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世界遺産 今帰仁城(なきじんぐすく) [沖縄]

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水族館の次に行ったのが今帰仁城 (なきじんぐすく)です。主郭から見た志慶真郭です。

これが昔の今帰仁城の想像図です。
想像図の中の中央よりすこし下に平郎門があります。今も平郎門より高い部分は遺構(城壁や石垣)として残っています。
想像図の中に次の項目が書かれています。
①平朗門 ②大隅 ③カーザフ ④大庭 ⑤御内原 ⑥主郭 ⑦今帰仁ムラ ⑧志慶真門郭 カラウカー ソイツギ テンチジマチジ 志慶真門跡 水揚げ場の跡 石垣 旧道 外郭 古宇利殿内火神 ウーニー 七五三の階段 神ハサギ跡
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こちらも世界遺産の「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」の一つです。この世界遺産は次の遺産で構成されています。今回、今帰仁城を訪問したことで9ケ所の内、6ケ所を見ることが出来ました。黄緑色の文字をクリックすると訪問した時の記事を表示します。これで、今回訪れた世界遺産の6ケ所全てを紹介したことになります。
クリックすると拡大右の地図はネットから拝借いたしました。地図をクリックすると拡大します。
 ①首里城(すいぐすく)
 ②園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
 ③玉陵(たまうどぅん)
 ④識名園(しきなえん)
 ⑤今帰仁城(なきじんぐすく)
 ⑥勝連城(かつれんぐすく)
 ⑦座喜味城(ざきみぐすく)
 ⑧中城なかぐすく)
 ⑨斎場御嶽(せいふぁうたき)

これが外から見た平郎門です。


平郎門あたりから上を見たところです。長い道を登っていくと城の全貌が見えてきます。想像図で旧道と書かれているところです。


今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう)は別名として北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく)とも呼ばれています。ここは沖縄県国頭郡今帰仁村にある城跡で13世紀ごろに作られ、14世紀に琉球王国三山時代の三山の一つ・北山王の居城でありました。
ここは大隈郭です。御内原から見た景色です。
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御内原から志慶真郭を見た景色です。
南北350m、東西800m、面積37000㎡。沖縄県最大級の城(グスク)とのことです。
今帰仁城は天然の要塞で難攻不落をイメージさせるが2度の落城を経験しているそうです。1度目は中山の尚巴志(しょうはし)王によって滅ぼされ、その後は首里王府から派遣された北山監守の居城となったそうです。2度目は1609年の薩摩軍の琉球侵略によって落城したそうです。
北山監守の制度はその後も続いたそうだが1665年(寛文5年)に廃城となりました。
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主郭のあった場所には、今は火の神(ひぬかん)が建てられていました。


志慶真郭には建物の跡が沢山ありました。
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世界遺産 座喜味城(ざきみぐすく) [沖縄]

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世界遺産の中城城跡の次に来たのが座喜味城(ざきみぐすく)です。そして、この日は泊まるホテルを残して最後の訪問地です。まだ、時間はあったけれどホテルの近くのビーチにも日が高いうちに行きたかったので、ここを最後にしました。この座喜味城跡も世界遺産に指定された「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つです。
上の写真は入口の石門です。航空写真を見てもらうと判るとおり、今までに紹介した首里城や中城に比べると小規模ですが2つの城郭がきれいに残っています。
座喜味城は築城家として名高い護佐丸(ごさまる)によって15世紀の始め頃に築城されたそうです。

