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「とみ田」のつけ麺 [土産]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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本記事が2013年の最後の記事です。
2013年は1ケ月に全て66記事を掲載することを目標してきましたが、その目標も達成いたしました。
本年は沢山の訪問、niceにコメントをいただき、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。よい、お年を !

息子が友達と松戸にあるラーメン店「とみ田」に、つけ麺を食べに行き、お土産に、つけ麺を持ってきてくれました。とみ田と言えば、長い行列の出来るラーメンとして有名となっていお店です。やはり2時間待ったとのことでした。上の写真がお土産の「つけ麺」です。麺が2束と袋のつけ汁が2袋とネギが2つです。つまり2人前をもらいました。写真の中のつけ汁は1袋ですが、2袋です。実は作る時に間違えて2袋入っていることに気が付かづに1袋で2人前を作ってしまったのです。アドで冷蔵庫に1袋残っていることに気が付いて間違えたことが判りました。「つけ汁が少ないな」と思いながら食べたのでした。

説明書き通りに作ったので、食べるまでを紹介いたします。つけだれは袋のまま15分ほど湯煎したあと鍋に移した短時間だけ沸騰させます。
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麺は極太なので6~8分間と書かれていたので、6分間ほど茹でて流水で、ぬめりをとります。
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これが完成した「つけ麺」です。
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やはり麺に特徴があり、行列が出来ることが納得できました。
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特徴がある麺を拡大いたしました。麺に粒々があります。おそらく全粒粉(ぜんりゅうふん)と呼ばれる小麦粉を使っているためではないかと思います。全粒粉とは小麦の表皮、胚芽、胚乳をすべて粉にしたものです。あの粒々は主に小麦の皮の部分だと思われます。胚乳だけを用いる通常の小麦粉と比べ栄養価が高く、薄力粉と比較して3倍程度の食物繊維や鉄分を含みます。ビタミンB1の含有量も高く、そのため、健康を目的として用いられることも多いそうです。不純物を多く含むため、粉の色はやや茶褐色を帯びることから、それら不純物による独特の風味と食感が出ているのだと思います。
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こちらがつけ汁です。当然ではありますがも、つけ汁も美味しかったです。ただし、間違えたために半分の量のつけ汁となってしまいましたが、麺につける量は足りました。ただし途中で冷えてしまいました。そこで途中で、つけ汁だけを電子レンジで温めることにいたしました。これはお店では出来ない技で、完全に冷えてしまうことはなく食べることが出来ました。
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この写真で美味しさが伝えられるでしょうか。お店で食べるのには及ばないかもしれませんが、「とみ田」の本物の麺と、つけ汁で美味しくいただくことが出来ました。
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TRYという雑誌で「とみ田」がいくつかの部門で一位になっていました。そして「とみ田」は、つけ麺太麺部門で2009年から5連覇でした。さらにラーメンMIX部門では2007年から7連覇でした。
各部門の一位のお店は次の通りです。審査員は吉本匠將、青木誠、石神秀幸、大崎裕史、レイラ、斉藤光輝の6名です。講談社の発行の雑誌名は「業界最高権威 TRY認定 第14回ラーメン大賞 2013-14」です。 TRY=Tokyo Ramen of the Year
クリックすると拡大 TRY大賞総合一位    中華蕎麦 とみ田
 ラーメンしょう油   らぁ麺屋 飯田商店
 ラーメンしお     そばはうす不如帰
 ラーメンみそ     蔦
 ラーメン豚骨     無鉄砲 東京中野店
 ラーメンMIX    中華蕎麦 とみ田
 ラーメン鶏白湯    陰山樓
 つけ麺 細麺     らぁ麺屋 飯田商店
 つけ麺 太麺     中華蕎麦 とみ田
 汁なし        ajito ism
 新人大賞総合一位   らぁ麺 やまぐち
 新人ラーメンしょう油 らぁ麺 やまぐち
 新人つけ麺      らぁ麺 やまぐち
 新人汁なし      麺酒 やまの
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上で総合一位を紹介しているページを紹介していますが。「とみ田」が個別で一位になったページを紹介します。左が「ラーメン MIX」で右が「つけ麺 太麺」のページです。
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クリックすると説明書を表示添付されていた「つけそば」の説明書の中の絵を紹介します。クリックすると説明書全体を表示します。

美味しく作るポイント
 ・つけ汁は15分湯煎で温める。
 ・茹でた麺は流水でヌメリをとる。
 ・つけ汁は小鍋で軽く沸騰する。
 ・薬味のネギを入れる。

お店を紹介いたします。
  店名 中華蕎麦 とみ田
  住所 千葉県松戸市松戸1339
  電話 047-368-8860
  HP http://www.tomita-cocoro.jp/

2人で1人前のつけ汁しか使わなかった、私の大失態のおかげで、つけ汁が一人前ほど余ってしまいました。
そこで、市販のつけ麺用の麺を買ってきて、たべることにいたしました。


これが、市販の麺を使った、つけ麺です。つけ汁が美味しかったので、つけ麺は美味しくいただきましたが両方を食べ比べることが出来て「とみ田」の麺のすばらしさを実感することが出来ました。
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カラガンダの町の人たち [カザフスタン]



カザフスタンむの首都アスタナからカラガンダへの道沿い景色は何度も紹介いたしました。今回はカラガンダの町の風景を紹介いたします。上の写真はカラガンダの入口付近です。この辺りからから徐々に町の風景になってきました。ここでも信号機の横には信号が変わるまでの時間が表示されていました。
紹介する全ての写真は12月1日に撮ったものです。

建物が増えてきましたが、歩いている人はまだ少なかったです。カラガンダは、カザフスタン共和国のカラガンダ州の州都で カザフスタンでは、アルマトイ、アスタナ、シムケントに次ぎ人口では4番目の都市だそうですが、集計の仕方によっては2番目の都市だそうです。カラガンダという市名は、この辺りに群生している「オオムレスズメ」の名前(Caragana arborescens)に由来するそうです。


こちらの写真の縮小版はすでに紹介済みで。こちらはKazakh Drama Theaterと呼ばれている建物です。日本流に言えば「カザフ族演劇劇場」でしょうか。


これはカラガンダのシンボルである労働者の銅像(Miners Glory Monument)です。この像と道を挟んで大きな建物のThe house of minersがありました。昔は石炭の町で過酷な労働に耐えた鉱夫によって支えられた町のてめ、このような像や建物が建てられたのかもしれません。


こちらのクリスマスツリーを作っている写真も紹介しましたが、それがカラガンダだったのです。


ショッピングセンターのような場所でした。


その近くを歩いている人たちです。


アパートのような建物も沢山ありました。


町の中の庶民の足はバスのようでした。次から次へとバスが来ていました。


町の人たちの服装もも紹介いたします。さすが極寒の地です。私が行った時もマイナス20℃くらいでしたが今はさらに寒くなっているようです。シベリアと似た感じの服装の方が多かったです。帽子は必需品のようです。


おばあちゃんとお母さんと赤ちゃんでしょうか。ほほえましい光景でした。


小学生くらいの女の子たちです。
学校帰りでしょうか。沢山の子供たちが周りにいました。


若い女性は分厚いフード姿が多いです。冬のお洒落なのだと思います。カラガンダはドイツとの関わりが強かった町のようです。欧米系の顔の人の比率が多い気がしました。

カザフスタンの代表的な都市名を紹介します。括弧内は英語です。訪問したことがあるのはアクトベ、アルマトイ、アスタナ、カラガンダの4都市です。
  アクタウ(Aktau)
  アクトベ(Aktobe)
  アルマトイ(Almaty)-最大の都市
  アラル(Aral)
  アスタナ(Astana)-首都
  アティラウ(Atyrau)
  バイコヌール(Baikonur)
  バルハシ(Balqash)
  エキバストゥス(Ekibastuz)
  テュルキスタン(Hazrat-e Turkestan)
  ジェズカズガン(Jezkazgan)
  カラガンダ(Karaganda)
  コクシェタウ(Kokshetau)、ククシェタウ、コクシェトゥ、コクチェタフ
  コスタナイ(Kostanay)
  クズロルダ(Kyzylorda)
  オラル(Oral)
  オスケメン(Oskemen)
  パヴロダル(Pavlodar)
  ペトロパブル(Petropavl)
  ルードヌイ(Rudniy)
  サルカンド(Sarkand)
  サトパエフ(Satpayev)
  セメイ(Semey)
  シムケント(Shymkent)
  タルディコルガン(Taldykorgan)、タルドゥイ・クルガン
  タラズ(Taraz)
  テミルタウ(Temirtau)
  ジャナオゼン(Zhanaozen)

カラガンダへの道 [カザフスタン]



カザフスタンにもピラミッド?  いえピラミッドの形をした近代的な建築物です。なぜか太陽も菱形の幻想的な形を見せてくれました。
上の写真は右の写真から切り取りました。
首都のアスタナからカラガンダへ車で移動したときの鉄道雪景色民家のある景色などはすでに紹介いたしました。景色は窓の横の景色がほとんどでしたがここでは実際に車に乗った雰囲気を味わってもらうために車の正面の景色を時間順に紹介いたします。
アスタナのホテルを9時24分に出発して6分後にアスタナを象徴する景色である平和のピラミッドが見えてきました。このピラミッドはノーマン・フォスター設計で、各宗教の宗教施設が入っています。ピラミッドが見えてきたのはホテルを出てから6分後の9時30分18秒でした。
         クリックすると拡大
クリックすると拡大ピラミッドを見てから9分後の9時39分57秒の車の正面の景色です。3台のランドクルーザーが待ち合わせた場所でもありました。すでに他の車が来ていたので待つことはなくそのまま出発しました。


