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往復ともに洋食にしました。 成田~シカゴ [機内 F]

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上の写真はバハマ(BAHAMAS)のナッソー(Nassau)のホテルからの景色です。007の撮影が行われたカジノがあるアトランティス・ホテル(右上のフラミンゴ色のホテル)も見えます。首都であるナッソーがあるニュープロビデンス島の場所は一番下に掲載しているバハマの地図で確認してください。
4月27日から成田→シカゴ→バハマ→マイアミ→シカゴ→成田のルートでバハマに行っていました。そして5月1日に帰国いたしました。
今回もラッキーが重なり成田⇔シカゴ間でファーストクラスに乗ることが出来ました。機内食は和食にすることが多いのですが今回は往復共に洋食にしてみました。その往復の料理を今回も紹介いたしました。

下の写真の左側が成田→シカゴの搭乗券で右側がシカゴ→成田の搭乗券ですが右側の搭乗券には何も印刷されていません。実はチェックインのときにアップグレードをリクエストした結果、搭乗口ですべてのお客さんが乗った後に手書きで発券してもらえたのです。アップグレードの空席待ちは、なかなか実現することないので、ラッキーでした。
     成田→シカゴ搭乗券         シカゴ→成田搭乗券



成田→シカゴ便での日本時間4月27日20時30分の景色です。日付変更線を越えていると思われるので27日の日出の景色と言うことになります。27日の昼に出発して、もう一度日出を見るとは! なんとなくタイム・トリップ(Time Trip)したような気がしました。ここから下の写真は、ほとんどがクリックすると拡大します。
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ワインを飲む人が多いけれど私の場合は、やっぱり最初はビールです。でもこの日は、食事の時に赤ワインの「シャトー・ボルガール 2001 ポムロール」と「ヴォーヌ・ロマネ 2004 ドメーヌ・ダニエル・リオン」の2種類飲んでしまいました。


車海老と小野菜の料理でした。
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これはアミューズ・ブーシュです。
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トマトチャウダースープです。
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メインは「仔羊肉の香草アーモンド焼きとラベンダーと蜂蜜風味焼きのデュエット」にしました。メインは3種類の中から選びますが、これ以外は和牛フィレステーキかシーフードの料理です。仔羊肉は正解でした。
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デザートはいろんなものから選択できます。今回は抹茶オペラケーキにしました。


紅茶も本格的な雰囲気で出てきました。



4月30日のシカゴ→成田のフライトです。日本に着いたのは5月1日の15時でした。


この日も先ずはビールです。帰りはすべてビールで統一いたしました。


トリフの入ったアミューズ・ブーシュでした。
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メイン州産ロブスターで結構な大きさでした。手前のものはアボガドサラダ
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ポタージュ サンジェルマン
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メインは「地鶏のグリル チェリーソース」を選択いたしました。これ以外の選択肢は牛フィレステーキか鱈のローストです。
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季節のサラダはボリュームがありました。
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最後はデザートはフルーツ取り合わせ、クリームパフケーキ、ティラミス、オペラ、フルーツタルトの中から好みのものを選びます。

バハマにも大砲の飾ってあるお家がありました。 [バハマ]

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バハマの首都ナッソーの普通の景色を紹介いたしましたが、今回も何気ない風景です。今までインドやパキスタンで入口に大砲を飾っている家を紹介しました。バハマでも入口の門に大砲を飾っている家がありました。いずれも個人の家ではなくて政府関係の建物です。あの赤いポストがあったところでした。

地図にはGovt Houseと書かれていました。ここも政府関係(知事官邸)の建物のようです。いろんなところで大砲が飾られていますね。今まで見かけたのはインド エジプト 中国  ドイツ パキスタン トルコ フランスでした。
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別の入口ですが同じ建物です。真ん中の像はコロンブスだそうです。


このあたりはバハマの官庁街で別の建物にも大砲が飾ってありました。


バハマの郵便ポストも赤でした。 [バハマ]

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これがバハマの郵便ポストです。バハマのポストは赤で細身のポストでした。クリックすると拡大日本のポストは赤いのでどこでも赤いと思っていたら以外と赤以外のポストが多いです。
赤いポストだったのはインドとイギリスでした。やっぱりイギリスの影響があるのかな。色は赤だけれども形は違うのが面白いです。
右のHOURS COLLECTIONの表示から判断するに日曜日と祝日を除いて毎日収集するようです。
全ての写真はクリックすると拡大写真を表示します。

下の写真の右端にポストが立っているのが、わかってもらえると思います。ここは政府関係(知事官邸?)の敷地の入口の門のようです。
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映画のシーンのようです。 [バハマ]

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ちょうどバハマのホテルに到着したときの光景です。リゾート地であるバハマではスーツ姿の人は、ほとんど見かけないところです。ところが黒人の方々が黒のスーツ姿で大勢、ホテルの2階から下りてこられた光景に驚きました。日曜日の午後5時16分でした。印象深い光景でした。
ここはアフリカ系黒人の方が85%の国です。地元の人たちだと思います。
バハマの経済を支えているのは観光と金融です。観光に訪れるのは、ほとんどが欧米の白人の人たちです。確かに観光客以外の人は黒人の人たちでした。
これもバハマのニュー・プロビデンス島の一場面でした。

クリックすると拡大バハマのことをネットで調べてみました。
 人口 313,312人(2011年)
 面積 13,940km²(156位)
 独立 1973年7月10日(イギリスより)
 国名 Commonwealth of The Bahamas
 国旗 黒:アフリカ 青:海(カリブ海 大西洋) 黄:陸(バハマ諸島)
 人種 アフリカ系黒人85%、白人12%、アジアやラテンアメリカ系人3%
 首都 ナッソー(Nassau) ニュープロビデンス島にあり
 政治 イギリスの女王を君主 総督をその代理人とする、立憲君主制
 女王 イギリス・エリザベス2世
 総督 アーサー・フォルケス
 首相 ペリー・クリスティー(与党の党首)
 言語 英語
 経済 観光業とタックス・ヘイヴン などの金融業
 主島 ニュープロビデンス島(207K㎡ 210,832人)
 島数 約700 アンドロス島が最大(2,323Km² 約10,000人)
 岩礁 約2400
 国軍 総勢860人
 宗教 キリスト教系95%以上 無宗教または不明 3%
(バプティスト32%、英国国教会 20%、ローマ・カトリック教会 19%....)

バハマの位置を紹介します。緑のマークが今回の光景に遭遇した首都ナッソーのヒルトンホテルです。飛行機のマークは利用したことがある空港です。

より大きな地図で バハマ を表示
タックス・ヘイヴンとは
一定の課税が著しく軽減、ないしは完全に免除される国や地域のことである。租税回避地とも呼ばれる。
日本の法律による規定では法人税の実効税率が20%以下となる国や地域を、事実上タックス・ヘイヴンと認定している。
タックス・ヘイヴンは、小さな島国など産業が発達しない国が、国際物流の拠点となることを促進するために作った制度である。貿易の拠点となれば定期的に寄港する船乗りなどが外貨を消費するため、海洋国家にとっては有利な方法だと考えられてきた。したがってタックス・ヘイヴン税制が適用される業種は、本来は物流セクターであった。

話題のナポリのピッツァ店に行ってきました。 ダ ミケーレ [東京]

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お店がオープンして1年が過ぎました。それを機会に写真の拡大機能を追加して再掲載いたします。話題のお店、前々から行ってみたかったピッツァの専門店に行ってきました。行列が出来るとのことなので会社が終わってすぐに行きました。お店に着いたのが18時15分でした。すでにお店の中は満席で我々の前に2組が待っていました。

並んでいる場所から生地を打つ台とピッツァ窯が窓越しに見えました。窯の中に薪の火が見えます。18時35分には席に案内されました。夕方は17時30分に開店で開店の時に入った人の一部の人たちが帰り始めたので席が空き始めたと案内してくれた人が教えてくれました。


一番、窯に近い席でした。こちらのピザ店はイタリア・ナポリにある行列の出来る有名な「ダ ミケーレ」が東京・恵比寿にお店を開店したということで話題になったお店です。ナポリ本店と同様に行列が出来ることでも話題になっています。モッツァレッラ(フィオルディラッテ)チーズは、ナポリにて朝出来立てのフレッシュを空輸するなど、ナポリの味をそっくり再現しているそうです。ピッツァイオーロ(ピザ職人)の方もナポリ本店で技術を習得したそうです。