入口に近いほうの城郭(二の郭)です。独特の曲線を描いて積まれた城壁は「あいかた積み」と呼ばれる技法です。


座喜味城のアーチ型の石門は沖縄で最も古いものと言われています。石門は最初の写真のものと、内部の城壁のこの石門の2っです。
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奥の城郭(一の郭)には建物の跡があります。沖縄中南部におけるグスクは、硬い琉球石灰岩の岩盤上に築城されるのが通常の形態ですが、座喜味グスクは、唯一、赤土の台地上に掘り込んで築かれています。
また、城壁は自然の地形に合わせて造られるため、屏風状に屈曲しており、カーブの各角に丸味を持っているのが沖縄特有の城郭形態ですが、特に座喜味城の場合にはその特徴が強く、軟らかい赤土地盤による崩落を防ぐ必要性から、より複雑な形状となり、上空からみると、城全体がまるでヒトデのような形となっていて、壮麗な曲線美を構成しています。沢山のベレー帽をかぶった自衛隊の方が見学に来られていました。なにかの研修でしょう。
こちらの城跡は入場無料です。
クリックしてみてください。
下記が世界遺産の「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」のです。9ケ所の内、6ケ所を訪問しました。
 首里城(すいぐすく)
 玉陵(たまうどぅん)
 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
 中城(なかぐすく)
 座喜味城(ざきみぐすく)
 今帰仁城(なきじんぐすく)
 識名園(しきなえん)
 勝連城(かつれんぐすく)
 斎場御嶽(せいふぁうたき)

世界遺産 中城(なかぐすく) [沖縄]

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沖縄そばを食べて首里城園比屋武御嶽石門玉陵を見たあとに訪れたのが中城です。上の写真は、こちらでもらったパンフレットにあった中城の航空写真です。
中城(なかぐすく)は世界遺産の「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」の中の一つです。中城(なかぐすく)はこのあたりの地名で、正確には中城城跡(なかぐすくしろあと)といいますが省略して中城と呼ばしてもらっています。
こちらは航空写真のように建物はありませんが、琉球石灰岩で築かれた石垣の遺構がはっきりと残っています。沖縄にはグスク(城)が300余りあったとされていますが最も遺構がよく残っていることで知られています。中城は14世紀後半に先中城按司によって造られ始めて15世紀前半頃までに護佐丸(ごさまる)によって完成したと考えられています。

こちらもパンフレットの中の説明図です。中城は連郭式の山城で「一の郭」「二の郭」「三の郭」「北の郭」「西の郭」「南の郭」の六つの郭(くるわ)で構成されています。
標高160mの丘陵の東崖縁を天然の要害として建てられました。それぞれの場所を写真で紹介します。


これがの裏門です。駐車場から歩いてくると最初にくぐる門でもあります。


駐車場からだと一番奥にの正門があります。


これは一の郭の城壁です。石積み技法は「布積み(豆腐積み)」で四角石を積み上げたものですが、後半に造られた三の郭の城壁は石積み技法の最も進んだ「あいかた積み(亀甲乱れ積み)」によって築かれた。


1853年に来島したペリー提督も、この地を訪れて「要塞の資材は、石灰岩であり、その石造建築は、賞賛すべきものであった」と評価しています。
ペリー提督が訪れた頃には建物も健在 であったようです。この絵はネット から拝借させていただきました。これはペリーに同行した画家ハイネによって描かれた「西の郭より正門を望む」です。

ここがの北の郭です。北の郭も、あいかた積み(亀甲乱れ積み)によって築かれた。石の形が一の郭と違うのが判ってもらえると思います。クリックすると、そのことがよく判ってもらえると思います。
石垣の手前に急な階段が見えます。この階段の先に大井戸があります。
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時代物の三輪車 [山西省]

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山西省の省都・太原から南西に130kmの場所で見つけました。道を走っているのは時々見かけましたが目の前に停まっているのを撮る機会はなかなかありませんでした。じっくり見ると趣きがあります。 クリックすると拡大します。

一瞬のシャッターチャンス [山西省]


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中国山西省で太原から車で平遥市に入った時です。町の中を車で走っていると、前からロバが三頭歩いてきました。車の後部座席からですが躊躇せずにパチリ 写真をクリックしてみてください。苦労が判ってもらえるかもしれません。一瞬でした。このあたりはロバが多かったです。
この町には世界遺産の平遥古城があるすばらしい町でした

タグ:ロバ 山西省