9時54分51秒です。
車は南東方向に進むことから、この後もほとんどの写真が逆光の景色でした。


10時13分15秒は真正面に太陽があるためにこのような景色となりました。


10時18分1秒です。片側一車線のため、この道をある程度のスピードで走るためには追い抜きは不可欠です。


10時18分25秒です。追い抜きをしているところです。


10時21分58秒は曇り空でした。


10時27分39秒です。 前から大きな車が走ってきました。カザフスタンでは昼間でもライトをつけて走る習慣がありました。


10時38分52秒には晴れてきました。 右にカザフスタン鉄道の線路が見えます。


10時51分31秒です。晴れると素晴らしい景色が展開されました。


11時8分1秒です。でも、すぐに霧でガスてきました。


11時8分57秒です。 霧の中でも追い抜きます。


11時9分6秒には、我々も追い抜きました。かなり慎重に前からの車がないことを確認していました。この後にトイレ休憩でドライブインで停まりました。


11時36分55秒には霧の中に幻想的な太陽が出現しました。この辺りから片側2車線になりました。反対車線との間には広いスペースがあり中央分離帯に相当ので、もう大丈夫です。追い抜きも心配いりません。


11時39分19秒には晴れてきました。


11時39分52秒です。珍しく立体交差がありました。それでも216km走って立体交差は3ケ所で見かけました。


11時40分18秒には山のある景色も現れてきました。


11時41分0秒の景色です。すでに報告していますが一般道路ですが制限速度は90km/hでした。


11時41分44秒です。どこまでも真っ直ぐな道でした。


11時49分55秒には雪がキラキラ輝く景色に出会えました。


11時51分12秒には製鉄所が見えてきました。
世界最大の製鉄会社であるArcelor mital傘下の製鉄所です。


11時51分56秒には製鉄所の近くのロータリーまで来ました。
ここで道が4方向に向かっています。我々はカラガンダの方向に向かいました。


12時6分22秒にはカラガンダの入口まで来ました。ここから20分後にカラガンダの町の中心にあるレストランに着きました。道路の上の丸い看板の中にҚАЗАҚСТАНと20の文字が読み取れました。2011年12月16日は独立20周年記念なのでそれを祝った飾り付けなのだと思います。
ちなみにҚазақстанはカザフ語でカザフスタンのことです。

カザフスタンのカラガンダはカザフ語でҚарағандыです。ロシア語ではКарагандаで微妙に違います。英語ではKaragandaですがGoogle地図ではKaragandyと表示されていました。
試しに検索エンジン(YahooとGoogleとGoo)での検索件数を調べてみました。最近はYahooとGoogleは同じデーターベースを使っていることからYahooとGoogleとの差はロシア語以外ではありませんでした。順位はロシア語→英語(Karaganda)→カザフ語→英語(Karagandy)→日本語でした。
          Yahoo        Google       Goo
 Karagandy  約2,040,000件  約 2,040,000 件     約21,100件
 Karaganda  約6,550,000件  約 6,550,000 件    約348,000件
 Қарағанды  約6,020,000件  約 6,020,000 件  約1,320,000件
 Караганда  約36,900,000件 約 37,000,000 件  約1,630,000件
 カラガンダ  約24,700件     約 24,700 件      約1,230件

道のルートは下記赤のラインです。空色のマークが今回紹介した写真を撮った場所です。以前に紹介した正確な時間を記入した地図から場所を特定(数百m以内)しました。この地図を作るために正確な時間を記入した地図を作ったのです。空色マークをクリックすると時間を表示します。緑色のマークが出発したホテルと到着したレストランです。黄色のマークが途中で休憩して24時間ドライブインの場所です。マークをクリックすると通過時間を表示します。


車の通過時間の確認方法 [カザフスタン]



カザフスタン国内をアスタナからカラガンダに車で移動したときの雪景色民家を紹介しましたがその時に地図に時間の入ったマークを付けました。そのマークの入った地図です。青いマークをクリックしてもらうとマークの説明と時間が表示されます。マークの位置と時間の特定方法に関して説明いたします。
右の航空写真はカラガンダ市内です。

車で走りながら特徴的な景色や建物の写真を撮っていました。その写真の一部が下記の小さな写真です。その写真の景色と航空写真のプラスのアイコンを何度もクリックして拡大した航空写真を見比べて写真を撮った場所を特定しました。その9枚の写真の内で航空写真の3例を紹介いたします。小さな9枚のすべての写真はクリックすると本ブログ標準サイズの写真(480x360)を表示するように設定しています。
09:24 ホテル         09:43 モスク前       10:24 鉄道横断
IMG_3921-480.jpgIMG_3321-480.jpgIMG_3399-480.jpg
10:34 タンク前        11:10 トイレ休憩      11:51 ロータリ
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12:16 カラガンダ市内-1   12:19 カラガンダ市内-2  12:27 レストラン
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

例えば09:43 モスク前のあたりを拡大した航空写真がこれです。上の写真から撮影した場所が青いマークのの位置が特定出来ました。撮影時間は写真の記録から現地時間の9時43分(日本時間12時43分)であることがわかりました。


クリックすると拡大例えば10:34 タンク前のあたりの拡大写真はこれです。牧草あるいは穀物のタンクだと思いますが写真と同じように並んでいることで場所が特定出来ました。
この辺りは目立ったものがなく平原が続いていたのでいい目印になりました。


クリックすると拡大例えば12:16 カラガンダ市内-1のあたりを拡大すのと写真に写っていた建物が確認できます。試しに残りの6例の場所の特定にチャレンジしてみてください。結構苦労します。海外に行くときはGPS付のカメラがあると便利なことがわかりました。

カザフスタン鉄道 [カザフスタン]


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カザフスタンの首都アスタナからカラガンダへの車での移動中の雪景色民家の風景はすでに紹介いたしました。その道路はカザフスタン最大の町であるアルマトイ(Almaty アルマティー)にもつながっている幹線道路です。その幹線道路の横を鉄道も走っていました。3時間道路を走る間に2回ほど列車を見る機会があったので紹介いたします。道路から列車までの距離が結構あった上に振動のある高速で走る車の中からの撮影であったことから鮮明な写真ではありませんが2回とも写真に撮ることがが出来ました。
これは貨物列車です。写真はクリックすると拡大します。

2台の重量級の機関車が牽引していました。
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上と同じ列車です。


カザフスタン鉄道は英語でKazakhstan Temir Zholy(KTZ)でカザフ語で Қазақстан Темир Жолы (ҚТЖ)です。そのKTZはカザフスタンの国有鉄道です。赤いラインが鉄道網です。KTZはヨーロッパや中国や東南アジアとつながった鉄道でカザフ内の3862kmの距離がヨーロッパと中国を結ぶ役目を果てしています。広い国土のために鉄道ライン延長の計画および建設が進んでします。現在のレール幅の基本は旧ソビエト連邦時代の1520mmの広軌ですが1435mmの標準軌もあります。ドルジバ駅(カザフ)~阿拉山口駅(中国)は広軌と標準軌とが単線並列で走っていることは有名なことのようです。1435mmの標準軌を敷設して他国と乗り入れができるようにしてスムーズに走れるようにする計画も進んでいます。


こちらが客車の写真です。上の貨物列車より、さらに線路が遠くでした。
ブルーの色が印象的でした。長距離を走ってきたのではないでしょうか。


色は違いますが貨物列車と同じ電気機関車2台で引いていました。機関車は旧ソ連時代のものが使われているようです。客車のブルーはカザフスタンが独立して国旗のブルーに塗装されたからだそうです。カザフスタンではスペイン製のタルゴが高速列車として走っています。中国との直通を便利にするために軌間可変車軸の車両も検討されています。


カザフスタンの24時間ドライブイン [カザフスタン]



カサフスタンの首都アスタナからカラガンダまで車で行った時に休憩した場所です。日本で言うドライブインです。滅多にありませんでしたが2時間近く走ってきたのでトイレ休憩を兼ねてドライブインの駐車場に入りました。
食事はカラガンダでするつもりなので建物の中には入りませんでした。写真のトラックの人は中で休憩しているようでした。

こちらが建物全体を撮った写真です。


看板には24の数字が大きく書かれていました。
このドライブインは24時間営業のようです。


トイレ休憩のつもりでしたが、トイレを見て昼食のレストランまで我慢することにいたしました。でも人なつっこいワンちゃんが出迎えてくれまし。


道路を撮った写真です。走っているときは晴れていることもありましたが休憩時は視界の悪い時でした。
雪も舞っていました。コートに落ちた雪はきれいな結晶を見せてくれました。


建物の近くから道路を撮った写真です。
ドライブインの周りスペースも広々としていました。


この3台のランドクルーザーで走りました。


休憩した場所は黄色のマークのところです。



民家のある風景 [カザフスタン]


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車で移動した12月1日のアスタナ(Astan/Астана)からカラガンダ(Karagandy/Қарағанды)の間の雪景色を前記事で紹介いたしました。人家はほとんどない場所でした。それだけに民家を見かけると印象的でした。その雪の中の民家のある景色を紹介いたします。この一枚目の写真はクリックすると拡大いたします。

カザフスタンの民家は隙間のある板塀で仕切られているのが特徴でした。このようなところにも生活や家庭があることが伝わってきました。


晴れると雪の白と家のコントラストが素晴らしくきれいでした。


途中の小さな町には沢山の民家が道路沿いにありました。それも瞬間的なことでした。


民家にはなかなか出会えないので沢山撮らせてもらいました。


山のある景色にも出会えました。


カザフスタンは南の国境近くには天山山脈がありますがアスタナやカラガンダの近くで山に出会えるとは思ってもいませんでした。


代表的な民家の形です。 車で走ったルートはこちらです。→ポチッ

カザフスタンはクリスマスが2回 [カザフスタン]



関西に行っている間にクリスマスが過ぎてしまいました。もうすく正月で、とんでもなく遅くなりましたが、とりあえず Merry Christmas !
そこでカザフスタンのクリスマスツリーを紹介いたします。カザフスタンには11月29日から12月2日まで滞在いたしました。町のあらゆるところにクリスマスツリーが飾られていました。上の写真は首都アスタナの宿泊したホテルRixos President Hotel Astanaの中に飾られていたクリスマスツリーです。