こちらのお店のピッツァ(PIZZE)はミケーレ ナポリ本店と同様にマルゲリータとマリナーラの2種類のみです。それぞれに2種類のサイズが用意されていました。Normaleは通常を意味してDoppiaはダブルを意味します。
  MARGHERITA(マルゲリータ)
    DOPPIA             1800円
    NORMALE           1450円
  MARINARA(マリナーラ)
    MAXI               1500円
    NORMALE           1250円


これが本場オーダーNO.1のマルゲリータです。トマトとモッツァレッラ・チーズとバジルとオイルだけのシンプルなピッツァです。確かに美味しいです。サイズはNORMALE(ノルマーレ)を頼みました。ナポリでは大きい方のDOPPIA(ドッピア)が定番だそうですが、このNORMALEでも十分に大きかったです。
右の写真だとわかりやすいと思いますがマルゲリータは円形ではなく菱形に近い楕円形でした。
ネットでも検索すると、こちらのお店の楕円形のマルゲリータの写真が掲載されていました。今回のマルゲリータが楕円形なのは、偶然なのか本場も楕円形なのかは、もう一度食べるとわかると思います。もし楕円だったら、この次は真上から撮りたいと思います。少なくともナポリのピッツァは真円にこだわっていないことは確かなようです。
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拡大写真を掲載いたします。空輸してきた朝出来立てを空輸してきたモッツァレッラチーズはいかがでしょうか。マルガリータに欠かせないバジル(Basil)は最近ではどこでも売られるように説明は不要ですね。イタリア名はバジリコ(Basilico)でシソ科メボウキ属の一年草のハーブです。
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焼き上がりを見てもらいたいので淵の部分も拡大いたしました。
ピッツァ・マルゲリータ(pizza Margherita)の名前はイタリア王妃マルゲリータに由来するそうです。マルゲリータ王妃が、バジリコの緑、モッツァレラチーズの白、トマトソースの赤がまるでイタリアの国旗を表しているようだとして気に入り、自らの名を冠したと言われています。
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ピッツァと言えばビールがあいます。
もちろん白ワインも頼みました。
行列して店に入るのが基本ですが予約も出来るとのことだったので電話すると予約枠はすでにありませんでした。予約の場合は90分と時間が限られてしまうのと17:30と19:00と20:30と時間も決められてしまっているので、ゆっくりとワインを楽しむ場合は行列することをお薦めします。


ピッツァ以外に頼んだのはルックラのサラダだけでした。


こちらがピッツァ窯です。このピッツァ窯もイタリアから運んできたそうです。積まれた薪が印象的です。この時は19時41分でしたが、この時間帯でも窓の外では沢山の人が並んでいました。


もちろんMARINARA(マリナーラ)も頼みました。ナポリではピッツァは自分でカットするそうです。その方が表面の水分が回らないので底のパリっとした食感が長持ちするそうです。 ピザカッター を借りて自分でカットしました。カットしてしまうのではなく食べる分だけカットするといいですね。このときは知らなかったので6つにカットしてしまいました。この次は食べるときに一枚づつカットします。
2枚のピッツァを頼んで皿よりピッツァが大きいことに気が付きました。これもこだわりのような気がします。この次は大きい方のDOPPIA / MAXI を頼んでみたくなりました。
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トマトとスライスニンニクとオレガノとオイルだけのシンプルなピッツァです。チーズが乗っていないのも新鮮な感じでした。オレガノ (Oregano Origanum vulgare) はシソ科ハナハッカ属の多年草でヨーロッパの地中海沿岸地方が原産の香辛料です。
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こちらも淵の部分を紹介いたします。オレガノがたっぷりと振り掛けられていました。俗にピザスパイスと呼ばれるものはオレガノが主成分であることが多いそうですが、こちらでは、ずばり100%のオレガノでした。マリナーラは「船乗りの」を意味する形容詞で、イタリアの都市ナポリの船乗りがよく食べていたことに由来して名前が付けられたようです。18世紀後半にナポリの漁師たちがなじみのパン屋にあり合わせのトマトとオリーブオイルを使って作らせたのがきっかけとも言われています。
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もう1本、白ワインを開けてしまいました。食べ終わってお店を出たのが21時19分でした。18時35分からなので2時間44分と結構、長居をしてしまいました。


ナポリ本店のホームページ(HP)から拝借した1870年創業から現在までの巨匠達の写真です。イタリア語のOggiは現代を表しています。それでは、お店を紹介いたします。
 店名 L'Antica Pizzeria da Michele
    アンティーカ ピッツェリア ダ ミケーレ
 住所 東京都渋谷区恵比寿4-4-7
 電話 03-5447-3800 Fax:03-5447-3801
 営業 月~金 11:30-14:30(LO)  17:30-23:00(LO)
    土曜日 11:30-23:00(LO)
    日曜日 11:30-22:00(LO) 祝日も
 休み 不定休
 HP 恵比寿店  http://www.damichele.jp/about/ 
    ナポリ本店 http://damichele.net/ 
 客席 60席
 歴史 1870年にイタリア・ナポリの地に創業
    1930年にナポリ本店が現在の地Cesare Sersale通りに移転
    2012年1月31日 東京・恵比寿店 OPEN
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こちらもHPから拝借したナポリ本店の店内の写真です。
店内のカジュアルな雰囲気も恵比寿店に再現されていました。

チキンラーメン [拉麺]

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カップラーメンの記事を掲載した機会にチキンラーメンの記事を掲載いたします。永くインスタントラーメンを食べていなかったけれど、最近、台所でインスタントラーメンを探す機会がありました。全部で6袋あり賞味期限は古いもの順に頂きました。おそらくチキンラーメンだけでなくインスタントラーメンも含めて、長く食べていなかったと思います。しかしチキンラーメンが食べたくなって昨日、買ってきました。

クリックすると拡大チキンラーメンは1958年8月25日に大阪・梅田の阪急百貨店うめだ本店で試食販売と共に発売が開始されました。これを記念して1958年8月25日が「チキンラーメン誕生の日」となったそうです。昨年(2008年)はチキンラーメン50年記念だったわけです。当時、85グラム入り35円で販売されたそうです。この写真はネットから拝借した発売当時のものです。

Wたまごポケットが売りのようなのでさっそく食べてみることにしました。浅い器にラーメンを入れました。Wたまごポケットが確認できました。これは2003年にたまごポケットが考案されたものを2008年5月に白身用/黄身用の2段構成としたポケットにリニューアルしたものでした。そういえば今は丸い形をしていますが昔は四角かったです。日々、変わっているんですね。
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今までチキンラーメンにはタマゴを入れることは、ほとんどありませんでしたが、せっかくブログに載せるのでタマゴを乗せてみました。今までタマゴを入れなかった理由はスープがタマゴの味になってしまうからでした。
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お湯を入れた後にネギもタップリと乗せました。
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さっそく、味わってみました。タマゴが麺に絡んで美味しくいただきました。スープにタマゴの味が移ることなくタマゴが麺に絡むのがいいみたいです。タマゴを入れることの良さを初めて知りました。
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発売(1958年8月25日)と同じ1958年にテレビで流された初代CMをクリックすると拡大紹介します。実写版の鉄腕アトムが初めてテレビで放送された1959年3月7日と同年代というのが面白いです。
NHK続テレビ小説の第99作目「まんぷく」の中でも1958年夏に「まんぷくラーメン」が発売され、テレビCMも行われていました。

日本の自転車野郎 [生活風景]


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クリックすると拡大最初、大人の自転車野郎と思いましたがよく見ると家族でサンクリングのようです。前の4人が子供さんで後の2人が両親のようです。全員ヘルメットがかっこいいですね。
楽しい日曜日になりますように。
午前6時20分の景色でした。さすが、お父さんは車の通らない安全な道を知っているんですね。
今までの自転車の記事です。ポチッをクリックすると記事を表示します。
 ドイツ     → ポチッ
 フランス   → ポチッ
 イギリス   → ポチッ
 インドネシア → ポチッ
 オーストリア → ポチッ
 イタリア    → ポチッ
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タグ:佐倉 自転車

日本のネコちゃん [猫]


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ワンコの散歩のときに珍しく同じ模様のネコちゃんが5匹いました。さっそく写真を撮りました。みんな警戒してこちらを見ています。もう少し近づいて写真を撮ろうとすると逃げちゃいました。以前に掲載させていただいたトルコの猫ちゃんスイスのネコちゃんのようには撮れませんでした。クリックすると拡大写真を表示するので少しは猫ちゃんの顔がわかると思います。一番、右の猫ちゃんの顔の模様だけが少し違うことが判ってもらえると思います。

