアカップで金賞(GOLD MEDAL)を受賞したビール会社です。その時に受賞したのは右から2番目のダークエールという銘柄でした。2007年、2008年にも受賞していました。つまり5本の中で4本が金賞で1本が銀賞と、すべてのビールが受賞していました。瓶の右上にシールが貼られているのが過去に金賞を受賞したビールです。
5本のビールは左からヴァイツェン カルミナ スタウト ダークエール ピルセナーです。カルミナは瓶内発酵ビールで世界ビアカップで銀賞を取ったビールでした。酵母入りで二度目の発酵を瓶内でさせた長期熟成タイプの麦酒でした。こちらのカルミナ(瓶内発酵ビール)のアルコール濃度は10%でした。このビールだけは時間をおいて飲んでも美味しいようなので最後に飲むことにいたしました。他のビールは1ケ月以内で早いほど良いようなまですぐに飲むことにいたしました。

2月13日は外食でもするつもりでしたが、せっかくビールが届いたのだから、すぐに味わって御礼の電話をするために肴になりそうなものを作ってもらいました。飲んだビールはピルセナーです。さらっとした味わいのビールですが、一般的なビールとは一味違った美味しいビールでした。瓶に書かれていた説明は「ドライな口当たりでホップの苦味が効いた後味のさわやかなビール。」と書かれていました。
さらに「ジャパンアジアカップ & インターナショナルビアコンペディション 金賞」のシールが瓶に貼られていました。



翌日のバレンタインの日はビールのために、すき焼きを用意いたしました。飲んだビールはヴァイツェンです。上のピルセナーは透き通っているのに対してヴァイツェンは少し濁りのあるビールです。
ビール製造の正式会社名は「有限会社 農業法人飛騨高山麦酒」です。
  住所 岐阜県高山市松本町999
  電話 0577-35-0365
  地図 http://goo.gl/maps/Mv17A


すき焼きは、先ずは玉子でいただきました。


ヴァイツェンは、ほのかなフルーティーな香りのするビールでした。さすが一般のビールの3倍の値段はするビールでした。濾過していないので濁っているビールです。こちらのビールの瓶に書かれていた説明は「フル-ティーな香りの余韻を残す、きりりとした口当たりの淡色ビール。」と書かれていました。こちらのビールの瓶には「インターナショナルビアコンペディション 金賞」のシールが瓶に貼られていました。


すき焼きの後戦では、いつも通り大根おろしにいたしました。金賞のビールや銀賞のビールなど他のビールを飲んだ時は追記させていただきます。



今日2月17日の夕食ではダークエールをいただきました。名前の通り濃い色のビールでした。濃いビールはクセが強いことが多いのですが、飲みやすい味わいのあるビールでした。


この日の夕食はビールに合うようにガスオーブンで鶏肉と野菜をシンプルに焼きました。こちらではモモ肉と京芋とニンニクを焼きました。


こちらは塩コショウをたっぷりとしたムネ肉とニンジンを焼きました。ニンジンは少し硬かったので10分追加して50分ほど焼きました。


食べる時には、こちらのオリーブオイルを鶏肉に、かけていただきました。ニンニクと京芋はそのままでで美味しかったです。


こちらがコップに注いだダークエールです。瓶の説明では「口当たりはまろやかで香りが芳醇な味わい醸し出す濃色ビール。」と書かれていました。松に説明通りのビールでした。


さらに泡の部分を拡大いたしました。



昨日2月20日はスタウトをいただきました。真黒の黒ビールでした。つまみにはベーコンを焼いたものとソーセージを用意しました。


スタウト(Stout)は本場では黒くなるまでローストした大麦を使用して上面発酵によって醸造されるそうです。上面発酵は比較的高温(20度前後)で発酵させたビールで、発酵中に酵母が浮き上がることからこう呼ばれているそうです。発酵温度の20度程度で飲むのが最適だそうですが私は知らないで冷やして飲みました。冷えていても美味しかったです。


泡の野部分を拡大いたしました。

タイ国際航空の機内食 [機内 CY]

   
タイ国際航空(Thai Airways International 略称:TG)での出来事を、ご紹介したので、TGの機内食も紹介いたします。この時はTGに4回乗ることが出来ました。
その中で成田→バンコクとバンコク→ラホールでの機内食を紹介するので比べてみてください。
 TG641 成田→バンコク 
 TG505 バンコク→ラホール
 PK356 ラホール→イスラマバード
 PK385 イスラマバード→ラホール
 PK628 ラホール→イスラマバード
 TG510 イスラマバード→バンコク
 TG676 バンコク→成田
先ずは成田→バンコク(タイ)の機内食を紹介いたします。