こちらは世界最大のテントとして紹介したアスタナにあるショッピングモールの中に飾られていたクリスマスツリーです。高さ150mの大きな建物なのでクリスマスツリーが小さく見えますが、かなりの大きさのクリスマスツリーでした。 
クリックすると記事を紹介

こちらはカラガンダにあったクリスマスツリーです。
車の中から建物を撮った写真の中にクリスマスツリーが写っていました。このようなクリスマスツリーが屋外でよく見かけました。この建物はKazakh Drama Theater(Театр Казахской драмы)です。


こちらもカラガンダです。ショッピングセンターと思われる建物の近くの広場に立てられていました。飾りつけはこれからのようでした。


12月1日だったので作りかけているものもありました。こちらもカラガンダです。すでにお気づきの通りカザフスタンのクリスマスツリーはきれいな円錐状ですが、その構造をこの写真で知ることが出来ました。こちらは消防自動車(はしご車)で作っていました。
アメリカなどでは生木が使われますがカザフスタンは木の少ない国なので人工的な円錐のツリーが使われているような気がしました。この写真をクリックすると拡大するのでツリーの構造がよくわかると思います。
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アクトベで泊まったHOTEL DASTANの前でも偶然ですがクリスマスツリーが作られていました。こちらでは高所作業車が使われていました。


夜には完成してきれいな姿を見せてくれました。


アスタナのバイテレックからの景色の中にもクリスマスツリーがありました。大統領官邸の少し手前に円錐形のクリスマスツリーがあります。
クリックすると記事を紹介

アスタナで泊まったRixos President Hotel Astanaの部屋からの景色の中にもクリスマスツリーがありました。小さい写真はクリックすると拡大します。
カザフスタンの宗教の比率はイスラム教が47%、正教会が44%、プロテスタントが2%、その他7%とイスラム教が多いけれどもクリスマスも重要な行事のようです。
ちなみにカザフスタンのクリスマスは1月7日だそうです。クリックすると拡大ロシア正教の降誕祭がクリスマスに相当するようです。もちろん12月25日もクリスマスなので2回のクリスマスがあるような感じだそうです。したがってクリスマスツリーも1月7日までは飾られると聞きました。ネットで調べてみると「正教会のうちユリウス暦を使用するものは、グレゴリオ暦の1月7日に該当する日にクリスマスを祝う」と書かれていました。


ホテルの窓から見えた同じクリスマスツリーが写った昼間の動画です。


夜のクリスマスツリーが写った動画も紹介します。左端にかろうじて写っています。


アスタナ(赤)とカラガンダ(青)とアクトベ(緑)の場所を地図にマークを入れました。
アルマトイ(黄)はトランジトのためツリーの紹介はありませんがカザフスタン最大の町なので黄色のマークを入れました。

より大きな地図で 3都市 を表示
参考にクリスマスツリーに関するネットでの記載内容を紹介します。
クリスマスツリーの用材には、常緑の針葉樹のおもに幼木が用いられる。アメリカでは、年間数千万本もの生木のツリーが流通しており、最も生産本数が多いオレゴン州だけでも700万本を超える。これら商業目的で生産されるツリーのほとんどは、規模が大きいため森林ではなく農地で生産されている(アメリカのツリー生産の統計は、農業センサスで集計されている)。この点で環境破壊と指摘されることは少ないが、クリスマス後に一度に大量に発生するツリーのゴミの方が環境問題視されることがある。このためニューヨーク州を始めとした都市部や住宅地では、2000年代以降、リユース(鉢植えで使用後に農場へ戻す)やマテリアルリサイクルを行う取り組みが見られる。




極寒の地に馬達がいました。 [カザフスタン]



12月1日の午前中にカザフスタンのアスタナからカラガンダまで車で216kmほど走りました。気温は-20℃近くまで下がっており家畜はほとんど見ることはありませんでしたが、上の馬たちを見つけました。これより以前にカザフスタンで馬を見たのはカザフスタンの最大の町であるアルマトイの近くのダムの観光用の馬だけでした。この寒さの中、で、このように放牧されたている馬を見ることが出来るとは思ってもいませんでした。

この地図の青いラインがアスタナのホテル(A)からカラガンダの昼食のためのレストラン(B)まで走ったルートです。この三台のトヨタ製LAND CRUISERで走りました。
カラガンダの英語とカザフ語とロシア語は次の通りです。
 カザフ語 Қарағанды
 ロシア語 Караганда
 英語    Karagandy/Karaganda


羊やヤギも見ることが出来ました。ただし家畜を見ることが出来たのは馬も含めて2回だけでした。

カザフスタンでもWebチェックイン [カザフスタン]



11月29日はカザフスタンの国内線で首都アスタナからアクトベで移動しましたが、手荷物だけの移動なのでインターネットで搭乗手続きをいたしました。パスポート番号さえあればチェックインカウンターに行かなくても搭乗券を事前にプリントアウト出来るのです。プリントアウトした搭乗券が上の写真です。
これさえあれば安全検査を受けて直接搭乗口に行けるのでホテルにはぎりぎりまで滞在できました。

国内線ですが国際線なみのサービなのがカザフスタンの飛行機です。最初にオシボリと飲み物のサービスがあります。オレンジジュースを頼みました。


カザフスタンの国内線には今年の7月にカザフスタン最大の町アルマトイからアクトベ飛びました。その時は砂漠の中に真白の湖が点在していました。干上がった塩水湖と想定していました。是非ともその時の記事を見てください。→ポチッ
今回のフライトで極寒の中でも凍っていない湖が点在していたのです。おそらく非常に塩分濃度の濃い塩水湖なのだと思います。


クリックすると拡大右の写真が夏の塩の湖です。クリックすると拡大します。どうやら季節によりって塩水湖ににっなったり干上がった塩の湖になったりする前回の想定は正しかったようです。常温の水100gに対して塩は36gまで溶けたのが飽和状態です。干上がった状態と塩水湖の2種類の状態の中間の本当に濃い飽和状態の季節もあることがわかりました。


外の景色を楽しんでいると食事が出されました。


アクトベの町に近づきました。もうすぐ着陸です。1時間55分のフライトでした。


アクトベ空港です。


気体はA320でした。この町も寒かったです。


翌日はアクトベからアスタナへのフライトに乗りました。もともとは14時50分のフライトでしたが遅れて20時20分となりました。夜のフライトだったので残念ながら窓の外の景色は見ることが出来ませんでした。


来る時と全く同じサービスでした。


食事の内容も全く同じでした。


来る時のデザートは紹介していませんでしたが、デザートも同じでした。


ただしEMBRAER190という小さな機体の飛行機でした。製造メーカーであるエンブラエル(EMBRAER)は1969年にブラジルの国営航空機メーカーとして誕生した会社です。今はエアバス、ボーイング、ボンバルディアに次いで世界で第4位の航空機製造会社です。日本の川崎重工業も機体の製造に参加しているそうです。


モスクワからアスタナへの夜行便 [機内 CY]



この日はシベリア最大の町であるノヴォスビルスク(ノボシビルスク)からカザフスタンの首都アスタナに移動しました。ノヴォスビルスクからアスタナへは下のように直行便も飛んでいるのですが、残念ながら移動したいのは月曜日の夕方だったので直行便にしようと思うと水曜日まで待たなければならなかったのでモスクワ経由でアスタナに行くことになりました。直行便だと時差が1時間あるので3時間のフライトですがモスクワ経由だとノヴォシビルスクからモスクワが4時間15分でモスクワからアスタナが3時間25分なのです。乗り継ぎ時間が3時間20分のため合計で11時間の移動になりました。今回はモスクワからアスタナまでのフライトを紹介いたします。
モスクワを23時20分発でアスタナ到着が朝の4時45分です。モスクワとアスタナの時差は2時間です。機材はA320でした。

地図で見てもらうと今回のルートがいかに遠回りなのかが、わかると思います。青いラインが直行便のルートで赤いライン今回のモスクワ経由のルートです。最初のフライトの時差が3時間でモスクワ→アスタナの時差が-2時間というだけでも遠回りルートであるかがわかってもらえると思います。
ラインをクリックすると距離が表示されます。ノボシビルスクからアスタナの直行便だと892kmに対してモスクワ経由だと2821km+2296km=5117kmとなります。

より大きな地図で モスクワ→アスタナ を表示
機内の風景です。


夜行便だと食事は控え目に出てくる航空会社が多いけれどエア・アスタナ(Air Astana)は昼間と変わらない食事でした。先ずはサラダに前菜が出てきたので、いつも通りにビールを頼みました。エア・アスタナ(Air Astana)は何度か紹介している通り私の個人的な印象ではありますが旧ソ連圏の航空会社では一番良いと思っている航空会社です。


メインデッシュはチキンを頼みました。手前の甘辛いソースがチキンにも野菜にもよく合っていました。


鶏肉の中に具が詰めらた料理でした。


このソースにチキンや野菜をつけて食べました。甘辛いキノコソースでした。


デザートはケーキやフルーツなどいろんなものが選択できますがビールをまだ飲みたかったのでチーズを選びました。

シベリア最大の町 ノヴォシビルスク [ロシア]


11月27日に日本からモスクワ経由でシベリアの最大の町であるノヴォシビルスク(ノボシビルスク/Novosibirsk)に入りました。その町の景観を紹介いたします。
写真の右側に見える川は町の真ん中を流れるオビ川です。眼下にはシベリア鉄道が走っていました。この時の朝の気温はマイナス20℃前後でした。