上から二枚目の写真は、この写真から切り取ったものです。この距離でも警戒されていたのです。少し近づくと一匹が逃げて、冒頭の写真のように4匹となり、さらに近づこうとすると、みんな逃げてしまいました。
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今までに紹介した猫ちゃんたちです。興味のある猫ちゃんがいたら、是非ともタイトルをクリックしてみてください。写真はクリックすると全て拡大します。
クリックすると拡大クリックすると拡大ロシアの猫ちゃんはシッポが特徴
まとめて見る場合はこちら→ポチッ
  ロシアの猫ちゃん
  スイスの猫ちゃん
  トルコの猫ちゃん
クリックすると拡大クリックすると拡大  イスタンブールの猫ちゃん
  ローマの猫ちゃん
  チャナッカレーの猫ちゃん
  沖縄の猫ちゃん
  箕面の看板猫ちゃん あんこ
クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大クリックすると拡大

どうぞよろしくニャン [猫]


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クリックすると拡大大阪の箕面滝に向かう散策路にあるお店の前に人だかりが出来ていました。のぞいてみると小さな猫ちゃんが台の上に座っていました。

桃太郎の看板娘「あんこ」ちゃんです。
説明によるとキジトラの女の子で2010年7月生まれだそうです。のどをなでられると気持ちよさそうでした。
「あんこ」ちゃんも、もうすぐ3才です。写真はいずれも4ケ月目(2010年12月1日)の写真です。
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タンポポの綿毛軍団 [植物]

が表示された写真はクリックすると拡大します。

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朝のワンコの散歩のときにタンポポの綿毛だらけのところがありました。この写真はクリックしてみてほしいです。

ちょっと驚きでした。風で飛ばされたものが多いいけれど新しい綿毛が次に控えていました。当分はこの景色が見れそうです。
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朝露の日は、また違った姿を見せてくれました。小さな水滴が付いて綿のように真白に見えました。
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表(Table)を書くテクニック [裏ワザ]


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下記のような表(Table)を作ってみました。
この表は先日掲載した「産み立て卵の洋菓子店 洋菓子HASEGAWA」という記事がどの程度の順位で検索できるのかを試した結果を表(Table)にしたものです。
   検索対象の記事はこちらです。 → ポチッ
これはキーワードをYahooおよびGoogleに入力して検索した場合の、その記事が出てくる順位と検索された記事の総数です。順位が空欄の部分は100位以内に入っていないケースです。なお本結果は2013年5月10日13時の時点です。興味ある方は試してみてください。この表の記載の詳細は、そのままコメント欄に紹介いたしましたので参考にしてください。
キーワードYahooGoogle
12順位総数順位総数
生みたて卵  10,700,000 9,080,000
産みたて卵 411,900,00031,840,000
うみたて卵  1,480,000 1,180,000
生み立て卵 18864,0002854,000
産み立て卵 16864,0001854,000
産み立て卵ケーキ2201,0001200,000
産み立て卵プリン2102,0001102,000
産み立て卵洋菓子134,900134,900
産み立て卵洋菓子店115,700115,700
産み立て卵佐倉123,100123,100
産み立て卵千葉3191,0003191,000
産み立て卵シフォンケーキ120,800120,800
洋菓子店7764,0001855,000
佐倉 1,040,000 1,040,000
洋菓子165,100,00025,100,000
シフォンケーキ 1,700,000 1,700,000
洋菓子店佐倉 96,600296,600
洋菓子店9863,0001863,000
洋菓子店千葉 1,010,000 1,230,000
洋菓子店プリン 950,000 949,000
洋菓子佐倉 404,000 310,000
洋菓子224,960,00025,070,000
産みたて卵ケーキ3286,0001286,000
産みたて卵プリン2134,0002134,000
産みたて卵洋菓子145,100145,100
産みたて卵洋菓子店116,800116,800
産みたて卵佐倉128,700128,700
産みたて卵千葉3269,0002269,000
産みたて卵シフォンケーキ119,100119,100
うみたて卵ケーキ 384,000 315,000
うみたて卵プリン 230,000 191,000
うみたて卵洋菓子 83,900 78,200
うみたて卵洋菓子店 25,100 25,100
うみたて卵佐倉 64,500 64,500
うみたて卵千葉 213,000 213,000
うみたて卵シフォンケーキ1454,200254,200
生みたて卵ケーキ 2,900,000 2,910,000
生みたて卵プリン 1,370,000 1,370,000
生みたて卵洋菓子24395,0003395,000
生みたて卵洋菓子店10127,0003127,000
生みたて卵佐倉8321,0002321,000
生みたて卵千葉 2,160,000 2,110,000
生みたて卵シフォンケーキ29228,0002204,000

コメント欄に紹介したのは、この4行の表だけです。上の表をすべて書くとコメントとして受け付けないようなので表の一部だけを紹介いたしました。
キーワードYahooGoogle
12順位総数順位総数
生みたて卵  10,700,000 9,080,000
産みたて卵 411,900,00031,840,000

数値( 順位 / 総数 )の部分をクリックすると検索画面になります。 罫線は入れてありませんが、こちらの表(Table)も今回の方式で作成しました。
キーワード Yahoo Google
順位総数順位総数
産みたて卵411,900,00031,840,000
生み立て卵18864,0002854,000
産み立て卵16864,0001854,000
産み立て卵 ケーキ2201,0001200,000
産み立て卵 プリン2102,0001102,000
産み立て卵 洋菓子134,900134,900
産み立て卵 洋菓子店115,700115,700
産み立て卵 佐倉123,100123,100
産み立て卵 千葉3191,0003191,000
産み立て卵 シフォンケーキ120,800120,800
卵 洋菓子店7764,0001855,000
卵 洋菓子165,100,00025,100,000


コメント欄を見ていただくとわかるように非常に複雑な形式で記載する必要があります。大きな表の場合は、直接書くのは不可能に近いと思います。実はFC2ブログには簡単に作成する機能があるのです。FC2ブログを活用してSo-netに表を作成する手順を①→⑤で説明します。
Excelで表を作成します。必要な部分をコピーで取り込みます。


FC2の入力画面を出してアイコンをクリックします。


入力エリアにExcelでコピーした部分を貼り付けて、アイコンをクリックします。


コメント欄で紹介した表現が入力欄に表示されるのでコピーします。


So-netの入力欄に貼り付けます。

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イスタンブールの猫ちゃん [猫]

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トルコのチャナッカレ(Canakkale)の猫ちゃんを紹介したしました。イスタンブール(Istanbul)でも街を歩くと沢山の猫ちゃんに出会いました。
上の写真はホテルの近くの公園で日向ぼっこしながら気持ちよさそうに眠っている猫ちゃんです。この公園にも沢山の猫ちゃんがいました。トルコに来た前回と今回の経験から、トルコは猫ちゃんが沢山いる国だなと思いました。日本語ではイスタンブールと呼ばれていますがİstanbul(イスタンブル)が一般的だそうです。

ボスポラス海峡が見下ろせる坂道の町の路地の風景です。沢山の猫ちゃんがいるから出会える風景です。みんな仲良くしているなかで珍しい光景です。兄弟かな?
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車の上は暖かいのかな。行儀よく座っていました。ここも坂道の町の路地の猫ちゃんです。
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旧市街地の方に行くと更に、沢山の猫ちゃんたちがいました。ここから下のネコちゃんたちは全て旧市街地のねこちゃんたちです。
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何かを見上げている姿が愛らしいです。


カメラを向けると気にするネコちゃんもいます。


かと思えば、気にしない猫ちゃんもいました。

                         が表示された写真はクリックすると拡大します。

シャクヤクの花が満開 [植物]


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タモギダケ(楡木茸)を買った2013年5月6日に同じお店である「道の駅やちよ」で写真のシャクヤク(芍薬)の切り花を買ってきました。買った時はすべて開きかけの蕾の状態でしたが翌日には写真のように花が開きました。花瓶の中の水はほとんど吸い上げられて無くなったそうです。右下の黄色い花は家に植わっている薔薇のヘンリーフォンダです。

全てが開き切ったら見事でした。これだけの花が5本で300円とは安いと思います。
シャクヤク(芍薬)はボタン(牡丹)と同じボタン科です。書いている違いは一般的なもので明確なものではないので参考程度とお考えください。ただしボタンが木であることから冬でも木の部分が地上に残リるのに対して、シャクヤクは草であることから冬に地上部が枯れることははっきりとした違いです。そのためにシャクヤクは切り花として使われるのです。美女の形容の「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」の中に使われていることでも有名です。
          シャクヤク(芍薬)          ボタン(牡丹)
  目    キノシタ目 Saxifragales     キノシタ目 Saxifragales
  科    ボタン科  Paeoniaceae     ボタン科  Paeoniaceae
  属    ボタン属  Paeonia        ボタン属  Paeonia
  種    シャクヤク P. lactiflora     ボタン    P. suffruticosa
  学名   Paeonia lactiflora         Paeonia suffruticosa
  例え   花の宰相「花相」           花の王「花王」
  違い                          
        葉にツヤがある            葉にツヤがない
        葉にぎざぎざがある          葉に丸みがある
        蕾の先がとんがってる        蕾が球形
        開花が4月               開花が5月
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タモギダケ(楡木茸) [茸]