「ワカメとヒジキの海鮮ステーキ」と「若鶏の唐揚げ」で、先ずはビールを一杯です。やはり日本線は日本の航空会社の出し方に似ています。それ以外でも日本線だけスリッパが出てくるのも日本人を意識しているためなのでしょう。


和食と洋食が選択が出来ました。洋食を選びました。御寿司が入っているけれど洋食です。サラダは「柚子醤油ドレッシングのミックスグリーンサラダ」です。
前菜は「魚のムース」「帆立のテリーヌ」、「スモークサーモン」と「海老天婦羅入り巻寿司」でした。


主菜はポテトと季節野菜が添えられた「マスタードソースの牛肉のステーキ」を食べました。牛肉のステーキ以外にチキンかシーフードかポークが選択できました。4種類から選択できるとは驚きでした。


デザートは果物と


コーヒームースでした。


最後のデザートから3時間40分後(着陸の1時間前)にアイスクリームが出てきました。


配られたメニューから和食の方も紹介しておきます。
 前菜
  鴨の黄身ロール焼き、牛肉味噌風味焼き、枝豆、
  牛蒡の芥子の実和え
 焼き物
  鯛の梅風味焼き、帆立貝の新引揚げ、蒸し雲丹寄席、
  手毬麩
 口取り
  烏賊の酢の物、蓮根と蕪、もずく
 主菜
  鶏肉の野菜巻き、俵御飯、季節野菜、お凌ぎ、冷麦、
  味噌汁、香り物
 デザート
  フレッシュフルーツ、 コーヒームース、 アイスクリーム
そろそろバンコクに着きます。このルート表示のお陰でPratas island (東沙島 Tung-sha tao)が検索できました。


空の色と雲が印象的でした。



次にバンコク(タイ)→ラホール(パキスタン)の機内食を紹介いたします。

バンコクの空港内はすごくきれいでした。パキスタン行きは空いた時間帯なので空港内の人は少なかったです。


イベントも行われていました。ここにもタイの有名な人がおられたそうです。


すぐに焼かれたトマトとナスビの入ったサラダにムースが出てきました。ついも通りにビールもいただきました。ドイツの固いパンが出てきたのには驚きでした。


チキンカツにサフランライスです。


こちらでもデザートは果物と


ケーキが出てきました。



おまけでイスラマバード(パキスタン)→バンコク(タイ)の機内食も紹介いたします。

前菜です。


こちらが主菜です。


さらにパキスタンの国内便ラホール→イスラマバードの機内食も紹介いたします。

クロワッサンとデザートでした。まあ、国内線ですから!
フライトはパキスタン・エア PK356でした。

上海の江戸前寿司 [上海]



上海に来て最初の日の夕食は本格的な和食(6名)で2日目の夕食が上海料理(5名)で最後の夕食は、お寿司を食べに来ました。こちらのお店ではカウンターの中に6人以上の板前さんがいて、その中の少なくとも2名は日本人の方でした。ネットによると4名の日本人板前さんがおられるとのことでした。

こちらが最初に頼んだお寿司です。大トロ、うに、穴子、牡丹海老など特上ネタを12貫(12個)ほど頼みました。江戸前寿司なのでタレや岩塩などがつけられているので醤油をつけないで食べてほしいとのことでした。確かに醤油は必要なかったです。醤油なしの本格的な江戸前寿司は上海では初めての経験でした。



いくつか拡大写真を紹介いたします。こちらはタレがつけられた本鮪の大トロのづけに平目です。平目には岩塩系の味がつけられていました。大トロにわタレがつけられているので写真では霜降り感が判りにくいと思いますが、確かに大トロのとろける霜降りでした。


ぼたん海老に釣りアジのお寿司です。いずれもそのまま食べられました。


中トロのづけにカンパチでしょうか。江戸前寿司の特徴であるタレがつけられているのがわかると思います。


赤貝も丁寧な仕事がされていました。


赤貝を紹介したら雲丹も紹介したくなります。軍艦巻きではなく握り寿司でした。新鮮な雲丹とタレとの味わいがよかったです。


きゅうり巻きです。細く切ったキュウリがなかなかの食感を味あわせてくれました。こちらも醤油をつけなくても美味しく食べれるように塩系の味がつけられていました。


これは散らし寿司です。名前のごとく、いろんな具が散りばめられていました。


散らし寿司を拡大いたしました。
ここまでがとりあえず最初に頼んだお寿司です。
ここまでの寿司の値段はセットで400元(6000円)で一つづ注文するよりお得でした。前日までは6名、5名の夕食でしたが、この日は2名での夕食となりました。