上の写真にも写っていますが、これがオビ川鉄橋です。


同じ場所から川の方を撮りました。川沿いに並んだクレーンと線路が印象的でした。


上の2枚の景色の場所のGoogle航空写真です。+のアイコンをクリックするの上の写真の景色が確認出来ると思います。-のアイコンを数回クリックするとルヴォシビルスクがロシアのどの場所にあるのかもわかると思います。ここは太平洋戦争で日本軍捕虜が抑留(よくりゅう)された場所の一つです。


ノヴォシビルスク(Новосибирск)は、シベリアの中心的都市で「シベリアの首都」的存在です。ノヴォシビルスク州の州都でオビ川に沿うており、人口は約147万です。人口はロシア国内第3位で、冒頭で紹介の通りシベリアでは最大のまちです。建設されたのは19世紀末であり、ロシアでも新しい町になります。シベリア鉄道建設中の1893年に、ノヴォニコラエフスクという名で現在のノヴォシビルスクが建設されたそうです。1925年、ソビエト連邦成立後にかつての皇帝ニコライ2世を思わせる市名は改称され、「新しいシベリアの街」を意味するノヴォシビルスクとなったそうです。ノヴォシビルスクはモスクワの雰囲気と違います。


上の写真を拡大しました。我々のイメージしているロシアの雰囲気の服装の人が多いのです。この町の人たちの冬の服装を見てしまうと、モスクワの町の人の服装はどちらかと言えばヨーロッパに近いといえます。


ノヴォシビルスクで最も有名な劇場です。オペラハウスNovosibirsk State Academic Opera and Ballet Theatreです。オペラハウスの正面から撮ったものです。オペラハウスの中を紹介したサイトがありました。→ポチッ

オペラハウスを上から撮ったGoogle航空写真を紹介します。上の写真は左側(西側)から撮ったものです。ここは大きな広場になっており上から5枚目の写真もこの広場で撮ったものです。

広場の道路に面した場所には大きな銅像がいくつも立てられていました。


道を走っているのはロシアの古い車だと思います。実はノヴォシビルスクは日本車が沢山走っていることでも有名な場所なのです。その理由は日本の中古車が沢山輸入されたからです。今は関税がとんでもなく高くなって現実的に中古車の輸入はなくなってしまったそうです。でも新しい日本の車が沢山走っていました。だから下のようなロシアの車は珍しいので撮ってしまいました。


ここから町の風景を紹介いたします。


バス亭でバスを待っている光景です。シベリアの人たちの服装が分かってもらえると思います。駐車している乗用車はもちろん日本の車です。


古いトロリーバスも走っていました。



本場シベリアの水餃子 ペリメニ(Pelmeni) [ロシア]



ロシアの有名な料理の中にロシア餃子があります。その起源はシベリアだそうです。シベリア最大の町であるノヴォシビルスクに来ている11月27日~28日こともあり、さっそく名物の餃子ペリメニ(Pelmeni)を頼みました。ペリメルも沢山の種類がありましたが最もオーソドックスと思われるSiberian(シベリア)を頼んでみました。右のお皿に乗せられて出てきました。

これがロシアの餃子ペリメニです。このSiberian Pelmeniは210ルーブル(676円)でした。味はズバリ水餃子でした。これはお店の中でもお得な料理のようです。


ロシアでは餃子をサワークリームで食べるのです。最初は醤油で食べたかったけれど、サワークリームで食べてみるとこれはこれで、結構おいしいし、雰囲気が味わえました。


これがメニューのPelmeniの写真で下がSiberian(シベリア)です。上の黒い餃子が気になりますね。我々も気になって注文いたしました。


これが黒い餃子の名前はThe Black Sea Pelmeniです。日本語で言えば黒海餃子でしょうか。値段も高くて590ルーブルなので約1900円です。結構高い餃子です。


こちらも拡大してみました。中の具は上のSiberian(シベリア)と同じような感じでしたが皮は少し甘みがあったので、おそらくイカ墨が練りこまれているのだと思います。黒い餃子とサワークリームの白のコントラストがなかなか良かったです。


メニューのペリメニ(Pelmeni)のページです。日本の国旗が付けられているように、驚いたことに日本の餃子も書かれていました。残念ながら気が付かなかったので食べませんでした。日本の餃子は豚肉と海老の2種類がありました。


こちらのレストランはオープンキッチンの洒落たお店でした。ペリメニ以外も紹介いたします。


日本流に言えばお通しです。黒パンを揚げたものでした。


こちらの料理はSalmon Covered by vegetables and caviarです。魚介と野菜を固めたサラダのような料理です。 caviar(キャビア)と書かれていますが、イクラのことです。キャビアはブラック・キャビアと言う必要があります。ニシンも入っていました。なかなかお洒落な料理でした。


黒パンは必ず出てきます。さすがロシアです。


いろんな揚げ物も頼みました。この日はビールを飲むための料理です。定番のニシンの塩漬けも頼みました。


Pork ribsです。豚のリブの料理で、ビールが進みました。



スープも頼みました。


この日の最も高級な料理でした。名前はRib eye steakです。やわらかいステーキだったので、おそらくリブロースのステーキだと思います。1500ルーブルなので約4800円です。でも数人で食べれる量なので、みんなでシェアーしました。



もちろんビールだけでなくウォッカもいただきました。
銘柄はもちろん紹介したベルーガです。


驚いたことにお寿司や刺身もありました。
高級レストランでは、お寿司と刺身が食べれるのがロシアやカザフスタンでしたがシベリアでも食べれるとは思ってもいませんでした。



お店の名前はBEERMANでした。
有名なお店のようでネットで調べると沢山検索でしました。
 Address           : 7 Kamenskaya str., Hilton Hotel
 Contacts           : 362-1-262
 Table reservation available : yes
 Accept bank cards      : yes
 English menu        : yes
 English-speaking personal  : yes
 Average bill         : 750 RUB for 1person  w/o alcohol


沢山ビールも飲んだしウォッカも飲んだのでホテルに帰ってぐっすりと眠れました。

カザフスタンでも水餃子 [カザフスタン]



カザフスタンの地方都市での昼食です。ロシア料理の定番であるボルシチともう一品を頼みました。
そのもう一品がシベリアの記事で紹介した水餃子ペリメニ(Pelmeni)でした。沢山の人が、この組み合わせで注文されていたので私も同じものにしました。

これがカザフスタンのペリメニ(Pelmeni)です。味も食感も水餃子ですがカザフスタンはイスラムの人が多いので豚肉は使われていないところがロシアやシベリアと違うところです。でもカザフスタンは中央アジアの料理だけでなくロシアの食文化が多く浸透していることを、今回の大衆的な料理で感じました。
実は別の町でもそのことを感じることが出来ました。

ついにアエロフロート・ロシア航空にも乗りました。 [機内 CY]



上の写真はシベリア最大の町ノヴォシビルスクの空港です。
ロシアの航空会社であるS7航空に乗ったことはすでに報告いたしましたが、帰りのノヴォシビルスクからモスクワへはロシア最大の航空会社であるアエロフロート・ロシア航空に乗りました。

11月28日はモスクワまで行き、モスクワからは夜行便でカザフスタンの首都アスタナまで行きました。18:45発の20:00着のフライトですがモスクワとノヴォシビルスクは3時間の時差があるので飛行時間は4時間15分でした。


アエロフロートの機内食を紹介いたします。もちろん最初はビールです。ロシアとウクライナとカザフスタンの航空会社のビール全て500mlの缶ビールでしたが初めて350mlの缶ビールに出会いました。感激でした。やはりロシア最大の航空会社だけのことはあります。と変なことで関心してしまいました。


前菜はアスパラガスとチーズとビーフジャーキーでした。これはビールに合いました。アスパラは生でしたが不思議なことにやわらかくて美味しくいただけました。もしかしたら生のように見えたけれども茹であったのかも知りません。あるいは生食用の種類があるのかもしれません。


メインデッシュはビーフとチキンとサーモンが選択できましたが、私はサーモンを選びました。野菜はズッキーニとトマトとニンジンにワカメが添えられていました。米が出てきたのも珍しかったです。


いつも通りデザートに対して紅茶を頼みました。
正式名はアエロフロート・ロシア航空(Aeroflot - Russian Airlines/Аэрофлот - Российские авиалинии) で1932年に設立されました。1992年までは全てロシアあるいはウクライナ製の飛行機が使われていましたが最近では、ほとんどの機体がボーイングとエアバスになっていると聞かされました。今回の機体はA321でした。
最新の情報はありませんが2009年に25機保有していたツポレフTu-154Mも「2008年~2010年の間に順次退役、エアバスA320ファミリーと置き換えられる予定」と書かれていました。

ロシア機の名誉のためにロシア機ばかりが事故を起こしているわけではないことを紹介する目的で機種別の事故件数を集計してみました。人数は死亡された方の数です。事故件数とは機体損失あるいは同等の重大事故の数です。B747でも3722人の人がなくなっています。それに対してツボレフは1720人なのです。製造機数あたりは B747:2.62人/機 Tu9154:1.69人/機です。ほんとうは飛行時間や発着回数あたりの数値が分かれば比較になると思いますが、そこまでは分かりませんでした。ロシア機の数値は最近の判明している事故だけの集計なので、もっと多いというのが一般的な見解です。
         製造数   事故+ハイジャック  ハイジャック
 A320     3985機  441人/ 22回    1人/ 6回
 B757 B767  2019機  850人/ 11回   282人/ 5回
 B747     1419機  3722人/ 65回  22人/29回
 B737     5124機  3604人/213回  325人/96回
 B777     923機     0人
 I1-96-300   24機     0人
 Tu-154    1015機  1720人/16回(判明事故のみ)
         I1-96-300:イリューシン96-300
         Tu-154 :ツボレフ154

モスクワの空港ホテル [ロシア]


上の写真はモスクワのドモジェドボ国際空港(Domodedovo International Airport)です。モスクワにはシェレメーチエヴォ空港(Sheremetyevo International Airport)もありますがJAL便はドモジェドボ国際空港に着きます。翌日の11月27日は同じ空港からS7航空でノヴォシビルスクに向かうことから空港近くのホテルに泊まることにしました。