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久しぶりにゴールデンウイークの最終日2013年5月6日に、「道の家 やちよ」に行って見ました。そこで珍しい茸を見つけたので買ってみました。瑞々しくておいしそうだったのです。
値札に名前が書かれていなかったので調べて見ると、きのこの名前はタモギタケ(楡木茸)でネットでは60gが200円と結構高価な種類でした。重さを量ってみると265gもあり、お得だったことが判りました。千葉県の八千代市の櫻井幸子さんが作られているものでした。

タモギ茸はヒラタケ科ヒラタケ属のキノコで鮮やかな黄色の傘が特徴です。主にニレの倒木などにはえるそうです。ニレ以外にブナ,カエデ,ナラなどの枯木や切株に夏から秋にかけて群生するそうです。日本では北海道では一般的な食用キノコとして知名度があるそうですが、本州以南では馴染みが薄いようです。近年では栽培品が本州のスーパーでも出回ることがあると書かれていました。鍋物や味噌汁炒め物の具として用いることが多いとも書かれていました。
北海道に多いのは木の種としてニレが多いことによるのだそうです。アイヌの人もよく食べるそうでアイヌ語では「チキサニ・カルシ」と言うそうです。意味は「ハルニレ(春楡 別名:ニレ)に生えるキノコ」だそうです。北海道で 「 にれたけ 」、岩手では 「 とちもたし 」、宮城では 「 わかい 」、熊本では 「 きんたけ 」 と呼ばれているそうです。
名前の由来はニレ()の倒木に生えることから木茸となったと思われます。ただし楡木(にれぎ)が「たもぎ」と読まれる理由はまだ不明です。ただし材木としてのニラ(楡)の代表であるハルニレ(春楡)はアカダモ(タモ)とも呼ばれていることが関係している気がします。
 界  菌界       Fungus
 門  担子菌門    Basidiomycota
 綱  真正担子菌綱 Homobasidiomycetes
 目  ハラタケ目   Agaricales
 科  ヒラタケ科   Pleurotaceae
 属  ヒラタケ属   Pleurotus
 種  タモギタケ   Pleurotus cornucopiae var. citrinopileatus
 学名 Pleurotus cornucopiae var. citrinopileatus


こちらが「道の駅 やちよ」です。,経験的に駐車場が混むことが判っていたのでネットで回転時間を見て9時に着きましたが、すでに混んでいました。営業時間は季節によって異なるのですが基本は次の通りです。
 住所 千葉県八千代市米本4905-1
 電話 047-488-6712
 営業 農産物     9:30~18:00 
    アイスクリーム 10:00~17:00 (店名:プチシャンテリー)
    レストラン   9:00~19:00 (L.O. 18:00)
 休み 第2月曜日、12月31日~1月4日
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クリックすると拡大します。右の写真はWikimediaから拝借した自然の中のタモギ茸です。
中国や台湾の中南部でも、珊瑚菇(shānhúgū)と称して栽培されているそうです。中国での別名は金頂蘑、榆黃蘑、玉皇蘑で台湾での別名は玉米菇だそうです。
タモギタケは成分的には老化防止剤の素になることからタモギタケのエキス剤は血糖低下効果や血圧上昇抑制作用や抗腫瘍作用を期待して研究されているキノコです。
さっそく天ぷらにしてみました。独特の味と香りが特徴の美味しいキノコでした。
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マイタケとエリンギも天婦羅にしました。タモギタケは初めての味わいであることもあったのか、一番おいしく感じました。
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やっぱりビールです。道の駅で買ってきた刺身コンニャクも美味しかったです。トマトもいただきました。この刺身コンニャクは沢山の人が買っていたので、つられて買ったそうですが、食べてみて人気だったことに納得でした。

ムンバイ直行便 [機内 CY]

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機内食シリーズを掲載しているので4年前のフライトですが紹介いたします。
2009年6月2日に成田を出発してインドのムンバイに行ってきました。そして、一昨日(2009年6月4日17:05)に帰国しました。インドの滞在時間の最短記録となりました。
行きのフライトは成田からムンバイへの直行便を利用しました。機体は48人乗りの小さな機体で長距離を飛ぶのは珍しくて出来たころは話題になっていました。私も乗るのは初めてなので少し紹介しておきます。
ドイツからアメリカに飛んだときにも一度すべてCクラスの飛行機に乗ったことがありますが雰囲気が似ていました。

先ずは食事を紹介いたします。前菜は「鱧の梅肉醤油風味 鮎のうるか添え」と「黒毛和牛とグリーンパパイヤの生春巻き 和風ヴィネグレットソース」でした。
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メインは下の3種類から選べますが、私は鹿児島産黒豚のソテーを選びました。
 [ 713 kcal ] 黒毛和牛のサーロインステーキ 青葱の香り 照り焼きソース
 [ 447 kcal ] 鹿児島産黒豚のソテー ガーリック風味 和風ソース添え 
 [ 523 kcal ] クリーミーなたらば蟹と海老のコロッケ タルタルソースとともに
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デザートは「メロンシャーベットとバニラアイスクリームの取り合わせ」「国産マンゴーのロールケーキ」「フレッシュフルーツのブロシェット 」でした。
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エンタテイメントが変わっていました。HDDを内蔵したポータブルメディアプレーヤーを使用していました。映画の数は少ないけれど画像はきれいでした。
ザ・バンク 堕ちた巨像」と「鑑識・米沢守の事件簿」と「感染列島」の3っを見ました。
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飛行ルートです。ムンバイに近づきました。
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到着前にも食事が出ます。「芝海老天ぷらの彩り素麺と三色手毬寿司 」か「夏野菜を添えたクリーミーコーンポタージュとフレッシュフルーツ」のどちらにしますかと聞かれたので素麺を選択しました。ほとんどの人が素麺を選択したので数が足らなくなったので変更の協力を申し入れられました。うどんもあるとのことでしたが、インディアンセレクトにしました。マトンのカレーを出してもらいました。海苔を巻いたパンなど風味のある2種類のパンも出してもらいました。
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変わったものがありました。タジマハールホテルで出しているチャパティーだそうです。カレーを付けて食べます。
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フィレンツェ [イタリア]

写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。
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イタリアのピサを紹介いたしましたが、その前日はフィレンチェに泊まりました。フィレンツェを紹介いたします。イタリア旅行のコースにはフィレンチェが必ず入るほどきれいな町でした。フィレンツェについて先ず最初に案内されたのがフィレンチェの町全体が見渡せるミケランジェロ広場です。フィレンツェの街の中心部とアルノ川を挟んだ丘の上にあり、これから歩く町全体の説明をしてもらえました。
中央のドームのある大きな建物が、後ほど紹介するドゥオモです。その左の高い塔がある建物がヴェッキオ宮で手前の川沿にある教会がサンタ・クローチェ教会です。

ここは「ウフィッツィ広場」です。ウフィッツィ美術館の前の細長い広場です。美術館の前だけあって、このような光景を沢山見かけました。大失敗! 頭に隠れて絵が写っていません。残念でした。
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ウフィッツィ美術館に入りました。この美術館はルネッサンス美術の世界最大の宝庫と呼ばれており、よく知っている名画が沢山展示されていました。それらは残念ながら撮影禁止でしたが、窓の外にはフィレンツェのアルノ川に架かる橋で最も有名なポンテ・ヴェッキオが絶好の構図で見えるのです。ここだけは撮ってもよいと添乗員の方に教えてもらったので紹介いたします。
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ヨーロッパは路地も芸術的な景観を見せてくれます。特にフィレンツェは、どの路地も魅力的でした。
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丘の上のミケランジェロ広場から大きな丸いドームが見えた一際大きな建物がドゥオモであるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂です。正式名称はBasilica di Santa Maria del Fiore(花の聖母教会)です。
近くに行くと大きすぎて下のように全景を写すことが出来ませんので冒頭のミケランジェロ広場からの写真から切り取った写真を右に掲載いたしました。近くで見ると壁の装飾には驚かされました。1296年から140年かけて築造された高さ106mの大クーボラ(円蓋)を持つ巨大な教会でした。
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ドゥオモの内部です。ドーム部分の内側には絵が描かれていました。
クリックすると拡大