寿司以外も3皿の料理を頼みましたが、せっかく上海で出会った美味しいお寿司屋さんなので、これ以外はお寿司にいたしました。


メニューで握り寿司の値段を紹介いたします。1貫(1個)の値段は概ね35元から85元でした。1元=15円で計算すると各にぎり寿司の値段は次の通りです。ただしこれは一例で他にも沢山の握り寿司がありました。
本鮪大トロ(1275円)、本鮪大トロ炙り(1275円)、本鮪中トロ(975円)、うに(975円)、釣りあじ(600円)、炙り金目鯛(750円)、鮪赤身(525円)、牡丹海老(825円)、松皮かれい(450円)、かんぱち(525円)、甘海老(825円)、あわび(525円)、真鯛(525円)、穴子(525円)、ほたて(525円)


次に頼んだお寿司を紹介いたします。ここから下のお寿司の合計は470元(7050円)でした。もちろんビールは生ビールを思いっきり飲みました。お任せで頼んだので前に頼んだのと同じ寿司が入っていますが2人だったので丁度良かったです。


江戸前寿司のタレの美味しそうな寿司を拡大いたしました。これはアワビに牡丹海老です。これ以外にも拡大写真を紹介いたします。


ホタテにイカのにぎりです。両方ともに岩塩の味付けでした。主な味付けは「特製の煮きり醤油」と「岩塩」と「かんきつ類」と「秘伝の甘いタレ」と「炭の塩」で、これらを素材に合わせて使っているようでした。


こちらはマグロにイカですが、イカは上のものと違う食感のものでした。マグロにはタレ、イカには岩塩でした。イカのいろがいいですね。


握った順番に出てきました。玉子も美味しかったです。寿司屋の玉子でした。


真中の皿の4貫が新しく出てきたものです。前の皿の上は2貫食べてしまいました。寿司の中でタレがついていないように見える寿司には岩塩がつけられていました。


その中の2貫の拡大写真を掲載いたしました。穴子に炙り金目鯛だと思います。両方ともにタレが美味しかったです。


上海で宿泊していたOkura Garden Hotelの裏の「築地青空三代目」というお寿司屋さんです。本店は日本にあります。青いマークがOkura Garden Hotelで、紫のマークが、お寿司屋さんです。画面が地図ではなく航空写真になっいる場合は地図のアイコンをクリックしてください。
  店名 築地青空三代目
  種類 江戸前寿司
  場所 Okura Garden Hotel(花園飯店)の北側(裏の長楽路沿い)
  地図 http://goo.gl/maps/wuIPi
  住所 上海市盧湾区長楽路191号富士花園会所1F、2F
  電話 021-5466-1817
  営業 11:30~14:00(L.O.14:00) 17:30~22:00(L.O.21:30)
  休日 年中無休
  日本 http://r.gnavi.co.jp/a363100/ 東京の本店

より大きな地図で 築地青空三代目 を表示

ジャカルタの海岸 [インドネシア]

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が表示された写真はクリックすると拡大します。
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漁船を見た後に漁港以外も見てみようと車を走らせました。こんな雰囲気のところに行き着きました。この船に乗って沖に出るきれいなところに行けるとこの船に乗るように誘われましたが時間がないので断念しました。運転手さんに聞くとほんとうにきれいな所だそうです。残念

ここは散歩が出来る雰囲気のところなんです。


こんなゴンドラもありました。海岸線に沿って設置されているので海岸線を楽しむみたいです。下の衛星写真の青い屋根の部分がゴンドラの乗り場です。


こんなテントが海岸には沢山設置されていました。2人用ですね。


実はここは遊園地の中なんです。入場料として一人あたり1万ルピア×3名(運転手含む)と車の入場料1万ルピアの計4万ルピア(400円)を海岸を見るだけのために払いました。


遊園地への入口です。ここで料金4万ルピアを払いって橋を渡ると中に入れます。結構並んでいました。この日は土曜日でした。


ここも場所が判りにくいので衛星写真を拝借しました。青い屋根の建物がゴンドラ乗り場です。その前の海岸に泊めてあった小船の写真が一番上の写真です。
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鳥が大切にされる街でした。 [Biel/Bienne(スイス)]

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朝の散歩の時に町の住宅街の上を沢山の鳥が飛んでいました。ハトのような飛び方でした。 でも良く見ると鳥はカモメでした。ビール/ビエンヌ(Biel/Bienne)はアルプスより北の内陸なのに沢山のカモメさんを見ました。