ロシア料理を食べようと思っていたのですが、残念ながらロシアなのにロシア料理はボルシチ以外は見当たりませんでした。さっそくビールを楽しむことに気持ちを切り替えてロシアのビールを頼みました。


なるべくロシア風のものを頼みました。チキンのサラダです。


こちらの料理にはニシンの塩漬けが入っていました。なっとなくロシア風です。


もちろんボルシチも頼みました。これでやっとロシアに来ていることが実感できました。


ロシア風と思われるのはここまでで、後はビルーに合うものを頼みました。


部屋からの景色です。周りは全く何もない場所でした。


こちらのホテルのいいところは朝4時から朝食が食べれることでした。空港のホテルだけのことはありますが、やっぱりロイアを感じるためには遠くても町のホテルに泊まる方がいいかな? と思ってしまいました。
ただし空港に近くてゆっくりと寝ることが出来たのはよかったです。


地図でモスクワ空港とホテルの場所を紹介します。上の青いマークがシェレメーチエヴォ空港で下の青いマークがドモジェドボ国際空港です。赤い押しピンマークが泊まったホテルの場所です。シェレメーチエヴォ空港は乗り継ぎで11月28日の夜に利用しました。シェレメーチエヴォ空港は新しい空港です。

より大きな地図で 2011/11/26~12/3 を表示

実は泊まった11月26日はフィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第6戦、ロシア杯最終日でした。この写真は浅田真央が優勝した時の演技なのですがロシア語放送のため、この時はよくわかりませんでした。

初めてロシアの航空会社の飛行機に乗りました。 [機内 CY]



シベリア最大の町ノヴォシビルスク(ノヴォスビルスク)に行くために初めてロシアの航空会社を使いました。今回ロシアに来たのは3回目でですが、今まではロシアの航空会社を使うことを避けていました。昔、ロシアの飛行機が何度も墜落したしたことが記憶に残っていたからです。今まではモスクワとサンクトペテルブルグなので日本やヨーロッパからの飛行機を使ったことからロシアの航空会社を使わなくても行けました。地方都市に行く場合もモスクワサンクトペテルブルブから1000km以内だったので寝台特急で行けました。
今回の目的地であるノヴォスビルスク(ノボシビルスク)はモスクワと日本のほぼ中間の位置にある都市なのでさすがに列車というわけには行きませんでした。実際モスクワと3時間の時差がある都市です。モスクワは日本と5時間の時差に対してノヴォシビルスクは日本と2時間の時差です。
そのため初めてロシアの航空会社に乗ったわけです。選んだ航空会社はS7航空(S7 Airlines)でした。S7航空を選んだ理由は2008年10月以降はロシア製の飛行機は1台も保有しておらず、全てエアバスとボーイングだからです。頭の数値は保有機数です。
  5 エアバスA310-100
  2 エアバスA310-200
 19 エアバスA319
  4 エアバスA320       (24機発注中)
  4 ボーイング737-400
  4 ボーイング737-800 4機 ( 7機発注中+10機オプション)
  3 ボーイング767-300 3機 ( 1機発注中)

搭乗券です。乗ったのは11月27日でモスクワを11時40分に出発してノヴォスビルスクに18時45分到着のフライトでした。使われていた機材はB737-800でした。


モスクワを飛び立ってすぐの景色です。地面は雲でおおわれていました。国内線ですが4時間5分などでいろんな景色を見せてくれました。


S7航空はロシアの航空会社、シベリア航空の商標名・愛称名ですか、今回はシベリア航空の表現を見ることはありませんでした。昔は本社は、今回の目的地であるノヴォシビルスクにありましたが今はモスクワに移してS7 Airlinesとして新しいサービスを提供している会社です。確かに思っていたのとは違いなかなかのサービスでした。それでは恒例の機内食を紹介いたします。


飲み物はビールをいただきました。こちらでもロング缶(500ml)でした。


奥側の皿はチーズとハムとフレッシュトマトです。手前の差はスモークサーモンです。赤いものが辛いものではないかと思い恐る恐るべました。まったく辛くありませんでした。この赤いものはドライトマトでした。いずれもビールに会うのでビールが進んでしまいました。


こちらがメインデッシュはビーフとチキンとフィッシュの3種類の中から選ぶことが出来ました。驚いたサービスがありました。暖めた3種類を一人一人に持ってきたその中から選ぶのです。メニュー決めて後で後悔することのないうれしいサービスでした。私の選んだのはチキンでした。ソースがよかったです。


最後はちゃんとデザートも出てきました。これがロシアの国内線の機内食でした。


すでに紹介しましたが到着寸前の18時20分の景色です。12時前に出発したのですが到着時は夜の雰囲気でした。窓の景色は夕焼けと月が印象的でした。
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この地図もすでに紹介いたしましたが、今回のフライトのルートです。赤いラインの左端がモスクワのドモジェドボ国際空港(赤色マーク)で右端がノヴォスビルスクのトルマチェヴォ国際空港です。モスクワには大きな国際空港が2つあります。今回利用したのがドモジェドボ国際空港で、日本からのJALの直行便もこちらに到着いたします。もうひとつが黄色マークのシェレメーチエヴォ国際空港でノヴォスビルスクからの戻りのフライトで利用しました。その後にカザフスタンに向かいました。

上州五元豚のしゃぶしゃぶで忘年会 [東京]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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先日から三元豚四元豚を紹介いたしましたが、実は2013年12月18日の忘年会は五元豚のしゃぶしゅぶだったのです。食べた順番は五元豚(12月18日)→四元豚(12月19日)→三元豚(12月20日)で、且つ三日連続でした。今回の五元豚は上州五元豚でホームページの記載を引用すると榛名山の麓で自然に近い状態で育てられ純粋五種の掛け合わせで作った最高級の銘柄豚だそうです。五元豚の一般説明は見つかりませんでしたが四元豚から想像するに次の通りだと思われます。つまり四元豚の母豚と純粋腫の父豚から生まれたのが五元豚ということになります。
  1. A系統         ×B系統    → ABの交雑種(二元交雑)
  2. ABの交雑種(♀)  ×C系統(♂) → ABCの交雑種(三元豚
  3. ABCの交雑種(♀) ×D系統(♂) → ABCDの交雑種(四元豚
  4. ABCDの交雑種(♀)×E系統(♂) → ABCDEの交雑種(五元豚)

料理のコースは食べ放題+飲み放題を頼みました。
お店の名前は「豆乳豚しゃぶ五元豚銀座店」です。
  店名 豆乳豚しゃぶ五元豚 銀座店
  住所 東京都中央区銀座2-4-6 銀座ベルビア館 7F
  電話 03-3562-6855
  営業 月~金 11:00~15:00 17:30~24:00
      土日祝 11:00~24:00
  定休 無休


料理は店の名前にあるように五元豚のシャブシャブですが前菜もありました。最初に出されたのがゴマ豆腐です。左下に写っているゴマだれをかけていただきました。
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こちらは五元豚のから揚げです。写真に写っているタルタルソースにつけて食べました。
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ヱビスの生も飲み放題でした。私は最後までビールでしたが忘年会の参加メンバーは6人ともにお酒ありワインありサワーありでした。


鍋に入れる「だし」は8種類が用意されており、その中から2種類を選ぶことが出来ます。だしの種類は次の8種類で我々はお店の名前になっている「2 豆乳豚しゃぶ」とシンプルな味わいと思われる「7 贅沢昆布だし豚しゃぶ」を選択いたしました。
 1 柚子胡椒豚しゃぶ
 2 豆乳豚しゃぶ
 3 生姜豚しゃぶ
 4 トマト豚すきしゃぶ
 5 白胡麻坦々豚しゃぶ
 6 月見すき豚しゃぶ
 7 贅沢昆布だし豚しゃぶ
 8 コラーゲン豚しゃぶ
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クリックすると拡大つけだれは、それぞれの鍋の種類によって違いました。左側のタレが「豆乳豚しゃぶ」用で柚子の味が濃い味わいの物でした。
右側が「贅沢昆布だし豚しゃぶ」用のタレで、ダシと同じくシンプルな味わいのタレでした。肉の美味しさを味わうタレなのだと思います。
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最初に野菜が出されました。もちろん野菜も食べ放題です。
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肉は「ロース」と「肩ロース」と「バラ」の三種類を楽しむことが出来ます。その三種類の肉が見れるように箱をずらしました。
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こちらがロースです。
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こちらが肩ロースです。
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そして、こちらバラです。どの肉も特徴があり美味しかったです。最後の〆はチーズリゾットですが2時間の時間切れとなりました。
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さすが、「食べ放題+飲み放題」だと体重に影響があります。2次会でも食べて飲みました。さらに三日連続の五元豚(12月18日)→四元豚(12月19日)→三元豚(12月20日)だったのも関係しそうです。クリックすると、判りやすいグラフが表示されます。
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12月18日に食べた後に最初に計測した12月20日は約1kg重くなりましたが1週間でもとに戻る感じです。
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12月18日の2次会で食べた料理も紹介いたします。上のグラフも納得でした。クリックすると結構なボリュームであることが判ってもらえると思います。
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追伸
12月24日の朝から艦載機来ており先ほど目的地に着きました。家に帰れるのは12月28日の夕方となります。その間はバソコンが使えるのが一日に1時間程度となることから、12月29日までは皆様への訪問が難しいこと、ご理解のほど、お願い申し上げます。



シベリアの空の夕日 [ロシア]