クリックすると拡大2013年5月4日10時からテレビ東京「美の巨人たち」で「天国の門」が放送されたことから下の写真を追加いたしました。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に付属するサン・ジョヴァンニ洗礼堂 (Battistero di San Giovanni) にはロレンツォ・ギベルティの最高傑作と言われている「天国の門」がありました。全体の写真を撮っていなかったため右の全景写真はWikimediaから拝借いたしました。
この扉は高さ約5メートルで、縦横80センチ、10枚の金箔を施したブロンズパネルで構成されています。
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クリックすると拡大10枚のパネルには旧約聖書の物語が紙芝居のように展開されているそうです。そして彫りの厚さを変え、見事な遠近感を表現しています。ちなみに「天国の門」の名前は、のちにミケランジェロが、この名前を使って賞賛したことから、この名で呼ばれるようになりました。この東の扉(天国の門)は1425年~1452年の27年間をかけて作られました。その前に作られた北の扉は1402年~1426年の24年間かけて作られたのでした。右上の写真はWikimediaから拝借した洗礼堂の写真です。
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2013年5月4日 (土) 美の巨人たち (TV東京系)放送内容
ロレンツォ・ギベルティ(Lorenzo Ghiberti、1381年頃 - 1455年12月1日)
ルネサンス期フィレンツェの彫刻家、金細工師。今日においても賞賛される高い技量を有し、工房からは多くの弟子が育ちました。
天国の門(1452年)
初期ルネサンスの代表的な彫刻作品です。
ルネサンスの故郷、フィレンツェ最初の宗教的なモニュメントである、サン・ジョヴァンニ洗礼堂北側の扉です。ただし、現在の扉はレプリカであり、本物は修復後、博物館に展示されています。名付け親は、かのミケランジェロ…、ミケランジェロは1975年生まれなので、たいぶ後になっての命名なのですね。
このパネルに描かれた作品のテーマですが、最初は「アダムとイブの物語」、次いで「カインとアベルの物語」、「ノアの物語」、「アブラハムの物語」と、旧約聖書の創世記の物語が紙芝居のように表現されています。
金細工師の父の元で修行したギベルティは15世紀初め、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の扉の制作者を決めるコンクールに応募します。そこで最終選考に残ったのがギベルティともう一人、後にルネサンスを代表する建築家となり、遠近法の創始者ともされるブルネッレスキでした。共に20代前半、若い芸術家同士の闘いとなったのです。
選考は大いにモメたようですが、ブルネッレスキは辞退しローマへ向い、ギベルティが勝利しました。 フィレンツェ屈指の彫刻家となったギベルティが、時を経て指名され、制作したのがこの『天国の門』でした。 番組では、現在でも尚驚嘆されるギベルティのブロンズ技術にせまりました。そして、かつてのライバルであり、建築家となって帰郷したブルネレスキが発見した、遠近法の技術も取り入れ、旧約聖書の物語を美の結晶として再現したのです。

道の正面に塔がある建物がヴェッキオ宮です。94mの高さの塔を持つゴシック建築です。自由都都市体制を打ち立てたフィレンチェが、執行官の館として13世紀に建て、その後、市庁舎となり今に至っているそうです。
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ヴェッキオ宮は塔が魅力的です。特に頂上に近い部分の造形には驚かされました。
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フィレイチェではウフィッツィ美術館に入った後は自由行動となりました。ヴェッキオ宮前のシニョリーア広場です。中世の自由都市時代には、ことあるごとに市民が集まった広場だそうです。ここには沢山の彫像が並べられており屋外美術館のようでもありました。
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こちらはサンタ・クローチェ教会で、フィレンツェの町を何気なく散策している時に引かれて立ち寄った教会ですが、ミケランジェロなどの偉人の墓が276基もある教会であることを知りました。
サンタ・クローチェ広場に面した部分ですが、この奥に巨大な教会の本体があります。塔が少し見えますが、あのあたりまで一つの建物なのです。
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昼はCaffè Bigallo で昼食でした。料理はツアーに含まれており「なすのパスタ」でした。アルコール類は自前で、当然ビールを頼みました。
お店のホームページを見つけました。→ポチッ


ツアーには夕食が結構付いているのですが、この日は自由だったので町に出て食べました。魚介料理の気楽なお店を選んでみました。
お店は気楽な安いお店を選んだので、料理は少し豪華にロブスターを中心にしてもらいました。料理はホタテ、生ハム、ロブスターのパスタに黒鯛、さらに大きなロブスターを一匹頼みました。
お店の名前は「Ostaria dei Cento Poveri」です。日本語に訳すと「百人の乞食の食堂」だそうです。旅行ガイドブックを見て、日本を出発する前からの候補でした。小さなお店で雰囲気を楽しむことが出来ました。ガイドブックには「手軽な料金で食べられる魚介料理レストラン 海の幸が豊富な南イタリアのプーリア料理専門店」と書かれていました。下の写真は右上の写真から切り取りました。

小さな村一番のレストラン [トルコ]


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トロイ遺跡の近くの小さな村のボス猫ちゃん」で紹介した村で昼食を食べました。料理名は判りません。これは鶏肉の煮込み料理 地鶏のようでおいしかったです。
食事が出来そうな我々の知っている町まで40Kmあったので地元の人にいろいろ聞いてこのお店を探しました。実はこの村はトロイ遺跡に近いところにありました。

羊のひき肉のハンバーグのような料理 たぶん料理名はキョフテかな
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厨房に入ってみました。左から羊のひき肉料理とピラフと鶏肉の煮込み料理です。真中のピラフに豆料理をかけたものも食べました。
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このお店が一番だと言われました。レストランはこのお店だけと言ったほうが正確かもしれません。お店の名前はERAY Köfte Salonuです。Köfte Salonuを翻訳するとミートショップなのでERAY肉料理店というところでしょうか。


昼時になると行列が出来るほど満員でした。当然ビールがほしくなりましたがイスラムが浸透した地元のレストランなので当然アルコールはありません。味も良かったし地元の雰囲気が味わえて良い経験になりました。片言ですがトルコ語が出来る人がいるといろいろ経験が出来ます。日本人なんて見たことないて雰囲気の場所でした。
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黄色のマークがレストランERAY Köfte Salonuです。村の名前を地図から読み取りました。Mahmudiyeです。
トルコに3年住んでいる日本人がトルコはレストランの値段が高いと嘆いていました。トルコは平均月収が4~5万円程度なのに食事の値段はヨーロッパ並みと話していました。このお店で一人当たりは600円くらいだったので町に比べると安かったですね。町でこの内容だと1800円はするイメージでした。

より大きな地図で トルコの小さな村 を表示

トロイ遺跡の近くの小さな村のボス猫ちゃん [猫]

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世界遺産になっているトロイ遺跡の近くの小さな村の猫ちゃんたちは、のんびり暮らしている感じでした。この猫ちゃんは村のリーダ格のようで、ちょっとスイスの猫ちゃんに似ています。トルコは猫ちゃんがすごく多いところでした。この猫ちゃんの行動を追ってみます。

見かけによらず優しい猫ちゃんで、子猫を見守っていました。
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よそ者が入ってきたら威嚇していました。貫禄勝ちです。
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みんなを引き連れてどこかに去って行きました。
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記憶を頼りに場所を探してみました。中央あたりの広場で猫ちゃんたちを見つけました。黄色のマークが昼食を食べたレストランです。一番下で紹介のモスクも右の方(青マーク)に写っています。

より大きな地図で トルコの小さな村 を表示
鶏さんも放し飼いでした。猫ちゃんの主食は魚のようで、猫ちゃんが居ても鶏さんたちは逃げる様子もありませんでした。
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コメントを頂いたマンガ「動物のお医者さん」の『ヒヨちゃん』です。
クリックすると拡大クリックすると拡大

小さな村での出来事でした。
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魚も売りに来ています。いわしのような魚です。この車の荷台の下にも猫ちゃんが座っていました。


IMGP9715-250.jpg右の写真をよく見てください。荷台の下に猫ちゃんがいるのが判るでしょうか。みんな猫ちゃんを大切にしているようでした。  
小さな村ですがモスクもありました。トロイ遺跡の近くにはレストランがありません。昼食のために立ち寄った村の出来事でした。手前に並んだ車の左端の車の下に上のネコちゃんがいます。下の写真をクリックすると拡大するので確認してみてください。
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スイスのネコちゃん [猫]

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レンツブルク城に行ったときに道の真中を堂々と歩いてくる猫チャンに出会いました。是非、写真をクリックしてみてください。
レンツブルク城の横の丘に登る途中で前から猫ちゃんが歩いてきました。
カメラを構えてても、こちらをを意識するわけでもなくそのままの調子でまっすぐに私の側をすり抜けて歩いて行ってしまいました。この貫禄には驚きです。その精悍さは掲載したローマのネコちゃん以上かな!