これもカモメです。
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小川にも沢山のカモメさんです。ビール湖が近くにあるせいかもしれません。


黒鳥さんもいました。このお家で飼われているようです。
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人懐っこい黒鳥 さんでした。いつまでもついてくるのです。ネットで黒鳥を調べてみました。白鳥と違い渡り鳥ではないそうです。内容は下記の通りでした。
コクチョウ(黒鳥、学名:Cygnus atratus、英名:Black Swan)は、カモ目カモ科に分類される鳥類の一種。オーストラリア区に生息する水鳥で、西オーストラリア州の州の鳥。カモ、ガチョウ、白鳥と同じくカモ科である。他の水鳥とは違い、渡り鳥ではなく留鳥である。生まれた場所で一生を過ごす。と言うことで飼われている鳥のようです。


オシドリさんもいました。漢字で「鴛鴦」と書くそうです。そして「鴛」はオス、「鴦」はメスのオシドリを指すそうです。オシドリはドングリを好んで食べるのが他のカモ類と異なる特徴だそうです。


鳥を大切にしている町でした。紹介の鳥以外にカモも沢山しました。これらの鳥は自由に飛びまわっていました。
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この町に、来る機会のある方のために黒鳥のいる小川の場所を紹介しておきます。右上から左下に小川が流れており、ほぼ中央の小川のすぐ横の明るい細長い建物が今回の黒鳥を飼っている家です。マイナス( - )のアイコンを数回クリックすると、この位置がわかると思います。

息子の子供のころ [思いで]



我が家の子供は3人です。構成は男・男・女です。長男と長女の子供のころは紹介したので、次男の子供のころのスナップ写真を紹介いたします。
上は生まれてすぐの写真です。
   長男 → ポチッ
   長女 → ポチッ

こちらは歩きはじめたばかりのころの写真です。


少し大きくなりました。


山登りも出来るようになりました。神戸市の須磨区に住んでいた時に近くの山に頻繁に登りました。


クリックすると拡大娘が生まれる前に従姉(いとこ)たちと兵庫県の姫路セントラルパーク(サハリパーク)に行ったときの記念写真です。私の姉の子供は女の子ばかりの3人でした。一番後ろが次男です。こちらの写真は私の親父が6×6の2眼レフで撮った写真(右)から切り取ったものです。両方ともにクリックすると拡大写真が出るように設定いたしました。


娘が生まれた時の写真です。
赤ちゃんの娘の真似をしています。小さな子供が3人となり大変でした。おもちゃも沢山になりました。
こちらも神戸の家での写真です。このころはフローリングではなくてジュータンをオーダーで床に敷き詰めました。


神戸市須磨区から船橋市に引越してきました。お兄ちゃんが小学生の時の運動会に参加しました。幼稚園児のかけっこです。1人だけ裸足でした。このころは遊ぶ時は裸足が大好きでした。場所は船橋市立三山小学校の運動場です。こちらの写真もクリックすると拡大写真を表示するように設定いたしました。
クリックすると拡大
クリックすると拡大

車のスカイラインも神戸から船橋に運んでもらいました。船橋の社宅の駐車時に停めてあるスカイラインと次男との写真です。
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どの写真も無邪気で楽しそうです。こちらでも裸足であそんでいます。


お兄ちゃんの前でポーズをとっています。


船橋三山の社宅内の公園での一コマです。


3人の子供たちです。左から長男、次男、長女です。関東に引越してきて1年が経ったころの写真です。その前は神戸市須磨区に住んでいました。


ケンタッキーの朝 [ケンタッキー]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
ここはケンタッキー州(Kentucky、略号KY)の最大都市はルイビル(Louisville)です。この町にはヨーロッパからシカゴ経由で来ました。
ホテルの前の道路の写真です。土曜日の午前10時に、この人通りの少なさ。
人口は約25万人で周辺地域を入れて約130万人の都市圏を形成する都市にしては!!