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モスクワを11時40分に出発してシベリア最大の町ノヴォスビルスク(ノボシビルスク)に到着したのが18時45分でした。時差があるので4時間5分のフライトですが、やはり遠いです。この景色はモスクワからノヴォスビルスクへの飛行機の機内から18時20分に撮ったもので、日が沈んで少し経った時です。月が印象的でしたので紹介します。この写真ではわかりにくいけれども月の右下には金星も見えます。暗いけれども不思議とブレもなくクリヤーに撮れました。何枚か撮った中にブレのない写真がありました。是非ともクリックしてほしいです。クリヤーさが判ってもらえると思います。何種類かのパソコンの壁紙の一枚として使っています。→ポチッ

日が沈む瞬間です。このとき18時6分でした。この写真も是非ともクリックして太陽の沈む瞬間を見てほしいです。11月27日の景色でした。
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地上は極寒の雰囲気を伝えてくれました。


今回のフライトのルートは赤いラインです。実際のルートではなくモスクワの空港とノヴォスビルスクの空港を直接結んだものです。
赤いラインの左端がモスクワで右端がノヴォスビルスクです。

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ちょっと早いクリスマスはTAKANOのケーキでした。 [話題]

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2013年12月21日は、少し早かったけれども娘が新宿のTAKANOで上の写真のケーキを買ってきてくれたのでクリスマスをいたしました。TAKANOはフルーツのケーキが評判のお店です。でもクリスマスらしくイチゴを使ったケーキを2つ入れられていました。もう一つのフルーツが乗ったケーキがTAKANOらしいケーキなのです。

私は丸いイチゴのケーキを選びました。いつも通り紅茶でいただきました。
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ケーキのアップを見てもらいたいので3種類ともに紹介します。写真はクリックすると大きな写真を掲載するように設定しておりますので、興味のある方はクリックしてみてください。こちらが私の食べたケーキです。
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こちらが家内が食べたイチゴの四角いケーキです。
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娘が食べたのがTAKANOらしいフルーツのケーキです。
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三元豚で揚げトン [料理]

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テレビの料理番組でグッチ裕三さんが焼き豚を簡単に作る紹介をされていました。それが豚肉を油で揚げて作る焼き豚でした。名前は「揚げトン」あるいは「揚げ豚」です。さっそく試してみて美味しかったので紹介します。
レシピで紹介された材料は次の通りです。
  ・豚バラブロック肉   300グラム
  ・長ネギ(青い部分)  2~3本、
  ・生姜          2かけ
  ・砂糖          大さじ2
  ・塩            大さじ2
  ・サラダ油        適量
  ・つけだれ        醤油 + からし 適量

さっそくバラブロックを買いに行きましたがバラブロックが無くて肩ブロックで且つネット巻きされたものだけでした。別のお店に買いに行こうかとも思いましたが、とりあえずネットを外して使ってみることにいたしました。このお肉がなんと三元豚だったのです。偶然にも四元豚の記事を掲載したばかりでした。すでに四元豚の記事で紹介いたしましたが三元豚と四元豚を作るのはつぎの通りです。つまり三元豚の母豚は二種類を交配した交雑豚で父豚は純潔種ということになります。
  1. A系統        ×B系統    → ABの交雑種(二元交雑)
  2. ABの交雑種(♀) ×C系統(♂) → ABCの交雑種(三元豚)
  3. ABCの交雑種(♀)×D系統(♂) → ABCDの交雑種(四元豚)


揚げ豚の作り方を①~④で説明いたします。
  ① 豚のブロック肉に砂糖と塩をまぶし、ラップをかけて1時間以上置きます。
  ② キッチンペーパーで水気を切り、熱したサラダ油にネギと生姜を入れます。
この写真は揚げ始めたところです。
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下の写真は完成間近な状態です。揚げ時間30分は目安で色がしっかりと付いたら完成です。火が通りやすい細い肉の場合は25分以下の場合もありますが、急に色が変わってくるので20分以降は目を離さない方がいいと思います。揚げ過ぎると身が縮んでしまいます。
  ③ 中火で約30分ほど揚げます。
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これが取り出した肉です。揚げ具合は丁度良かったです。揚げた時間は30分でした。残った油は「ネギ油」として活用できます。
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完成写真です。そのままでも美味しいし、好みでレシピに書かれていたカラシ醤油で食べても美味しかったです。
  ④ 油を切って1cm幅に切り分けて器に盛って完成です。
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これが拡大写真です。もう少し脂の多い肉をつかうともっとジューシーなると感じました。表面はカリッと中はジューシーなのが「揚げトン」でした。
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2日後に、こちらの国産のバラブロックでも作ってみました。


テレビで紹介された肉も、このタイプの肉でした。少し周囲の脂をそぎ落として使いました。鍋に入るように半分に切りました。


こちらは26分間ほど揚げました。色が濃くなってきたので30分前でしたが油から取り出しました。
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中はジューシーで外はカリカリでした。26分ではなく24分くらいで取り出すと一番よかった感じでした。でも家族には大好評でした。
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スタンプが15枚貯まりました。 それで「四元豚ロースの味噌かつ煮定食」を食べました。 [外食]


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これはサービスで無料で食べれた味噌かつ煮です。わが家の近くでBV券が使える数少ないお店として大戸屋・佐倉染井野店をよく使います。→ポチッ

おかげさまでポイントカードのスタンプが15個貯まりました。15個貯まると定食が一つ無料になるのです。そこでさっそく食べに行きました。私が頼んだのがおえの写真の「四元豚ロースの味噌かつ煮定食」でした。


こちらが「四元豚ロースの味噌かつ煮定食」の全体の写真です。味噌かつ煮とご飯とみそ汁と漬物がセット定食です。
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冒頭の写真でも熱々の味噌かつ煮が判ってもらえると思いますが、ぐつぐつ煮えているところを見てもらいたいので動画を掲載いたしました。7秒間の動画ですので是非ともプレーボタン( )をクリックしてみてください。


こちらが味噌汁です。参考ですが味噌汁単品は25kcal 塩分1.5gです。


ご飯は白米と五穀米が選択できます。私は五穀米の小を選びました。金額を追加するとさらに、いろんなご飯が食べれます。種類は「とろろご飯」「じゃこご飯」「醤油豆ご飯」「紫蘇ひじきご飯」などです。


「四元豚ロースの味噌かつ煮定食」は890円ですが、ご飯を小にしたので870円になりました。こちらのお店の特徴はカロリーと塩分量が表示されていることでした。味噌かつ煮定食の1132kcalは他の料理に比べて高い方でした。塩分は7.3gでした。
四元豚とは4種類の品種を掛け合わせた豚のことで、三種類の豚を掛け合わせたのならは三元豚です。純粋種の連続した交配では品質にバラつきが出始めるので雑種強勢効果を狙った方法だそうです。三元豚の場合はランドレースに大ヨークシャーをかけたものに デュロック種を掛け合わせるのが一般的な方法だそうです。
これが三元豚と四元豚を作る方法です。つまり四元豚の母豚は三元豚で父豚は純潔種ということになります。
  1. A系統        ×B系統    → ABの交雑種(二元交雑)
  2. ABの交雑種(♀) ×C系統(♂) → ABCの交雑種(三元豚)
  3. ABCの交雑種(♀)×D系統(♂) → ABCDの交雑種(四元豚)


相方が頼んだのは「鶏とごろっと野菜の和風カレー鍋定食」でした。こちらはカロリーが863kcalで塩分が3.9gでした。値段は味噌かつ煮定食と同じ890円でした。
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「鶏とごろっと野菜の和風カレー鍋」を拡大しました。


こちらが支払いに使うBV券で200円券と300円券があり現金の換りに支払います。
クリックするとBV券利用店舗の検索画面

他の料理も紹介します。
こちらは「梅おろし チキンかつ定食」690円 856kcal 塩分4.9gです。
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チキンカツの部分を拡大いたしました。
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こちらは「炭火焼き 手ごね つくね定食」860円 876kcal 塩分5.1gです。
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「つくね」を拡大いたしました。
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こちらは「鶏の柚子こしょう 炭火焼き定食」780円 768kcal 塩分4.6gです。大戸屋はチキン料理が充実しているようです。
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チキン料理を拡大いたしました。
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これは期間限定料理で「ほうとううどんと散らし寿司」だと思います。
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ほうとううどんを拡大いたしました。
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散らし寿司も拡大いたしました。
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これは映画「きいろいゾウ」とのコラボメニューの料理名「"ツマとムコ"のおうちごはん」です。「トマト麻婆茄子」と「竹輪とさつま揚げの煮物」と「きいろいポテトサラダ」と「小松菜とエノキの味噌汁」と、確かに、おうちごはんです。
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真中の「トマト麻婆茄子」を拡大してみました。
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きいろいゾウの予告編の動画を紹介いたします。


こちらは「炭火焼 手ごね つくね重」です。
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「つくね重」を拡大いたしました。
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麺類とのセットで、せいろそばとアサリごはんです。
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こちらの料理名は判りませんが、ご飯のおこげ料理です。
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その、おこげの料理を拡大しました。
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これは「すけそう鱈の生姜みぞれあん定食」850円 634kcal 塩分4.9gです。
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鱈の料理を拡大いたしました。いろんな野菜が入っており大根おろしが掛けられていました。
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月身宝殿 九華山 [九華山]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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九華山と言われる場所を訪れました。九華山は中国仏教の四大聖地のひとつと言われて中国では有名な場所です。
中国仏教の四大聖地とは
  浙江省の「普陀山  291m」(観音菩薩)
  四川省の「峨眉山 3099m」(普賢菩薩)
  山西省の「五台山 3058m」(文殊菩薩)
  安徽省の「九華山 1342m」(地蔵菩薩)
                            です。
信仰深い人を中心に沢山の人が訪れていますが日本の人は年間千人くらいと旅行社の人が言われていました。それもお坊さんとその檀家の人たちが圧倒的に多いと言われていました。まだ日本では一般の観光の場所としては黄山宏村などとは違い知られていないと思います。それだけに信仰の文化が感じられる場所です。