道の真ん中を堂々と歩いていました。
猫ってこんなに姿勢もよく、歩幅も大きいかったのに初めて気が付きました。
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この道にあった標識です。ここは馬の通り道のようですね。この標識の右側の道を前から歩いてきたのです。このお城の周りには牛さんや羊さんがいました。散歩中のワンちゃんも!
ワンちゃんはこちらを気にしている様子でした。

連休後半は田植えの最盛期 [生活風景]



千葉県の印旛沼は江戸時代から干拓が行われてきただけのことはあって印旛沼の周りには沢山の田んぼがあり、米どころです。4月30ごろは田植えの準備である代かき(しろかき)が各所で見られました。連休後半の5月5日の田んぼのあたりを散策すると、田植えの真っ最中でした。その光景の写真を紹介いたします。
軽トラックで苗を積んできて田植え機を使って田植えを行っていました。代かき(しろかき)は一人で作業を行っていましたが田植えは沢山の人が一緒に田んぼに出てきて作業をされていました。

田植機が発明される前までは足元の悪い水田の中での最も過酷な作業だったと思います。右の写真はネットから拝借した手で田植えしていたころの写真です。
田植機は明治時代から研究され始め、宮崎県の農民発明家、河野平五郎が1899年(明治31年)に田植機の特許第1号を取得した記録があるそうです。人力による田植機は1960年代に実用化が始まったそうです。動力式のものも1968年には開発されたそうです。1970年代から1990年代にかけて、田植機の技術革新と普及が急速に進み、1980年代後半には、今までの植付け方式であったクランク式からロータリー式が実用化され田植え時の作業能率(スピード)が格段に上がったそうです。これ以降、全農家の半数が田植機を所有し、ほとんどの田が田植機によって田植えされていると記載されていました。1998年にはヤンマーが歩行型田植機と同程度の廉価の乗用田植機Pe-1を発売し大ヒットし他社も急遽追随し急速に乗用型が普及したそうです。1990年代から赤外線やレーザー光線を使った無人機の開発が進められ 2005年にはGPSを活用した無人の田植機の開発が進められていることが発表されています。2007年には、世界初の自動植付け機能が搭載された田植機が 販売されたそうです。


少し散策しただけでいろんな田植え機が活躍していました。


こちらの田んぼでも田んぼの周りの草刈りや隅のあたりを整えたりで5人くらいの方が働かれていました。


複数の田植え機が望遠レンズに入ってくるほど沢山の田植え機が活躍していました。


若い女性の方も、つなぎの作業服を着て田植え機を運転されていました。


こちらは草刈りですが若い女性の、つなぎの作業服姿もかっこよく感じました。今回、驚いたのが若い女性の方が田んぼで作業をされていたことでした。少しずつ若い人が減ってきていると思い込んでいました。農業の世界でも時代のステップアップあるいはチェンジがあるのかもしれません。


沢山の稲の苗を軽トラックに積んでいました。すごい量です。ナンバープレートの番号は目隠しよりはこちらの方が雰囲気が出ると思い変えさせていただいております。


かなり田植えが進みましたが、まだトラックの上には沢山の苗がありました。


一年に一回だけですが田植え機は大活躍でした。


稲の苗を植え終わった田んぼです。


家族旅行の最初の訪問地は! [イタリア]


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すこし前に家族での初めての海外旅行はイタリアにしました。その旅行の最初の訪問場所がミラノのスフォルツェスコ城(Castello Sforzesco)でした。写真は城の正面のフィレーテの塔とカステッロ広場の噴水です。
この旅行では裏技を使わさせてもらいました。裏技とはJTBのパックツアーでしたが航空券は自分手配することでした。自分手配の航空券とは溜まったマイレージを使った特典航空券のことなのです。以前から一度試してみたかったのですが、旅行会社に頼んでも断られ続けていました。今回受け入れてもらったJTBでも、ほとんどお店に断られましたが一店だけOKしてくれたのです。それからが大変でした。特典航空券は思い通り日の予約が出来ません。一方でパックツアーも日にちが決まっています。さらに休暇が取れる日も決まっているのでタイミングの合わせるのに苦労しましたが、おかげでパックツアー料金の中から航空券代として3名合計で90万円ほど、値引きしてもらえました。学校が夏休みに入った時で航空券の高い時期だったようです。

自前の航空券で行くとうれしい恩恵がありました。成田空港ではラウンジ(左の写真)で、のんびりと過ごせることに加えて、早めの予約であり座席が好きな場所が取れることでした。この時は3人共に通路側を予約しました。通路を挟んだ隣席とその前の席です。実は通路側を予約しておくと満席でない場合は隣席が空く可能性があることは経験的に判っていたのです。ただしチェックインの時に驚かれました。

もう一つの恩恵が直行便で行ける事なのです。パックツアーではブリティッシュ・エアウェイズ(BA)が使われるためロンドン経由となりミラノ空港に着くのが22時40分になるのに対して直行便だと17時50分でした。旅行会社から教えられていたホテルにチェックインしたあと、街に出かけて夕方のミラノを楽しめました。
ガイドブックで事前調べていたピザ専門店(ピッツェリア)のPaper Moon(右の写真)にも行き、ペーパーのようなピザ2枚など、夕食もゆっくりと楽しむことが出来ました。
ガイドブックにはPaper Moonは「昼どきはファッション関係者で込み合うお店 "紙の月"という店名のごとく、薄くカリッと焼き上げたピザが自慢」と書かれていました。
暗くなってきてホテルに戻っても、まだロンドン経由からの方々は着いていませんでした。会えたのは事前に聞いていた翌朝の待ち合わせ時間でした。
ツアーの方は成田を出るときに3名ほど人数が少なかったのでキャンセルされたものと思っていたそうですがミラノについて翌日に全員そろったので、これもまた不思議に思われたことを、親しくなってきた4日目の昼食の時に初めて質問されました。航空券を自分で手配したことを説明して皆さんやっと疑問が解けてなっとくされていました。

下の写真のバスがミラノ市内の観光とベネチアまでの移動に使われたバスです。最初から最後まで同じバスではなくて町を移動するごとに交代いたしました。
この時は「ミラノベローナベネチア」と「ベネチア~フィレンツェ」と「フィレンツェピサ~フィレンツェ」と「フィレンツェ~シエナ~ローマ」と「ローマ市内」と5回変りました。
毎日バスが変るのには驚かされましたが、それぞれの地元のバスを使うほうが効率的だと説明されました。当然ですが日本から来られた添乗員の方は最初から最後まで案内してくれました。そして大変にお世話になりました。
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スフォルツェスコ城(またはスフォルツァ城)は元々は14世紀にミラノを支配していたヴィスコンティ家の建てた居城でしたが。その後、ミラノの支配者となったミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァが1450年にヴィスコンティ家の居城を改築して現在の姿となったそうです。内部の美術館にはミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」などが展示されていました。一辺が約200mの正方形に近い形をしており、正面のフィレーテの塔の周囲を回廊が巡り、内側に広い中庭がありました。この写真は中庭側から見たフィレーテの塔と城壁です。城壁は内側から見ると窓や入口がある建物となっていました。
写真の中央の集団が今回のツアーの全メンバーです。この時のツアー人員は21人(2人X9組 3人X1組)で、我々だけが3人でした。
人の大きさからフィレーテの塔の大きさが判ってもらえると思います。オレンジの帽子をかぶっているのが娘(右端)です。写真をクリックして拡大するとわかると思います。
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城壁と堀で囲まれた堅牢なお城でした。
元々、北イタリアは諸侯の勢力争いの耐えない地域でしたが、歴代の君主たちによって城には防御のための改築が度々加えられ、17世紀の初めにはヨーロッパでも1、2を誇る堅固な要塞となったそうです。
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航空写真を紹介します。スフォルツェスコ城の後は大聖堂ドゥオモ、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア、スカラ座や美術館に行きました。


イタリアの自転車野郎 [イタリア]


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家族で初めて海外旅行に来たのはイタリアで、初めての訪問場所がミラノのスフォルツェスコ城でした。その思い出の場所に仕事ではありますが、また来ることが出来ました。その場所はミラノのスフォルツェスコ城に来てみました。さすがヨーロッパは自転車の国!
今は日本の自転車部品は良くなったけれど昔はイタリア製に憧れたものです。私の古い自転車にもイタリア製の部品を使いました。
ミラノは路面電車は古いのも新しいのも走っています。