みんな夜型なのかな?
クリックすると拡大

でも夜もこんな感じ! 冒頭の写真とまったく同じ場所から撮取りました。 
クリスマスツリーがわかりますか。ちょっとさびしい 
クリックすると拡大

町の中心では高級なレストランは繁盛していますが普通のレストランは閑散としていました。どうしてこんなに人が少ないのかと現地の人に聞くと「みんな家族中心なので」との答えでした。
今は観光シーズンではないことと郊外には大きなレストランが沢山出来ておりそちらに家族で食べにいくため街の中心は人が集まらないのだと思います。

まだこの時期(12月)だし、そんなに北ではないのに、ヨーロッパよりはるかに寒い!(耳が痛くなるくらい マイナス5℃より低い!)
この時期はオハイオ川も寒々しています。地面が凍っているので大変!
観光の人も見かけません。馬車も暇そう!で試しに乗ってみました。
若い女性が御者でしたが防寒着のため降りるまで気づかず!
暖かい季節はこんな感じ!
木で出来たバスも走っています。
オハイオ川の写真を撮りに行ってきました。観光船も健在でした。
ヨーロッパでは良く見かける建物もありました。City Hole だそうです。
クリックすると拡大

もうすぐ一才 [思いで]


もうすぐ一才といっても昔の写真です。息子も今では大きくなりました。
以前、娘の小さい時の写真を照会いたしました。→ポチッ
そのうちに残りの二人の息子の小さい時の写真を照会するつもりでしたが先ずは長男の方から照会いたします。写真は一才の誕生日前の写真だと思います。

さらに小さい時の写真です。はいはいが出来たころでしょうか。


そのころの従姉(いとこ)達との記念写真です。生後6ケ月です。
そのうちに次男の小さい時の写真も照会いたします。


2013年5月25日に結婚しました。→ポチッ


インド海軍 [インド]

クリックすると拡大
ムンバイの港に軍艦が停泊していました。2隻のうち後側は空母です。
空母の形式はネットで調べた結果、イギリス式のようです。

インドで空母は意外だったので、つい撮ってしまいました。
潜水艦も停泊していましたよ。 潜水艦の写真は撮り損ねました。
クリックすると拡大

これは今も現役の海の上のトーチカです。規模が大きいので要塞に近いかもしれません。写真ではわかりにいけれど大砲も設置されていました。
クリックすると拡大

山本さんのコメントにあったフリゲート艦らしい船をアップさせていただきました。

釣ったばかりのイカを近所の人からいただきました。 [話題]



家内が2013年2月11日の夕方のワンコの散歩の時に、ビーグルの飾りをいただいた犬友達の方から大きなイカをいただきました。お主人がその日に釣ってきたばかりの透明感が残った新鮮なものでした。イカの種類はヤリイカあるいは剣先イカだと思いますが、細身なこととヒレ(耳 エンペラ)の位置からヤリイカの可能性が高いと思われます。35cmのまな板と比べてもらえれば大きさがわかってもらえると思います。

烏賊のヒレの部分は透き通ってまな板が見えます。


さっそく刺身にいたしました。大きなイカが2ハイ(2匹)あったので沢山の刺身が出来ました。左下のほうの色が少しあるところがヒレの部分で固くて別の食感を楽しむことが出来ました。
ちなみに烏賊(いか)は活きている時は匹と呼び、水揚げされると杯(パイ)と呼び、干すと枚と呼びます。


美味しい料理があるとビールが飲みたくなります。


ゲソの部分は塩をつけて焼きました。新鮮なので美味しかったです。


締めには小さ目のイカ丼を作くりました。これも美味しかったです。

門戸厄神 東光寺 [兵庫県]



2013年2月5日に愛蓮で海鮮焼そばの昼食をとったあとに門戸厄神に行きました。上の写真が阪急電車の今津線・門戸厄神駅の近くから見える門戸厄神東光寺です。略して門戸厄神と呼んでいました。今まで神社とばかり思っていましたが高野山真言宗の別格本山に格付けされている寺院だったのです。正式名は松泰山東光寺です。あらゆる災厄を打ち払うという厄神明王(門戸厄神)が有名なことから通称「門戸厄神東光寺」あるいは「門戸厄神」となったのかもしれません。最寄駅名も「門戸厄神」なのです。
マンションや家が増えてしまったことからお寺の全景は見ることが出来なくなってしまいました。ちなみに丘の上に見える建物は聖和短期大学の図書館だと思います。この丘の上には神戸女学院大学や関西学院大学も建っています。

こちらが正門です。表門まで上がる階段で表門まで42段(25段+17段)あります。この階段は男厄坂42段と呼ばれています。階段脇の青いカゴに注目してください。
  住所  兵庫県西宮市門戸西町2-26
  山号  泰山
  宗派  高野山真言宗
  寺格  別格本山
  本尊  薬師如来
  開基  空海、嵯峨天皇(勅願)
  創建年 天長6年(829年)
  正式名 松泰山 東光寺