今回は6ケ所のお寺を訪れました。写真はその中の一つのお寺です。断崖絶壁に建てられたお寺も多くありますが、ここは比較的、なだらかところに立てられています。名前は「肉身宝殿」ですがお寺の人は「肉」の字を嫌って肉を意味する「月」を使用して「月身宝殿」と表現されていました。金(喬覚)地蔵の即身仏を供養していると書かれていました。
上の写真をクリックして拡大するとわかると思いますが2人が歩いている階段の両側の手摺に南京錠が沢山ぶら下がっているのが判ると思います。これは黄山で見た南京錠と同じ意味で皆が、つけたのだと思います。

お寺自体が立ち上るお線香の煙で霞んでいます。訪れる人が絶えませんでした。下で書いている通り、宿坊としての設備も整っており沢山の宿泊設備もありました。
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この写真の場所では線香を持って沢山の人たちがお祈りをしていて沢山の人たちがあふれますが少なくなるのを待って撮りました。一人線香を持ってお祈りしている人がいます。
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このお寺は比較的低い場所にあり知らないと通り過ぎてしまう場所にありました。
九華山には98のお寺があるとガイドさんに説明されました。有名なお寺で代表的ななのが化城寺、月身宝殿、百歳宮、祇園寺、上禅堂、閔園、天台寺、甘露寺です。その中でもこのお寺はもっとも裕福との説明でした。お寺には三ツ星の宿坊があります。ここでは男性と女性は夫婦であっても別れて宿泊するそうです。完全に分離されているそうです。
お寺の前ではお坊さんがおられます。


こんな建物がお寺の前の広場の両側に建っています。


このお寺を訪れた最大の目的は下の写真の方に会うことでした。
このお寺の住持(住職)で九華山仏教會の副會長の聖富住持に会うことでした。百歳宮の釋慧慶住持の次に偉い方だと聞きました。
中国の偉い人もこの人に会うために、このお寺を訪れるそうで訪れた著名な方の写真が沢山飾ってありました。後ろの写真は第5代国家主席の江沢民前主席と聖富住持です。


この方と丸いテーブルを囲んで30分くらいお茶を飲みながらお話を伺いました。
そして住持殿から最後に写真の記念品をもらいました。さらにあつかましく記念撮影を、お願いしたら快くお受けいただけました。

断崖のお寺 古拝経台 [九華山]

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九華山では最初に百歳宮を紹介しましが九華山のもう一つの魅力はこの写真のような断崖絶壁の場所に建っているお寺があることです。我々が泊まった仏教都市である九華街から山一つ離れた場所ですが、ここも含めてこのあたり一帯を九華山と呼びます。
ここからさらに300m登ると最高峰の十王峰(1342m)です。この景観には本当に驚かされてしまいます。

上の写真はロープウェイ降り場あたりから撮ったものです。こちらはお寺に近づいて撮りました。
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ここにはロープウェイで気楽に登れます。


ロープウェイから見た古拝経台です。断崖に作られているのがよくわかります。
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岩に張り付くようなお寺は迫力があります。
この写真もロープウェイから撮ったものです。


こんな場所なので籠屋さんも控えています。


九華山は地蔵菩薩の霊場で、この奥にお地蔵さんが祭られていました。小さな部屋でした。


こちらが、上の写真の小さな入口の中です。右側は日本のお地蔵さんと同じスタイルです。天井の卍模様が雰囲気を盛り上げています。九華山は中国四大仏教聖地で地蔵菩薩の聖地でもあります。


お寺の正面です。


ここから上のお寺を見上げたところです。上に見えるのが天台正頂(天台寺)です。ここから八百数十段あるそうです。


正面の山の向こう側が我々の宿泊した場所で沢山の宿坊があったところです。霞んでいますが左側の遠くに九華街が見えます。そして正面の山の上にもお寺が見えます。ここにも登りました。そこがすでに紹介した百歳宮です。

                           
ロープウェイ乗り場あたりは昔は尼さんばかりの場所だったそうです。昔は男のお坊さんと尼さんは完全に分かれていたそうです。男のお坊さんはわれわれが宿泊していた上の写真の山の裏側です。日本で言えば高野山と女人高野でしょうか。高野山は九華山と同じように仏教都市ですが、女人高野は室生寺や金剛寺や慈尊院などのお寺のことで、仏教都市ではないため、日本では同じような場所はないような気がします。共同生活(修道生活)をおくるキリスト教の修道院が都市ではないけれども、すこし少し近いと言えるかもしれません。


クリックすると拡大航空写真でも紹介いたします。赤色ラインがロープウェイです。緑色マークが今回紹介した断崖のお寺の古拝経台です。空色マークが九華山の最高峰(1342m)の十王峰です。右の写真はネットから拝借した最高峰の十王峰です。表示が航空写真ではなく地図の場合は地図内の 写真のアイコンをクリックしてください。


もう少し広範囲の航空写真です。右下の方が今回紹介のロープウェイや古拝経台で、左上が九華山の仏教都市の辺りです。青色ラインは泊まったホテルの東崖賓館(臙脂色マーク)からロープウェイ乗場まで往復した車のルートです。途中に次に紹介予定の月身宝殿があります。薄い橙色ラインは地図で表示させた時の同じ車の移動ルートなのです。中国でのGoogleの航空写真と地図は、困ったことにずれているのです。

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高野山の抜け道 [高野山]

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高野山では奥の院までバスで行き、そこから歩いていろんな寺などを31ほど回って最後に女人堂まで来ましたが、もらった地図で山越えの小さな道を見つけたのでそこを通ることにいたしました。その抜け道の入口が上の写真です。左の建物が親王院で右の建物が総持院です。この入口、なんとなくワクワクさせてくれる雰囲気でした。ストリートビューでも見ることが出来ます。→ポチッ

その抜け道がオレンジ色(橙色)のラインです。点が無い青色マークが本記事で紹介している寺院などです。抜け道から主道路に出た後は紫色のラインを歩いて女人堂まで行きました。

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抜け道に入って入口の方を振り返った写真です。つまり右の建物が親王院で左の建物が総持院です。ストリートビューでは総持院の内部にまで入ることが出来ます。→ポチッ
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クリックすると拡大道が細くなり「國寶 地蔵尊 納経所 成蓮院」と書かれた石碑がありました。地図の中で成蓮院と書かれている場所です。改装中でした。
右の写真は石碑の左側の面を横方向だけ拡大いたしました。石碑の左の面には女人堂の文字が読み取れることから道しるべにもなっていたと考えられることから、昔は主要な道だったのかもしれません。クリックすると石碑の文字が読めると思います。
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細い道となってきました。本当に正しい道なのか心配になってきました。
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さらに進むと山道になってきました。山越えです。
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クリックするとGoogle登録写真山を越えると民家の中を進む道に出ました。この抜け道を通らなければ金剛峯寺の東側の道を通る必要があるので、かなり近道になったようです。
趣のある山道や民家の間の散策路も体験することが出来ました。地元の人だけが知ってる抜け道だと思います。地図のおかげで探検気分にさせてもらいました。
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抜け道から主道路に出ると正面に立派な寺がありました。ここは別格本山の南院です。南院の裏には徳川家康の霊屋があります。上の地図の マークのところです。
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南院の本堂です。本尊の浪切不動明王(重文)は、空海が唐から帰国の際、荒波を鎮めたという伝承があるそうで、山外不出の秘仏だそうです。
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クリックすると拡大本堂の西隣にお趣のある門がありました。
門の奥には仏舎利塔がありました。この仏舎利塔はスリランカのジャワルダナヤ大統領から贈られた仏舎利を奉納する為のものだそうです。
仏舎利はスリランカ出身のシロガマ・ヴィマーラ大僧正が南院で修行をした縁により送られたそうです。仏舎利塔には、お釈迦様と弥勒菩薩とお大師様が祀られているそうです。
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南院の隣は西宝院で高野槇の記事ですでに紹介しています。
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西宝院と道を挟んで趣のある塔が建っていました。名前は金輪塔です。
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金輪塔を別の角度から撮った写真です。
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枯山水の庭を紹介した蓮華定院の前に巴陵院がありました。女人堂に一番近い宿坊になります。朝の護摩焚きを体験できるようです。
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巴陵院の前は蓮華定院の長い土塀が続いています。すでに紹介した大門は高野山の入口ですが、この道の先にある女人堂も、もう一つの高野山の入口です。右の写真の4人と私の5名で高野山を訪れました。女人堂まで歩いて行きバスでケーブルカー乗場まで行きました。これで高野山の記事の掲載は一応終了いたします。
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蓮華定院の長い土塀の脇の坂道を上り詰めると高野山の入口であることを示す「高野山」と書かれた見事な石碑がありました。今回の記事が高野山の最後の記事です。今までに掲載した高野山の記事を紹介いたします。
クリックすると拡大クリックすると拡大タイトルをクリックすると記事を表示します。興味のある記事を見てください。
 高野山の抜け道
 総本山と大本山
クリックすると拡大クリックすると拡大 お寺散策
 枯山水
 壇上伽藍
 高野山真言宗・総本山 金剛峯寺
クリックすると拡大クリックすると4倍に拡大 高野山の総門 名前は「大門」
 高野まき
 高野山のメインストリート
 高野山と言えば精進料理
クリックすると拡大クリックすると拡大 南峰堂本舗
 高野山の商店
 ちょっとした4つの配慮
 本屋さん
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 奥の院
 高野山の入口 女人堂
 高野山のケーブルカー
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Google航空写真に記事にした寺院と商店などにマークを付けました。
上側の航空写真が寺院で下側の航空写真が商店です。左端の赤色マークが大門です。右端の赤色マークが奥の院です。
赤色ライン→緑色ライン→青色ライン→橙色ライン→紫色ラインと歩き、31の寺を紹介いたしました。名前を知りたい方はマークをクリックしてみてください。



より大きな地図で高野山の 寺院商店 を表示

昼食も精進料理じゃなかった!! [九華山]