拡大写真を掲載します。


記念撮影をしているということは地元の人ではなさそうです。
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スフォルツェスコ城の内側からの写真です。


外側の堀 この周りを馬に乗ったお巡りさんが巡回していました。


中庭です。

赤道直下でも自転車が流行っていました。 [インドネシア]



自転車が流行っていました。ここはインドネシアのジャカルタの中心街です。
土曜日の早朝にホテルの近くを散歩していると沢山の自転車が走っていました。それも日本で今流行っているロードバイク(ロードレーサー)でした。それも、かなり高級そうな自転車でした。20人くらいの集団でしたが、カメラを取り出すのに時間がかかってしまい、前からの写真は、この一枚しか撮ることが出来ませんでした。でも1枚、撮れただけでもラッキーでした。

上の写真の後ろの4人を拡大いたしました。時間は7時49分でした。見た雰囲気ですが4、50才台の方も沢山おられるようです。高層ビル群の中を走るのも気持ちがいいと思います。


後ろ姿は何枚か撮ることが出来ました。小さく写っているものも入れると6台写っています。これらの自転車を見てインドネシアの印象が変わりました。


短いけれども動画でも撮っていたので紹介いたします。不思議なことに逆走方向に走っています。車が来ない瞬間にロータリーをショートパスしたのかもしれません。


冒頭の写真の大集団以外にも数人の集団から一人で走っている人を短時間の間に、いろんな場所で5回くらい見かけたのでジャカルタでも、このての自転車が、かなり流行っている気がしました。日本と同じように年配の人も走っていました。それにしても町の中心街で、これほどの自転車を見かけるとは思ってもいませんでした。
こちらの自転車は2台ともに変速機が付いていないので日本の競輪に使われているトラック用(ピスト)のようです。固定ギヤーで、少なくとも右の自転車は前後ともにブレーキはつけていないようです。町の中を走るときは最低、一つはブレーキは付けるものなのですが、ちょっと危険かも。危険なのでゆっくりしか走れないはずです。足は太くないのでトラックの競技選手では、ないようです。

日本でもノンブレーキの自転車が問題になっています。下記はその記事です。まさか話題のノーブレーキピストをジャカルタで見るとは思ってもいませんでした。でもノーブレーキピストであることは、その時は気が付かずに写真で見つけました。ゆっくり走っているなとは思っていました。
私は学生時代に競輪場のトラックでピストを使ったレースに何度か出たことがありますがスピードを出した場合は簡単には止まれないのでノンブレーキで公道を走ることは考えられないことです。スピードが出たピストを止めるためにはペダルに逆転方向の力を入れて徐々に回転数を落としていきますが、進むときよりも力が入らないので、発進での距離の何倍も止まるのに距離を要します。高速走行時は逆踏みによる制動体勢そのものが不可能と言われているのも納得が出来ます。
ブレーキがない自転車で公道を走行し、警察に摘発されるケースが急増している。東京都内では死亡事故も起きており、警視庁が今年1~9月末までに交通切符(赤切符)を交付したのは前年同期比1.6倍の700件。若者に人気の「ピスト」と呼ばれる競技用自転車の普及が背景にある。同庁は「事故が多発する恐れがあり危険」として厳しく取り締まる。
ノーブレーキピストで日本国内の公道を走ることは、公道を走る際の必須装備を備えていないため道路交通法違反となる。
どうして、危険なノーブレーキピストが流行したのか調べてみるとアメリカ(特にニューヨーク)のストリートカルチャーの影響が大きかったとそうです。だから日本だけでなくインドネシアでも流行ったのかもしれません。

地図の中の赤いラインが朝の散歩のコースです。ロータリーを右周りに歩きました。赤いラインをクリックしてもらうとわかりますが歩いた距離は2kmでした。紫の押しピンが泊まっていたホテル・ケンピンスキーです。自転車をよく見かけたのがロータリーの周りと縦に通っている大きな道路です。



ccq さんのGiant Escape R3 と R3.1の違いはにトラックバックしています。

ローマの遺跡の中のネコちゃん [猫]

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朝早く散歩していると遺跡の中で日向ぼっこ!
近づいても全く動じず。 
昔のことですが2009年8月2日16時15分ごろにNHKで「猫とローマの休日ツアー」のタイトルでローマのネコちゃんが放送されていいることを思い出しました。写真をクリックすると拡大するので見てやってください。

遺跡の中で日向ぼっこでした。どんなに近づいても、この場所から動きませんでした。
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ローマではパックツアーからわかれて余分に1日滞在したのでゆっくりと見ることが出来ました。この遺跡の一角でした。
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タグ: イタリア

沖縄の猫ちゃん [猫]

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今帰仁城の駐車場近くにある今帰仁村歴史文化センターの猫ちゃんです。
写真はクリックすると拡大します。
この猫ちゃんは有名みたいでネットにも登場していました。
今帰仁城の城の茶屋あたりの別のネコちゃんもネットに出てきていました。

いろんなポーズを3枚紹介


長いシッポが自慢かな。
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タグ: 沖縄 那覇

千波湖の対岸の気になる建物 [水戸]



本記事が2013年3月に茨城県の水戸に行ったときの最後の報告となります。
千波湖の湖岸を散策しているとき対岸に気になる建物がありました。立派な建造物なので行ってみることにしました。

近づいてみると、やはり和風建築群でした。大きな建物なので有名な建物ではないかとさらに近づきました。


実は映画「桜田門外ノ変」の見せ場である桜田門外襲撃シーンのために約2億5000万円の巨大オープンセットが、ここ千波湖湖畔に建てられたのでした。そのオープセットをテーマパークとして残した記念施設だったのです。この施設は2013年3月31日で閉鎖されたので今は見ることが出来ません。映画の撮影後、立派なオープンロケセットであったことから1 年間の予定で公開されましたが延長され2013年3月31日をもって閉館となったそうです。3年間 で31万6728人が訪れたそうです。興味を魅かれて入場券500円を買って中に入ったので私も31万6728人の中の1人となりました。
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映画の公開は2010年10月16日で初日2日間で興収9172万6200円、動員は8万390人になり、映画観客動員ランキングで初登場第6位となったそうです。今までにオープンセットをみたことはありませんでしたが、1シーンだけのために、これだけのオープンセットが作られたのには驚きでした。


クリックすると拡大雪のシーンを撮るために白い砂が70トンも地面に敷かれたそうです。そのため砂用の車イスもありました。桜田門外の変は、安政7年3月3日(1860年3月24日)に江戸城桜田門外において水戸藩、薩摩藩の脱藩浪士が彦根藩の行列を襲撃して、大老・井伊直弼を暗殺した事件です。


撮影シーンのパネルの写真です。この撮影場面では地元の約400名の方がエキストラとなって参加されたそうです。


下の写真は映画の撮影に使われて衣装です。出演者は次の通りです。
 大沢たかお  (関鉄之介)   - 水戸藩士 襲撃の現場指揮者
 長谷川京子  (関ふさ)     - 鉄之介の妻
 柄本明     (金子孫二郎) - 水戸藩南郡奉行 襲撃を企てる一人
 生瀬勝久   (高橋多一郎)  - 水戸藩奥右筆頭取 襲撃を企てる一人
 渡辺裕之   (岡部三十郎)  - 水戸藩小普請。井伊直弼襲撃の見届け役
 加藤清史郎  (関誠一郎)   - 鉄之介の息子
 中村ゆり    (いの)      - 鉄之介の江戸の愛人
 渡部豪太   (佐藤鉄三郎)  - 水戸藩士 襲撃参加
 須賀健太   (高橋荘左衛門) - 多一郎の息子 藩校・弘道館諸生。襲撃参加
 本田博太郎  (桜岡源次衛門) - 常陸国袋田村の大庄屋。鉄之介をかくまう
 温水洋一   (与一)       - 源次衛門の使用人
 ユキリョウイチ (稲葉和則)    - 鳥取藩剣術指南
 北村有起哉  (安藤龍介)    - 水戸藩士
 田中要次   (稲田重蔵)    - 水戸藩士 襲撃に参加する
 坂東巳之助  (有村次左衛門) - 薩摩藩士 襲撃に参加、井伊にとどめを刺す
 永澤俊矢   (西郷吉之助)   - 薩摩藩士
 池内博之   (松平春嶽)    - 福井藩第16代藩主
 榎木孝明   (武田耕雲斎)   - 水戸藩士 斉昭の側近
 西村雅彦   (野村常之介)   - 水戸藩北郡奉行
 伊武雅刀   (井伊直弼)    - 彦根藩第15代藩主 江戸幕府大老
 北大路欣也  (徳川斉昭)    - 水戸藩前藩主(第9代)
 志村東吾、緒形幹太、松本寛也、颯太、福井晋、平塚真介、須賀貴匡、近藤公園
 中山麻聖、綱島郷太郎、津村鷹志、河原崎建三、川野太郎、松尾伴内、福本清三
 深水三章、並樹史朗、モロ師岡、三田村賢二、妹尾正文、田鍋謙一郎、沢井小次郎
 谷川昭一朗、佐久間哲、西田有沙、池口十兵衛、伊集院八朗、小峰隆司
 木谷邦臣、峰蘭太郎、など