こちらが正門となる表門です。門戸厄神(松泰山 東光寺)は日本三大厄神です。
ちなみに日本三大厄神とは
   摂津門戸の「松泰山 東光寺」
   紀州高野山の麓「天野明神」 (高野町・和歌山)
   山城男山の「石清水八幡宮」 (八幡市・京都)     です。
それでは関西の三大厄神は
  門戸厄神       松泰山 東光寺
  加古川宗佐厄神  宗佐厄神八幡神社(加古川市・兵庫)
  多井の畑厄神   多井畑厄除八幡宮(神戸市・兵庫)     です。


表門をくぐると目の前に中楼門がありました。中楼門は威厳のある構えで、入口には巨大な提灯がつられており提灯には大村昆さんの名前があるそうです。この中楼門に上がる両方の階段が女厄坂になっています。


中楼門からの厄神堂です。毎年1月18・19日に厄除大祭が、2月3日に星祭が行なわれます。厄除大祭では数多くの屋台が出店され、何万人もの参拝者で賑わいを見せるそうです。


中楼門の内側境内です。中楼門が最も目立った存在でした。


これが中央にある厄神堂です。ここには日本三躰の秘仏・厄神明王像が祀られています。このお堂で一年間祈願者の厄除け開運諸願成就のご祈祷を行っているそうです。


こちらが御本尊の薬師瑠璃光如来が祀られている薬師堂です。正面から見て厄神堂の右側にありました。正面が本尊ではなく厄神堂なのが門戸厄神らしいです。


もう一つ大きな建物がありました。これは大黒堂・愛染堂で大黒天と愛染明王を祀られていました。


大黒堂・愛染堂の左手には、大師堂があります。ここには真言宗の宗祖弘法大師・空海上人が祀られています。


おみくじを買われる人も沢山おられました。


こちらが南門です。お参りした人の出口になっています。関西の三大厄神とは
  門戸厄神     松泰山 東光寺
  加古川宗佐厄神 宗佐厄神八幡神社(加古川市・兵庫)
  多井の畑厄神  多井畑厄除八幡宮(神戸市・兵庫)         です。


まだまだ紹介したいしたい写真があるので小さな写真を掲載いたします。
住宅地を通って門戸厄神にむかうのですが、大きく日本三体門戸厄神と書かれています。日本三体を調べてみると、空海が嵯峨天皇の勅により刻んだ三体の両頭愛染明王(りょうずあいぜんみょうおう)のことだそうです。東光寺のと同時に作られた他の二体は、高野山天野明神と石清水八幡宮に納められたそうですが、現存するのは東光寺だけとなったそうです。こちらの右の写真は正門の右側にある門です。こちらの門の右の柱には高野山真言宗東光寺と書かれており左の柱には門戸厄神と書かれていました。


表門に真っ直ぐ伸びる参道の入口の両側に建っていた灯篭です。住宅街の中を道が通っており参道の雰囲気を残した唯一のものでした。


願い事を絵馬に書きますが、こちらでは絵馬もありましたが扇子もありました。裏手の方には稲荷社もありました。高安稲荷大明神と書かれていました。


表門に上がる42段の階段が男厄坂で次の中楼門へ上がる33段の階段が女厄坂です。女子の厄の年にちなんで33段になっているそうです。階段の横に籠があり階段を下りる毎にお賽銭を置くことで自分の厄を落とすのだそうです。これはお寺の人が置いたのではなく、お参りする人が勝手に置かれたようです。男厄坂も同様に男子の厄の年にちなんで42段になっており一段づつ登る事で厄を落とすと言われています。


左が男厄坂の階段に置かれていた賽銭籠です。百度参りの石もありました。


左が宝輪杉で右が延命魂です。これらは高野山奥の院、弘法大師御廟近くの山道に、高さ60m、樹齢800年を経た老杉で平成10年(1998年)の台風倒木してしまいそれを高野山金剛峯寺より賜った霊木だそうです。


門戸厄神東光寺は「西国薬師霊場第20番」「西国愛染17霊場第2番」「摂津国八十八箇所第76番」です。そのことにちなんでか四国八十八ケ所めぐりが作られていました。


こちらが一番と八十八番です。


駅からお寺までの道には屋台や厄除まんじゅうのお店などがありました。ちなみに厄除まんじゅうを買って帰りました。


今までの紹介の写真を動画にしてみました。 YouTubeしてフルスクリーンでも写真を見ることもできます。是非とも見てください。

ネットから拝借した境内の地図を掲載いたします。位置関係がわかると思います。

湖畔の魚料理 [Biel/Bienne(スイス)]