前日の夕食は精進料理でなかったので、この日の昼食は精進料理の計画でした。が結局は精進料理も入っている普通の料理になってしまいました。もちろん精進料理だとお酒もありません。お酒を飲むと言うことで完璧な精進料理は断念したみたいです。旅行社のガイドさんに真相を聞き忘れました。
上の写真は最初のスープです。この後の料理は全て大皿から自分で取りました。仏教の聖地の九華山でのことでした。

そのお酒と言うのは白酒(パイチュウ)です。名前は甘露ですが甘みはありません。食事の途中で空き箱を見るとすでに5本を飲み干していました。最後は何本飲んだのかは確認出来ていません。
地元の白酒(パイチュウ 蒸留酒)⇒

今回はいつもの中華料理を食べるときのような丸テーブルで自分の好きな料理を好きなだけ食べれました。椅子やテーブルはどこに行っても立派です。場所は前日と同じ東崖賓館(DONG YA HOTEL)のレストラン西餐庁でした。
日本の中華料理店ではこれほど立派なところは少ないですね。


今回もすべての料理を紹介します。
山菜を肉で巻いた料理です。


魚です。大体、魚料理がメインディッシュです。


小さな川海老です。小さいけれど剥いてあります。


スープが2品 奥側のスープが最初のスープだと思います。手前が塩漬けして発酵した魚と豆腐のスープです。


豆腐料理です。


黒っぽいのが岩耳です。岩耳は沢山食べました。


チンゲンサイと肉団子です。


骨付き牛肉です。


野菜炒めです。


このスープにも岩耳が入っています。


最後はきしめんのような麺で締め


クリックすると拡大最後に今回のガイトさんを紹介しておきます。ご苦労さまでした白酒(パイチュウ)まで付き合ってもらって!
自主的にガイドさんが全員一人一人と乾杯をして廻っていただきました。ガイドさんは仕事中はお酒は飲んではいけないことになっていますが残された案内場所は一ヶ所だけだったので特別に!
上司のガイドさん(旅行社の日本部の部長さん)も一緒だったので、すぐに部長さんのOKが出ました。と言うことで! 乾杯!!

東崖賓館 九華山 [九華山]

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九華山で宿泊した宿舎を紹介いたします。なんと仏教の聖地、九華山にも四つ星ホテルがあり、こちらに泊まりました。町の中を散策しましたが近代的と言えるホテルはここだけでした。ホテルの名前は東崖賓館です。
 名前 東崖賓館(东崖宾馆 DongYan Hotel)
 住所 安徽省池州市青阳县化城路8号
 電話 +86 566 283 1370 ( 0566-283-1370)
 開業 1982年 2004年改装
有名な聖地なので国のVIPの人が訪れていると思いますが、九華山に泊まる時は<唯一の近代的なホテルのため、この東崖賓館に泊まられたと思います。ネットで調べてもこのホテルのことはほとんど出てこなかったので紹介いたします。
見た目は中華風のホテルですが部屋の中は近代的でした。

こちらのホテルをすこし紹介いたします。おそらく、こちらのホテルで一番大きなスイートのリビングだと思います。
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ネットで調べると開業以来、やはり朱鎔基を始め中国の指導者及び著名人に利用されたとありました。こちらが寝室です。


大きな浴槽もかた片隅に、ぽつんとあるほどの大きな浴室でした。


航空写真で東崖賓館を紹介します。臙脂色マークが玄関のある本館です。東崖賓館は、いくつかの棟で成り立っていることが判ります。

より大きな地図で 九華山 東崖賓館 を表示

皆様から頂いたniceが180,000に到達いたしました。 [SNS]



本日、皆様から頂いたniceが180,000に到達いたしました。
到達したのは2013年12月18日7時41分で、プログを始めた2009年5月5日から1688日(4年7ヶ月13日)目でした。すべて皆様のおかげです。お礼申し上げます。
キリ番に到達しても、表示はタイムリーではないことから、そのキリ番の表示に出会えることは意外と少ないので、すぐに画面のハードコピーをとって掲載させてもらったわけです。

記念の180000目のniceをいただいたのは、ぼんさん様でした。
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下のグラフは累計アクセス数と累計nice数の推移です。2013年12月18日7時41分時点のアクセスとniceなどの数値は以下の通りです。
     累計アクセス数 4,602,952件
     累計nice数     180,000件
     niceと思った人     7,484人
     読者数           317人


一日当たりアクセス数とnice数をグラフにしたのがこちらです。最初の数ケ月はniceがいただけませんでした。一日のnice数は直接に集計できないので累積niceの数日分の増加から一日のnice数を算出してプロットしています。従って移動平均化されています。


こちらは一日当たりアクセス数と訪問者数をグラフにしたものです。日によって、ばらつきます。2009年5月5日からの全データーをプロットしています。

総本山と大本山 [高野山]

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2015年(平成27年)には高野山は開創1200年を迎えます。その高野山に来て高野山の総門である大門の次に訪れたのが、お寺散策と言う記事で、すこし紹介した寳壽院です。
高野山真言宗・総本山は、すでに紹介した金剛峯寺ですが、高野山真言宗・大本山と呼ばれている寺院があることを偶然知りました。それが、この寳壽院(ほうじゅいん)なのです。不思議なことに地図に寳壽院が書かれていませんでした。不思議に思って門に書いてあった寳壽院で検索した結果、大本山があることを知りました。

寳壽院は、高野山真言宗総本山・金剛峯寺の建物を模して作られているそうです。これは金剛峯寺が災害などで、使えなくなった場合に復旧するまでの間、寳壽院に高野山真言宗の総本山を置くことになっているためだそうです。これは高野山真言宗の宗務が、一日たりとも滞(とどこお)らないようにするなどの理由があると書かれていました。院内には、高野山真言宗僧侶の育成を目的とする高野山専修学院(こうやさんせんしゅうがくいん)を置かれています。寳壽院は、もとは無量壽院と称されていた。無量壽院は、1016年(長和5年)に深覚僧正が開基となり創建されたそうです。
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1839年(天保10年)に本堂は焼失してからは再建されませんでしたが、1970年(昭和45年)には本堂が新築されました。
1973年(昭和48年)に大本山に昇格したそうです。
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本堂は右の写真の金剛峯寺ほどではありませんが、大本山だけクリックすると拡大のことはありました。全国に3554寺ある高野山真言宗の2番目の格式である大本山なのです。大本山の主殿(下)の形は総本山の主殿(右)の形に非常に似ていました。
高野山には118の寺院があります。格式順に言うと次の通りです。数値は高野山の各格式の寺の数です。
  総本山    1 金剛峯寺
  大本山    1 寳壽院
  遺跡本山   0 (京都:神護寺 大阪:観心寺)
  別格本山  27 総持院 親王院 龍光院 明王院 宝城院 西禅院 正智院など
  準別格本山  2 無量光院 大楽院
  別院     0 (全国に9寺+海外3寺)
  一般寺院  87 熊谷寺など
  合計    118 全国合計=3554寺
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お寺散策 [高野山]



高野山には118のお寺があり、道を歩くだけでも趣のある景観に出会えます。その道の景観で一番気に入ったのが今回紹介する金剛峰寺の西側の通りです。上の写真は総持院のあたりから西の通りを撮ったものです。
手前から総持院、親王院、龍光院です。趣のある風景なのは、この通りは商店はなく、人通りも少なく、お寺だけが立ち並んでいるのも影響していると思います。でも、この通りに格調高い雰囲気があるのには、それ以外の理由があるような気がしました。

場所を地図で紹介すると緑の楕円で囲ったあたりです。西から順番に紹介いたします。


クリックすると拡大Google地図でも場所を紹介します。今回紹介の寺の門の位置あたりに青色マークを配置いたしました。マークをクリックすると写真を表示します。大門から右の写真の深山隧道( )を通って青色ラインの道で、こちらのエリアに来ました。

より大きな地図で 高野山 寺院 を表示
これがこの通りの一番西の奥にある寳壽院(ほうじゅいん)です。このお寺は地図には載っていなかったので書き込ませていただきました。このお寺はちょっと、いわくのあるお寺なので後日、詳しく紹介いたします。
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正智院です。こちらのお寺は高野山の中でも格式の高い別格本山です。右の石柱には別格本山・正智院と書かれており、左の石柱には準別格本山・大楽院と書かれていました。


宝城院のあたりから東の方向を撮った写真です。宝城院も別格本山です。


となりの西禅院も別格本山です。この写真はクリックすると拡大します。
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こちらの道の奥にあるのが明王院です。こちらの明王院も別格本山でした。


こちらが龍光院です。龍光院も別格本山でした。


こちらが親王院で、こちらも別格本山でした。枯山水の庭を紹介した寺院です。
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こちらが、この通りの一番東にある総持院です。こちらも別格本山でした。
高野山には118の寺院があります。格式順に言うと次の通りです。驚いたことに、この通り沿いにある7つ寺院は、すべて格式の高い別格本山だったのです。そのことがこの通りが別の場所とは違う雰囲気の理由だったのだとネットで調べてわかりました。
  総本山    1 金剛峰寺
  大本山    1 寳壽院
  別格本山 27 総持院 親王院 龍光院 明王院 宝城院 西禅院 正智院など
  一般寺院 89 熊谷寺など



別格本山の27寺を紹介いたします。
下の地図はクリックすると拡大するので別格本山を、いくつか見つけることが出来ると思います。バス停の奥の院前から緑のラインを歩いて女人堂まで散策しました。
  宝亀院、桜池院、天徳院、正智院宝城院西禅院明王院龍光院親王院
  総持院、西室院、南院、金剛三昧院、龍泉院、光台院、福智院、本覚院、
  本王院、普門院、一乗院、普賢院、西門院、大円院、持明院、多聞院、三宝院、
  遍照光院、清浄心院、円通律寺

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