偕楽園に戻ってきてあらためてオープンセットを撮りました。2013年3月末までは見えていたいた景色ですが、夏の「水戸黄門まつり」までに、ロケセットを取り壊すそうなので、もう見ることは出来ない景色なのです。


ネットで書かれていた「桜田門外の変」の襲撃の状況を紹介いたします。
安政7年3月3日(1860年3月24日)の早朝、浪士一行は決行前に訣別の宴を催して一晩過ごした東海道品川宿の旅籠を出発した。一行は東海道に沿って進み、愛宕神社で待ち合わせたうえで、外桜田門へ向かった。現地に着いた襲撃者たちは、武鑑を手にして大名駕籠見物を装い、井伊の駕籠を待った。
当日は季節外れの大雪で視界は悪く、護衛の供侍たちは雨合羽を羽織り、刀の柄に袋をかけていたので、襲撃側には有利な状況だった。また、江戸幕府が開かれて以来、江戸市中で大名駕籠を襲った前例はなく、警護は薄かった。もっとも、井伊のもとには以前より警告が届いていたが、護衛の強化は失政の誹りに動揺したとの批判を招くと判断し、あえてそのままに捨て置いた。登城する井伊の駕籠は、彦根藩の藩邸上屋敷を出て、内堀通り沿いに江戸城外桜田門外に差し掛かり、そこで浪士たちの襲撃を受けた。
駕籠が近づくと、まず前衛を任された水戸浪士・森五六郎が駕籠訴を装って行列の供頭に近づき、取り押さえに出た彦根藩士・日下部三郎右衛門にやにわに斬りかかった。こうして護衛の注意を前方に引きつけた上で、水戸浪士・黒澤忠三郎(関鉄之介という異説もある)が合図のピストルを駕籠めがけて発射し、浪士本隊による駕籠への襲撃が開始された。
発射された弾丸によって井伊は腰部から太腿にかけて銃創を負い、独自に修錬した居合を発揮すべくもなく、動けなくなった。襲撃に驚いた丸腰の駕籠かきはもちろん、藩士の多くも算を乱して遁走した。残る数名の供侍たちは駕籠を動かそうと試みたものの、銃撃で怪我を負った上に襲撃側に斬りつけられ、駕籠は雪の上に放置された。護衛の任にある彦根藩士たちは、ベタ雪の水分が柄を濡らし刀身が湿るのを避けるため、両刀に柄袋をかけており、銃創と鞘袋が邪魔してとっさに抜刀できなかった。このため、鞘のままで抵抗したり、素手で刀を掴んで指や耳を切り落とされるなどした。
こうした不利な形勢の中、二刀流の使い手として藩外にも知られていた彦根藩一の剣豪・河西忠左衛門は、冷静に合羽を脱ぎ捨てて柄袋を外し、襷をかけて刀を抜き、駕籠脇を守って浪士・稲田重蔵を倒すなど、さらなる襲撃を防いだ。同じく駕籠脇の若手剣豪・永田太郎兵衛も二刀流で大奮戦し、襲撃者に重傷を負わせた。しかし、河西が斬られてたおれ、永田も銃創がひどく闘死した。
もはや護る者のいなくなった駕籠には、次々に襲撃者の刀が突き立てられた。さらに、有村次左衛門が荒々しく駕籠の扉を開け放ち、虫の息となっていた井伊の髷を掴んで駕籠から引きずり出した。井伊は無意識に地面を這おうとしたが、有村が発した薬丸自顕流の「猿叫」とともに、振り下ろした薩摩刀によって斬首された。襲撃開始から井伊殺害まで、わずか数分の出来事だったという。

リカンベント自転車 [ドイツ]

ドイツでも自転車 それも高速型

風の抵抗を減らした究極の自転車!
このタイプの自転車は知っていましたが実用的(時間帯から通勤)に使っているのは初めてみました。確かにスピードが速いけれど車高が低く車からは見にくいため、危ない気がしました。
逆に目立つから大丈夫か! な?
この自転車は調べるとリカンベント自転車あるいはリカベント自転車(Recumbent Bicycle)と言うらしい。日本でも自転車専用道路を走っているところを見たことはありますが、車が沢山走る道路で見たことはありません。
アメリカ・ネバダ州のバトルマウンテン郊外で開催された大会で時速132.4km(200mの平均速度)の人力疾走世界最速を出した記事を見つけました。→ポチッ
クリックすると拡大
少し拡大してみました。 上の写真自体も拡大しているので、残念ながらこれ以上の拡大は画質的に耐えられません。右の写真から上の写真も下の写真も切り出しました。右の写真はクリックすると拡大します。


同じ場所での写真です。通勤時間帯 これなら大丈夫!


いろんなところに自転車がありました。写真はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大
リカベント自転車とリカンベント自転車どちらが一般的なのかをYahooとGooglで検索して検索数で比較してみました。結果は下記の通りです。それぞれ違う結果でしたが、Wikipediaではリカンベント自転車が使われていました。
                 Yahoo     Google
  リカベント自転車     89,600  1,220,000
  リカンベント自転車  1,300,000   205,000

闘神さん10月 月例荒川サイクリングに参加にトラックバックしています。

ロンドンは自転車 [英国]



ロンドンでは早朝の散歩に出かけました。自転車通勤を良く見かけます。イギリス、フランス、イタリア本当に多いですね。この写真は7時ごろです。

この写真は7時半ごろです。 この後さらに増えます。


と言うことで、あちらこちらに自転車を停めています。頑丈な鍵をつけて!
2つも鍵をつけているのがわかりますか。


だから、右の写真のような残骸も! 鍵が頑丈すぎるのです。
部品だけの盗難も多いのでしょう。だからタイヤとフレームは一緒に鍵を掛けることを忘れないように!


公園の中でも沢山走っています! これは通勤ではないみたい。


公園の中は自転車だけでなくランニングも多いですね。この写真はクリックすると拡大します。
クリックすると拡大

公園には沢山のリスがいました。やっぱり栗鼠は可愛いです。いろんなポーズのリスを見かけました。

教会と自転車野郎 [アヌシー]

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ヨーロッパは本当に自転車野郎が多いんです。クラブも活発ですね。ほとんど自転車は車で積んできて乗りたい場所だけ乗っているみたいです。自転車に乗っていた身としては気になってつい写真を撮ってしまいます。→ポチッ
場所はアヌシーの丘の上の教会の近くです。いままでに会った「イタリアの自転車野郎」や今回の「ロンドンの自転車」を思い出します。

一人で丘を登っている人も見かけました。 湖の畔ではモット沢山の自転車を見ることが出来ます。もちろんインラインスケートも


奥に見える民家です。右側の壁は丘の上にそびえる教会の塀です。


その教会です。 丘の上の大きな教会です。周りを囲む塀も迫力があります。


教会への最後の登り坂です。
     

アヌシーの町はこれ以外にもきれいな教会が沢山ありました。いくつか紹介します。

     
この教会の裏側です。


教会かどうかな?


旧市街でも自転車野郎が!

自転車と一緒に旅行 [オーストリア]



ミュンヘンからウィーンに行く高速道路です。自転車を積んだ車が合流してきました。フランスのアヌシーで出会った自転車野郎を思い出しました。→ポチッ

その車が我々の車の前に入りました。


我々の車が追い抜く時に撮りました。車はBMWでした。この写真はクリックすると拡大します。どうやら、ご夫婦のようです。
ヨーロッパは自転車大国です。高速道路を走っていても、この車だけでなく自転車を積んだ車を頻繁に見かけました。
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対向車線の写真を撮っていると自転車を乗せた車が写っていました。こちらの車もBMWでした。なぜか自転車を乗せた車はBMWが多かったです。


自転車を積んだキャンピングカーも多かったです。ウィーンに着くまでの間に自転車を積んだ車を10台以上見かけました。日本でも自転車を屋根に積んだ車を時々見かけますが一日に10台以上も見れるのはヨーロッパならではでしょうね。


ウィーンの街中の風景です。こんなスタイルで走っている人を沢山見かけました。