写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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ここはビール湖畔のレストランです。Biel/Bienneの町で魚料理を食べたいので良いレストランはないかと聞くと即座にこのレストランを教えてもらいました。実はこのレストランの料理が驚くほど美味しかったのです。大げさかもしれませんが、私の一生で淡水の魚料理では最も美味しかった気がします。その魚料理の中で最も美味しかったのが、後でも掲載していますが上の写真です。

スイスで一生で最も美味しい淡水の魚料理を食べる経験をするとは夢にも思っていませんでした。その魚料理を紹介します。最初の計画では帰国の日の昼食は、チューリッヒまで移動して食べることを考えていましたが、私のビール湖畔で魚料理が食べたいとの強い希望が通って実現しました。食べるまでは、味に関しては、そんなに期待してはいなかったのです。チューリッヒに移動して昼食をとっていると今回の経験が出来なかったと思います。本当にラッキーでした。あとでネットで調べてわかったことですが、このあたりはフランス語圏との境であることから、美味しい料理に出会えた気がします。


右の地図はレストランのホームページから拝借いたしました。レストランの名前は「du Lac」 是非覚えておいてください。
住所はAnnemarie & Bruno Stanger ∙ Neuenburgstrasse 58 · 2505 Biel-Bienne
Tel. 032 322 37 77
HP→ポチッ  動画



この写真はネットから拝借いたしました。この湖で魚の漁をしている風景です。
スイスでこれほど美味しい料理に出会えるとは思いませんでした。それも湖畔で魚料理の名店とは!
すごい収穫でした。

レストランの近くからの24時間のBiel/Bienne湖の景色です。⇒ポチッ



先ずは魚のスープです。魚の身が入った濃厚な味のスープで魚の味のスープがこんなに美味しいとは正直驚きでした。臭みはなく魚の味が生きたスープでした。色が濃いけれどカボチャのスープではありません。サフランなどを使っているような気がします。ネットのメニューから料理名を探し出しました。これはfish soup style lake of Bielです。ドイツ語とフランス語と英語の3ケ国語で書かれていました。
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川マスと海老の串焼ですが、しっかりとした身で新鮮な材料であることが判りました。これも絶品で驚きの味でした。この緑の濃い野菜も初めて出会うものでしたが、見た目と違い実に美味しく食べやすい野菜でした。こちらの料理の名前はsautéd skewer with pike and shrimps sauce with garlic, tomatoes and leekです。
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クリックするのが面倒な方のために拡大写真を掲載いたします。少しでも美味しさが伝わったでしょうか。


どの料理も美味しい料理でしたが、下の写真の料理は最高でした。小型のマス系の魚のグリルでソースはなくシンプルナ料理ですが、すばらしい味付けで美味しい魚の味がストレートに感じられました。拡大したした写真で魚の焼色を見てください。
魚の大きさからこのお店のホームページに掲載された写真のおじさんの網に引っかかっている魚かもしれません。魚の種類はネットで調べた限りでは、湖でとれる小さな白身魚の「ペルシュ(perche)」だと思います。
ネットには料理名はフィレ・ドゥ・ペルシュ(Filet de Perche)で「ヌーシャテル湖やレマン湖など、主にフランス語圏の湖でとれる小さな魚ペルシュPerche(英語:パーチ)のフィレ(3枚におろした片身)を使いムニエルかフライで食べる料理。付け合わせはゆでたポテトやフレンチポテトとレモンがポピュラー。淡白な白身魚で、比較的あっさりとしているので日本人にも食べやすく人気があります。 」と書かれていました。
料理の名前はperch meuniereですが、deep-fried perche with tatar sauceも選択できます。
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こちらも拡大写真を追加いたしました。
スイスではよく使われるようで、レマン湖の名物料理のようです。同じ魚と思われる料理をブログで見つけました。⇒ポチッ ポチッ ポチッ(ネットの内容は枠内)
基本的に私は、鮎、岩魚、鰻以外の淡水魚が苦手で食べないのだが、先日、ブルゴーニュの新規取引先の、ドメーヌ・デ・ヴァロワイユ&ハンメル社の社長である、ギルベール・ハンメル氏にこのレストランに連れて来てもらった。淡水魚を毛嫌いしてた私がホントに驚いたこの魚。
ペルシュ(仏語)とは日本語では「パール」と言うのか、鱸科の淡水魚で、味は結構淡白である。"Jim" に聞いたところ、通常はタルタルや、クリーム系のソースで食べるらしいが、このレストランは、バターでムニエルにしてレモンを絞って食べる、というごくシンプルなものである。料理の前にプチサラダが出てきて、付け合せはポテトフライという、ホントにシンプルなもの。でもこれが好きになった!
10切れのフィレにポテトが付いて、これが2回出てくる。結構お腹がいっぱいになるので、これも驚き!お値段は、1人41フラン。
両親か友達が来たら、天気にいい日に連れて行ってあげたいな、と思うレストランでした。


美味しい料理にはワインが欠かせません。赤ワインを2本と白ワインを1本頼んでしまいました。もちろんビールも!


デザートの大盛りのテラミスの味も一流でした。昼食から奮発して正解でした。
いづれの料理も丁寧に作られています。誰かの言い方では「いい仕事してますね~~」です。シェフのこだわりを感じました。新鮮な美味しい素材を使ったいい仕事から感銘を受ける料理が出来るんですね。
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レストランからの景色です。


湖岸まで下りてみました。


お店の中の写真です。外のベランダはガラスで囲われておりビール湖を見ながら食事をすることも出来ます。


湖岸側からのレストランの写真です。ベランダが囲われているのが判ります。この写真は食事中(食事が出てくる前)に外に出て撮ってきたものです。写真を撮っていると紹介した大きなワンチャンが近づいて来た場所でもあります。


レストランの航空写真も紹介します

より大きな地図で Biel/Bienne を表示

神社は古墳の上にありました。 [風習・歴史]



千葉県八千代市の下高野や上高野、さらに佐倉市の井野の梵天塚を探したことがきっかけになって、奥州参り(出羽三山参り)の記念碑である三山碑を探しに千葉県八千代市の根上神社に来てみました。根上神社は住宅地の中の小高い小山の上にありました。

これが根上神社の鳥居です。
鳥居の奥に神社が見えます。こちらにも自転車で来てみました。


こちらが神社です。


こちらに立てられていた説明で根上神社が古墳の上(正確には脇)に建てられたものであることを知りました。確かに古墳と言われれば納得の地形でした。この古墳は八千代市に現存する最大の前方後円墳でした。
  全長      50m
  後円部直径 35m
  前方部幅   32m


目的の三山碑(出羽三山参拝記念碑)も10基以上ありました。神社の中にはの三山碑だけでなく伊勢参りや秩父参りの記念碑なども沢山ありました。


古いものは天保10年(1839年)でした。


平成22年の三山碑もありました。いろんなところを回って一番新しいものでした。


これが小山の下から見た根上神社古墳(ねのかみじんじゃこふん)です。市指定の文化財です。千葉県には114基の古墳がある龍角寺古墳群などの沢山の古墳が残っています。家の近くの小学校にも古墳らしき小山が3つありました。


古墳の場所を航空写真で示します。周りの駐車場はジョイフル本田・八千代店のものです。ジョイフル本田・八千代店に行ったときは覘いて見てください。地図上のマイナスのアイコンを数回クリックすると場所が判ってくると思います。

下記のグラフが八千代市内で確認されている三山碑です。もっとも古い三山碑が天明5年(1785年)がもっとも古いことから、江戸時代では、1785年から1868年1月24日までの83年間の集計としております。グラフを作ったデーターは平成20年に八千代市立郷土博物館で行なわれた「八千代市と出羽三山」の企画展の資料を使わせていただきました。
八千代市立郷土博物館を紹介いたします。
 名前 八千代市立郷土博物館
 住所 千葉県八千代市村上1170-2
 電話 047-484-9011
 時間 9:00~16:30
 休館 月曜日、国民の祝日(日曜以外)、祝日が日曜の場合は翌火曜日
 HP  http://www.city.yachiyo.chiba.jp/sisetu/rekisi/rekisi.html
八千代三山碑

スイスのワンちゃん [犬]

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前にスイスのネコちゃんを紹介しました。今回はワンちゃんを紹介いたします。住宅地を散歩中に寄って来たワンちゃんです。

なぜかBiel / Bienneのワンチャンは人懐っこくて、飼い主を無視して遠くから真っ直ぐと寄ってきました。湖畔の魚料理のレストランの近くでした。


こんな看板が住宅地の壁にありました。トルコのワンちゃんの記事の時にミンコさんのコメントで数年前に法律でリードすることが決まったそうなので、これはリードをつけて散歩してくださいとの表示だと思いますが、でもこの町では散歩中はつないだワンちゃんは見ませんでした。
フランスでは大型犬をつないで散歩すると"しつけ"が出来ていないと見らけるため、つないで散歩するのは恥ずかしいとの感覚があると聞いたことがあります。その習慣が、こちらにも残っているのでしょうね。


列車にも自由に乗れるのがいいですね。出かけるときに気楽につれて出かけられます。